第七話【実技】
朝の鐘が、寮舎の窓辺で柔らかく鳴った。
リオンは目を開いた。
天井の木目を、しばらく眺める。
(……ここは、グラディウス家の部屋ではない)
数秒で思い出した。
セルヴァティオ王立魔法学院、新入生の寮。
今日から、この学院での日々が始まる。
ゆっくりと身体を起こした。
窓を開ければ、王都の朝の音が流れ込んでくる。
馬車の蹄、商人たちの呼び声、どこか遠くで鳴る教会の鐘。
地球とは違う音。
しかし不思議と、落ち着ける響きだった。
(……新しい朝か)
僅かに口元を緩めた。
地球でも毎朝同じように夜明けを迎えていた。
しかし今、見たこともない世界の朝の光を浴びている。
──悪くない。
* * *
身支度を整え、廊下に出る。
「お、新入生か?」
廊下の角を曲がったところで声をかけられた。
振り返ると肩幅の広い少年が立っていた。
茶色の髪、人懐っこい笑み。
「俺はカイト・ヴェルマン。同じ寮の二階だ」
「……リオン・グラディウスです」
「おっ、グラディウス家か。たしか剣術名家だったな。」
カイトの眉が持ち上がった。
「……今は、名家という程ではありませんが……」
「謙遜しなくていいさ。家門の格なんて学院じゃ関係ない」
カイトはリオンの肩を軽く叩いた。
「お前、属性は?」
「……強化系です」
カイトが首を傾げた。
「ふぅん。珍しいな」
それだけだった。
侮蔑も好奇心の押し売りもない。
ただ「そういう奴もいるのか」という程度の反応。
リオンは少し気が楽になった。
「カイト殿は」
「カイトでいいって。同期だろ」
「……カイト」
「水属性、Lv.4。宜しくな。」
カイトが笑った。
リオンも、ほんの僅かに口元を緩めた。
──こういう人間も、いるのか。
孤独に道を歩いてきた男には新鮮な感覚だった。
「あ、そうだ。お前、今日の予定は分かってるか?」
「いえ」
「まずは集会所で学院長の挨拶。その後、各自の入学手続き。午後に実技試験」
「……教えていただけて、助かります」
「だから、敬語はやめろって」
カイトは肩を竦め、リオンの背を軽く押した。
「行こうぜ。一緒に集会所まで」
* * *
学院の中央にある集会所。
新入生たちが、ぞろぞろと集まっていた。
総勢、五十人ほど。
ヴァルディア王国全土から選び抜かれた、魔法使いの卵たち。
「うわ、すごい人数だな」
カイトが小声で呟いた。
「お前、緊張してないのか?」
「……ええ」
「肝が据わってるな」
リオンは新入生たちを静かに観察していた。
緊張している者、見栄を張っている者、家門の徽章を誇らしげに胸につけている者。
地球の道場と、本質はそう変わらない。
ふと、壇上に、白い髭の老人が立った。
「諸君、本日より君たちを新入生として歓迎する」
老人の声は、低く、しかし芯のある響きだった。
カイトが、リオンに耳打ちした。
「あれが学院長。シュタイナー師って言うんだ」
「……」
「セルヴァティオ王立魔法学院は、ヴァルディア王国の魔導士育成の最高機関である」
学院長は続けた。
「諸君らの才は将来、国の柱となります。学び、競い、そして共に成長してください。」
短い、しかし重みのある挨拶だった。
新入生たちが、深く頭を下げた。
「本日午後、新入生実技試験を行う」
ざわめきが、新入生たちの間に広がった。
「いきなりかよ……」
「今日中に試験って、心の準備が」
「諸君の属性魔法を披露し、教官の評価を受ける」
学院長の声は揺るがなかった。
「これは、組分けと初年度の指導方針に反映される」
「諸君の、最初の試験である」
学院長が、静かに壇を降りた。
カイトが、リオンに肩を寄せた。
「お前、本当に緊張してないようだな」
「……緊張しても結果は変わりません」
「……ほんとお前変わってるな」
カイトが苦笑した。
* * *
挨拶の後、入学手続きが始まった。
新入生たちが長机に並んだ書類に署名していく。
リオンも順番を待った。
「次、グラディウス家のリオン殿」
老臣が書類を差し出した。
リオンは静かに署名した。
リオン・グラディウス──と。
地球時代の名ではない、もう一つの自分の名前。
