第三話『美しき鳥の忠告』
夜の祈りの森は暗い。昼間なら太陽の光が木々の間から差し込んでくるが、月や星の光は森の開けた場所で無い限り、森の中を照らすことは無い。
夜の祈りの森の中で光を見つけたら、それは蛍か悪魔の光だ。
しかし、その場所には蛍でも悪魔でも無い光が灯っていた。クルトが焚火をしているのだ。
「そろそろいいかな……?」
クルトはそう言って鍋の中を覗き込む。なかに入っているのはキノコやヨモギなどといった山菜だ。それを鍋の中に入れて、クルトが持ってきた調味料を加えてスープを作っている。
「どうでもいいけどその鍋の中身は食べない方が良いわよ。山菜に混じって毒キノコが入ってるから」
妖精のフィルの姿もあった。フィルは近くの木の枝に座ってクルトが料理をする姿を眺めている。
「またそれ? 鍋の中に入れているものは全部普通の山菜だよ。何度も確認したから間違いない。料理を作るたびに毒が混じってるって脅されたら、美味しく食事ができないじゃないか」
「それが狙いだもの。あんたが最初の一口を、ちょっと怯えた風に食べるのが面白くてたまらないの」
そう言ってフィルはクスクスと笑う。フィルはたびたび黒い冗談を言ってはクルトのことをからかうことがあった。
フィルと出会ってからもう一週間がたっている。コンパスに従って地道に宝石に向かっているが、全くと言っていいほど何も起こらなかった。
悪魔や魔物に遭遇することもなければ、道が塞がっていて通れないということもない。困ることといえば食事くらいだが、祈りの森には豊富に食べ物がある。クルト一人分くらいの食事なら、懸命に探せば何とかなる。
クルトは最後にスープの味見をして料理を終わる。
「よし、できた……フィルは食べなくていいんだよね?」
クルトはフィルにそう言った。クルトは何も意地悪を言っているのではない。フィルは食事をしないのだ。
「あんたって本当に物覚えが悪いのね。私は何も食べなくても問題ないの。強いて言うなら祈りの森に存在していることが私にとっての食事よ。草や木の匂いをたっぷりしみこませた風に当たったり、滝が岩にぶつかる音を聞いたりするのが私にとっての食事。他の生き物みたいに何か食べなくっても問題ないの」
フィルはクルトと出会ってから一度も食事をしていない。森にいればそれだけで栄養が得られるのだという。だからクルトが毎回のように『食事はしなくていいのか?』と訪ねるのは意味が無いし、フィルにしてみれば鬱陶しいくらいだ。
そうは言っても、自分だけが食事をして、それをじっと眺められるのは気持ちが悪い。相手も何か食べていてくれれば間が持つというのに……。
「でも一人っきりで食べるよりは寂しくないか。……お婆ちゃんどうしてるだろう」
エリザベートはできるだけクルトの傍にいてくれた。しかし、用事があって何日か家を空けなければならない事がある時、クルトは決まって家で留守番だった。そう言う時はひどく孤独で、寂しかった。
クルトはそう呟いて空を見上げた。エリザベートはクルトが居なくなったことを知ってどう思っているだろう? 今頃心配しているに違いない。クルトはできるだけ早く宝石を手に入れて帰りたいと願っていた。
「あんたってよくお婆ちゃんのことを話すけど、いったいそのお婆ちゃんって何者なのよ? あんたが持ってる魔道具はそのお婆ちゃんのものなんでしょう?」
「うん、そうだよ。でも……」
クルトはここ一週間エリザベートについて詳しく話していなかった。理由はエリザベートが魔女だと知られたら、フィルも町の人達のようにクルトのことを嫌うようになるかもしれないと思ったからだ。
しかし、このままずっと隠しておくのも気が引ける。それにエリザベートはクルトにとって自慢のお婆ちゃんなのだ。このまま隠しておくのはよくない。
