ひとりぼっちVS了
ひとりぼっちは寂しいだろうか。どうして、寂しいのだろう。どのくらい近くに人がいたら、寂しくないのだろう。え。そういう意味ではない? どういう意味なのだろう。どうすれば、寂しくないのかが、わからない。どうすれば、寂しくなるのかもわからない。
ひとりぼっちとはいっても、そんなのは当たり前だと思う。誰だって一人だ。二人なわけがない。わかっているようで、わかっていない。
こんなお話しは、ほとんどの人間が、どうでもいいに違いない。
――みんな、一人だ。二人なわけがない。きっと、みんなが一人なら、寂しくないのだろう。みんなが繋がっているから、寂しいという気持ちになるのだと思う。
ひとりは寂しいと思う人の気持ちはわかる。だけど、わからなないところもある。なぜ、ひとりは寂しいのだろう。寂しくないといけない理由がない。誰かと一緒にいると安心するからだろうか。でも、誰かと一緒にいると、不安になる人はいるように思う。
全てがわからないぼくにとって、ひとりぼっちという言葉ほど、曖昧で意味不明なものはあまりない。どこまでが、ひとりぼっちで、どうからがそうではないのかか不明だ。
その人が、ひとりぼっちだと思えば、ひとりぼっちなのかもしれない。なら、誰かに対して『あの人はひとりぼっちだ』と言える人間は、鈍感なのかもしれない。だって、ひとりぼっちは人それぞれ違うのだから。
そして、ひとりぼっちが悪いと決まっているわけではない。この世に決まっていることなんて、ほとんどないに等しい。あらゆることを棚上げしてきたぼく達人間は、あらゆることを棚上げしてきたからこそ、こうして、言葉に絶対的なルールを作らないでわかったような気になりながら、意思の疎通を図ってきたのだろう。
意味不明だけど、意味不明だからこそ――意味不明ではない。
わからないからこそ、わかるのだと、そんな戯言でぼくは終わりにしよう。今日も、やつが現れた。そいつは、ひとりぼっちだった。ぼくは、そいつに戦いを挑んだ。
仲間がいないそいつは、弱そうに見えた。でも、それは間違いだった。やつは、強靭な精神を持っていたのだ。だから、ぼくが、なにをしたところで――なにを言ったところで勝てる気がしなかった。
ぼくはそのとき、ひとりぼっちではなかった。でも、やつと戦って、気づいた。ぼくのほうがひとりぼっちだったのだ、と。なにを言っているのかわからないと思う。でも、言葉なんてそういうものだ。連なった記号で、一体なにがわかるのだろう。




