チートなのは森であって、わたしは至ってフツーです。
解決した翌日も、王子は森にやってきた。
ただし、太陽が今にも落ちそうな夕暮れ時である。
薄暗い中、森の入り口のほうから歩いてきた王子は、近くの人に訊ねた。
「ハツカはどこだ?」
魔法使いの森の集落の一番の古株(?)であるゴンザが答える。
「すぐそこでさぁ」
ゴンザはたくさんの畑の真ん中にしゃがんでいるハツカを指さして言う。
ゴンザの指さすほうを見た王子は、遠くにいるハツカにかろうじて聞こえる程度の声でつぶやいた。
「ああ、そこか」
お礼のつもりなのか、ゴンザに軽く手を上げてから、あぜ道を歩いてハツカのところへやってくる。実に堂々とした王子様っぷりだ。ハツカや集落の人たちのシャツにズボンかスカートといった簡素な服装と違い、軍服みたいなかっちりした服を着ているので、いっそう王子様っぷりが上がっている。
ハツカは膝丈のスカートを払いながら立ち上がり、あと3メートルくらいのところまで近づいてきた王子に声をかけた。
「こんな遅くにどうしたんです?」
「この時間にしか、時間を取れなかったのだ」
あと1メートルというところで立ち止まった王子は、首をめぐらせて周囲を見渡した。
16面並ぶ畑には、今朝に種や球根を植えたので何も生えていない。よく肥えて黒々とした土は、刻々と深まる夕闇と区別がつかなくなりつつある。
畑のすぐそばには厩舎が3つと工房が6つ建ち並び、工房をはさんで厩舎の反対側にある集落には、ぽつぽつと明かりがともっていた。
もうすぐ夕食とあって、集落のほうからは肉をハーブ類で煮る、いいにおいがただよってくる。
周囲を眺めるばかりで何も言わない王子に、ハツカは声をかけた。
「それで、何のご用ですか?」
「──え!?」
王子の声が裏返る。
ハツカに質問されるとは思ってなかったのかもしれないが、それにしても驚きすぎだ。王子はびくっと震えてハツカを見て、口の端をひくひくさせる。さっきの王子様っぷりを台無しにするようなこの動揺ぶり。
ハツカは不思議そうに首を傾げて言った。
「王子様って、わたしが近寄ったりするとびくっとするし、口の端をひくひくさせながら話しますよね? 他の人と話す時は普通なのに、何で?」
王子が口ごもっていると、いつのまに近づいてきていたのか、ハツカの胸辺りの身長の、明るい茶髪を短く切った少年が割って入ってきてハツカに言った。
「ハツカのことが怖いんだよ、きっと。森の主は得体の知れない力を使う恐ろしい人物だっていうのが、一般的なジョーシキだからね。実際ハツカに会ってみると、怖いどころかめちゃめちゃかわいかったんだけど」
ほめられて悪い気はしない。ハツカの気はついついゆるむ。
「かわいいアバター、設定したからね」
ストロベリーブロンドのツインテールにくりくり目、ゲームを始めたばかりで女の子アバター用のシャツと茶色のスカートしか選べなかったけど、この世界に来たら、いつの間にかそれをリアルにしたような外見になっていた。ユーザーネーム同様、こだわって決めて正解だった。適当に、それこそ初期設定のままにしていたとしたら、目も当てられないところだった。初期アバターは目つきがめちゃくちゃ悪かったのだ。
それはともかく、この世界にアバターが存在するとは思えない。
「え? あばたー?」
予想通り訳がわからない様子で首をかしげるトムに、ハツカは胸の前で小さく手をふって取り繕った。
「いえいえ、こっちのこと」
ハツカとトムがぽんぽん話すので会話に加われずにいた王子は、話が途切れたところでようやく口を開いた。
「おまえは何なんだ? 俺がハツカと話しているところに勝手に割り込んできて」
そう言ってトムを見下ろす。トムは勝手に話に割って入ったことを悪びれることなく答えた。
「トムだよ」
