小話15 ああアトロパテよ、どうか
引き続き、アロイスさんの視点でお送りします。
「――ス様? クリプキウス様?」
かなり長い間、思考の底に沈んでいたのかもしれない。
さっきは数歩先にいたはずの執事殿が、二歩ほど距離を縮めて、そのグレイの瞳に問う様な色を浮かべてこちらを見ていたから。
「やはりお加減が? よろしければ馬車までお連れしますが」
「あぁいや。ちょっと考え事をしていただけだ。心配には及ばない」
「………左様でございますか」
首を振って見せれば、執事殿はぶしつけでない程度にこちらを見つめ、ほんのりと笑ってみせる。
「それはそうと。珍しい出で立ちをしておられるな。先ほど我が家を出た時とは、衣装が違っている気がするのだが」
「あぁ、ええ。いつもの執事服ですと、この会場では少々、浮いてしまいますので。広間にはいる前に、少々手直しいたしました」
あくまでさらりと返された言葉に、どこから突っ込んでいいのやら。もうこれは受け入れるしかないなと思いつつも、ユタカ達に出会って以来お馴染みの、脱力感に見舞われる。
到着した日以外、この執事殿はいつも、決まったスタイルで通していた。
下は、グレイ地に黒か白のラインが入った、すこしゆったり目のズボン。
上着は黒地。前部分は短く、後ろは一番長い部分が太腿を三分の一ほど覆うほどの長さで、前身ごろの裾から後ろ身ごろの裾まで緩やかなカーブを描いている。
上着の下は、同色もしくはズボンと同色のジレ。
ぴしりと糊のきいた真っ白なシャツは立て襟。喉元を飾る蝶ネクタイに合わせて小粋な折り目を付けている。
我が国ではあまり見ないスタイルなので、サカスタン皇国の流行なのかとユタカに聞けば、「わたしの趣味です!」と妙にいい笑顔で言い切られた。
今夜もそのスタイルは変わらず、いや少なくとも馬車から降りた時点ではそうだった。
それがいまや、襟の部分に銀糸で上品にして精緻な刺繍の入ったグレイの上着。色や布の質感だけではなく、裾の長さや形までも大きく変わっている。上着の下からのぞくジレは銀色。一面に施された刺繍が見事だ。
襟元は優美な形に結ばれた銀色のクラヴァットで飾られ、シャツの白さを際立たせている。
ズボンは上着と同色で、我が国で最近はやりの膝までの長さだ。その下は白絹のストッキングで覆われ、つま先まで磨かれた白いダンスシューズまで一分の隙もない、堂々たる伊達男ぶりである。
これだけの装いを、一体どこに隠していたのやら。いつも持ち歩いているあの、胡桃色の鞄の中か。お得意の空間魔導か。それともいっそ目くらましでもかけられているのか。
そんな風に想像してもやはり、気の抜けた笑いしか浮かんでこなかった。
「あれ、セバスチャン! 珍しい! そして格好いい!!」
弾んだ声に顔を向ければ、いつの間にか側に来ていたユタカが頬を上気させて、こちら、と言うより執事殿を見つめていた。
「お帰りなさいませ、優様。お目汚しでございます」
「セバスチャンは格好いいよ。いつものスタイルも素敵だけれど、これも新鮮で、似合ってて、イイね!」
目を輝かせたユタカはそう言いながら、何故か親指だけ立てた拳を突き出している。せっかくの淑女スタイルが台無しな気もするが、これが彼女の通常と言える。
出会った当初から気付いていたが、彼女は自分の執事の事が大好きなようで。いつも大げさなくらい褒め称え、たぶん本人は隠しているつもりだろうが、かなり頻繁に見惚れている。その眼差しに欲や色は混じっていないようだが、大量の熱はこもっており。なんにせよ不思議な関係だと思う。
そんな事を考えながら、あの一隅で繰り広げられたであろう……やり取りについて、いつ聞けるだろうかと主従の様子をうかがっていたのだが。
「あ、そうだセバスチャン。そろそろ移動しようか?」
ユタカのその言葉に、取りあえず頷いた。
主催者である公爵は言うに及ばず、既に目ぼしい顧客や顧客候補との挨拶や商談は済ませている。ユタカの顔見せも済ませた。まだ少し早い気もするが、帰ってもいい頃合いだろう。
「あぁ、じゃぁ今馬車を」
そう言って近くにいた公爵家の従僕を呼び寄せようと上げた手は、美しい礼とともに返された執事殿の言葉で、止まってしまった。
「承りました。今夜にでも立てます」
ん?
