043 痴女ではありません。
「……カスさん? ルーカスさん? 聴こえてますか?」
背中から、だすというより醸す? 漂う? 感じにしゅうしゅう怪音とともにだしていた、黒い霧も収まり。ハードロッカーばりに逆巻いていた髪も落ち着いたのを見計らいまして、ルーカスさんに呼びかけてみました。
うんまあね。そろそろお暇しないとまずいんですよ。
さっきから盛大に抗議活動をはじめている、わたしのお腹の虫的に。そして我が愛しの素敵執事、セバスチャン的に。
エドさんが到着したあたりで念話(?)が入りまして。
ふふ。安定の腰くだけ美低音です。穏やかで決しておしつけがましくはないのに、即応しないと良心の呵責に苦しめられそうな、いやまぁそれはわたしだけかもしれませんが、声が耳元というか頭の内側で囁かれると、びくっとしますよね!
エドさんと話してたから、根性で悶えるのは堪えましたけどね!
で。内心ではふおおおお~と盛大に萌えつつ、もう少し時間がかかりそうなのと、お家でご飯の用意をして待ってくれている、素敵メイドのアヌリンとヤスミーナへの連絡をお願いして、交渉を巻いていこうと思います。
はいルーカスさ~ん。休暇願いさっさと受理してくださいね~。
さっき書きかけだった書類も、急ぎっぽかったから、早く書きなおさなきゃですよね~?
そんな思いで、声をかけつつ背中や肩をさすさすしておりましたらば。
「…ユ、タカ……さん? …ユタカさんっ」
まだ真っ白な顔をしたルーカスさんが、がばっと背中に手をまわして縋りついてきました。
おおうびっくりした。
うんまだ抱きとめといて正解でしたね。
いや実家のレイモンド(雌犬・5歳)さんもね、さびしがり屋のツンデレっ子でしかも強がりの怖がり屋さんですから、台風の季節とか、大変なんですよ。
番犬ちゃんでもありますから、外に小屋があるのですが、雨風が強い時にはお家にいれます。で、雷とかなったらも~ワンワンキャンキャン大騒ぎ。
通常は、くるんと巻いたプリティーな尻尾を股の間にはさんだへっぴり腰で、うちの中を走り回り、窓越しに天をにらみつつ遠吠えをしばらく続けるという……。それにつられて猫たちも一緒に走るという……。
うん、レイモンド。いくら町内の犬を締めてるからって、自然現象には勝てないから。猫たちもね、つられなくていいから。
しかしそんな狂乱状態でもあら不思議。母上様が、上からぱさっと彼女お気に入りの毛布をかけてあげまして。
「よ~しよし大丈夫よ~。雷はもう来ないよ~」
なんて言いながら抱きとめて身体をさすってあげましたらば、しばらく震えていますし、遠雷が聞こえればその都度揺り戻しのごとく走り出そうとするのですが。そのうちコトンと眠っちゃうんですよね。
元凶が落ち着けば、つられて騒いでいた猫たちも、一緒に丸まるか、何事もなかったかのごとく、毛づくろいしたりしてます。
越谷家奥義、「四の五の言わずに抱っこ」発動。素晴らしい。アレを見るたびにその威力に、思わず拍手をおくってしまいます。
父方の爺さま婆さまがやっているのを見たことはないので、正確に言えば母上のご実家の山名家の奥義でしょうが、アレで育った我らが姉弟、そして妹のような従妹に脈々と受け継がれているので、越谷家奥義と呼んで差し支えないかと。
あ、ちなみに。敬愛するパパンも、それで結婚を決めたらしいです。いつだか酔っ払って言ってました。
つまりはですね、この奥義の肝は、狂乱状態の人間もしくは動物をただ抱きとめるだけではなく、落ち着くまで声を適宜かけながら、抱いておく、というところにあります。
ママン、やったよ! うちの奥義は異世界でも通じたよ!
