032 魚は頭から腐る。
またまた間が空きすみません。引き続きルーカスさんに苦労してもらいます。
それはそうと、「アリアンローズ新人賞」の一次選考に通過いたしました。これもいつも読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。
「このサカスタン皇国では、『信義』―――ようは約束が、なによりも重んじられていると記憶していたのですが、どうやら違ったようですね?」
黒い陽炎が、ゆらりと踊る。彼女のまわりで。遊ぼうよというように、その長い手をこちらに伸ばしながら。
ルーカスは、床に縫い付けられたようにしてぴくりとも動けず、ただ、優の横に立っていた。
彼の眼には、いまや彼女の身から立ち上る魔力がはっきりと確認できた。広間に居並ぶ貴族たちの足元に、そして部屋の一番奥の玉座にも、ひたひたとその黒い影が忍び寄りつつあるのが、わかっていた。
皇国建国以来の魔力の持ち主と言われる自分ほどではなが、皇帝の近くに控える近衛兵の中には、感知能力の高いものもいる。
武官の矜持としてさすがに取り乱していないものの、「異国の魔導士」から放たれる濃密な魔力は、離れていてもわかるほど彼らの顔色を悪くさせている。
が。ルーカスには彼らを守ろうと言う気も、発生源である優を抑えようと言う気も、まったく起きなかった。
優に関しては、半年と言う短い付き合いながら、これほど怒ったところを見た事がなく、この状態で抑えられるとは到底思えないから。
彼らに関しては―――自業自得であり、守る価値が、見出せないから。
「わたしが、そちらにおわす方に会う条件として提示させて頂いたのは、3つ。たった3つでした」
優が、子供のように華奢で小さな手を顔の位置まで上げて見せている。一見するだけなら楽しそうな笑顔を浮かべて。
「ひとつ、武官やお付きの方はしょうがないにしても、できるだけ少人数であること。
ひとつ、異国の一般庶民でしかないわたしに、宮廷での立ち居ふるまいや『正しい』服装を求めないこと。
そして、日時の指定。本日の『午前中』ならば、と。それらの条件を『すべて』飲んで下さるならば会いましょうとわたしは言い、貴方はそれを飲むと、『約束された』」
条件をあげるごとにその細い指をたてていき、3つあげ終わると、大臣たちに向けていた目を、玉座に向けた。
「さて。それらの条件を守った結果が、これなのでしょうか?」
小首をかしげて、まだ衝撃から立ち直っていないのか、それとも彼女から漏れる魔力にあてられて動けなくなっているのか、顔をひきつらせて突っ立つ三馬鹿卿たちを漫然と指す。
ルーカスはそれを横目で確認しながら、あえて彼らの横、玉座の方は見ないようにしていた。
いつもの、自分を通して遠い過去を見ているような目線ではなく、困惑した、どこかすがるような視線は感じていたけれど。
「これ以上ないくらい明確に条件付けしたはずなんですが、やっぱりわたしが異国の人間のせいか、うまく伝わってなかったみたいですねぇ。
この謁見の広間? だかなんだか知りませんが、広いですよねぇ。ここをいま埋め尽くすばかりにお集まりの皆さん。何名おられるのか知りませんが、これが、『少人数』なんでしょうか?
それとも、彼らは人ではなく、やったら着飾っておられる方ばかりですが壁の飾りか何かだと? だから気にするなとおっしゃりたいのでしょうか?」
あくまで淡々と、事実をただ確認するだけとでもいうように。
優に真正面から詰問(彼女は質問と言うだろうけれど)されている皇帝が、本当はなにを思って彼女を召したにせよ。
「愚かな息子に礼儀を教えてくれた御仁に、礼の一つもせねばなるまい」などと鷹揚に笑っていた数日前は、こうして冷汗どころか脂汗をかく羽目になるなど、想像だにしなかっただろう。
だからあれほど、約束を違えるなと言っておいたのに。
忠告するだけで済ませていたその時の自分と、もちろんだと、やはり鷹揚に頷いていた皇帝を、時をさかのぼってまとめて殴ってやりたい。
一層濃くなる黒い影を見ながら、ルーカスは胸の内でそう呟いた。
「二つ目の条件。寧臣だか近習だか知りませんが、そこで雁首そろえていらっしゃる御三方がなんておっしゃいましたっけ?