「話してもいいけど……お婆ちゃんのことを話したら、フィルは僕のことを嫌いになるかも……」
「え? 何々? 面白そうな話じゃない! そう言うの私大好きよ!」
フィルが目を輝かせてクルトの顔を覗き込む。フィルにして見れば別にクルトの仲間になったつもりもないので、刺激のありそうな話は大歓迎だ。
しかしそのことを知らないクルトは、フィルの明るい表情が曇らないことを祈りながら話し始める。
「僕のお婆ちゃんはエリザベートって言う名前なんだ。エリザベート・グラウン。性が同じだけど僕とは血がつながって無い。僕は8年前に記憶を失って倒れていたところを拾われたんだ。名前も覚えていない状況だったから、クルトって名前もお婆ちゃんが付けてくれた。僕が持ってる魔道具は全部お婆ちゃんの作品だよ。……お婆ちゃんは魔女なんだ」
言った。クルトはエリザベートのことについてすべて話した。恐る恐るフィルの表情をうかがう。だがフィルは別に驚いた風でもなかった。
「なるほど、あんたのお婆ちゃんは魔女なのね。それで?」
「え、それでって?」
「だから、私があんたを嫌うようになる理由よ。前置きは良いからさっさと話してくれない?」
フィルは相変わらず期待するような表情をしてクルトのことを見ている。だがクルトにこれ以上話す内容は無い。
「えっと……これで全部だけど?」
「全部? ……私もしかしてしばらく寝てた? 肝心なところを聞き逃しちゃったの? あんたが実は記憶喪失で、あんたのお婆ちゃんが魔女だって話しか聞いていないんだけど?」
「だから、それで全部なんだって!」
「……なんだつまらない」
フィルは呆れて木の枝に座りなおした。それは落胆したように見えたが、クルトが恐れていたものとは性質が違う。
「僕のこと嫌いにならないの? お婆ちゃんは魔女なんだよ? 僕は魔女に育てられたんだ」
「だから何よ。そんなの一般市民に育てられたのと、騎士に育てられた程度の違いしかないわ。それの何処であんたを嫌えって言うの?」
「魔女は嫌われ者なんでしょ? お婆ちゃんはずっとそう言って……」
「はぁ?」
フィルはいよいよ呆れた表情になってクルトを見る。
「魔女が嫌われ者? 何言ってるのよ。魔法を使える人間ってかなり貴重なのよ? 嫌ってどうするの。むしろ大切にして抱え込まなくちゃ。何処の国の王だって、魔法を使える者を集めるために四苦八苦してるくらいなんだから」
何か話がおかしくないか? クルトはずっと魔女は嫌われ者で、迫害の対象だと教えられてきた。それなのにフィルが言うには、魔女は貴重な存在で大切にされるって……?
「でも、現に僕は嫌われていたんだ。町の人に冷たく当たられていた。お婆ちゃんは魔女に育てられたからだって言ってたよ?」
「ああ……それは何となくわかるわ……」
フィルは突然深刻そうな顔をして俯く。クルトは急に態度を変えたフィルを見て焦った。何か自分に嫌われる要素があるのだろうか?
「何? どうして僕は嫌われていたの? 何か分かるなら教えて!」
「だって……あんたをからかうのは最高に面白いもの! 鏡があったら見せてやりたいわ! あんたが今どんなに間抜けな顔をしているかを! 町の連中もあんたの間抜け顔が見たくてからかってたんでしょ? あははははは」
そう言ってフィルは大笑いした。
クルトはしばらくどういうことか分からず呆けていたが、自分が今からかわれていただけだと分かると、恥ずかしくなった。
「も、もう! びっくりしたじゃないか! 許さないぞ!」
「キャー!」
クルトが立ち上がってフィルを捕まえようとすると、フィルは手を叩きながら逃げ出す。それは鬼ごっこをしてふざけているようだった。
