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祈りの森に眠る宝石  作者: 鳥無し
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第四話『旅人珠との出会い』

 春の祈りの森は、少しじめじめとしている。夏と違ってまだまだ日光の力が弱いから、なかなか森の中が乾燥しないのだ。

 場所によっては雪解けの水がたまっており、ぐちゃぐちゃとしている。そんなところを歩くのは体力が居る。ただでさえ歩きっぱなしのクルトにはつらいものだった。


「この辺はぬかるんでいて歩きにくいね。このあたりは木が密集しているし、どの木も背が高いから太陽の光が届かないんだ」

「なら空を飛べば? それか猿みたいに木に登って移動してみる?」

 できる訳が無いのを承知で、フィルはからかうようにクルトに話しかけてくる。ずっと森の中で暮らしていたフィルにとって、この程度の湿気は全く平気らしい。ただ歩いているだけで息が上がっているクルトを見るのが面白いらしかった。

「フィルはいいよね、羽があるからこの泥道を歩かなくて済む。もう僕はどのくらいまで来たんだろう?」


 森に入ってから二週間がたっていた。今のところそんなに恐ろしい目にはあっていないが、森の広さには唖然としてしまう。

 クルトがまだ子供で、大人より歩幅が狭いとは言っても、二週間歩き続けているのにちっとも進んだ気になれなかった。

 途中で道草したり、体力を温存するために早めに切り上げたりしているせいもあるだろうが、それにしたってこの広さには驚く。


「そうねえ……ちょうど一層目と二層目の変わり目くらいまで来たかしら?」

「え、そうなの!?」

 クルトはそう言って周りを見回す。そう言われれば雰囲気が変わったような気がしないでもない。……ただじめじめしているだけかもしれないが。

「そっか! 僕は一層目を無事に越えられたんだ!」

「まだ越えてないでしょ。それと、喜んでいるところ悪いけど、いよいよ気を付けて進む必要があるわよ。特に層の変わり目は変なのが湧いていたりするんだから」

 そう言ってフィルは脅すように笑う。またいつもの黒い冗談だろうか?

「変なのが湧くって……どうして?」

「季節の変わり目は変なのが出るって言うでしょ? それと同じよ」

 フィルは常識でしょとばかりに胸を張る。本気で言っているのか冗談で言っているのか、クルトには判断が付かなかった。


「あれ? 今何か声が聞こえなかった?」

 そう言ってクルトが立ち止る。

「声? あんたの腹の虫でもなったんじゃない?」

「そんなはず無いよちょっと静かにしてて」

 そう言ってクルトは耳をすませた。確かに聞こえたのだ。女の人の声に聞こえた気がしたが……。

『き……ああ! だれ……助……てー!』

 今度は間違いなく聞こえた。助けを求めている。

「ほら! やっぱり人の声だ。助けに行かなくちゃ!」

「人の声ねぇ……。あのさぁクルト。もう薄々気づいてると思うけど、こんなところに人が居るはずが無いのよ。森の中で人の声を聞いたなら、それには近づくんじゃなくて離れるべき。この間もそれでひどい目に会ったでしょ? ……て、もういないし!」


 フィルが見たのは、走りながら離れて行くクルトの背中。この間鳥を助けてひどい目に会ったというのに、全く懲りていない。

「また私の忠告を無視して……まあいいわ。あいつはそう言う奴だし……」

 それにと言って、フィルはにやりと笑う。

「厄介事に首を突っ込んでくれないと、私が退屈だもの」


   *    *    *


「こっちの方だ!」

 クルトは声を頼りに走った。だんだん近づいているらしく、声が大きくなっている。

 そして、クルトは声の主を発見した。だがその声の主より、声の主を襲っている存在の方が目に飛び込んできた。

「これは……コウモリ?」

 クルトの声が疑問形になってしまったのは、一瞬コウモリかどうか判断が付かなかったからだ。

 普段クルトが見ているコウモリの大きさではない。高速で飛びまわっているから正確には分からないが、軽く一メートルは越えている。そんなコウモリが数十羽と飛び回っているのだ。

