031 口は災いのもとです。
少々迷いましたが、ルーカス視点でお送りします。
「クラヴェト隊長。取り次ぎの段、御苦労であった。そして異国の魔導士―――コシャ、タニィ、殿とやら。皇帝陛下の許しがある。そう固くならずともよいので、御前に参られよ」
広間の一番奥、陛下のすわる天蓋つきの玉座から一段下がった場所に立つ内務大臣のナザルバエフ公爵が、猪首をめぐらせてこちらを見やり、そう促すのを聴きながら、ルーカスは、盛大に舌打ちしたくなった。
鷹揚に頷きながら、こちらの顔を舐めるように見る、大臣の目つきのせいではない。己の容姿を顧みず、美しいものが大好きだと常々公言しているあの男に会えば必ず、ローブの奥をなんとか窺えないかとする、そのいやらしい目つきをされるので、さすがに慣れてしまった。
だからいま問題なのは奴の目つきではなく、上位者が下位者―――臣下に命ずるような、その口調とセリフである。
内務大臣の言葉にぴくりと肩を揺らした後、頭をたれたまま黙々と前へ足を進めるユタカの隣を歩きながら、ルーカスはこのまままわれ右して帰りたくなった。
「まだ遠い。もっと近くによって、顔をお見せせよ」
主だった延臣が左右にずらりと並んだ広間の、中央よりすこし前の地点で彼女が足をとめると。すこし苛立ったような口調で大臣が、再度促した。
「……まぁ良いではないか、内務卿よ。クラヴェト殿より、出身が遠国と聞いておったし、見ればまだ年若。庶民の出からすれば、陛下と並みいる貴族の前で緊張するのも、無理はあるまいて」
内務大臣の隣に立つ、元騎士団団長のマルセル伯爵がとりなす様にそう言う。
家督を息子に譲り、「老兵は去りゆくのみ」と言って皇国騎士団団長の職も3年前に辞した老将軍だが、長年の鍛錬の賜物か70近い歳をうかがわせない。
ルーカスよりも高い位置にある頭を覆う髪こそ白いものの、背筋はピンと伸び、隣国との交戦や、数々の魔獣討伐の功により皇帝から賜った数々の勲章を重たげにつけた軍服の胸は、誇りかにそらされている。
くそ爺が。暇にまかせて見物にでてきたか。
相変わらず自分に潤んだ視線を投げてくる老将軍に、ルーカスは心のうちで、盛大に悪態をついた。
「しかし……いくら庶民の出とはいえ、陛下の御前に侍るのだから、もう少しその格好はなんとかならなかったものか。それは、従僕のお仕着せに見えるのだが……。コスィータニ殿は女と聴いていたのだが……」
内務大臣と老将軍の横に立ち、そうぶつぶつ呟いているのは、若い時分には散々浮名をながし、いまでも彼なしでは宮廷の夜会は開けないと言われている、アスコフ侯爵だ。
こちらも60代後半とは思えない若々しい顔を、皇都で流行りのスタイルでかざり、その細身の身体に嫌になるほど似あうぴったりとした上着には、皺ひとつない。
「さて……コシィータニ、殿。聴くところによれば、貴殿はかなりの魔力と魔導適正の持ち主とか」
戦バカで、「強いは正義」と言ってはばからない老将軍が、目を輝かせながら身を乗りだす。
「その魔力と魔導で第三皇子と従弟殿を捕縛したとも聴く。本来であれば刑に処されるところであるが、もったいなくも陛下のご厚情により、その件に関しては不問に付すこととなった。ありがたく思われるよう」
老将軍を諌めるように横目で見た後、心持ち身をそらせて、内務大臣が偉そうに続ける。
元々第二皇妃と姻戚関係にある大臣は、養育はお任せくださいと第三皇子の誕生当時、息巻いていたようだが。皇子のあまりの資質のなさに、早々に匙をなげ、宰相たちに押し付けたとルーカスは聞いている。
隠そうとも隠せない、各騎士団および街の自警団より上がってくるあの馬鹿皇子の行状は知っているだろうに、恩着せがましく言うその厚顔無知ぶりに、ルーカスはその顔を二度見したくなった。
―――目が合うといけないので、実際にはしなかったが。
そうやって内心で懊悩している間も、ユタカは彼の隣で礼をとったままのほとんど動かず、一言も発していない。
その意図は、ルーカスには何となく察せられているのだが、初対面の愚か者どもには分かるはずもなく。
「……クラヴェト隊長殿。この…魔導士殿は、我が国の言葉を理解していないのか?」
訝るようにその太い眉をよせ、内務大臣が問うてきた。
老将軍と侯爵も、その横で首をかしげている。
「いいえ。こちらに着いたその日から、この国の人間とおなじくらい流暢に、話し、読み書きされていますよ」
ルーカスはため息を押し殺し、無表情を装って答えた。
「……ならば……」
「彼女はきちんと聴いてますので、続きをどうぞ」
そしてさっさとこの茶番を終わらせて欲しい。彼女が大人しくしている間に。
口にはださないその想いをくみ取ってくれたわけではなかろうが。ユタカと同じく、彼らの後ろで一言も発さず、ただその鋭いブルーグレイの瞳に心持ち輝かせて私達を見つめる陛下に配慮してか、わざとらしく咳払いをひとつすると、
「……調べによると、コシュターニ、殿は、にわかに信じがたい事ではあるが、あのハーピーをひとりで仕留めたことがあるとか」
そこでいったん言葉を切り、先ほどよりさらにその小太りの身体をそらせると、
「今回は特別に許す。陛下の御前で、その腕前を披露するがよい」
ババーン!