だが、クルトは明るい表情をしてはいたが、心の中では別のことを考えていた。
(フィル……それは違うよ。町の人達のあれは、からかうような表情じゃ無かったから……)
その心の呟きは、フィルには聞こえない。
* * *
次の日。クルトは日が登ると同時に出発していた。
場所的にはまだ一層目のはず。だからまだ危険は無いが、それでも警戒するに越したことは無い。クルトは周りに気を配りながら慎重に進んで行く。
日が少し傾き始めた頃……。
「つ~か~れ~た~!」
フィルがそう言ってクルトの肩で暴れた。
「我慢してよ、今日はまだ日が出てるじゃないか。この先ずっと雨が降らないとも限らないから、天気が良い間にできるだけ進んでおきたいんだ」
「でも疲れたのー!」
そう言ってフィルはわがままを言う。クルトはなんとかそれをなだめようとする。
「疲れたって言っても、君は僕の肩に座っているだけじゃないか。僕の方がずっと歩きっぱなしで疲れているよ」
「あんたの肩に乗っていると、不規則に揺れて気持ちが悪くなるのよ」
「だったら飛べばいいじゃないか」
「それこそ疲れるじゃない! 言うこと聞かないとこうよ!」
そう言ってフィルはクルトの頬をつねる。その小さな体の何処にそんな力がと言いたくなるくらい強くつねられ、クルトは折れることにした。
「イタタ! 分かったよしょうがないな。できるだけ早く先に進みたいのに……」
「あんたにそれを言う資格があるの? 見たこと無い花や虫を見つけるたびに道草を食うくせに!」
フィルの鋭い指摘は無視をして、クルトは野宿の準備を始めた。確かに一週間歩きっぱなしでクルト自身も疲れている。たまには早めに進むのをやめて、休む必要があるかもしれない。
「それじゃあ僕は食べられそうな物を探してくるよ」
「行ってらっしゃーい!」
そう言ってフィルは手をひらひらと振る。食べ物が必要なのはクルトだけなので、フィルはここで留守番だ。
クルトは野宿をする場所を見失わないように気を付けながら食べ物を探しに出掛けた。
* * *
「あ、フキノトウ発見」
クルトは野宿の場所からあまり離れすぎないように山菜を探していた。さっき大量に木の実が落ちているのを見つけたから、今日はこれくらいで十分だろう。
「――――!」
「ん? 今人の声を聞いた様な……」
クルトがそろそろ戻ろうかと思っていると、どこかから声が聞こえた気がした。そんなに遠くは無い。
クルトは少し迷ってから、その声がした方に行ってみることにした。何も知らない人が森に迷い込んだのだとしたら大変だ。
「確か……こっちの方から……」
「ああ、誰かいるのですね? どうか私を助けてください!」
「誰?」
今度ははっきりと声が聞こえた。だが、クルトが周りを見回しても人影は無い……。
「こっちです! こっち!」
「何処? ……え?」
クルトが声をした方を見ると、そこには人はいなかった。そこには罠にかかった美しい鳥がいた。
鳥の体は全身赤く、羽を広げれば一メートルくらいありそうだ。この鳥が空を飛ぶ姿はさぞかし美しいだろう。
「ようやく見つけてくれましたね! 足に刃が食いこんでとても痛いのです。お願いですから助けてください!」
「と、鳥が喋って……」
クルトは一瞬驚いたが、長く生きた動物は人語を話すようになるものもいるという。祈りの森の奥にはそう言う動物達がたくさんいるともエリザベートから聞いたことがある。この程度で驚いていたらこの先進めない。
「大丈夫?」
クルトは鳥に近づいて、罠を見る。鳥がかかっていた罠はトラバサミだった。表面は錆びついていて、長い間放置されたものであることがうかがえた。猟師がここに仕掛けて忘れてしまったものだろうか?