『顔をお見せせよ』?『庶民の出とはいえその格好はなんとかならなかったのか』? 挙句の果てに、わたしを道化か曲芸師とでも思われておられるのか、『腕前をお見せせよ』…?
あぁ、そうそう、『特別に許す』なんてこともおっしゃってましたねぇ。いやいやびっくり。何様でしょうねぇ、あぁ内務大臣様に伯爵様に侯爵様でしたっけ?」
いや~「偉い」方の考え方や物言いは、庶民のわたしには理解できないことが多くて。
手っ取り早く「腕前をみせ」ようと、わたしが魔導で自分や主の首を落とすとか、考えないんですかね~~~?
無邪気とすら表現できそうな笑顔でこそりと続けられたその言葉に、寧臣とあっさり言い捨てられた三卿は顔色を青から白に変え、玉座の近くにいた近衛騎士達は、腰に帯びた剣の柄に手をかけた。
おそらく、三馬鹿卿は自分達をいつの間にか囲んでいた濃密な魔力にようやく気づき、最初から気づいていた騎士達はその力の強さから、彼女が望めばそのおどけた口調で告げられた行為は簡単になされるのだと、わかったのだろう。
が。
「あ、ご安心ください。そんな後始末に困るようなことをやる気はありませんし、それだけの価値もない。だいたいやる気があるなら、わざわざ獲物に警告なんかしませんからね」
右手に持った帽子をひらひら振ってへらりと笑った彼女に、青褪めさせた顔をそろって怒りで赤くするはめになった。
ルーカスは、遊んでいるとしか思えない隣の異世界人をちらりとみやり、ついで困惑の色をその(十分に彼女の好みに思える)整った顔に浮かべた皇帝と目を合わせると、彼女に気づかれないないようにこっそりと首をふってみせた。
彼女が言葉の攻撃だけで留めているのだから、それで由とすべきではないか。
いくら皇帝至上主義、身分こそすべての愚か者どもにとってすれば、「異国の」、「得体の知れない」、「庶民の」、「年端も行かない」、女に言いたいように言われるなど、屈辱の極みでしかないだろうとも。殺されるよりはましだろう。
彼女のことをそう評したのは、いま攻撃の矢面に立たされている三馬鹿卿とその取り巻きどもだが。その言葉を聴いた瞬間、彼らが手に持っていたウーゾの繊細なグラスを手ごと残らず凍らせて、彼ら自身も(心理的に)凍らせてやり、謝罪もさせたので、彼女には許してもらおう。
……彼女にそのことを知られれば、彼らの地獄行きは決定するのだが。
ルーカスがそんな風に思いをはせている間にも、事態は進行しており。優はひらめかせていた帽子を頭にのせると、その顔から一切の表情を消した。
―――来る。
ルーカスはコクリと息をのみ、己の周りの結界がまだ有効であることを確かめ、下肢に力をいれ、備えた。
「なにを勘違いされているのか知りませんが、わたしは貴方達の部下でもなければ家来でもありません。ついでに言うとこのサカスタン皇国の臣民ですらありませんから、貴方達に遜る言われも、命令を拝聴する義務もありません。
もちろん、相手がその玉座に座っておられる方であってもです」
表情の抜け落ちた人形のような目で、玉座に座る皇帝を見据える。
彼女の視線から、間に入って皇帝を守ろうとしたのだろう。剣の柄に手をかけたままだった近衛兵が二人(内ひとりは隊長だが)、動こうとしたようだが、足がその場に縫い付けられでもしたかのように動けず、驚愕に見開いた目を見交わしたあと、こちらに―――彼女に向けた。
なにを驚いているのだろう。彼女が先ほど言っていたではないか。獲物にわざわざ警告などしないと。
「お聞きしたいのですが。約束を最初から守らないつもりならば、なぜ承諾したなどと言ってこられたんですか? 守ったふりすらもしないなら、わざわざルーカスさんのお手を煩わせることも、ありませんでしたよね?」
相変わらずの無表情で、彼女が問う。
「わたしがよほどの間抜けでなければすぐばれますけど、守ったふりなら簡単にできますよね。
