068 ある魔導師の夢幻
お久しぶりなのにちょっと鬱。過去の話ですが、死にネタが入ります。
でも鬱展開になるのはしょうがないね。この御方の一人語りだからね。
「はい。お陰さまで」
そう答えて、彼女は穏やかに微笑んだ。
その微笑みに手もなく魅了されながら、「花茶の湯気がなければ、もっとはっきりとあえかな唇が見えるのに」と私は考えていた。
あぁ私は、夢を見ているのか。それともこれは、募る思いがみせる幻か。
いまは隣国、カルプニア連合王国にいるはずの彼女がここに、皇都にある別宅の書斎にいて、微笑んでいるわけがないのだから。
彼女、異世界の魔導士であるユタカが私の元から去ってから、まだ一月半ほどしかたっていないのに。毎夜のごとく彼女を夢見、本当に帰って来てくれるのかと怯える私は、なんと女々しい男なのか。
しかしそれも仕方がない事なのかもしれない。予想していた事だけれど、見送りをあっさり拒否された為影からこっそり見詰めていた、一月半前のあの日。去っていく後ろ姿が、その一度も振り返らない背中が、9年前の師匠とあまりにも似ていたから。
いつの間にかそこにいたエドウィナリアに肩を叩かれなければ、皇都の守りである城壁を、魔導団隊長自ら破壊してしまうところだった。
「しかし初めてですよね。ユタカさんが日にちを指定してお休みを取られたのは」
夢の中の私がそう言ったことで、これがただの妄想の産物ではなく、過去の―――ある夏の日の午後を追想しているのだと、分かった。
「……まぁ、今回は。母上の厳命でしたから」
そうだ。あの日彼女はここで、苦笑いを浮かべたのだ。
まだ数カ月の付き合いでしかなかったけれど、それまで見る事のできた彼女の笑顔は陽性の物ばかりだったから。初めてみるそれに、晩夏の陽の下にあるのにどこか陰りのあるその表情に、胸の高鳴りを覚えたものだ。
「あぁ、なるほど。それは万難を排しても行かねばなりませんね」
彼女のプライヴェートが覗けるかもしれないと言う期待で昂りつつも、人前では、特に彼女の前では取り繕おうとしてしまう私は同じような苦笑を浮かべて見せ、母に「お願い」されて行った茶会や夜会のエピソードを披露して見せた。
もちろん多少の脚色をして。比較的穏やかなものだけを。
しかし、いまこうして冷静な目で思い返せば、今も変わっていないかもしれないが、その時の私はずいぶんと滑稽だとおもう。彼女にそんな心の動きを気取られていないといいのだが。特にこの後の展開を考えると。
「墓参りです」
さり気なく、あの時の私はもてる全ての演技力を駆使して、あくまでさり気なく。お母上に厳命された用事について尋ねた私に、彼女はあっさりと答えた。
「『墓参り』……あぁ、昨年、ご親族のおひとりが亡くなられたのでしたね。亡くなってからは一年ごとになにか儀式をおやりになるのでは、なかったでしょうか」
「まぁその他にも。日本では、『お盆』と呼ぶ時期に親族の御霊を迎える風習がありまして。それを機会に生きている親族親兄弟が久しぶりに顔を合わせるんですよ」
「たしか多いとお聞きしたユタカさんの一族がそろった姿は、圧巻でしょうね」
「集まれば、そうでしょうね。実際は近場に住んでいる従妹の家族と、日帰りできる距離にいる親戚がちょこちょこ来る程度ですよ」
「あぁなるほど」
「まぁ今回は大勢集まりました。大伯母さんの初盆と、姉の13回忌がありましたから」
よどみなくかわされていた会話が、その一言で止まった。
花茶の甘やかな香りただよう書斎が、一瞬で魔獣討伐の現場のような、緊迫感に包まれた。
「……お姉、さん。ユタカさんの、でしょうか」
どれほど繊細に術式を練り上げても見通せない闇。けれど確実に強大なナニカが潜むそこへ一歩一歩進むような心持で、しかし表面上はあくまで平坦な口調で、私はそう聞きかえした。
「ええ。わたしが15歳の時に死んだ姉です」
あの時のユタカは、何を思っていたのだろう。そう答えた彼女の顔は、とても穏やかだった。
けれど、私はその穏やかな顔の向こうにほんの少しのぞく、怯えを……ちがう。あれは、緊張だったのだろうか。それとも警戒か?……とにかく、そう言った力みを感じた。
なのに感じたと同時に、いつもは信を置いているはずの自分の直感に、疑いを持ってしまったのだ。
