LⅧ 卍 にんげんりょく 卍
トニー・スタークことアイアンマン、ロバート・ダウニーJrの【アベンジャーズ エンドゲーム】出演料は80億円だという。
日本人の感覚からすると鼻白むような金額でしょうけど、わたしはそんだけ払う価値はあるだろうと納得です。
そもそもMCU初っぱなの2タイトル【アイアンマン】と【インクレディイブルハルク】は、半分コケてます。【アイアンマン】がメガヒットしたから持ちこたえたのだ。
【シビルウォー・キャプテンアメリカ】は実質的に【アイアンマン4】だったし、【スパイダーマン】3度目のリブートもトニー・スタークの助力ありきでした。MCUが結果的に大成功を収められた理由はほかにもあるけど、いちばん大きな要素はロバート・ダウニーJrの存在だった(断言)
それで思うことは、映画技術がいかに発達進歩しても、結局大事なのはキーパースンひとりふたりを配置できるかどうか、ということらしい。 その人間が映画を救うので「スター」と呼ばれる。
これが単純に「その人がいればつねに安心」という話でもない。シュワちゃんやブルース・ウィリス、スタローンはメガスターだったが、90年代のある時期(突如として)スター性を失った。おもに飽きられたのだ。
一世を風靡したくらいでは世間は簡単に忘れてしまう……ピコ太郎みたいに。
スター性が一生持続するのも稀で、絶頂期のスターだけが纏うキラキラ感は実際眼に見える。世間はそれを「なにか降りてきてる」「この人はなにか持ってる」「神懸かり」と表現した。
俳優だけではなく、人は人のパフォーマンスに注目する。世の中娯楽は色々あるだろうに、人間がただ走ってるだけのマラソン、格闘技、スケート、ダンス、SASUKE的なパフォーマンスにはいまだ衆目が集まる。AIがバーチャルがと賑やかな昨今ですけど、この風潮が持続しているうちはまだ、深刻に受け取ることはなかろうと思う。
ひとりの人間が社会に与えうる影響力というのは、たぶん我々が思っている以上で、わりと無意識下に染みこんでくるものであり、いつの間にかその特定個人のことばかり追っていることに気付いたり、無自覚なまま耽溺してたりする。それがいつの間にか一般的なムーブメントに大成するとアイドルやスターが生まれる。(ネガティブに働くとネットリンチになるかも)
それは妙な具合に働くこともある。
NHK大河ドラマ『秀吉』では、仲代達也と竹中直人、二大演技派の鬼気迫る演技合戦が見どころであった。
ところが、おそらくあのドラマで最も視聴者のシアワセ回路を刺激したのは、渡哲也演じる信長様であった。実際、中盤のハイライトである本能寺後になってもなんどもなんども信長のニコニコ顔が回想で映し出されていた。
あるいは【タクシードライバー】のジョディ・フォスター。
あの映画におけるジョディ・フォスターの立ち位置は「ちょい役」でしかなかった。ラストの悲鳴が引き立つ程度に印象が残ってりゃいいだけだったけど、しかしいくつかのシーンは明らかに後付けで追加されていると思う。たとえばハーヴィ・カイテルとのダンスシーンとかやや唐突で、若きマーチン・スコセッシ監督がまだ中学生だったジョディの魔性に当てられ、「もっと撮りたい」とスケベ根性が沸いたのではないかと愚考する次第。
本来ならメインヒロインよりずっと下のほうにクレジットされたはずだが、結果誰もがシビル・シェパードの名前は忘れてもジョディ・フォスターは覚えている。
スター性というのは単なる技術力では割り切れないナニかである。