先日の母の日にはお花を贈って、電話で日頃の感謝を伝えた母上に念を送っておりましたらば、背中に回っていたルーカスさんの手が、ぎこちなく離れていくのを感じました。
「え…っと……ユタカさん…これは、その…」
仕事相手であるわたしに抱っこ、と言いうか、椅子に座っているルーカスさんにわたしが抱きついている感じですね。
その状態に戸惑っておられるようで、色の戻った蒼い瞳が気まずそうに揺れています。目はあいません。
「会話の途中でルーカスさんが少々心神喪失状態になられまして。魔力暴走で家を壊しそうになったので、奥義を使ってみました。効いたようでなによりです」
大事なクライアント様に痴女扱いされてはまずいので、ここはきっちり説明しておきましょう。
「暴走してたの、覚えておられますか?」
よくよく考えれば胸の谷間(えぇわたしも女性ですからね、それなりにあるんですよ。走る時とか邪魔なんで、もう少し小さくてもいいと思ってるものが)に押し付けている形になっているルーカスさんの顔を覗き込み、もう大丈夫だろうと思いましたので、そっと離れます。
「…あぁ……私は、また…やってしまったようですね」
いやぁ美人(男だけど)は本当に、なにをやっても絵になりますね。That's憂い顔と表題をつけて額縁にいれて飾っときたいくらいの、美しさです。
つらそうにひそめられ、八の字に下がった眉。ほうっと深いため息を吐いてから、きゅっと結ばれたまだ青白い唇。俯いたせいで、すこし削げたように見えるすべらか頬に、陽の光にとけてしまいそうな淡い色の金の髪が落ちかかって……うんうん、一幅の絵のようです。
わたしに無駄遣いできる金と地位があったら、「貴方の憂いを晴らすためならば世界をさしだそう」なんて、世迷言を吐いてしまいそうですね。言いませんけど。
「兄上、正気に戻られたようでなによりです。グレアムやメイドたちがずいぶん心配していましたよ。そして、ユタカ殿にはなんとお礼を申せば良いのやら。クラヴェト家を、いやルリストン一門を代表して、お礼を申し上げます」
あ、残念。妹さんには通じてないようでした。
越谷家奥義に驚いておられたエドさんでしたが、さすが騎士様。さくっと復活して、カッカッと磨き上げられたブーツの靴音を響かせ近寄ってきましたらば、少々大仰な事を言いつつ、右胸に手を当てお辞儀をされてしまいました。
うむ。美人は何をやっても絵になる第二弾。その素敵騎士様っぷりに、気の弱い感動屋の娘さんならば、頬を染めて倒れるところですね。
「あ、いえいえ。元はと言えばわたしの休暇申請が原因のようですから。大事にいたらなくて何よりです」
正直御礼とかよいんで、エドさんも休暇申請にお口添えを。ついでにお兄さんに「たまには休みとれよ☆」って言ってあげてください。
顔をあげ、言外にそんな事を匂わせつつ、ひらひらと手を顔の前で振ってエドさんにこたえておりました。ら。
「―――なぜ、エドウィナリアが、此処にいるのですか。大事な仕事を抜けだしてきているのでしたら、感心できませんね」
地を這うように低い声が、横から聞こえてきましたよ? なんか、また黒い霧がちょっとだけですが、出てる気もします。
「おやおや、それは随分なお言葉ですね兄上。その『大事な』仕事中にグレアムから緊急連絡を受け、9年前と同じく魔力暴走をおこされた兄上から屋敷と皆を救わんと、微力ながらはせ参じたのですが何か?」
ちょっ、エドさんもそんな風に挑発しない!
「お兄ちゃん」にとって、妹にちょっとやらかしちゃったところを見られるなんて、転げ回って叫びたいレベルのものじゃあないですか。
ここはほら、ひとつ広い心で見なかったふりしてあげるのが、妹の優しさだと思うんですよ。
「魔導団屈指の魔導制御を誇る兄上が暴走するところなど、なかなか見られませんからね。いやいや、珍しいものを見せていただきました。特に家族と家人以外には常にフードを目深にかぶって素顔を隠し、やむを得ず顔をさらさねばならない夜会などでは、無表情と同義の笑顔を貼り付け、麗しい名花たちや宮殿のタヌキ様達をけん制されている『朧の君』が、慈母のような微笑みを浮かべたユタカ殿に抱かれて弱々しく縋るところなど、これから何度拝見できるやら……」
おおーい! なに言ってくれちゃってんですか妹さ~ん!!
貴女、お兄さんの前でそのにやりと口角をあげた表情浮かべてからかうのは、デフォルトなんですか―――!?
「エドウィナリア……一度貴女とは、きっちり話をせねばならないと、思っていましたよ」
妹の挑発にやすやすと乗ったルーカスさんが、ゆらりと立ち上がる。
わたしはそっと、ふたりと距離をとった。
あぁ、外見だけならば国宝級に美しい兄妹。
寒々しい笑顔をうかべて微笑み合う彼らの背後に、ハブとマングースの幻影が見えます。もしくはお昼寝の時間によく勃発する、うちの愛猫、写楽と北斎の喧嘩が。
ねぇほんとに。兄妹げんかは余所でやれっってんですよね、皆さん。
あぁごめんよセバスチャン……ご主人さまは帰るのがもう少し遅れそうです。なんなら先に帰っといてくれるかな~~。
この後腹が減りすぎて優さんも喧嘩に参入するに、3000点。で、駆け付けたセバスチャンに優しく諌められる、と。