その文字を書く度に、不思議な感覚が胸を満たした。
(……これも、俺の名だ)
末弟の記憶と、地球の魂と、今この瞬間のリオン。
すべてが、一つの名の中に、収まっていた。
手続きが終わり、新入生たちが集会所の外へ流れていった。
中庭の方では、すでに実技試験の準備が進められている。
「リオン!」
明るい声が人垣の向こうから飛んできた。
振り返ると、リズが手を振りながら駆け寄ってくる。
その周りには数人の少女たちが取り巻いていた。
「リオン、無事に手続き済んだ?」
「ええ、おかげさまで」
「もう、敬語!」
「すみません」
「ふふ、リオンって、それが癖なのね」
リズが、くすっと笑った。
途端に、周りの少女たちが目を見開いた。
「……あの黒髪の少年はリス様のお知り合い?」
「アスカルディア公爵令嬢が声を……?」
「あの少年は何者なの?」
ささやきが、波のように広がる。
リオンは軽く溜息をついた。
(……これは目立ってしまうな)
カイトが後ろからリオンの肩を叩いた。
「お前、リズ様と知り合いだったのか」
「……知り合いというほどではありませんが街道でお会いしました」
「ふぅん、街道で公爵令嬢と知り合いになる新入生か」
カイトが、頭を振りながら笑った。
「お前、ますます面白いやつだな」
リズが、カイトに向き直った。
「あなた、リオンのお友達?」
「カイト・ヴェルマンです。よろしく、お嬢様」
「リズって呼んで。お嬢様じゃないわ、今は」
「了解です、リズ嬢」
リズが嬉しそうに笑った。
「リオン、いいお友達ができたのね」
「……ええ」
ふと、人垣の中央がざわめいた。
リオンの視線が自然とそちらに向いた。
長身、金髪。整った顔立ちに傲慢さを隠さない眼。
その隣にもう一人。対照的に黒髪の青年。
二人は新入生の中で一際目立っていた。
「あれは?」
リオンがカイトに小声で尋ねた。
「あ、知らないのか」
カイトが声を潜めた。
「金髪の方がマルキス・ヴェスタリア。勇者の弟だ」
「……勇者の」
「ヴァルディア王国の勇者、アルフレッド・ヴェスタリア。その実弟」
リオンは、二人をしばらく観察した。
末弟の記憶を遡っても彼らの顔は知らなかった。
しかし「ヴェスタリア家」「モンフォール家」の名は、聞いたことがあった。
「もう一人は」
「ガレス・モンフォール。モンフォール家の嫡子で、勇者派の若い世代の代表格だ」
「……勇者派」
「ああ。あの二人には近づかない方がいい」
カイトが忠告するように呟いた。
「家柄も実力もあるが性格は、なかなかにアレだ」
「……気を付けます」
「だから、敬語はやめろって」
カイトが苦笑した。
リオンは視線を戻した。
(……勇者派、か)
しかし、その情報を知ったところでリオンの動きは変わらない。
求道者にとって相手の家柄など、戦いの場では些末なものだった。
中庭の中央に、一段高い壇が設けられた。
学院長の声が中庭に響いた。
「これより、新入生の実技試験を行う」
「順に進み出よ。各人、属性魔法を披露し教官の評価を受ける」
新入生たちが緊張で身を硬くした。
リオンは変わらず自然体で立っていた。
抽選で決まった順番は、後ろから数えた方が早かった。
ゆっくり観察できる位置。
ありがたい位置取りだった。
一人目の少年が壇上に進み出た。
火属性。剣に炎を纏わせる。
「《フレイムソード》!」
赤い炎が壇の標的を焼き焦がした。
「合格。火属性、Lv.3」
教官が淡々と告げる。
次々と、新入生たちが試験を受けていく。
水属性の少女、土属性の少年、風属性の少女。
「合格。Lv.2」
「合格。Lv.3」
「……不合格」
時折、緊張で詠唱を失敗する者もいた。
「すみません、もう一度──」
「機会は一度だ。次」
教官の声は容赦なかった。
ヴァルディア王国最高峰の魔法学院。
その厳しさが一瞬で見えた。
リオンはすべてを観察していた。
(……この世界の魔法は本当によく出来ている)
魔法陣の構成、詠唱の音、属性の発露。
それぞれが緻密な体系の上に成り立っている。
しかし──
(型の動きに合わせることが遥かに効率的だ)
リオンの内で結論は変わらなかった。
