小話3 ある秘書官の祈り。(ただし叶う予定なし) 1
少々ここで寄り道、というより第三者の視点を入れようと思います。
この頃。朝起きて顔を洗い、身支度を整えた後。中庭に設えた祭壇に額ずくたび、祈っていることがある。
いや、正確には。もったいなくも、皇帝陛下直々にこの任を拝命してからひと月ほどたってからずっと、皇国におわすあらゆる神々に祈っていると言うべきだろう。
――――――どうか、秘書官をいますぐ辞めさせてください、と。
建国以来の大貴族、5大公爵家には遠く及ばないものの、我が家とて130年前の同盟者戦役の武勲により侯爵位を賜った、歴とした貴族である。家を継ぐ予定もその気もない三男坊の私とて、幼き頃は祖父母両親より、長じては魔導学校で。貴族の一員として皇国を支える礎となるべく、教えを受けてきた。
だから5年前、通常より2年遅れて騎士団の養成学校を卒業された第三皇子、ラシウス・サカスタン・ダルマバラ殿下の秘書官に命じられた折には、晴れがましさを感じこそすれ、断るなど思いつきもしなかったのだ。
まぁ、それまで謁見の間で遠望するだけだった殿下と直に対面し、皇都の近衛第3騎士団長の任につかれた殿下と行動を共にするうちに。
秘書官の任命書を手渡して下さった宰相閣下が、何故、毎日欠かさず報告書をあげるよう念押しされたのか。またその場におられた皇帝陛下が、先帝より贈られたという執務机と対になった椅子からわざわざ立ち上がられ、「よろしく頼む」とおっしゃった時に浮かべられた、どこか苦い笑顔の意味を、すぐに悟ることになったのだが。
そう。私は秘書官と言う名のお目付け役。いや、子守りを拝命したのである。それも、我が国では成人である17歳を、2年も過ぎた皇子の。
そもそもなぜ私が、あの皇子のお目付け役として選ばれたのかは、いまだに分からない。
我が侯爵家が武勇で鳴らしたのも今は昔。爵位を賜って以後は大きな戦がなかったこともあり、武官ではなく文官として、皇国に仕えてきたものが、ほとんどである。
かく言う私も魔導学校での成績は、魔術理論や魔導構築、探知探索こそ誇れる成績を残せたものの、実技や武術に関しては中の下と言ったところ。魔力の量と質、魔導適性は魔導団に入るのに十分ではあるけれど、魔獣はともかく人に向けて魔導を行使すると考えただけで、足がすくむという体たらくである。
だから、魔導団には入らず文官として皇国と皇国民の役に立とうと、日夜励んでいた。はずであった。
体つきは大したことはない。
北の同盟国から嫁いできた母の血の影響か、皇国の成人男子の平均よりは、かなり高いものの、しかし武術で鍛えているわけではないので、ひょろ長い手足をいくぶん持て余すようにして歩く私をみて、剽悍であるとか、勇壮であるとかの感想を抱くものはいないだろう。
あの殿下とて、最初にお目見えした折に言われたものだ。「役に立ちそうなのは、目印になりそうなその背だけだな」、と。
……あぁそうだ。殿下のことを思うと、ただひたすら気が重い。
貴族とはいえ文官のひとりにすぎない私だったから、5年前が初めての対面であった。が。噂ならば、殿下が幼年学校に通われていた頃より、自然と耳には入っていたのだ。
噂とは所詮伝聞でしかなく、しかも語る人間の想いによりいかようにでも変わるものなので、耳を傾けるだけ無駄、記憶に留めるまでもないと思いはするものの。秘書官を拝命した際に不安がなかったと言えば、嘘になる。
不安の種はふたつあった。
ひとつはその噂に、良いものはほとんどと言っていいほどなく、そして内容と言えば、とても皇国の皇子のふるまいとは思えないものだったこと。
そしてもう一つは、殿下の噂には必ずと言ってよいほど、第二皇妃であるご母堂の名前もついてきていたことであった。
たとえば。やれ第二皇妃が、第二皇子のみならず皇太子を差し置いて、自分の産んだ第三皇子を次期皇帝にすべきと、毎夜寝物語に囁いているとか。 確かにそば仕えは寝室であろうと常に控えているだろうけれど、厳選された近侍の者が、皇居の最深部で交わされる会話を触れまわるはずもなく。どうやって知り得たのか、噂を流したものに訊いてみたいと思いはしたが……。第二皇妃様が囁くのは、寝床だけとは限らないらしい。
私は第二皇妃様の娘時代、お輿入れ前の評判は知らない。
今年24歳になられた第三皇子を19歳でお産みになったとのことだから、現在は43歳になられているはずだが。公の席でも結いあげずにとき流したままの栗色の髪はつややかで白いものなど見えず。いつも夢見るよう笑みの形に細められた目元にも、ふっくらとした口元にも皺ひとつなく、軽やかに歩くそのお姿は、とても成人した御子がおられるようには見えない。
いつだか……あぁ、あれは宮中の晩餐の席であったか。将軍のお一人が言われていたように、皇妃様はお輿入れした当時の「少女のまま」で、いらっしゃるのだろう。
それも、皇国の最上位におられる皇帝に見初められ、恋をし、それにどっぷりつかったままの。
以前。殿下の秘書官を拝命する前。たった一度だけだが、皇妃様がこう言われたのを聞いた事がある。
「陛下はわたくしを愛しておられるのですから、あの子を当然、つぎの皇帝にしてくださるのでしょう?」
その桃色の紅でつややかに光る唇から飛び出した言葉が信じられなくて、皇族方がお通りになるので伏せていた顔を、思わずあげてしまった。
皇帝陛下は窘められているご様子ではあったが、そこは限られた者しか入ることのできない後宮の私的な庭などではなかったのだ。夜会が開催されていた大広間につづく回廊で、位で言えば下から数えた方が早い私のようなものや、夜会に招かれていた他国のものなど、誰が通りかかるかわからぬ場所であったのだ。皇国の皇妃が、たとえ戯れであったとしても、そのようなことを口にしていいはずがない。
ましてや次の皇帝たる皇太子は、すでにおられるのだから。
……子は親に似るとよく言うが。殿下には、至高の皇帝として近隣諸国に名を知られ、皇国臣民から得難き君主と尊崇されている陛下の血「も」受け継がれているはずである。現に、受ける印象はまったく違うが、その面差しだけみればよく似ておられるのだから。
その言動を見聞きすれば、似ているからこそ哀しくなってくるのだと言うことは、我ら近習の共通認識であるけれど。
そして、第一皇妃がお産みになった皇太子殿下、今は亡き側妃様がお産みになった第二皇子殿下とともに養育申し上げたはずなのに、どこで間違えてしまったのかと、家庭教師および騎士養成学校の教授陣、そして殿下を断腸の思いで退学処分にした魔導学校の教授陣たちが、いまでも頭を抱えているのだが。
そして、だ。
この5年間、殿下とその取り巻きの従妹殿達が引き起こす騒動の後始末に奔走し、大騒ぎになる前に未然に食い止めようと無駄な努力を繰り返し、書こうとするだけで泣けてくることの顛末を、仔細漏らさず報告書にまとめようとして痛む胃をさする日々を過ごすうち。私はかつて聞いた噂なぞ、可愛いものだったのだと思い知ったのである。
そう。一月ほど前のあの日も、無駄に豪華につくらせた執務室を抜けだした殿下と従妹殿たちを、わたしはあわてて追いかけていたのだ。