彼女に以前みせてもらったむこうのドラマならば、そんな効果がつきそうな勢いと大声で、この謁見の目的を告げた。
…………。
内務大臣の声の残響が完全に消えたあと、完全な静寂が、謁見の間を支配した。ルーカスはその静寂に身を任せて、そのままこの場から消えてなくなれないものかと、半ば本気で願った。
愚かだと言うことは知っていたが………ここまでとは思わなかった。嫌、控えの間でここにひしめく有象無象の気配を感知した瞬間、彼女を連れて帰らなかった私が、いけなかったのだろうか。
「……ふ、む。言いたいことは、それでだけですかね」
偉そうに背を反らしていた大臣の満面の笑みが、当惑に曇る寸前。静寂に耐えきれなくなった延臣どもがざわつき始める前に。隣からはっせられたその声を聴きながら、ルーカスは思った。
恐らく。大臣たち三(馬鹿)卿は、彼女は恐れ入りながらも、嬉々としてその申し出を受けると、信じて疑わなかったのだろう。
「あ~ずっと頭下げてるのも、案外疲れますね」
間違っても、そう言いながら腰に手をあて背をぐんとそらして伸びをし、ついでとばかりにコキコキと首を鳴らすなどとは、想像だにしなかっただろう。
「いやいや……国は変われど、寧臣と言うか、権力の座にすり寄る馬鹿ものと言うか。実力以上の地位についてしまった人間の態度って、変わらないんですね~。
あまりの上から目線に呆れて返さないでいれば、ま~言いたい放題。『オイオイ馬鹿言うのもその辺にしとけよ』って誰か止めに入るかと思えば、そうでもなく。
え~っと、貴方、最初に声をかけてきた方。たしか、ナザルバエフ公爵さんでしたっけ。内務大臣の地位ついておられるそうですけど、家の力で手に入れたお飾りじゃなくて、誰も口だしできないほど宮廷で力があるんですかね。それともあんまりお馬鹿さんだから、ほっとかれてるだけですか?」
首を鳴らした後、腕を付け根からぶんぶん回して気が済んだのか、妙にさわやかな笑顔で彼女がそうきいた。
彼女の反応もしくは言葉が理解できなかったのか。名指しされた公爵はしばしぽかんと間抜けに口を開けた後、
「…っなっ……!」
丸顔を一気に赤らめて、いきり立って反論しようとしたが。
「あ、別にホントに興味があるわけじゃないんで。答えなくていいですよ~」
そう言って手を振るユタカに、何も言えなくなったらしい。分厚い唇が、陸に揚げられた魚のように、必死に開け閉めを繰り返している。
内務大臣の横に立つ将軍と侯爵も、似たような顔色で、同じように口をぱくぱくいわせている。
はっきり言って、ぶざまだ。
「まぁとにかく、貴方とその周りでごちゃごちゃ言っている方々が、身分至上主義の独善的思考の持ち主であり、ついでに性差別主義者で、これまたついでに、目で見たことをそのまま鵜呑みにする、魔力感知能力が限りなく低いかゼロの人間であるということは、よ~くわかりました」
三人の顔を見比べた後、その後ろにい並ぶ有象無象の輩を順繰りに眺めて、彼女は皮肉げに、右の口角をあげて笑った。
「それじゃあ、こちらからも少々言わせて頂きましょうかね。
あ、その前に。わたしの呼び名は『異国の魔導士』もしくは『魔導士』で結構ですよ。家族名の越谷は、貴方たちではうまく発音できてませんし、馴れなれしく下の名を呼ばれる筋合いもありませんから。
それに、今後貴方たちと個人的なお付き合いをする必要も、気もないので、個体識別のための名など、必要ありませんよね」
OK?