「トムだけじゃわからん。何者だ?」
トムの代わりにハツカが答えた。
「森の集落に住んでるハイラムさんとテスさんの二人目の息子さんですよ。年は10歳。森に集落ができたころ、町から家族4人そろって引っ越してきたんです」
「……そこまで細かい説明は不要だ」
王子は眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をする。
そんな王子を放っておいて、ハツカはトムに話しかけた。
「でもってトム、わたしは魔法使いじゃないよ?」
「え? でも森の主なんでしょ?」
「森の主って言われてるけど、わたしはほうきに乗って空を飛べないし、黒猫を遣い魔〈漢字〉にできないし」
「ハツカが持ってる魔法使いのイメージはよくわかんないけどさ、じょうろをちょっとかたむけただけで畑全体に水やりできたり、一気に収穫してるじゃん」
「あれは森の魔法であって、わたしが魔法を使ってるわけじゃないよ」
今度は王子も遠慮なく話に割って入ってきた。
「ちょっと待った。おまえたちは何の話をしているんだ?」
「え? だからハツカが魔法使いかどうかって話」
「畑の水やりを一度にするとか、一気に収穫するとか、わけがわからん」
「あ、王子様にはそこからか。ちょっと待ってて。ひとっ走りじょうろ取ってくる!」
トムは勢いよく走り出す。
トムの姿が夕闇の中にまぎれたころ、ハツカはぽつんと言った。
「王子様、まさかわたしがホントに得体の知れない力を使うと思って怖がってたわけじゃないですよね?」
「そっ、そんなことあるか!」
……声がうわずっていたのには、気づかなかったことにしておこう。
「それで……」
ハツカが王子様に訊ねようとした時、夕闇の中からトムが現れた。
「ハツカ! じょうろ持ってきたぜ!」
トムの後ろからは、小さな子どもたちがついてきていて、王子様を取り囲んだ。
「なんなんだ、おまえたちは」
「集落に住んでる子たちです。トムの次に背が高い男の子はキップ、その次に背が高い男の子はジョーイ、またその次に背が高い男の子はベン、さらにその次に背が高い女の子はエンマです」
ハツカの説明の最中に、子供たちが口々に言う。
「なんかおもしろいことがあるって聞いて来てみた!」
「きてみたー」
年上の子どもの言葉を、年下の子どもが語尾だけまねる。
子どもたちに囲まれて困っている王子様に、トムがじょうろをかかげて見せた。
「王子様王子様、このじょうろはタネも仕掛けもない、何のへんてつもないじょうろです」
トムはじょうろを持ったまま、近くの畑に歩いていく。畑の土はよく肥えていて、黒々としたうねが何本も整然と並んでいる。
トムはうねの一つにじょうろを傾けた。
じょうろの小さな穴がいくつも空いた口から、水がサアァと注がれる。
「そのじょうろがどこにでもある、ありふれたものであると言いたいのはわかった。で?」
「ハツカ、はい」
トムにじょうろを手渡されたハツカは、「今日の分の水やりは終わってるんだけどなぁ」とつぶやきながら、畑のうねに向かってじょうろの先を傾けた。
ザアァァァ……
王子はしばし耳をすましてから、むすっとして言った。
「さっきより水音が大きいように思うが、何がなんだかさっぱりわからないぞ」
あたりはいっそう暗くなり、畑と畑の間にあるあぜ道との境も目をこらさなければ見えないくらいなのだから、当然である。
けど、子どもたちの目には見えるのだろうか。
まず最初にトムが不満げに言った。
「畑全体に水がかかってるのが見えないのかよ?」
「王子様、目が悪ーい」
「わるーい」
子どもたちが口々に言うので、王子様の忍耐が切れかかっている。
ハツカは子どもたちに言った。
「こらこら、キミタチ。他人を馬鹿にするような口をきくもんじゃないよ。それにもう暗くて、わたしにも見えないよ」
