62話 ゲームオーバー
「――人間の勇気を、思い知れ」
セラフィムが敵意をまともに向けられるのは初めてだった。
憎悪を、悪意を、害意を、嫌悪を、憤怒を、そして――勇気をぶつけられるは初めてだった。
「…………ぁ……ぁ……」
相手は自分よりも劣った存在だ。
レベルも勝っている。全てにおいて勝っている。
この人間に勝てない理由はない。負ける理由はない。
そのはずなのに――。
――――怖い。
この生き物が、怖くてたまらない。
「…………っ……っっ」
がちがちがち……と歯の根が合わなくなる。
そのことが、自分のことながらセラフィムには信じられなかった。
(こ、この私が人間ごときを恐れてる……? ありえない……)
セラフィムは自らの怖気を否定した。
人間に対してわずかでも劣っていると思ってしまったことを否定した。
「そ、そうですか、なるほど。人間ごときに私が傷をつけられるはずがありません。今のは聖剣の力――そうでしょう?」
「…………は?」『…………ふぇ?』
「ふ、ふふふ……! 図星をつかれて言葉も出ませんか。そうでしょう、そうでしょうとも。先ほどのはまぐれ当たりです。間違いは2度も起きません――正義は必ず勝つのです」
セラフィムは立ち上がると、とん――っ、と床を蹴った。
白い稲妻のような速度で、人間との間合いをつめる。
「その聖剣さえ壊せば、人間など無力!」
そして、4枚の翼で斬撃を放ち――。
「………………え?」
気づけば、セラフィムは吹き飛ばされていた。
ふたたび、祭壇へと叩きつけられる。
なにが起こったのかわからない。
しかし、すぐに自分のお腹から血がにじんでいることに気づく。
「……ぁ、ぐぅぅ……っ!? あ、あぅうぐぅうッううう――ッ!?」
セラフィムは痛みでうずくまりながら、人間を睨みつける。
人間の魔剣を突き出した体勢から、なにが起きたのか遅れて理解する。
セラフィムの接近に合わせて、人間は魔剣を突き出したのだ。
ただそれだけのことだったが――その刺突にはセラフィムの全力の接近のエネルギーが乗っていた。
「間違いは2度あったな?」
ふたたび拷問死からの蘇生を終えた人間が、こきこきと首を鳴らしながら立ち上がる。
「それじゃあ――3度目といこうか」
「…………っ」
人間が床を蹴り、セラフィムに接近した。
両手の剣で連撃を叩き込んでくる。
黒と白の剣閃が乱舞する。衝撃波で大聖堂が斬り刻まれる。
「こ、この……!」
回避も、退避も、逃避も――己の傲慢が赦さない。
残されたのは迎撃のみ。
セラフィムは4枚の翼で斬撃を放ちながら、羽根を手に取った。
「運命宣告――“あなたごときが私に傷をつけたら失血死”!」
セラフィムがそう告げるとともに、人間が全身から血を噴き出して絶命する。
手数も速度もこちらのほうが速い。
こちらが武器として使えるのは、天恵と4枚の翼。
そして、その全てが即死の威力を持つのだ。
「――“凍死”! “焼死”! “拷問死”! “狂死”! “毒死”! “轢死”! “斬首”! “八つ裂き”! “首吊”! “病死”! “衰弱死”! “餓死”! “溺死”!」
生きてる暇もないほど、死を与え続ける。
しかし、人間はすぐに燃え上がりながら立ち上がる。
蘇生してから死ぬまでのわずか一瞬の間に、攻撃を叩き込んでくる。
人間の全力攻撃がクリーンヒットして、ようやく血が少しにじむ程度のかすり傷しか与えられないが、それでも――。
――止まらない。
少しずつ、確実に、セラフィムのかすり傷が増えていく。
「ひ、卑怯な……! 蘇れるうえに、武器を使うなど……! そんなことをして恥ずかしいと思う気持ちはないのですか!?」
「…………」
「ふ、ふふふ……! どうしました? 正しすぎて言い返す言葉もないのですか?」
人間がしばらく、じっとセラフィムを見たあと。
ぽつりと呟いた。
「……お前、弱いな」
「…………え?」
信じられない言葉だった。
「よ、弱い……? この崇高で強大で偉大なる私が……弱い? それは正しくありませんね。あなたごときの攻撃がいくら当たったところで、聖なる私に致命傷は与えられないでしょう?」
「いや、弱い。お前は心が弱いんだ」
翼の斬撃を回避し、人間が両手の剣を振るう。
「……ぐぅ……っ!」
また1つ、小さなかすり傷が刻まれる。
(な、なぜ……!? なぜ……!?)