トラバサミはかなり緩んでおり、クルトには簡単に外すことができた。鳥は罠を外してもらうと、翼をはためかせて喜ぶ。
「ありがとうございます! 木の実を拾うのに夢中で罠があることに気付かなかったのです」
「よかったね。もう罠にかかっちゃダメだよ?」
「はい! ところで、せっかく助けてもらったので、何かお礼がしたいのですが……」
鳥の提案に、クルトは手を振って断る。
「そんな大げさだよ。鳥さんが無事なら僕は別に……」
「クルトぉー? いつまで木の実拾いしてるのよー?」
遠くからフィルの声が聞こえてきた。クルトの帰りが遅いので探しに来たのだろう。心配してというより退屈で……。
「……お連れが居るのですか?」
「うん。名前はフィルって言って、妖精なんだ」
「……妖精?」
鳥は妖精という言葉を聞いて、表情を硬くした。そこにフィルがやってくる。
「毒キノコは見つかった? あら、鳥肉を見つけたのね。不味そうな鳥だこと」
「フィル……そんなことを言ったら失礼……」
「その妖精から離れてください!」
鳥が突然叫んだ。
クルトとフィルはきょとんとしてしまう。
「どうしたの? フィルから離れろって……」
「妖精は危険です! とくに森の中にいる妖精はたちが悪い! 道案内すると言って森の奥へと誘い込むいたずらが大好きな奴らなんですよ!」
鳥は真剣な声でそう訴える。クルトがどう対処すればいいのか分からずにいると、フィルが前に進み出た。
「何? 今日の晩御飯は喋る鳥? 悲鳴を聞きながら食事をするの? クルトって意外といい趣味してるのね」
「黙れ妖精! 図星だからと言ってごまかそうとするな! 今まで何人の人間を森で迷わせて殺したんだ!?」
「喧嘩しないでよ二人とも!」
雰囲気が険悪になってきたことを察して、クルトが止めに入る。
それを見て、フィルはあっさり引き下がったが、鳥の方はまだ納得がいかないようだった。
「その妖精は危険です! 危険なんですよ!」
「落ち着いて。僕はフィルと一週間はこの森を歩いているけど、何も危険な目に会ってないよ? ……よく馬鹿にされてはいるけど」
クルトがいくらなだめても鳥はずっと興奮して危険を訴える。クルトが途方に暮れているとフィルが欠伸をした。
「どうでもいいけど、ここじゃなくてさっきの場所に戻らない? 荷物を放置したままなのはまずいでしょ?」
「え、あ……そうだね」
フィルに指摘されて、クルトはさっきの場所に戻ることにした。
鳥にそのことを告げると、鳥は付いてくると言ってきた。
「私には助けてもらった恩があります。妖精からあなたを守ることが恩返しになるでしょう」
「はは、それじゃあ一緒に来る? えっと……名前はまだ聞いてなかったよね? 僕はクルトって言うんだけど」
「クルトさんですね? 覚えました! 私の名前はトイシェンと言います。よろしくお願いします!」
「……トイシェン……ねぇ」
フィルが小さくそう呟いたが、その声は風にかき消されて誰の耳にも入らなかった。
* * *
今日の夕飯は賑やかだった。クルトとフィルに加えて、トイシェンも加わった。これまで三人以上で食事をしたことの無いクルトにとっては嬉しいことだった。
そして今は、話の流れはクルトが祈りの森に来た理由になっていた。
「なるほど! クルトさんは祈りの森の宝石を求めてやってきたんですね!」
トイシェンはクルトが宝石を求めてやってきたことを聞いて興奮した。
「世界一の馬鹿少年ここにありって感じよね。身の程知らずって言うか……」
フィルがクスクス笑いながらクルトを見る。今でもクルトが祈りの宝石をの話をすると、こうやって馬鹿にしたように笑うのだ。
「何を言うんだ! 素晴らしいじゃないですか。若いうちは色々と挑戦するのはいいことです。その経験は必ず将来生きてくるはずですからね、今のうちに苦労しておかなくてはいけません」
「苦労するにしても、ここに来る必要はないわ。どっかの金持ちの足でも舐める苦労をした方が将来の役に立つんじゃない?」
「この妖精は!」
「わー! 待って待って! 喧嘩しちゃダメだよ!」
クルトはさっきから何度も二人の間には言って喧嘩を止めていた。放っておくと取っ組み合いを始めてしまいそうな雰囲気なのだ。鳥と妖精がどんな取っ組み合いをするか想像がつかないが。
「すみませんクルトさん。この妖精がさっきからクルトさんのことを馬鹿にしすぎるので……」