ハツカに言われてもう一度畑を見たトムの目にも、やはり畑全体にかかる水が見えなかったらしい。ちょっとうろたえながらも、それを隠そうとしてつんとあごを上げて言った。
「しゃーないな。じゃあ明日、日の出前においでよ。そうすれば一通り見れるからさ」
王子は意外に寛容なのか、トムの目にも畑全体に注がれている水が見えていないことに気付いてないのか、その件については完全にスルーして首をひねった。
「一通り何が見れるというのだ?」
王子にスルーしてもらって調子に乗ったトムは、にやっと笑って言った。
「それは見てのお楽しみ。王子様、また明日」
他の子どもたちはトムに合わせて口ぐちに言う。
「またあしたー」
わたしも子どもたちの合唱に合わせた。
「また明日ー」
王子は何故かショックを受けたように口をぱくぱくさせたかと思うと、肩を落として帰っていった。
そんな王子を見送っていると、集落のほうから女の子の声がする。
「みんなー晩ご飯よー」
集落に住む女の子、ドロシーだ。12歳のドロシーは、子どもたちの面倒を見るかたわら、家事のお手伝いもしている。
ご飯と聞いて、トムの声が弾んだ。
「お、メシか。行こーぜ」
「いこーいこー」
小さな子どもたちは走り出す。
一緒に行きかけたハツカは、ふと足を止めて振り返った。トムも立ち止まって不思議そうに訊ねる。
「どうしたんだよ、ハツカ?」
「あ、ごめんごめん。行こう」
ハツカは集落のほうに向きなおって歩き出した。その隣を歩きながら、トムはぼやくように言う。
「あー、腹減った。今晩は野菜たっぷりチキンスープらしいぜ。ここのメシ、美味いのはいいけど、野菜が多いのがなぁ……」
トムの話を聞きながら、ハツカは心の片隅で「王子様の用って何だったんだろう?」と思った。
王子様は、翌日の夜明け前にやってきた。
ハツカは森の入り口で、小さなランプ一つ片手に出迎える。
「来ましたね」
王子様はむっとしたように言い返した。
「約束したじゃないか」
「王子様は来るって返事しなかったですよね? なので来ない場合もあるって思ってました」
「……来るつもりがなければ来ないと明言していた」
「そうですか。もうすぐ夜明けですから、早く移動しましょう」
ハツカが歩き出すと、王子はハツカの横に並んで歩調を合わせる。
「ところで、何故子どもがここにいる? 子どもはまだ寝てる時間だろう?」
王子は迷惑そうにハツカの向こう側を見下ろす。
そこには、6人の子どもがハツカのゆっくりとした歩調に合わせてついてきていた。キップ、ジョーイ、ベン、エンマの4人は薄明かりの中でもよくわかるほど目をきらきらさせていて、6人の中で最年長のドロシーは、おろおろと子どもたちを見ている。
10歳のトムはにやにやと笑いながら言った。
「王子様がびっくり仰天するところを見逃すなんてもったいないこと、できるわけないだろ? 今日早起きするために、みんな早く寝たんだぜ。な?」
「な!」
小さな子供たちまで、元気よく返事をする。
王子はあきれて言った。
「なんなんだ、この子供たちの団結力は」
「集落にいる子どもは数が少ないし、親は働いてるんで、年上の子が年下の子を面倒見てるんですよ。だから年下の子は、自然と年上の子の真似をするんです」
「……話の脈絡がないように聞こえるのは俺だけか?」
王子のツッコミに答えたのは、王子と一緒に来た男性だった。
「ハツカが言いたいのは、要するに子どもは自分の面倒を見てくれる人のまねをよくするってことだよね?」
「そういうことです。今日はノリスさんも来たんですね」
