19.つかまえた
一見、話がある。
俺も、お前のことが好きだ。
って、ちゃんと言うって決めたのにっ……。
職員室に行った一見が出てくるまで待ってから、声を掛けたところまでは良かった。それなのに。
「えっ? 壱村!?」
背後に一見の声を聞きながら、今日も全力疾走で階段下へと逃げ込んでしまった。
一見からは、廊下の角を曲がって昇降口に向かったように見えたはず。追い駆けてくるにしても……いや、もう追い駆けてきてもくれなかったら、どうしよう。
勢いと男らしさが取り柄だったのに、今は女々しさしかない。恋は人を変える。姉が言ってた通りだ。
顔が熱い。心臓が煩い。一見は男らしく変わったのに、どうして俺は……。
「壱村、見つけた」
「ひっ……い、いちみ……」
今のは怖かった。弐虎の時より遙かに怖かった。夕方の薄暗い階段下を覗き込む、黒髪。怖過ぎて変な声が出た。
「壱村」
「っ……悪いっ……!」
一歩近付かれて、また顔が熱くなる。一気にパニックになって、反射的に走り出してしまった。
「壱村!」
「悪い! 見逃してくれ!」
「見逃すって、犯罪者じゃないんだからっ」
「犯罪者じゃないから追い掛けてくんなっ」
全力疾走で階段を駆け上がると、一見も追いかけてくる。あまり運動をしない一見と、運動全般大好きな俺だ。脚には自信がある。自信は、あるのに……。
「しまったっ……」
姉に馬鹿正直だと揶揄される通り、馬鹿正直に階段を上がって、屋上に出てしまった。屋上には出口はない。唯一の出口は、意外と早く追い付いた一見に塞がれていた。
「くそっ……リーチの差かっ」
これだから高身長は敵なんだ!
そう叫びながら端まで逃げる。
こうなればもう、近付いてきた一見の隙をついて出口に走るしかない。
「壱村」
あっという間に距離を詰められて、ジリ……と一歩下がりタイミングを計る。
今だ、と走り出した、その瞬間。
「っ!?」
長い腕にあっさりと捕まえられて、背中に衝撃が襲った。それと同時に、ガシャン! と派手な音が鳴る。
「つかまえた」
「っ……」
俺の顔の横には、一見の手が……。それに俺の手はしっかりと掴まれて、フェンスに押し付けられている。完全に逃げ道を塞がれてしまった。
「壱村。どうして逃げるの?」
「べ、つに、逃げてるわけじゃ……」
「ちゃんとこっち見て」
「っ……やだっ」
顎を掴んで上向かせようとする一見の手を、自由な方の手で慌てて止める。本当は大した抵抗にもなっていないはずだ。一見が本気になれば、すぐに振り解かれてしまう。
「やだって、またそんな可愛いことを……」
溜め息をついた一見に、顎の下をくすぐられる。ゾクッとして咄嗟に顔を上げたけど、一見と目が合ってすぐに下を向いた。
「壱村。どうして目を合わせてくれないの?」
「やっ、やだってば!」
強制的に上を向かされて、間近で視線がぶつかる。顔を横向けようとしても、身を捩っても、びくともしなかった。
「ぁ……」
射抜くように見据えられて、情けない声が零れた。ギュッと目を閉じて、視界から一見を消す。
「壱村……」
囁くような声。唇に吐息が触れて、キスされると身構えたのに、柔らかいものは頬に触れた。その次は瞼に。
動けないまま、目も開けられない俺は、一見の行動が分からない。何を考えてるのかも分からない。手も繋がれてて逃げられなくて。
こんな……こんなのは……。
「嫌だっ……!!」
逃げられない代わりに大声で叫んで、キッと一見を睨んだ。そのままボロボロと泣き出してしまう。
「えっ……!? い、壱村っ、かわいっ……じゃなかった、どうしたのっ!?」
慌てた一見に、両手で頬を包まれる。涙を指で拭ってくれるけど、次から次に溢れた。
「もうやだっ、なんで意地悪すんだよっ」
「そんなつもりは……」
「この前までオドオドおろおろしてたくせにっ、なんでこんなっ……もうやだ! ばか! イケメンのバカ野郎ーー!!」
「えっと……? ご、ごめん……?」
戸惑う一見に抱き締められて、優しく背中を撫でられた。
「っ……やだ、ってばっ……離せっ……」
「うん、ごめん」
「謝るなっ、離せって……っ」
「ごめんね。離してあげられない」
もう逃げないで。泣かないで。
優しい声で言って、俺の背中や頭を撫でる。
逃げたくて暴れてたのに……すっかり慣れてしまった一見の体温にホッとしたのが悔しくて、また涙が零れてしまった。