「じゃぁ今夜立とう。ちょっとばたばたしちゃうけれど、ごめんね?」
「優様が謝られるようなことではございませんよ。では参りましょう」
言葉に違和感をおぼえて首をかしげている間に、主従の間では話がまとまってしまったらしい。
「ちょっとまってくれ。今夜? どう言う意味だ?」
慌てて呼びとめれば、ユタカが身体ごとこちらに向き直り、腰を折って頭を下げてきた。
「アロイスさん。短い間でしたが、お世話になりました。滞在中は何かとご配慮いただきまして、ありがとうございました」
「あぁいやこちらこそ、って、ユタカ。移動とは、この国から、と言うことか?」
とっさに返した後、ようやく彼らの意味するところを理解して、確認する。
「えぇ。まだ図書館の本を半分しか読んでいないので、その点は非常に、本当に心残りなんですが」
「もし俺に気兼ねしているのならば、好きなだけいてくれて構わないのだが?」
「あぁいえ。わたしはそんな繊細な心は持っていません」
彼女の日頃の言動から考えて、まさかそれはないだろうと思いつつ聞いてみれば、案の定、否定が返ってきた。
では何故。しかもそんなに急いで。
「優様。なにか問題がございましたら、僭越ながら私が」
一旦は受けた執事殿も、そこは気になったのだろう。右手を左胸にあてて、控え目に提案している。まさに執事の鏡。なのだが。
「あ~うんセバスチャン。気持ちは嬉しいけど、さすがにこの国の王族に手をかけるわけにはいかないじゃない?」
聞き捨てならない言葉が、ユタカの口から飛び出した。かなり軽い口調で。
「は?」
「……完璧に隠匿するとなれば、私だけでは及ばないかも知れませんが、優様のお力をもってすれば」
「いやうん。それはそうなんだけど。相手するのが面倒くさそうなだけだから」
「……左様でございますか。それでは直ぐに出立いたしましょう」
今度は固まっている間に、またも主従の間だけで話がまとまってしまった。
「って、いやいやいやいや、待ってくれ」
「ん? どうかしましたか、アロイスさん。あ、まだ会場に残られるんでしたら、わたし達だけで」
「いやそうじゃなくて。王族と言ったか? 言ったよな? どう言うことだ」
もはや俺の勢いは詰め寄るといっていいほどなのに、ユタカは相変わらずのほほんとした笑顔を浮かべている。
「ん~? ……わたしもよくは分からないんですが。先ほどあのお嬢さん、ほら侯爵家の、え~っとイライザ、じゃなかったニキエイア、さん? 彼女とちょっとしたお話合いをした後、声をかけられまして」
首をかしげながら答えるユタカに、悪い予感しかない。
そのお話合いとやらの内容もすばらしく気になるが、いま重要なのはそこじゃない。
そして本音を言えば聞きたくないが、確かめるほかない。
「誰に」
「ご本人の言によれば、この国の第三王女様に」
「……あぁ」
予想通りの答えに、ため息しか出ない。思わず項垂れそうになったが、ユタカの話しはまだあるようだ。
「ご本人いわく、『面白そうな魔導の臭いを辿ってきたら、貴女につきましたの』だそうです。いや~一応、対処中は隠したつもりだったんですけれど、辺境伯のおぼっちゃまやイライザちゃんと違って、第三王女様(仮)は、探知能力が高いんでしょうかねぇ? それとも後ろについていた側近風の人の中にいるのかな?」
のほほんと笑いながらそう言ってのけるユタカに、眩暈がしてきた。
彼女の推察した通り、第三王女殿下は王家のどなたよりも、魔導適正が高いらしい。そして魔力も、王国付属の魔導師クラスであると聞き及んでいる。
そして。
王族の方にしては珍しいほど進出の気概に富み、なによりも、好奇心が強くあらせられるのだ。それが、こんな規格外の異邦人に出会えばどうなるか………!
「それで……王女殿下は、なんと」
「さぁ?」
「は?」
「いや、厄介事の匂いしかしないじゃないですか。王族なんて。だから肩書きを聞いた瞬間、逃げてきました」
「は? 逃げてきた、って」
「はい。失礼かなと思いましたが、名乗られたら終りの気がしまして。こちらも名乗っていませんし、二度と会うこともないですから、良いでしょう。あ、でもなにかの拍子にアロイスさんにご迷惑がかかりそうになったら、ご連絡くださいね? 対処しますから」
「対処って何を……いやいい。言わなくていい。言わないでくれ」
正直その後どうやって帰宅したのか、覚えていない。おそらく処理能力を越えた脳が、考える事を拒否して動きを止めたのだろう。
ともかくも気がついたら、荷づくりを終えたユタカ達が、来た時と同じような軽装で馬に跨って出発するのを見送っていた。
魔獣や夜盗が跋扈する夜に出立するなど正気の沙汰ではないが、この二人にはそんな良識、必要ないのだろう。
「ではアロイスさん。お世話になりました。お元気で」
青白い月の光に照らされながら満面の笑みを浮かべるユタカに、手を振り返す。きっと彼女はこの先何処へ行こうと、誰と会おうと、変わらないのだろう。
そして万が一、というより億が一何か問題が持ち上がったとしても。彼女の後ろで目礼するあの執事殿が、彼女がそれに気づく前に、跡形もなく排除することだろう。
あぁ、唯一神、アトロパテよ。どうやら俺はまだ、大伯父のいる高みには到達出来ないようです。
そしてどうか。どうか次に試練をお与えくださる時には、もう少しお手柔らかにお願いします。
小さくなっていくふたつの影を見送りながら俺は、そう祈るしかなかった。
不憫な人が、一人増えました