ダークブラウンの髪に赤みがかった茶色の目をしたノリスは、王子の唯一の専属従者だ。唯一の専属従者という言い回しが気になったハツカが訊ねると、ノリスは非専属の従者もいるのだと教えてくれた。人手がいる時や、王子の威厳を保つ為にわか親衛隊を結成する時などに衛兵などから人をかきあつめてくるのだという。さすが吹けば飛ぶような弱小国。経費節減がしっかりしている。
で、ノリスのことに話を戻すと、彼は先日の悪徳商人と強欲貴族の一件で、王子と町と森の間の連絡係を務めた。
王子の従者というからにはそれなりの身分があるだろうに、身分を笠に着ることはなく、気さくで話しやすい。
そして、身分そのものを気にしない性格なのか、王子に敬意を払っているところをあまり見たことがない。
今も気安く王子の肩に手を置いて、にこにことハツカに声をかけてきた。
「王子が何かをよくわからないものを見せてもらいに来るっていうから、同行させてもらったんだ。僕も見物させてもらってかまわないかな?」
「毎日のことなのでめずらしくもなんともないんですが、見物したいならどうぞ見物していってください」
「で、これから何が始まるんだい?」
王子越しに話をしていると、イライラしていた王子が堪忍袋の緒が切れたようにわめきだした。
「おい! おまえはたんなる同行者で、用事があって来たのはこの俺だ」
「はいはい、わかってますよ」
ノリスはハツカにやれやれといったような視線をこっそり送り、それから歩みを一歩止めて後ろに下がる。
邪魔者(?)を退けて満足したらしい王子は、尊大に胸を張ってハツカに訊いた。
「それで、これから何をしようというのだ?」
「作物収穫して畑を耕して、作物の苗や種を植えて水まきするんです」
王子の尊大な態度を全く気にせずハツカが答えると、王子は尊大な態度に効果がまったくないことに顔をしかめてから、また訊ねた。
「昨夕そのように聞いたが、実際に収穫できる作物はあるのか? 昨夕畑を見渡した限り、作物の芽すら生えてなかったように思うが。それとも、別の場所にも畑があるのか?」
それを聞いたトムが、「ああ」とつぶやくように言った。
「王子様にはそこからか」
王子は顔をしかめて、ハツカのむこうにいるトムをにらむ。
「……おまえ、俺のことを馬鹿にしてるだろ」
「してないしてない。じゃあ王子様、思う存分驚いてよ」
トムがそう言った時、ちょうど森の道を抜けて視界が開けるところまできていた。
前方に目を向けた王子は、衝撃を受けて立ち止まる。3呼吸ほど固まっていたかと思うと、早足で木立の合間の道を抜け、また立ち止まった。
「どういうことだ!? これは!」
空が白みはじめ、その淡い光にうっすらと照らし出された畑一面に作物が整然と生えて、朝のさわやかな風にゆれている。
昨夕は草一本生えてなかった広大な畑に。
ハツカは王子の隣に立って、一緒に畑をながめながら言った。
「どんな作物も、畑に植えると翌朝には収穫可能なくらい育ってるんです。だからわたしが言ったとおり、チートなのは森なんですよ」
「おまえ、昨日そんなこと言ってないだろ!? だいたい、“ちーと”とはなんなんだ?」
王子のその質問は、ハツカの耳にほとんど入らなかった。
「ハツカー、早くしないと市場への出荷が大遅刻だぞー」
畑の端に集まっていた人々の中から、一人が手を振って声を張り上げる。
「今行きまーす」
ハツカも大きく手をふって、彼らのほうへ向かう。
そこには、車輪付きの荷台と、集落中の人間が集まったかのような大人数がいた。
「なんなんだ、この人だかりは。この者らも見物に来たのか?」
嫌そうに顔をしかめる王子に、トムが手をひらひら左右に振りながら答えた。
「違う違う。大人のみんなは仕事をするために集まってるんだよ」
畑の側に寄ったハツカは、集まった人たちに向けて声を張り上げる。
「今から収穫するよー。危ないかもしれないから、みんな荷台から離れてー」
ハツカについてきていた王子が、不思議そうに訊ねた。