「警戒心」なぞ、彼女には必要ないものだろう、と。
彼女自身の言葉を借りずとも、この世界―――少なくとも我がサカスタン皇国内で最強にしてある意味最凶の彼女が、なにを警戒すべきだと言うのか、と。
彼女の魔力量は私とほぼ同等、もしくは勝っている。
魔導に関しては、いやしくも魔導団で隊をあずかる私の方が今のところ勝ってはいる。が。たとえ命の危険があろうとも彼女に攻撃できない時点で、戦闘能力の優劣など、比べるまでもないだろう。
しかし、とまた考える。
彼女はいつだか、こう言っていたではないか。「人は、簡単に死にますよ」と。
その言葉は、若くして命を散らした姉上のことに思いをはせていたのかと納得すると同時に、その時彼女が浮かべていた透明な表情にたどり着くまでどれほど心を痛めたのだろうかと、とっさに慰め一つ言えない不甲斐無い自分が嫌になった。
それをこうして夢という形で思い返している今も嫌なのに変わりはないが、その時の私は同時に納得したのだ。
あぁなるほど。ユタカのその言葉はだから、妙に実感がこもって聴こえたのだと。
「ユタカさんは、死が恐ろしくはないのですか」
私はこの夏の午後より前、彼女にそう尋ねた事があったのだ。
1匹出れば村が滅び、2匹出れば、町が滅ぶ。目撃情報を聴くや街道は封鎖され、近隣の町村だけではなく皇都の城門まで固く閉ざし、魔導師と騎士団で隊を編成して討伐する魔獣たち。
対象によっては大隊を組んでも時には多数の死傷者が出る為、厳しく訓練された騎士や歩兵たちでも正面から相対せば恐怖のあまり固まってしまう者もでる、人類の脅威。
そんな化け物を異世界の魔導士たちは、ほんの数人で、時に笑いながら屠るのだ。
とは言え、彼らのすべてが最初からそうだったわけではない。
スカウト後に訓練期間を設け、こちらも精いっぱい、思いつく限りのサポートをしたけれど、最初の戦闘でおう吐した者もいたし、パニックに襲われ魔術を乱発した者も、結局性に合わないとやめた者もいる。
しかし魔力と魔導適正が桁違いだったとはいえユタカは、最初から叫び声一つ、あげなかったのだ。
生まれながらのバトルジャンキーだったというならわかる。
しかしそれまで数度行った駆除活動では常に、突出することなく。駆除対象の下調べも抜かりなく、私や騎士団との連携にもまったく問題なし。不測の事態がおころうと瞬時に正しく状況を見極め、冷静に淡々と対処していた。
駆除中に彼女が笑みを浮かべるとしたらそれは、駆除した魔物の調理法や利用法に思いをはせている時くらいだろう。
その胆力はいかなる思想と経験によるものか。彼女の履歴書には、戦士や猟師を思わせる記載はなかったのだが。
今後のスカウトの参考に、そして何より個人的興味を満たす為にそう尋ねた私に。
「……? 質問の意図がわからないのですが。『生き物』は生まれおちたその瞬間から死に向かって生きているのだから、恐ろしいも何も、死は不可避なものでしょう。だから、『死』自体は怖がるものではない。少なくとも、わたしにとってはそうです」
ちょっと小首をかしげて、怪訝な表情を浮かべながらも彼女は真摯に応えてくれた。
「死とは生を失うこと。失うことへの恐怖は、それを持つことが出来た者のみが許された贅沢ですよね。だから、失うまで、死ぬまでは、怖い。病気に怪我は、失うかも、死ぬかもしれない状況につながるから、怖い。忌避したくなる。
けれど、自分自身の怪我や病気ならばある程度はかれますし、幸いにしてわたしは両親とその前の先祖から、そこそこ丈夫な身体と精神を受け継ぐことができました。あぁそれから強運も。だから怪我も病も予防できるし、残念ながらり患した場合でも、原因さえわかれば対処できる。対処法が見つからない場合でも、それと付き合い生活に支障ができるだけでないやり方を見つければいい。
そうして100年ばかり好きなように生きて迎える死ならば、怖くなどないと思いますが?」
血色のよい、柔らかそうな唇と丸みを帯びた顎の間のくぼみに左手の拳をあて。視線の先にある彼女お気に入りの珈琲ではなく、どこか別の場所をのぞき込みながらそう語って顔をあげてから。
ユタカは少しだけ眉をしかめてこう付け加えた。
