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婚約破棄、承りましたわ

婚約破棄をしただけで、どうしてこうなった?

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/08/17

『婚約破棄、承りましたわ』の王子視点です。

以前の作品を読んだことがない方はそちらからご覧下さい。

 王立ヴェルジェ学園の卒業夜会で、ジークヴァルトは自分が主役になるはずだった。

 第二王子が、公爵令嬢との退屈な婚約を終わらせ、心から愛する令嬢を選ぶ。そう宣言すれば、広間は驚き、やがて自分の勇気を称えるのだと信じていた。

 隣にいるミルフィは、いつものように甘い香りをまとい、腕へそっと指を絡めている。彼女は花を贈れば笑い、話をすれば目を輝かせた。

 セレスティアとは、何もかもが違った。

 セレスティアは、茶会の席で国境の税について尋ねた。贈り物を渡せば、品の由来と管理台帳を確かめた。自分が狩りの話をすれば、怪我をなさらぬようにとだけ言った。

 それを愛想のなさだと思った。王子である自分を、少しも特別に扱わない女だと思った。

 今夜、皆の前で選ばれなかったと知れば、ようやくあの無表情も崩れる。そうしてからミルフィの手を取れば、自分が正しい側だと誰もが分かる。

 ジークヴァルトは、そのために卒業夜会を選んだ。


「セレスティア・ヴァレンハイト。貴様との婚約を、本日をもって破棄する」


 弦楽が止まった。

 銀の髪の婚約者は、ゆっくり顔を上げる。いつも通り、ほとんど表情を動かさない顔だ。


「……承知いたしましたわ」


 ジークヴァルトは一瞬、言葉を失った。

 泣くか、怒るか、せめて責めるかと思っていた。七歳から十一年、王妃教育を受けてきたのだ。王子妃の座を奪われて、何もないはずがない。


「そうだ、承知――は?」

「承知いたしました、と申し上げましたの」


 それだけだった。

 胸の奥で、用意していた言葉が空回りする。彼女を冷たい女だと呼び、ミルフィの温かさを皆に示すつもりだった。

 だから、もう一度大きく告げた。


「私はミルフィを新たな婚約者とする。いずれ、この娘を我が妃に迎える」


 男爵令嬢を妃と呼んだ瞬間、広間の大人たちが息を呑んだ。

 その視線を、ジークヴァルトは古い身分のしきたりへの怯えだと思った。


「殿下は、いつもその顔だ。何を贈っても、何を話しても、少しも喜ばない」


 責めれば、セレスティアは少しまばたきをした。


「聞いておりますわ」


 その返事が、さらに腹立たしかった。

 紅玉の首飾りを選んだときも、春の建国祭へ誘ったときも、自分は彼女の気持ちを問わなかった。ただ、どんな顔をするかを試して、期待と違えば勝手に失望した。

 ミルフィは分かりやすく笑った。だから、自分を愛しているのだと思った。


「破棄については、確かに承りました。ただ、清算だけはさせていただきたいのです」


 セレスティアが腰の手帳を外した。

 飾りのない革表紙だった。まるで執事や会計官が使うような、地味な手帳。


「清算?」


 彼女は返事を待たず、一つ目を読み上げた。王家主催の茶会三十二回のうち、自分が出席したのは二回。二回目にはミルフィを連れ、セレスティアの隣には座らなかったこと。

 二つ目は、セレスティアへ贈るはずだった紅玉の首飾りを、ミルフィが胸元につけていること。

 三つ目は、殿下名義の水路改修の裁可書を、すべて彼女が作成していたことだった。


「面倒だから代わりに書けと、仰いましたので」


 広間のどこかで、小さな笑いが起きた。

 ジークヴァルトは顔が熱くなるのを感じた。書類など、王子が一枚ずつ読むものではない。セレスティアは婚約者として役に立ったのだから、それでよかったはずだ。

 水路改修は、雨期に王都の地下水路が溢れないよう、各区の職人へ賃金を払って進める工事だった。セレスティアは一度、東区の石工が不足していると話していた。

 自分は、次の舞踏の相手を考えながら頷いただけだ。

 王子の署名は、仕事を終わらせるための飾りではない。誰に金を払い、誰の暮らしを後回しにするのかを決めるものだった。そんな当然のことを、手帳を突きつけられるまで知らなかった。


「四つ。同じく殿下名義の、南部飢饉に対する救援配分の意見書。あれもわたくしが書きました。殿下は中身をご覧になっていないはずですわ。だって、あの意見書には、殿下ご自身の狩猟場の予算を削る案が入っておりますもの」