「これは吸血コウモリね」

 後から追い付いてきたフィルがそう言った。

「吸血コウモリ? それにしたってどうして昼間の内に飛びまわっているの?」

「さあ? 今が昼間か分からないくらい馬鹿になっちゃったんじゃない? それより助けるなら早くしたら? 一匹一匹の吸血量はそんなに多くないけど、この大群に血を吸われたらミイラになっちゃうかもよ、あの女」

 そう言ってフィルが目線を襲われている女に向けた。女は悲鳴を上げて手を振り回している。コウモリは狩りを楽しむように女の上を飛び回っている。

「やめろー!」

 そう言ってクルトも飛び出したが、出来ることといえばやはり腕を振り回すだけ。これだけ高速で移動しているのでは、剣で切りかかることもできない。もしそれをするとしても、数が多すぎる。

「あっち行け! あっちに行けったら!」

 そう言って腕を振り回しても、コウモリたちが言うことを聞くはずがない。コウモリたちにとっては、餌が一匹増えただけだ。

「このままじゃ……そうだ!」

 クルトは、あるものを持ってきていたのを思い出して、鞄の中に手を突っ込む。それはあっさりと見つかって、クルトの手に握られた。

「これでも食らえ!」

 そう言ってクルトは思いっきり空中に何かを投げたが、それはコウモリに当たることなく弧を描く。

 だがそれは空中で強い光を放ちながら、巨大な爆発音をだして破裂し始めた。

 コウモリたちは耳が良い。あんなに近くで、これだけ大きな音がしたらたまらない。コウモリたちは苦しむ様に鳴きながらどこかへ飛んで行ってしまった。


「……うまく行った」

「ちょっとクルト! 何よ今のすごい音は!」

 ずっと物陰に隠れていたフィルが、耳を抑えながらやってきた。

「爆竹だよ」

「爆竹?」

「筒の中に火薬をいれて爆発させるんだ。大きな音が出るのが特徴だけど、手に握り締めたりしない限り、ちょっと火傷するくらいの危険しかない。でも、コウモリは耳が良いからかなりつらかったはずだよ」

「あんなもの使うなら事前に言っておきなさいよ。私まで少し驚いたじゃない。……あれ? あんたあんなもの持ってきたって言ってたっけ? コンパスやら火打石やらのことは言ってたけど」

「あれは魔道具のことでしょ? 爆竹は魔道具じゃないし、町の店に売ってるものだよ。動物に囲まれた時に役に立つかなと思ったけど、持ってきておいてよかった」

「あの……」

 さっきからクルトが庇っていた女が顔をあげる。転がりながら逃げ回っていたのだろう、顔や服が泥だらけになって汚れていた。

「もう大丈夫だよ。コウモリはどっかに行っちゃったから」

「ああ! ありがとうございます! あのまま殺されてしまうんじゃないかと思ってとっても怖かったんです!」

 そう言って女はクルトに抱きついてきた。

「く、苦しい……」

 クルトは女の大きな胸で口を塞がれて苦しがる。

「あ、ごめんなさい!」

 慌てて女はクルトから離れて謝った。


「申し遅れました。私は旅人の藍京(あいきょう) (たま)と言います。珠と呼んでください」

 藍京珠と名乗った女は、クルトより少し身長が高く見えた。黒い長髪が、痩せた体によくあっている。

「僕はクルトって言うんだ。クルト・グラウン」

「よろしくお願いします。……あの、そちらの方は?」

 珠がフィルのことに気付いてクルトに訊ねる。妖精が人間と一緒にいるのを見るのは珍しいのだろう。

「名前を教えるつもりはないわ。私玩具には名乗らない主義だから」

「フィルって言うんだ。仲良くしてあげてね」

「ちょ!」

 フィルがキリッとポーズまでとって名前を伏せたのに、クルトがあっさりと教えてしまう。どの道クルトがフィルのことを呼んだ時にばれるだろうが……。

「よろしくお願いします。フィルさん」

 珠がぺこりとフィルにお辞儀をする。フィルは勝手にしてくれとばかりに手を振って、木の枝に座った。


「だいぶ服が汚れちゃったな。フィル、川が近くにあるかわかる?」

「そのまま泥団子になったままの方が、森の中では目立たないくていいんじゃない?」

「でも、気持ちが悪いし……」

「こんなじめついた森の中で何言ってるんだが……。仕方ないわね」

 そう言ってフィルは耳を澄ます。フィルは森が出す音なら、数キロ離れた気が倒れる音すら聞きわけることができる。クルトが前に水筒の水が少なくなって困っていると、『空腹で死なれるんじゃ面白くないわ』と言って川のある方角を教えてくれた。