「馬鹿には馬鹿ってことをちゃんと教えてあげないとかわいそうじゃない」
「フィルも! トイシェンが怒るって分かっててそう言うことを言っちゃダメだよ!」
クルトに叱られて、フィルは肩をすくめてそっぽを向いた。その表情は相変わらずニヤニヤと笑っている。
「ところでクルトさん。祈りの森の方向は分かっているんですか? この広い森の中をやみくもに歩くのは危険ですよ?」
トイシェンがもっともな意見を言う。
「それなら大丈夫だよ。このコンパスは魔道具なんだ。僕の求めるものの方角を教えてくれる。だからこのコンパスに従って歩いていれば宝石までたどり着けるんだ」
「なるほど! そんなすごい道具を持っているとは、さすがクルトさんですね」
「道具を持っていることの何が偉いのよ。その道具を赤ちゃんが持ってたらその赤ちゃんは偉いの? これだから鳥頭は……」
フィルはまたトイシェンを馬鹿にする。
「鳥頭だって? 頭の大きさから言って、お前だって脳みそはそんなに変わらないじゃないか! そのほとんどを人のことを馬鹿にする言葉で埋め尽くしているんだから呆れてしまう」
「あら? 鳥頭にしては理解力があるじゃない。私は他人を馬鹿にするのが生きがいなのよ。それに気付けたご褒美に、お風呂に入れてあげるわ。その鍋の中に飛び込みなさい。クルトの腹も膨れて一石二鳥だわ」
「この糞妖精!」
「だから喧嘩しないでってば!」
こうして賑やかな食事の時間は過ぎて行った。
食事を終えると、すぐに寝る準備をする。焚火をずっと付けていると、動物達は離れて行くだろうが、悪魔は引き寄せてしまう。早めに消して隠れるように寝なければならない。
「おやすみ、みんな」
「はい、おやすみなさいクルトさん」
「今夜はいい悪夢が見れるわよ」
それぞれ挨拶して横になる。フィルも普通に寝るのだそうだ。
クルトは仲間が増えて行くのを嬉しく思いながら眠りについた。
* * *
「クルトさん……クルトさん……」
完全に眠りについていた真夜中、クルトはトイシェンに起こされた。
「どうしたのトイシェン? まだ暗いけど……」
「静かに! 逃げましょうクルトさん」
「え、逃げる? 悪魔か何かが近づいてきているのかい?」
そう言ってクルトは周りの気配を探る。
しかし、トイシェンは首を振る。
「違います。あの妖精から逃げるのです!」
「え、フィルから?」
クルトは木の枝で眠っているフィルを見た。別に変った様子は無い。小さな寝息を立てているだけだ。
「あの妖精は危険なんですよクルトさん!」
「さっきも言っていたけど、どういう意味なの? フィルとは一週間一緒にいるけど別に危険なことなんて何もなかったよ?」
「油断してはいけません! 案内すると言って誘い出されたことはありませんか? こいつらは迷いの森の入口を知っているんです。そこに人間を迷いこませて喜ぶ危険な存在なんですよ!」
「そんなまさか……あ……」
クルトはそこで思い出した。フィルは初めて会った時、宝石への近道を知っていると言って、案内をしようとしなかったか? でも結局近道に案内するのはやめたと言っていたし、今だって自分はコンパスに従って宝石に向かっている。フィルが悪い妖精のはずが……。
「信じられないのも分かります。あの妖精はうまくクルトさんに取り入っているようですから……。でも私にはわかります。あの妖精は危険な存在なんです。クルトさんも聞いたでしょ? さっきの私達のやり取りを! 口を開けば悪口ばかり、私を鍋に入れるだの、焼き鳥になった方がクルトさんの役に立つだのとそんなことばかり!」
「それはフィルも悪いと思うよ。気に障ったなら明日フィルに言って聞かせるから……」
「そう言うことではありません! あの妖精は危険だと言いたいんです。クルトさんはあの妖精の目を見て何とも思わないのですか? あの妖精には残酷趣味があります。他人が苦しんでいるのを見るのが楽しいっていう目です。下劣で残酷で醜い! それがあの妖精の本性なんですよ!」
「そ、そこまで言わなくたっていいじゃないか」
フィルのことを馬鹿にされて、少しクルトは気分を悪くする。だが、トイシェンはそれを憐れむように見る。
「ああ、これはかなり深く騙されていますね。良いんです。妖精はそう言う生き物なのですから、あなたが騙されるのも無理はありません」
「ちょっと待ってよ! だからフィルと一緒に居ても危険な目にはあってないんだってば! それに、もしフィルが迷いの森に連れて行こうとしているのだとしても、今はコンパスに従って歩いているんだよ? 迷うはずが無いじゃないか」