「“危ない”? 高所での収穫といった危険な場所での収穫ならともかく、たかがキュウリの収穫に何の危険があるというんだ?」
首をひねる王子に、トムがにやにやしながら声をかけた。
「それは見てのお楽しみってことで、王子様はこっちね。ハツカの手元がよく見える特等席だよ」
王子がハツカの真横に立つと、ハツカはエプロンのポケットから剪定はさみを取り出し、枝から垂れ下がっているキュウリを一本手に取った。
「じゃあ収穫するよー」
声かけをしてから、ハツカはキュウリを枝から切り離す。
すると、いつものように手の中からキュウリが消えた。
王子にもその様子が見えたようだ。
「え──?」
何が起こったのか理解できていないようなつぶやきをもらす。
次の瞬間、ごろごろと大量の物が転げ落ちる音が響きわたった。
「な、なんだ!?」
辺りを見回す王子のそでを引っ張って注意を引くと、トムは荷台を指さした。
「お……おおお!?」
荷台を見た王子は、素っ頓狂な声を上げる。
そこには、畳三枚分くらいの広さがある荷台の木枠より高く、キュウリが積み上げられていた。
「何なんだ、これは!? さっきまで何も乗っていなかったのではないか!?」
王子が目を離していたわずかな隙に、これだけの量を積み上げるのは不可能だ。
大声を上げて動揺する王子に、トムが胸をそらして得意げに言った。
「だから、これがハツカの力なんだって」
「トム、これはわたしの力じゃないよ。前に証明してみせたでしょ?」
「ちょっと待て。俺にわからん話をするときは、俺にわかるように説明しろ」
「こういう現象が起きるのは森の中に限ったことだということです」
「どういうことだ? それがおまえの魔法の力でないということと何の関係がある?」
話している最中に荷台が馬につなげられて出発する。
「ハツカー、次の荷台の準備できてるぞー」
離れたところからの声に、ハツカは大きな声で返事する。
「はーい! ──王子様、詳しい話はあとにしていいですか? みんな待ってくれてるから、仕事を片づけてしまいたいんです」
王子の返答を待たずに、ハツカは次の畑に向かう。
到着したのはジャガイモ畑だった。
そこで待っていたゴンザが、ハツカに大きなスコップを差し出す。
「ほい、スコップ」
「はい。スコップ」
ハツカはスコップを受け取ると、うねのふもとにざくっとスコップをさす。昨日耕したばかりの土に、スコップは簡単にささった。ハツカは体重をかけてさらにスコップを押し込むと、柄の部分をゆっくりと倒す。
掘り起こされた土からジャガイモがごろっと出てきたかと思うと、ジャガイモ畑全体の土が盛り上がってジャガイモがごろごろと出てきた。
「収穫するよー」
かけ声と同時にハツカがジャガイモを根っこからもぎ取ると、またもや大音響とともに、荷台にジャガイモが積み上がる。
次に向かったのはカボチャ畑だった。
ハツカは一抱えあるカボチャを膝の上に乗せると、剪定はさみでカボチャをつるから切り離す。
するとハツカの膝からカボチャが消え、そばに置かれた荷台に大量のカボチャがどどどっと積み上がった。
「そ……そんなバカな……」
畑にごろごろと実っていたカボチャが消え、かわりに荷台にカボチャが積み上がったのを、王子はしっかりと目にして呆然とつぶやく。
その隣に立ったノリスが、感心したように言った。
「これで魔法使いの森の食料が尽きなかった謎が解明できましたね。森は在庫を持たなくても、必要な作物の種を前日にまき、当日収穫すればよかっただけというわけだ」
ノリスは、先ほど手ずからもいだトマトにかぶりつく。それにつられて、王子も自分がもいだトマトにかぶりついた。
トマトはさきほど、トムに言われてもいだものだ。