「……あっちの方から水の音がするわね。距離は五百メートルくらいかしら?」

「よし、それじゃあ行こう」

 クルトはそう言って歩き出した。珠もそれについて行こうとして歩き出す。


 フィルはそんな珠の耳元に近づいて、珠にしか聞こえないように囁いた。

「ねえ……あんた人間じゃないでしょ?」

 あまりに自然に、しかし有無を言わせないはっきりとした口調でフィルはそう言った。

 珠は慌ててクルトに聞かれていないか確認する。

「大丈夫よ、こんな小さな声なら聞こえたりしない」

「フィルさん……何を言っているんですか? 私が人間じゃないなんて……」

「あんたからは人間以外の気配がする。クルトはごまかせても私はごまかせないわよ?」

 珠が緊張したように沈黙する。どう言い逃れしようか考えているようだった。しかしその沈黙こそが肯定。フィルの中で珠が人間ではないのは確定した。

 フィルは、珠が焦った表情をしているのを見てくすりと笑う。

「安心して? クルトにばらすつもりはないわ。もしあんたがクルトを殺そうとしているんだとしてもね」

「……何を……言っているんですか? 私がクルトさんを殺そうとする訳……」

「別にしらばっくれたっていいのよ? ただ、気を付けてね。そう言う奴が一匹、クルトに殺されてるの。あなたはそんなへまはしないでよ? 別に私はクルトの味方なんかじゃないんだから」