「そのコンパスが狂っているとしたら?」
「え……」
あたりに冷たい風吹いた。
「コンパスが狂っているなんて、そんなはずは……」
「妖精は微量な魔力を持っています。そのコンパスに魔力を送り込んで狂わせる。その程度の力なら妖精にもあります。コンパスは今どの方向を指していますか?」
言われてクルトはコンパスを取り出す。
「……あっちだけど」
「……残念です。そっちは宝石のある方角ではありません」
トイシェンは気まずそうにそう言った。
「そんな……」
「今クルトさんはショックを受けていると思いますが、今はそんなときではありません。とりあえず逃げ出し、あの妖精を撒いてから思い切り泣きましょう。あの妖精から離れればコンパスも治るはずですし、もしよろしかったら私が宝石の場所まで案内します」
そう言って鳥は優しくクルトの顔をつついてくれた。甘噛みのつもりなのだろう。
「……うん」
クルトは少しの沈黙の後、頷いた。
* * *
「さあこっちです! 急いで!」
トイシェンが先導して森の中を飛ぶ。クルトはその後ろをのろのろと付いて行った。
「フィルが僕を騙していたなんて……」
クルトはフィルに裏切られたことがショックだった。初めて仲良く話せる仲間ができたと思ったのに……。
「仲良くでもないか、ずっと馬鹿にされてた感じだったし……」
『あ、そこ落とし穴があるから気を付けて』
フィルに言われてクルトは足元を見る。
『こんな森の中にも落とし穴があるの?』
『ある訳ないじゃない。あんた本物の馬鹿よねー』
そう言ってフィルは笑う。クルトはまた騙されたのだと気付いて顔を膨らませた。
『もう! 何でフィルはそうやって僕のことを騙すの?』
『あんたが引っ掛かるからよ。引っかかってくれないなら騙したりしないわ。つまらないから』
フィルはさらりと答える。まったく悪びれた様子が無いので、クルトは怒る気にもなれなかった。
『だいたいあんたは他人の言葉を信用し過ぎなのよ。少しは疑ったら?』
『でも、他人の言うことを信じないなんて冷たくない?』
『あんた食い物にされるタイプね……。良い? クルト。あんたは森で死ぬでしょうけど、もし数%の確率で森から出られたときのために覚えておきなさい。この世は善人だけじゃないの。私みたいな意地悪な奴もいれば、人を騙すのが生き甲斐の奴だっている。そのことを頭に入れていないと、困るのは自分よ? まず疑うこと。自分の意見を持つの。他人の意見に流されっぱなしじゃ自分を見失うわよ?』
クルトはフィルとの会話を思い出し、そして違和感を覚えた。
これから騙そうとする人間に対して、まず疑うことを覚えろなんて言うだろうか? むしろ積極的に他人を真実べきだと助言した方がやりやすいのでは?
クルトは何気なくコンパスを見た。コンパスはさっきと同じ方向を指している。もうフィルとはかなり離れている。コンパスが元通りにならないのはおかしくは無いか?
「どうしたんですか、クルトさん?」
クルトはいつの間にか立ち止っていたらしい。トイシェンが声をかけてくる。
「……トイシェン。僕やっぱりフィルのところに帰るよ」
「ええ、今更何を言っているんです!」
トイシェンが大声をあげて驚く。それに構わずクルトは続けた。
「僕はフィルが悪い妖精には思えない。それに、今までフィルが居なかったら僕はさみしくて泣いていたと思うんだ。フィルが一緒にいてくれたから僕は笑えた」
「それが妖精の作戦です! 騙されてはいけない!」
「もしフィルが悪い妖精で、結果騙されたとしても仕方ないよ。フィルはまず疑えっていったけど、僕にはできない。良い人と確信できなければ信じないなんて生き方は、とても悲しいと思うから」
「クルト……さん?」
「ごめん!」
クルトは一度頭を下げて、さっき歩いてきた方角へ走りだした。トイシェンの顔を見るのが辛かったから。
ここまでは慎重に移動してきたから、走って戻ればそんなに時間はかからないだろう。だが、いくら走ってもさっきのところには戻れなかった。
「おかしいな……」
クルトは立ち止る。さっきの場所に戻れないのがおかしいというのではない。もちろんそれもあるが、なぜかずっと同じ風景が続いているように見える。
「クルトさん。どうかしたんですか?」
後ろからトイシェンが話しかけてきた。追いかけてきたのだろうか?