おかしい。こんなことあるわけがない。こんなのは正しくない。
セラフィムには絶対に勝てる天恵があるはずなのだ。
それなのに……どうすれば、この人間に勝てるかわからない。
今まであらゆる敵は、セラフィムの視界に入る前に死んでいった。
セラフィムは今まで戦闘をしたことすらなかった。
戦闘というものは、セラフィムにとって必要のないもの。
戦ったことがない――それは強さの証であるはずだった。
だから、理解できない。対処できない。
もしも、この人間が永遠に生き返り、永遠に心が折れないのならば。
少しずつでも、セラフィムに手傷を追わせ続けられるのならば。
――――負ける。
その考えが、セラフィムの脳裏によぎった。
その恐怖が、セラフィムの心のたがを外した。
「運命宣告――“あなたごときが私に攻撃したら、全シーリア市民は拷問死”」
「……っ!」
人間の動きがぴたりと止まる。
攻撃も、移動も、生意気な物言いも――全て止まる。
「……………………」
数秒前まえの戦闘が嘘であったかのような静寂。
それを破ったのは、セラフィムが狂ったように笑い声だった。
「ふ、ふふ、ふふふふふふふふふ……! なるほど、あなたごときの弱点はそれでしたか! たしかに、ずいぶんと人間が好きそうでしたものねぇ!」
「……人質か」
『……ハッタリじゃないわね』
「当然です。この強大なる私は七公爵の1柱ですよ? この都市の人間を全滅させるなど容易いこと」
「……お前、人間を“救済”するんじゃなかったのか?」
「当然、“救済”もなさるおつもりですよ? しかし、正義の遂行のためには時として必要な犠牲というものもあるのです。正しくないあなたごときには理解できないことですが」
「そうだな……理解したくもない」
人間が唾を吐き捨てるように言う。
「さあ、武器を捨てなさい。このまま武器を持っているつもりなら、全市民を死なせてもよいのですよ?」
「…………わかった」
人間はしばし目を閉じたあと、観念したように武器を手放した。
「……俺はお前を攻撃しない。それでいいんだろ?」
『ちょっと、テオ……!』
その人間の行動に驚いたのはフィフィだった。
『あいつの言うこと聞いても、どうせ人間たちは魔物化されるだけよ! 人質に取られた時点で、もう殺されたと思いなさい!』
しかし、人間は答えない。
まるで、調理台の上の家畜のように。
なにもかもを、あきらめてしまったかのように。
ただ、じっと立ち尽くしている。
「ふッふふふふふふふ……! やはり正義は必ず勝つのです! 悪は滅びるのです! さあ、人間ごときよ! 今度はその場で惨めに土下座をしなさい! さもなくば、市民たちを皆殺しにしますよ?」
「…………」
『テオ……戦いなさいよ! わたしはこんなものを見るために、あなたに憑いて来たんじゃないわ!』
フィフィが制止しようとするが、人間はその場に膝をついた。
しかし、なかなか頭を下げない。
「どうしましたか!? 愚かな人間ごときには頭の下げ方すらわからないのですか!? ならば、この聖なる私がお導きになってあげましょう!」
セラフィムが人間の頭をがしっとつかんで、床が砕け散る勢いで下に叩きつける。
何度も、何度も、何度も――叩きつける。
「ほら! ほら! ほらぁッ! ちゃんと頭を下げて、聖なる私を傷つけたことを謝罪しなさい! 懺悔しなさい! 贖罪しなさい!」
「…………なぁ」
「なんですか? 聞こえないですよ!? ほらッ! もっと大きな声で! 謝罪! 謝罪! 謝罪! ふーッふふふふふふふふふふ……ッ!」
「――なに、勝った気になってるんだ?」
「ふふ…………ふ?」
突然、人間が血にまみれた顔で凄絶に笑った。
「……まだ、戦いは終わってないだろうが」
セラフィムは戦いは終わったと確信していた。
もはや人間ごときに、抵抗手段は残されていないと確信していた。
勝ちを確信した瞬間――。
それは、もっとも油断と慢心が起こる瞬間だった。
――傲慢。
それゆえに、セラフィムは気づくのが遅れた。
自分の周囲に、不穏な影がさしていることを……。
「…………え?」
セラフィムが見上げると、そこにあったのは――。
自分を呑み込もうと大口を開けた、巨大なアイアンメイデンだった。
「――“俺が勝つことをあきらめなければ拷問死”、だろ?」
セラフィムがはっとして、その場から離れようとするが――。
「……なっ!?」
べちょり……と。
セラフィムの足が床にからみついて剥がせない。
「どうだ、俺の全魔力をつぎ込んだ“粘着魔法”は?」
「こ、この……いつの間にッ!」
物体に粘着力を付与する水属性魔法。
おそらく、セラフィムが近づいてきた時点で仕込んでいたのだろう。
「ずっとこのときを待ってたんだ……お前が慢心してむざむざ近づいてくれるのをな。結局のところ、お前の【死ノ宣告】は、ただの“絶対不可避の自動発動型即死級ダメージ攻撃”にすぎない。だから――」
人間は告げる。
まるで、セラフィムの死を宣告するように。
「――俺の死の運命は、お前を巻き込むことができる」
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