たとえば、わたしから見れば無駄としか思えないほど、装飾の施してあるこの広間。どうせそこここに隠し部屋だの通路だのありますよね。そのいま皇帝が座っておられる玉座の後であるとか、その壁の鏡の横あたりに」
「な、なぜそなたがそれを……」
どうやら動けなくしてあるのは近衛兵達だけのようで。
おびえて何もできないのならば黙っていればいいのに、内務大臣のナザルバエフ公爵が、信じられないというように肉にうまった目を開いて答える。その隣に立つマルセル伯爵も、その毛虫のような眉の下の、全盛期には鷹のようなと評された目を見開いている。
もっとも「宮廷人」らしいマルセル伯爵は、国政に直接参加してたことはないので、そういったものの存在は予想しているだろうが、場所は知らなかっただろう。
が、異国の庶民がそう指摘したことに驚いているのか、やはりそこだけ妙に血色の良い唇をぽかんと開けて、驚きをあらわにしていた。
「……この国には、ポーカーフェイスができる人すらいなんですか? わたしがカマをかけただけかもしれないのに、あっさり肯定してどうするんですか」
そんな三卿の馬鹿面をさっと見渡しと、彼女は大きなため息をついた。
「文化や文明が違えど、ヒトが考えることにあまり違いはありません。中央集権国家ならば、権力者が常時使う建物内の避難経路の確保はあたりまえですし、その入口出口を隠したいなら飾りの中にでも隠せばいい。
この国には魔術がありますからそれで隠す手もありますし、現にやってるんでしょうが、わたしには効きません。そして入口出口は、重要人物が通常いるであろう場所につくらねば、すぐ逃げられない。ただの推測です」
そこで言葉を切って、また大きなため息をひとつ。そして、
―――え、こんな事をわざわざ説明させられるって…あれ、馬鹿にされてる?
訝るような、呟きもひとつ。
そして呟いた後に、まだ驚きで固まったままの三卿と、近衛兵、そして困惑の色を浮かべたまま、ある意味ポーカーフェースを保てているとも言える皇帝を順繰りに見渡して、気を取り直すように首を振った。
「……で。隠れるのに適した場所がそれだけあれば、皇帝と近習のみにして、あとのひとはそこに隠れて見守り、いつでも出ていけるようにする。そうすれば表面上は『皇帝と少人数で会う』という約束を、果たしたことになる。
それなのに、貴方達はその手間さえ惜しんだ。異国の一魔導士との約束なぞ守る価値はない、守ったふりをする価値すらないと、判断したからですかね」
それは、確認ではなく断定。いや。―――断罪と、言うべきかも知れない。
「ねぇ、貴方達は本当にこのサカスタン皇国を統べる方々なんですか? 貴方達の国の一番大きな図書館でわたしが読んだ、この国の歴史書、民話寓話、報告書、そして他国の歴史書にすら書いてあったのに。貴方達の国では信義が最も尊ばれると」
彼女の人形のような無表情が、すこしだけ、崩れる。
そのくっきりとした眉をよせ、目じりをほんの少し下げ。
「皇帝の3番目の息子さんが歴史をまるでご存知ないのに呆れました。でもあれは例外だろうと思っていましたが、違うんですか?
建国して340年。条約を違えて攻めてきた相手国の王族を滅亡させてますよね? 『信義にもとる行いをした相手を、対等に扱う必要はない』そう言って。その後も2度ほど他の国に対してそう恫喝しておられる。
戦争だけではなく、対国、対部族の交易でも同じ姿勢を貫いておられたはず。――――――それもお忘れですか、皇帝陛下?」
信義を重んじる国なのだと、「同士」を見つけたと喜んでいた彼女。それが幻想でしかなかったのだと、悔しさと、悲しさを表すように眇めれらた視線の先は、ただ一点、玉座に向けられていた。
うん。最後は優くんがちょっぴり甘っちょろくなってしまいましたね。
まぁあくまで、ルーカス目線からですから。