「トイシェン。追いかけてきてくれたの?」
「いいえ? 私はずっとここから動いていませんよ?」
「え?」
クルトが後ろを振り向くと、トイシェンは木の枝に止まっていた。気のせいだろうか? その木の枝はさっきトイシェンと別れた場所にもあった気が……。
「ここから動いていないって言ったの? でも僕はさっきからかなり走って……」
「ええ、同じところをグルグルと回っているんですよ。私の張った罠にうまくかかってくれました」
クルトにはトイシェンがにやりと笑ったように見えた。
「トイ……シェン……? 君何を言って……」
「フ……フフ……フハハハハ!」
トイシェンの美しいからだが急に溶けだして、毒々しい色に変わって行く。そして翼だった所には腕が生え、小さかった足は伸びて、頭は膨らみ角が生え始めた。
「トイシェン……君はまさか……」
「ようクソガキ。悪魔を見るのは初めてか?」
醜い色をした悪魔がそこにいた。
* * *
「面白くなってきたわ」
フィルはクルトとトイシェンが見下ろせる高い木の枝に座っていた。フィルはさっきクルトとトイシェンが話しているのを全部聞いていたのだ。ようやく動いたかと思って狸寝入りをしていたが、二人がこそこそ出て行ったのをこっそり後ろから付けていた。
「トイシェン……このあたりじゃ有名な下級悪魔の名前じゃない。罠を張り、そこに人間を誘いこんで人肉を食べる悪魔」
この悪魔の罠に入ってしまうと、悪魔を倒すまで一定の場所から出られなくなる。悪魔自体は戦うのが得意なわけではない。だから、動物や物に化けてじわじわとなぶり殺しにするのだが、クルトが子供だから油断しているのだろう。悪魔はその姿を現していた。
「お手並み拝見よクルト。その下級悪魔が倒せないようなら、どの道宝石にたどり着くなんて夢のまた夢……」
フィルは手を貸すつもりは一切ない。手に入れたおもちゃがどれだけ楽しませてくれるか、そのおもちゃの持ち主としてそれをじっくり鑑賞するつもりだった。
* * *
「あの妖精も言ってたけどよぉ! お前は真性のアホだよなぁ? ころっと騙されちまうんだから!」
「………」
クルトは沈黙している。
「しかし冷や冷やしたぜ。後数歩遅かったら罠にかけそこなうところだったんだからな。お前みたいなガキなら、罠を張らなくても殺せるんだが、俺にも美学ってもんがあるからなぁ!」
「嘘だったの……?」
クルトは静かに呟いた。
「ああ? 嘘に決まってるじゃねえか! 誰がお前を宝石の場所まで案内するかって……」
「そうじゃない! フィルのことだ!」
「フィルゥ~?」
トイシェンは長い指を頭に当てて考える仕草をする。
「ああ、あの糞妖精か。あの妖精なんてどうでもいいだろうが。それより自分の心配をしたらどうなんだ?」
「どうでもよくない! フィルについての話がでたらめなら、僕は理由なくフィルを傷つけてしまうところだったんだ!」
「ハハハハハ! 妖精が傷つく? あんなちび妖精が傷ついたってどうでもいいだろ? 踏みつければ潰れちまうような下等種族じゃねーか。そのくせ無駄に偉そうにしてんだから救いようがねーよ。ゴミカスが傷ついたところで……は?」
トイシェンは目の前に拳が迫っているのを見た。何の反応もする暇が無くそれはトイシェンの顔に命中する。
「ぐわぁ! て、てめえ……何しやがるんだクソガキ!」
「謝れ……」
「何?」
「フィルに謝れ!」
そう言ってクルトは再びトイシェンに殴りかかった。
トイシェンは油断していなかった。それなのにクルトの拳を避けられずにもろに食らってしまう。
「うぶ! ちょ、ちょっとま……ぶわ!」
二発三発とトイシェンの体にパンチが入る。そのどれもが鋭く重い。悪魔は反撃する間もなく体力を奪われて行く。
「謝れ謝れ謝れ謝れ! フィルに謝れ! フィルは僕の初めての友達なんだ!」
クルトは泣いていた。自分の初めての友達を悪く言われたことと、自分がそんな友達を一時的にでも裏切ってしまったことをによって……。
* * *
「やっぱり子供ね。まるで駄々っ子だわ」
フィルは悪魔が一方的に殴られる展開に少し驚きながら、そう呟いた。
「でもただの子供じゃない……か」