この話はそれで終わりとばかりの、取り付く島もない彼女のその物言いに、ルーカスはともかくも、何かとりなすような言葉をかけようとしたが、ふいに、悟った。
彼女、ユタカはすでに、激怒しているのだと。
頭半分下にあるその顔をちらりと盗み見れば、常とそう変わらないようにも思える。しかし、半年以上この異世界人と付き合っているルーカスはその凪いだように見える表情に騙されはしなかった。
時折ぴくりと上がる右の口角。それと対称になるかのように、上がる左眉。
いつもよりも、ほんの少しだが細められた両の瞳。
胸からおろし、帽子を持ったままリズムをとるように、ゆっくり揺れる、聴き腕の右手。
そのすべてが、獲物を仕留める前の、彼女なりの準備動作に他ならない。
従僕のお仕着せに似た、動きやすそうな濃緑色の服に包まれた彼女の身体からは、いまのところ何の魔力の漏れも、感じられない。
しかしそれすら、一気に爆発させる前、弓兵が強弓をより遠くへ、より威力をまして刺すため、めいいっぱい引き絞る動作のように思えて、ルーカスはこめかみに冷や汗が一筋、伝うのが分かった。
彼女がなにより大事にするもの、それは自由。それを阻害し、あまつさえも何事かを強制されようものなら、相手がなんであろうと、彼女はなんのためらいもなく、排除する。
そしてもうひとつ、彼女が大切にしているものは、信義、である。
それが口約束だろうと、文章や魔導でしっかりと結ばれたものだろうと、一度取り交わした以上は、どんな契約であろうと彼女は必ず守っていた。
「文化や習慣、宗教の違いはともかく、約束を果たすか否かが、『文明人』の証だとわたしは思います。サカスタン皇国にもその考え方があるんですね。いいところですねぇ」
皇国図書館の書庫で、我が国の歴史書を読みながら、いつだかそう言って、嬉しそうに笑っていた。
その彼女に、いまの状況はどう見えているのか。
無理やり、ではないけれど、面倒と拒否していた場所に、連れてこられ。
会う前提として提示し、「承諾(=約束)された」はずの条件、少人数で会うは、ものの見事に破られ。
名乗りもしない相手から、居丈高に一方的に話しかけられ、更には他人(相手がこの国の最高位であることなど、彼女にとっては何の意味もない)に傅けと、強制される。
ルーカスのこめかみを流れていた冷汗は、すでに彼のローブの下の、誂えのシャツの背も濡らしはじめた。
恐ろしくてとてもではないが、彼女の方を見れない。しかし、この場で彼女の性質を理解し、かつ止められるのは自分しかいない。
彼女は以前第三皇子を少々「お仕置き」した際、「喰わないものは殺さない」と言っていた。同族を喰らうという行為の道義性でそうしないのではなく、病を得る可能性と、その者の人生を代替わりできないからという、甚だ彼女らしい考えだと思ったがが、それをこの場でも適用してくれるのだろうか。
ルーカスはその儚い可能性に、賭けるわけにはいかなかった。
「ユタカさん……っ」
「わたしは、約束を違えるひとが、嫌いです」
必死に制止しようとした願いもむなしく、魔導士の第一声、鏑矢は放たれてしまった。少しづつ漏れ出てきた、彼女の魔力とともに。
ルーカスには、シュウシュウと音をたて黒く立ち昇っていくように見えるその魔力は、あっという間にこの謁見の間を覆い尽くすだろう。
ここに集まった愚か者たちの足元からひたひたと、音もなく忍びより、気配もなくその身を拘束し、気がついた時には、きっとすべてが終わっているだろう。
―――最初からこうなることなど、分かっていたはずではないか。
「そしてもっと嫌いなのが、約束を違えたことを相手に隠しもしない人なんですよ」
彼女の言葉に驚いているのか、顔をひきつらせて固まる人々をゆっくりと見渡し、うっそりと微笑んでそう言った優の顔を見て。
自分の周りにとっさにはった結界を強化しつつも、ルーカスは説得をすっぱりと諦めた。
はい、詰んだ。何気にルーカス君、自分にだけ結界張ってますが。諦めたらそこで試合終了だよ?