「ボクらが収穫しても普通にしか収穫できないのに、ハツカだけなんだ、森の畑から一つ収穫しただけで全部を収穫できるのは」
「それにしても、もぎたてのトマトはおいしいね」
驚きすぎて言葉もない王子と違って、ノリスはトマトの感想を言う余裕をみせる。
すべての畑の収穫を終えると、ハツカは次に畑に残っている物を引っこ抜きはじめた。一つ引っこ抜くと作物の木やつるは消え失せ、またもや荷台に積み上がる。
「これは燃やして灰にして、畑の肥やしにするんだ。トマトのヘタは荷台に放り込んじゃって」
トムに言われるまま、王子もノリスも、トマトを食べ終えて残ったヘタを荷台に放り込む。
それが終わると、今度は畑に鍬を入れた。
たったそれだけで畑全体が耕され、うねまでできあがる。
ゴンザがまたハツカに近づいてきて、片手で持てる小さな布袋を渡した。
「ハツカ、ほい、ピーマンの種」
「はい、ピーマンね」
ハツカが柔らかな土に関節一つ分の深さ、指を突き刺す。そこに袋から取り出した種をぱらっとまくと、種が入っていて丸みのあった袋が、しゅんとしぼんだ。
その袋はトムの手に渡り、トムが袋の口を開いて中を見せる。
「さっきまでいっぱい入ってた種が、ほら、ぜんぜんなくなってるだろ? ハツカは種まきも一回で畑一面にできるんだ」
「次から次へと、すごい能力を披露してくれるね。他にもまだまだあるの?」
ノリスの質問にトムが答える。
「あと、水まきで最後だよ」
すべての畑に種まきを終えたハツカのもとに、じょうろといくつかの水桶が運ばれてくる。
ひしゃくで水を満たしたじょうろを受け取ると、ハツカはじょうろの口を畑にむけて傾けた。
ザアァァァ……
今度は、王子の目にも見えた。
朝焼けの光の中、畑全体に降り注ぐ水がきらきらとかがやくのを。
言葉もなくその光景を見つめていた王子は、トムに声をかけられてはっと我に返った。
「ね? ハツカはスゴイでしょ?」
「スゴくなんかないよ。これは森の力なんだってば。作業が一通り終わったから、証明に行きませんか?」
すぐ近くまで来たハツカにこう言われた王子は、うなずくことしかできなかった。
トムより下の子供たちとドロシーは集落に帰り、ハツカ、トム、王子、ノリスの四人は、魔法使いの森を出て近くの村に向かう。
村の畑が見えるところまで行くと、農作業をしていた中年の男性がハツカたちに気づいて、持っていた鍬を地面にさして大きく手を振った。
「おはよう! ハツカ、今度は誰に証明するんだい?」
「ダンさん、おはようございます。王子様と、王子様の専属従者のノリスさんです。王子様なんてわたしが魔法使いで得体の知れない力を使うんじゃないかって、怯えるんですよ」
ハツカがダンの側まで行ってそう言うと、ハツカについて歩いていた王子が上ずった声で否定する。
「おっ怯えてなどいない!」
ダンはぽかんとして王子を見ると、数秒遅れて素っ頓狂な声を上げた。
「王子様……って、えええ!?」
持たれていた鍬の柄から手を離し、姿勢を正してぺこぺこ頭を下げる。
「王子様と気付かず、とんだご無礼を……」
「ダンさん、どうしたんです?」
きょとんとするハツカに、ダンはおろおろしながら言った。
「王子様といったら、おれにとっちゃ雲の上のお人だ。礼儀を欠くような真似はしちゃなんねぇんだよ」
すぐそばで、トムが腕を組んでうんうんとうなずく。
「これが王子様に対する一般の人の反応だよね」
「そうだとわかっていながら、おまえは何故俺に敬意を払わない?」
王子はトムをにらみつけるけれど、トムはどこ吹く風だ。
「それはまあ、ハツカの真似?」
「礼儀は年上の人間から、ということですね」
トムの横で、ノリスがさらっと感想を述べる。
ハツカは王子たちの会話をまるで聞いていない様子でダンに訊ねた。
「それで、ダンさん。収穫していい作物はありますか?」