クルトの攻撃は素人のものではない。訓練された格闘家のように見えた。相手の急所を確実に殴り、相手が逃げようとする方向に自然と拳が出ている。あれでは相手は逃げられないだろう。フィルはクルトについての認識を少し改めなければならないようだった。
「初めての友達……あいつ本当にはぶられてたのか……」
フィルはそう呟いて成り行きを見守る。
* * *
「うぐッ! ……調子に乗るんじゃねー!」
トイシェンがクルトの腹を蹴り飛ばした。クルトは少しよろめいて後ろに下がる。そして顔をあげると、トイシェンが居たはずの場所にはなにも居なくなっていた。
『油断していたぜクソガキ! ここから本気だ!』
トイシェンは擬態の力を使ったのだ。木や動物に化けてクルトのことを狙っている。
『どうだ? 俺が何処にいるか分からないだろ? お前は散々俺のことを殴ってくれたからな。楽に死ねると思うんじゃねーぜ? ひゃははははは!』
あたりに悪魔の下品な笑い声が響く。
クルトは慌てることなく、腰につけていた剣を鞘から抜いて構える。
『立派な得物だな? だが、どれが俺か分からないだろ? やみくもに振り回してみるか? 体力が無くなった後でゆっくり食ってやるぜぇえ!』
「君が何処にいるかなんて、お見通しだよ」
クルトはそう言うと剣を思いっきり投げた。その剣はある岩に目ん中して突き刺さる。
『ぎゃあぁぁああああ!』
笑い声の次の響いたのは悲鳴だった。トイシェンは擬態をといてその姿を現す。トイシェン腹には剣が突き刺さっていた。
「な……なぜ俺が岩に化けていると……?」
「ただでさえさっきまで無かった岩ができて不自然なのに、その岩から大声が響いてくるんだ。分からないはずが無いでしょ?」
「ぐ……馬鹿……な」
そう言って悪魔は死に、悪魔の体は蒸発して消えた。
「お見事ねクルト! ……と、言いたいところだけど……あの悪魔が間抜けすぎたわね。本物の馬鹿は悪魔の方、さすが低級」
勝負がつくと、フィルが上から下りてきた。
「……見てたの?」
「ええ、一部始終をね。少し驚いたわ。あなた少しは戦えるのね、その腰についてる剣は飾りだと思ってたのに」
「お婆ちゃんが……自分が死んだ後、魔物退治でお金が稼げるようにって鍛えてくれたんだ」
「なるほど、あんたにとっては最高のお婆ちゃんなわけだわ。とにかくこれで……って、何やってるの?」
クルトは膝をつき、両手と頭を地面につけて土下座していた。
「ごめん!」
「は、はぁ? 何で謝ってるの?」
「僕は一度フィルのことを疑っちゃったんだ! フィルが悪い妖精で、もしかしたら僕を迷わせようとしてたんじゃないかって疑っちゃった! フィルは……僕の友達なのにッ!」
「あんた……泣いてるの?」
クルトの声は震え、嗚咽が漏れていた。
フィルには理解できないだろう。クルトは今までエリザベート以外の者に親しくしてもらったことはもちろん、まともに会話してもらったことすらない。
だがら、たとえからかわれる様な内容だったとしても、まともに話してくれるフィルは、クルトにとっては友達のようなもの。クルトはそれを裏切ったように感じているのだ。
しかし、実はフィルは本当にクルトを迷わせようとしていた。今はしていないが、それが現実。だからクルトがそれを指してフィルを非難するのは正当だし、こうやって土下座して謝る必要なんて全くない。
フィルは困惑していた。いつも明るく笑っているクルトが、涙を流しながら自分に謝っている。罵りならされたことはある。お礼だって、気まぐれに人間に助言した時のもらったことがある。だが、土下座して謝られるのは初めての経験だった。
「は……はははは! 何? その無様な格好は! あんたもしかして私のこと笑い殺そうとしてる? その無様な格好に免じて許してあげるわ!」
「あ、ありがとうフィル! また僕と一緒にいてくれる?」
「言われなくても付いて行くわ。あんたは見てて飽きないもの。あー、たくさん笑ったら疲れてしまったわ。さっさとさっきの場所に戻って寝直しましょう」
あたりは暗く、フィルが困惑の表情を浮かべているのは、クルトには見えなかった。