 その書面には、確かに印を押した。

 中身を読んだ記憶はない。ミルフィとの約束があり、早く終わらせたかったのだ。


 そんな昔のことを、いつまで。

 そんな気持ちと共に拳を握りしめ、彼女をさらに睨みつける。

 そうすると、セレスティアの指が一度だけ止まった。

 けれど彼女は、次の頁を開いた。


「五つ。二年前の秋、わたくしがポワレ嬢を階段から突き落としたという噂について。噂が出た翌日、殿下は、事実の確認をなさらず、わたくしへ謝罪を命じられました」


 ミルフィが足を挫いて泣いていた。

 だから信じた。それだけのことだ。


 だが、セレスティアが呼んだエレノアは、当日の生徒七人の証言と講義の記録を読み上げた。セレスティアは南棟にいて、ミルフィは自分で階段に座り込んだという。

 さらに、その証言を自分の従者へ渡した二日後、暖炉で焼かれたと聞かされた。


「……知らん」


 そう答えた声は、ひどく小さかった。


 確かに私が命じた。

 セレスティアと仲の良い令嬢が、私たちを貶めるために作った偽造書だと思い、処分を命じた。

 中を確認することもせずに。


「六つ」

「昨年より、わたくしは殿下より、婚約者の証である王家の紋章を身につけることを禁じられました。

 理由は『ミルフィが萎縮するから』。以来、わたくしは公の場で、身元を示すものを何ひとつ持たずに立っております」


 セレスティアに愛想を尽かしていた私は、ミルフィと仲良くなっていき、彼女を妃にすると心に決めてからは紋章を取り上げていた。

 また、セレスティアが何も付けていないことで笑い物になれば、という浅ましい思いも少しはあった。


「三月の建国祭。殿下は、わたくしを迎えの馬車から降ろさせ、代わりにポワレ嬢を乗せてお発ちになりました。わたくしは王宮の門前で、二時間、雨の中で立っておりました。誰も、迎えを寄越されなかった」

「あ、あれはぁ、ジーク様が『あの女は勝手に帰るだろう』って……」

「ミルフィ、黙れ」

「え? あ、ごめんなさぁい」


 ついミルフィを叱りつけてしまった。

 しゅんとしているミルフィを、普段であれば愛おしいと思うのだが、今はそんなこと全く思いもしない。

 ただただ余計なことを言わないように叱るばかりだ。


「わたくしからも一つよろしいでしょうか」


 ガルディア伯爵家のユリウスが声をあげ、その手の帳簿を開く。


 咄嗟に否定の声をあげる。

 貴様など呼んでいない。

 こいつは金勘定にめざとい。

 あのことをここでぶちまけられてはたまらん。


 しかし、そんな私の声を無視し、彼は話し始める。


「学園には『王立奨学基金』がございます。名の通り、王家より下賜される金子で、平民出身および下級貴族の子弟の学費を賄うためのもの。原資は国庫、すなわち民の税でございます」


 王立奨学基金は、平民や下級貴族の子どもが学園で学ぶための金だ。王家から下賜されるから、自分の裁量で多少動かしてもよいと、ジークヴァルトは思い込んでいた。


「昨年度、三千二百グルドが特別交際費として支出されています。宝飾店、仕立屋、そして北区の別邸の賃料でございます」


 ミルフィが、何気なく言った。


「あのお家、ジーク様が二人の秘密の場所だよって」


 広間から、音が消えた。

 そして私を膝から崩れ落ちた。

 終わった。

 1番バレてはいけないことが、全員にバレてしまった。


 三千二百グルドは、南部の村が一年を越す金だと、奨学金で通うトマが震える声で言った。去年の冬、救援が二月遅れ、母親を失ったことも。

 ジークヴァルトは、初めて帳簿の数字ではなく、目の前の少年の顔を見た。


「知らないなら、返してください」


 その言葉だけが、まっすぐ胸に刺さった。

 王子なのだから、返すとは何を意味するのか分からなかった。金か、地位か、名誉か。どれも自分のものだと思っていたからだ。


 更にかつての我が従者、レオンハルトが、かつて自分が命じた口止めのことを話し始めた。

 そこでは己の過去の行い、そしてミルフィの過去の行いが語られた。

 

 彼女の夜の抜け出しも、複数の令息との逢瀬も、すべて記録に残っていた。

 ミルフィは、いつの間にか二歩離れていた。


「セレスティア。貴様は、いつからだ」


 近衛が扉を開け、兄のアルベルトと宰相が入った。

 もう言い逃れのためではなく、ただ知りたくて尋ねた。


「三年前でございます」

「なぜ、その場で言わなかった」

「言えば、殿下は握りつぶされたでしょう。ですから、握りつぶせない場所まで、待ちました」


 そのとき初めて、ジークヴァルトは手帳の重さを知った。

 セレスティアは何も感じない女ではなかった。言っても笑われるから、泣く代わりに書いていたのだ。

 自分は十一年、隣にいた彼女を見ていなかった。

 近衛に挟まれ、広間から連れ出される。

 振り返った先で、セレスティアは手帳を胸に抱えていた。

 謝る言葉は、とうに遅れていた。

 弦楽の四重奏は、二度と再開されなかった。

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― 新着の感想 ―
前作を読んだ時は、ボンクラ王子100%有罪と思ったけれど、王子目線のこの物語を読んだらアレ?と…。 >茶会の席で国境の税について尋ねた。 婚約者同士の交流で?で、あれば親睦を深めるためなのに目的変わ…
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