ダンは王子とハツカを見比べて、おっかなびっくり答える。
「あ、ああ。そっちのナスならいいよ」
「ありがとうございます。──王子様、こっちに来て見てください」
ナスの木の側まで行ったハツカは、エプロンのポケットから剪定ばさみを出して待つ。
王子が側まで行くと、ハツカは「見ててください」と言ってナスを枝からぱちんと切り離した。
ハツカが手にしたナスが枝から切り離された以外、何も起こらない。
ハツカはその結果に満足したように、王子に言った。
「というように、森の中で起こったようなことは、森の外では起こらないんです。それはつまり、チートなのは森であって、わたしはフツーである証拠になりません?」
「だから“ちーと”とはいったい何なんだ?」
王子は困惑しながら訊き返す。
「ええっと、語源はよく知らないんですけど、反則級とか何でもありというか……」
ハツカが口ごもると、ダンが代わりに説明した。
「要するに、魔法使いの森にはあらゆることを可能にする力が秘められているらしいんです」
「いや、そんな大層なものじゃなくって、要するに森はズルイほど何でもできそうだっていう話なんですけどね。──ダンさん、お礼にお手伝いしていきます。何をすればいいですか?」
「そうだな……そこの畝はさっき種をまいたところだから、水をやってくれるかい? ジョウロは井戸のそばに置いてあるから」
「ハツカ、おれも手伝うよ」
「ありがとう、トム」
ハツカとトムが連れだって井戸へ向かったのを見計らって、王子はひとり言のようにつぶやいた。
「森であれほどの力をふるっておきながら、フツーも何もないと思うんだがな」
ハツカの言葉を借りて言えば、ハツカはチートな森を操れる特殊な存在。
それがフツーとはとうてい言い難い。
井戸から水をくむハツカをながめている王子に、ダンが遠慮がちに言った。
「ハツカが自分をフツーだと思いたいなら、それはそれでいいと思うんですがね」
王子がダンに目を向けると、ダンは背筋を伸ばしてかしこまった。
「おまえはハツカと仲がよいのだな。言うなれば、ハツカはおまえの商売敵。やろうと思えば街中の食料をまかなえるハツカを、おまえは脅威に感じないのか?」
「……脅威でした、最初は。なにせ、生まれて初めて見る魔法使いの森の主ですし、作物を次から次へと街に出荷してましたから。ですが、話をするようになってすぐ、警戒は解けました。ハツカがわたしんらに話しかけてきた理由が、わたしんらが出荷する作物とできるだけ重ならないようにするためだっていうんです。出荷量が少なく値が高くつきやすい作物を出荷したいと話すハツカは、そりゃあ楽しそうでしてね。こっちは警戒してたのに、毒気を抜かれましたよ。それに、わたしんらの利益を損ねるようなことはしたくないと言ったときのハツカの目は、信念が宿っているかのようでした。……村の人間には今もまだハツカを警戒するモンもおりますが、わたしはハツカを信じておるんです」
「そうか……ハツカには、森の外にも味方がいるのだな」
王子が感慨深げに言ったとき、水まきする畝のわきに立ったハツカが声をかけてきた。
「王子様! 見ててくださいよ。森の外ではフツーの水まきしかできないんですから!」
ハツカはどうあっても、自分はフツーだと主張したいらしい。
王子は、ダンとノリスと顔を見合わせ苦笑すると、ハツカのそばへと歩いていった。
「ではフツーの水まきとやらを見せてくれ」
「よーく見ててくださいよ」
サアァ……
かわいらしい水音とともに、ジョウロの口を傾けた先にだけ水がまかれていく。
「確かに、フツーだな」
笑いをかみころしながら見入っていると、トムがふと思い出して言った。
「そういや、さっきのトマト。市場価格が1つ100ゼニーだから、2つで200ゼニーね」