「フィルさん……あなたは一体?」

「せいぜい私を楽しませてね? クスクス……」

 フィルは最後にそう言ってクルトのところへ飛んで行った。

 珠は少し呆けてから、慌ててその後ろをついて行った。


   *    *    *


「へぇ、道に迷っているうちに祈りの森に入っちゃったんだ」

「そうなんです。とはいっても目的地がある訳ではないので、道に迷うということもないのですが……」

 三人は川辺で焚火をして休んでいた。今日はここで野宿することになるだろう。今はクルトが珠のことを色々と聞いているところだった。

「そう言えば何でコウモリに襲われてたの? まだ昼間だよね?」

「疲れてしまって洞窟の中で休んでいたのですが、どうやらコウモリを踏んでしまったようで、そのせいで……」

「世界一の馬鹿と天性のドジが一緒にいるなんて壮観ね」

 木の枝に寝転んでいたフィルが茶々を入れる。

「こら、フィル! 初めて会った人にそう言うことを言うのはよくないよ? ごめんね珠。フィルって口が悪いんだ」

「いえ、気にしていませんから……」

 珠はフィルがなにを言っても怒るようなことはしなかった。寛容なのか、気が弱いだけなのかは分からないが。


「ところで、クルトさんはどうして森の中を歩いているんですか? ここは危ない場所なんですよね?」

「ああ、それはね……」

 クルトは自分が森の中を歩いている理由を話した。

「え、それじゃあクルトさんは森のさらに奥まで入って行くつもりなんですか?」

「うん、僕はどうしても宝石に叶えてもらいたい願い事があるんだ。ルールで禁止されてるからその願い事は言えないけど……。でも、絶対に叶えて見せる」

 そう言ってクルトは目をつぶってエリザベートのことを思い出す。絶対に宝石を持って帰るということを一人心に誓いながら。

「でも運が良かったよ。もう少し深く森の中に入ってたら危険だったもの。今から引き返せば何とか森を出られると思うよ」

 クルトのその言葉に、珠が遠慮がちに口を開いた。

「あの、もしよろしければ、クルトさんと一緒に行ってもいいでしょうか?」

「えッ?」

 クルトはその申し出に驚いた。

「やめた方が良いよ。この森は奥に入れば入るほど危険なんだ。今引き返せばまだ間に合う」

「いえ、助けていただいたのに、何もお礼をせずお別れすることはできません。それに……」

 珠が少し言いにくそうに俯く。

「それに?」

「私方向音痴なんです。コンパスも壊れてしまいましたし、これでは森から出ることは……」

 珠の告白をフィルが笑う。

「アハハ! 方向音痴? 方向音痴で旅人ができるの? もしかしてあんた、家に帰ろうとしたら道が分からなくなって、そのまま旅人になっちゃったとかじゃないわよね?」

「だから、あんまり失礼なことばっかり言っちゃダメだって! 珠、本当にいいの? すごく危ないんだよ?」

「良いんです。どの道さっき私は死んだようなもの。それならばこれ以上どんな危険な目にあっても同じです。一緒に行かせてください」

「うーん……」

 クルトはまだ決心がつかずに悩む。

「良いじゃない。連れて行ってあげれば」

 なかなか決断を下せないクルトを見かねて、フィルがそう言った。

「森から出る方法が無いんじゃほかにどうしようもないでしょ? それに、トカゲのしっぽくらいの役には立つかもよ?」

「はい! トカゲのしっぽでもなんでも、クルトさんの役に立つなら何でもします!」

 珠は傷つくどころか、進んで犠牲になって見せると言い放った。

 一方クルトは、トカゲのしっぽの意味が分からずに首をかしげていた。

「トカゲのしっぽ? それどういう意味?」

「えっと……とっても役に立つ存在だという意味です!」

 珠は意味を曲解してクルトに伝える。本当の意味で教えれば、クルトが傷つくと考えたからだ。

「そうなんだ。僕も仲間が増えるのは嬉しいし……」

「足手まといにならなきゃいいけどねー。それから、トカゲのしっぽって言うのは役に立つ存在って意味じゃないわよ。本当の意味は……」

 珠がせっかく隠そうとしたトカゲのしっぽの意味を、フィルが丁寧に解説して、クルトのことをからかうのだった。


   *    *    *


「気を付けてね」

 クルトが後ろを歩く珠にそう声をかける。昨日はあのままあそこで野宿をして、日が昇ると同時に出発した。

「でも昨日は助かったよ」

「いえ、私は何も……」

「そんなこと無いよ。いつも同じ味付けばかりだから、珠が料理をしてくれて助かったよ」

 しかも、珠は料理の道具や調味料をたくさん持っており、同じ味ばかりで食べ物に飽き始めていたクルトにはありがたいものだった。例によって、フィルがこれには毒があるものが混じっていると言って珠のことを脅かしていたが……。

「見たことが無い調味料がたくさんあったけど、あれは珠の故郷のもの?」

「はい。旅に置いて食事の確保は大切ですから」

「食い意地が張ってるだけじゃないの?」

 フィルがクルトの肩から珠のことをからかう。最初はフィルの毒舌に戸惑っていた珠だったが、一日一緒にいたことでだいぶ慣れてきたらしい。

「フィルさんは食べ物が食べられないのですか? 食べなくても平気なだけで、食べられないわけじゃないなら一口でも食べてくれれば……」

「結構よ。下手にあんたが作る料理を食べて、あんたみたいに胸が膨らんだりしたら重たくってしょうがないわ」

 フィルがそう言うと珠が恥ずかしそうに胸を隠す。そして横目でクルトのことを見たが、まだまだ子供のクルトは、何のことか分からずきょとんとしている。


「! 何か来るわよ!」

 フィルが突然そう叫んで高く飛んで逃げる。その声を聞いてクルトも剣を鞘から抜いて臨戦態勢を取った。

「珠は僕の後ろにいるんだ! フィル! そこから何か見える?」

「さぁ? 自分で探せば? 私はここから見物させてもらうわ」

 フィルは木の枝に腰をおろして二人を見下ろす。クルトは最初から当てにしていなかったからショックは受けなかった。それより今こっちに向かってきている存在に意識を向ける方が重要だ。