「あぁそうだ。だから、そうですね。たとえ親や兄弟であっても自分以外は制御できないものだから、その怪我や病気、そして死は……怖いというより、嫌ですね。腹が立ちます」
「魔獣のごとく本能に忠実」な彼女からすれば、どれだけ力があろうとも、倒される時は倒され、死ぬ時は死ぬ。それを知っているからこそ、彼女は常に生を謳歌しているのだ。
わたしが何より魅了される、彼女の命の輝き。
その小柄な体を何倍にも感じさせる輝きは、言いかえれば、貪欲なまでの生への執着に支えられている。
彼女と少なからぬ時を共にすごし、これからも必ず共にありたいと……もっと近い形で……望んでいるし、必ずそうするつもりであるが、その経験から類推すれば、彼女は美食家ではない。そして、清潔を好むが、服飾や宝飾にあまり興味を示さない。
かといって無頓着なわけではなく、食と住の快適さには、常に並々ならぬ熱意を持って臨んでいる。
曰く、「飢えず、凍えず、渇かず、腐らず」だそうだ。最後の「腐らず」は食物と衛生の二つの観点からという注釈がつくらしい。
ともかく、そんなモットーを掲げる彼女だから。
「存在することを想像すらしなかった」らしい異世界に突然連れてこられ、戦闘の真っただ中に放り込まれたと言うのに、自分の数倍大きく火を吐く魔獣について言うことには、「あれは食べられますか」。
いや、戦闘中と知りながら彼女を異世界連れてきたのは、他らなない私ではあるのだが、こちらこそあんな反応、予想すらしなかった。
そう、つまり結局。
彼女、異世界の魔導士、その小柄で華奢とすら思える身体に無尽蔵の魔力を悠々収めるコシタニ・ユタカは、卑小な身でしかない私の予想の範囲外に、常にある。ということだ。
そんな風に考えを巡らせていた私の顔の上に、何かを見つけたのか。
先程のぞかせた様に思えた警戒心なぞ、最初からなかったかのごとく。彼女はそのこげ茶色の瞳をあげ、どこか晴れやかな笑顔を浮かべてこう言った。
「うん、よかった。ルーカスさんは、何も言わないでいてくださるんですね」
「……言わないでくれる、ですか」
「うちは父方も母方も長寿家系ですから。お悔やみを言われ慣れてないんですね。第一、長寿である以上、死ぬ時は大抵大往生―――あ~要は寿命ですから、外の弔問客はともかく、家族親族でお悔やみなんて誰も言いません。お通夜や葬式の時なんて、大抵昔話やら親族の近況、ご近所の噂なんかで盛り上がって笑い声がそこここで上がるほどです」
「……賑やか、ですね」
「そう、賑やかなんですよ。いつだかなんて、あんまり騒がしいもんだから、葬儀場の係の方に窘められましたから」
「それは……また。ユタカさんのご家族らしいというか……」
彼女の一言でよびさまされた闇は、彼女の言葉であっという間に霧散して。
容易に想像できるその光景に、知らず口元に笑みを浮かべてしまった。
「で、逆に、です。そんな風に長生きの人間は本当に長生きするのですが、早死にする人間もいるんですよ。
やっかいな遺伝病があるわけでも、虚弱なわけでもないんですがねぇ。姉が死んだ年齢の18歳を無事に過ごせた時は、まず第一関門通過と、ほっとしたものです」
「……そうですか」
「姉とは3歳しか離れてなかったんですが、心の距離は……何億光年離れていたのやら。
別段喧嘩をしたわけでも、なにかのきっかけがあったわけでもないはずなんですが、弟や従妹に比べれば、とても遠い存在でしたね」
「そう……ですか」
「ですから、お通夜や葬儀の際に彼女の友人知己に痛ましそうな表情で『大変だったね』なんて言われても、正直どう答えていいやら。さらには普段ほとんど接触のなかった同級生に『元気出して』なんて励まされて、いまのわたしならばうまく返せるでしょうが、その時わたしはまだ15歳の小娘でしたから。困惑するしかなかったんですよ」
あくまで遠い過去の事。もう終わってしまった。納得してしまったことだから。
だから貴方に話すのも、何の問題もないのだと。
窓を背にした私のはるか向こう、そこではないどこかを見つめながら少し早口でそう言い切った彼女に。
「それは、……そうかもしれませんね」
それ以外の、なにを返せばよかったのだろう。
大分前に、小話様に書いたこのシーンをようやく出せました。
今後の展開は活動報告については活動報告に書きますので、よろしければ。