「確かに何かの音が聞こえる……」

「なんでしょう? もしかして悪魔か魔物が……?」

 珠が怯えたように声を出す。茂みの向こうからこちらに何かが近づいてくる音がする。茂みが揺れる音から言ってかなり大きい。

「出てくるぞ!」

 クルトがそう言うと、茂みの中から何かが飛び出してきた。その飛び出してきたものとは……。

「なんだ……鹿か……」

 そう言ってクルトは力を抜いた。飛び出してきたのは牡鹿だった。肉食動物ではないからそんなに危険は無いだろう。角につかれないように気を付けながら退散すればいい。

 しかし奇妙な鹿だった。全身が緑色で、目が濁っている。顔は別の場所を見ているが、身体だけこちらに向けている。しかも体中にコケが生えているのだ。……コケ? 動物の体にコケなんて生えるのだろうか?


「気を付けてくださいクルトさん! あれは魔物です!」

 珠が後ろからそう叫ぶと、鹿がこちらに走り出してきた。相変わらず顔は別の方向を向いていて、鹿が走り出すとぐにゃぐにゃと弾んだ。まるでただくっついているだけの部分であるかのように……。

 クルトは慌てて珠を突き飛ばして自分も避ける。鹿は二人が居たところをまっすぐと進んで木に当たり、腐ったものが何かにぶつかるような音が聞こえた。

「な、なんなんだ? これは鹿じゃないの?」

 クルトが剣を構えたまま呟く。珠がそれに答えた。

「この鹿は腐っています! 動物の死体に寄生するタイプの魔物ですね。次々に動物を襲っては殺し、体を入れ替えて成長するんです!」

「よく知ってるじゃない。さすが旅をしてるだけはあるわね」

 そう言ってフィルがぱちぱちと拍手をする。

 そうこうしているうちに、鹿が立ちあがってクルトに向き直った。ぶつかったところの肉が剥げて、鹿の体の中身が見えていた。

「ぐッ……」

 思わず目を逸らしたくなる光景を、クルトは我慢して見る。目をそらせば隙ができるからだ。

『ぴぎゃぎゃ!』

 鹿が奇声をあげる。本来の鹿の鳴き声ではない。魔物が無理やり声帯を震わせて音を出しているのだろう。

 鹿がまたクルトに向かって体当たりをしてくる。クルトは剣を構えたまま迎え撃つ。

「やぁああ!」

 クルトは鹿の体当たりを避けて、すれ違う時に首を切り落とす。鹿の体は本当に腐っていて柔らかく、かなり簡単に切り落とすことができた。

 鹿はそのまま木にぶつかって倒れた。

「ふぅ……倒したかな?」

「やりました! クルトさん!」

 そう言って珠が近寄ってくる。クルトは布で刀の汚れをふき取って鞘にしまう。

 そして上を見上げてフィルに声をかけた。

「フィル、もう倒したよー! 降りてきなよー!」

 だがフィルは降りてこようとしない。相変わらずニヤニヤと笑って二人を見下ろしている。


 何か嫌な予感を感じて、クルトは後ろを振り返った。

「う……嘘……!」

 そこには、首を失った鹿の体が立ちあがっているところだった。鹿の体はまた二人に向かって体当たりをしてくる。

「危ない!」

 再びクルトは珠を突き飛ばしてから鹿の攻撃を避ける。

「なんで? 首は切り落としたのに!」

「分かって無いわね。その鹿はもともと死んでるの。その魔物は鹿の心臓や脳味噌なんて必要ないのよ。その鹿はただの入れ物なんだから。本体は魔物の核。その核をつぶさなければ永遠に襲いかかってくる」

 フィルが木の上からそう解説する。

「核はどこにあるの?」

「それが分かったらだめでしょ? 核がある場所はランダム。ただ、核がある場所から切り離されると動かなくなるから、さっき切り落とした首から上に無いのは確かね」

 クルトが横目でさっきの首を切り落とした場所を見ると、そこには首の死体が落ちていた。動き出す気配は無い……。

「クルトさん!」

 珠が怯えた声でクルトを呼ぶ。クルトが鹿を見ると、今度は珠に狙いを定めている。

「させない!」

 クルトは鹿が走り出すより早く動いて、珠と鹿との間に入った。

「逃げましょうクルトさん! 核が分からないのではいくら切っても無駄です!」

「大丈夫……僕に考えがある」

 そう、クルトには考えがあった。狙うのはあの場所……。

 魔物が襲いかかってくる。今度はクルトも走り出す。

「はぁああああ!」

 剣を大きく構えて思いっきり振り抜く。鹿が突進してくる力と自分が走る力、さらに腕を振る力を加えて鹿の足を切り裂いた。

 剣は確実に鹿の足四本をとらえ、足を失った身体は地面に転がった。

「お見事! これでもうこいつは動けないわね」

 勝敗がはっきりすると、フィルが木の枝から下りてきてクルトを褒める。

「でもさぁクルト。こいつを放っておくと、他の動物に乗り移ってまた襲ってくるかもよ? 魔物って執念深いから」

 フィルはそう言って首と足を失った身体を見る。鹿の体はまだじたばた動いていた。

「……それも考えてあるよ。核の場所が分からないなら、核を潰すまで滅多刺しにすればいいんだ」

 そう言ってクルトは剣を構えて鹿の体を突き刺し始めた。

 突き刺す度思いっきり力を込めるので、剣は鹿の体を突き抜けて地面も貫く。クルトは突き刺す度に腐った返り血を浴びた。

 十回ほど突き刺すと、何かを貫いた感覚と共に、鹿の体は完全に沈黙した。


「……クルトさん? 大丈夫ですか?」

 急に無言になったクルトを心配して、珠が話しかけてくる。

「僕は大丈夫だよ。それよりこの死体……埋めてあげられないかな?」

「はぁ?」

 クルトが死体を埋めたいことを告げると、フィルが呆れた声を出す。

「だって野ざらしにしておくのは可哀そうだし……」

「はッ! 可哀そう? 実に人間的な意味の無い自己満足思想ね。死体が野ざらしで可哀そうだから埋めましょう? 世の中にはどれだけの動物が野ざらしのまま死んでると思ってるの? そしてそれは無駄なことじゃない。死んだ死体は他の動物達の餌になるし、微生物が分解して土に還る。可哀そうなんて思うのは人間が思いあがってるだけ。埋めてもらったら動物が感謝するとでも思ってるの?」

「……そうだね。これは自己満足なんだと思う。僕は自分勝手にこの死体が可哀そうだと思う。死んだ後も土に還ることはできず、ただ入れものとして利用され、挙句僕によってバラバラにされてしまった。僕なら嫌だよ……せめて見えないように埋めてもらいたいと考える……」

「クルトさん……」

「本当に人間的……。野ざらしになってるのが可哀そうだって言うなら見ていなさい。もうすぐこの死体は隠れるわ」

 言われてクルトが死体を見ると、鹿の死体が音を立てて溶け始める。肉だけではなく骨も溶けて緑色の水になる。その水は地面にしみ込んでやがて消えた。

「魔物に取りつかれた死体は腐敗が遅くなる。でも、魔物がその死体を捨てると恐ろしいスピードで腐敗が進むの。限界を越えて酷使されているからよ。だからあんたが埋めるまでもなく、この死体は消えてなくなる」

 フィルが冷たい顔をしてそう解説する。珠が心配してクルトの顔を覗き込んだ。

「クルトさん……泣いているんですか?」

「……自分勝手だよね。僕がバラバラにしたのに、なんだかとても悲しいんだ。ただの道具みたいに扱われたこの鹿を見ると、可哀そうで仕方ない……」

 クルトはしゃがんで手を合わせる。珠もそれに続いて手を合わせた。フィルだけが馬鹿馬鹿しいと言って別の場所を見ていた。

実はこの話、元は第五話と一つにまとめる予定でしたが、長くなりそうだったので切りのいいところで分割し、独立させたものです。全部で十数話の予定ですが、今後このようなことがたくさんあると二十話くらいに増えるかもしれません。

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