「次──ガレス・モンフォール」
ガレスが、悠然と壇に進み出た。
「《エアロブラスト》──!」
巨大な風の塊が標的を粉砕した。
観衆から感嘆の声が上がる。
「合格。風属性、Lv.6」
新入生としては破格の数値だった。
ガレスが満足げに壇を降りる。
その背後で、マルキス・ヴェスタリアが薄く微笑んでいた。
リオンは、二人を静かに観察していた。
ガレスの魔法は確かに威力がある。
しかし、動作に無駄が多い。
魔力の発露も刃の振り方も、どこか型に縛られている。
(……まだ、伸びしろがある)
リオンが小さく呟いた。
カイトが横で目を見開いた。
「ん?……何か言ったか?」
「いえ」
リオンは首を振った。
その視線はもうガレスを離れていた。
「次──リオン・グラディウス」
リオンはゆっくりと壇に向かった。
「あれが、グラディウス家の代表か」
「長男のヴィクトルではないようだな。」
ささやきが周囲を取り巻く。
リオンはそれらを聞き流した。
壇上に立ち、教官の前に向き合う。
「属性は」
「強化系です」
「……強化系だけか?」
「はい……」
教官の眼が、わずかに細まる。
「無理せず、できる範囲で構わぬ」
その声には、明らかな侮蔑が滲んでいた。
リオンは軽く頷いた。
そして家門の剣を、ゆっくり抜いた。
──父オーガストから贈られた、家門の歴代当主の剣。
ナイアと打ち合った、わずかな刃こぼれが、まだ残っている。
しかしリオンの手に握られた瞬間──
刃は金色の輝きを纏った。
「《武具強化》──」
呟いた瞬間、輝きが層を成して何重にも重なる。
そして、ただ剣を軽く振り下ろした。
ゴオッ。
風が唸る音を立てた。
刃の通った軌跡から、衝撃波が走り抜ける。
五十メートル先の頑丈な石柱が──縦に真っ二つに、斬り割られていた。
ドンッ。
二つに分かれた石柱が地に倒れる。
中庭全体が静まり返った。
「……は」
ガレスが、息を呑んだ。
「いま、何が起きた……?」
「強化系の魔力だけであの距離の標的を……」
「あれは衝撃波だぞ。剣すら触れていない」
新入生たちがざわめき出した。
リオンは剣を鞘に納めた。
そして淡々と、教官に向き直る。
「以上です」
教官の手が、僅かに震えていた。
「こっ……これは強化系だけ……か?」
「ええ」
教官はしばらく言葉を失っていた。
そして、ようやく絞り出した。
「リオン・グラディウス──強化系……Lv4」
教官の額に薄く汗が浮いていた。
リオンは軽く頭を下げ、壇を降りた。
中庭全体が、リオンの背中をまだ見つめていた。
リオンは無言で自分の列に戻った。
リズの方をちらりと見る。
リズは目を輝かせていた。
その瞳に、誇らしげな色が宿っている。
「リオン、すごい……!」
リズが小さく呟いた。
リオンはほんの僅かに、口元を緩めた。
しかし内側では、別の思考が走っていた。
(……ナイア)
森の街道で切りあったた魔人。
しかし、この程度の威力ではまだ足りない。
ナイアの黒い短刀の重さは、まだ腕に残っている。
魔王軍序列六位。その上にはさらに五人。
そして、伝説の魔王。
(……強くならなければ)
──今のままでは「届かない強さ」。
リオンの中で熱い感情が胸の奥で燃えていた。
* * *
実技試験がすべて終わった。
新入生たちが寮舎へと戻っていく。
リオンもその流れに身を任せていた。
その時。
「リオン・グラディウス」
低い声が横から呼びかけた。
リオンが振り返ると、黒髪の青年が立っていた。
ガレス・モンフォール。
リオンは何も言わずに彼を見返した。
「貴様の魔法、面白かった」
ガレスの声には、もはや、侮蔑はなかった。
代わりに、剥き出しの──戸惑い、警戒、そして、こだわり。
「俺の魔法と貴様の魔法──いずれ、どちらが上か、決着をつけよう」
「……ええ」
リオンは、軽く頷いた。
「お望みなら」
ガレスは、リオンを少し見つめてから、踵を返した。
その背後でマルキス・ヴェスタリアが、薄く笑っていた。
リオンと、目が合う。
しかし、マルキスは何も告げなかった。
ただ、リオンを見つめていた。
その視線には嫌悪、敵対そんな感情が宿っている様だった。
二人はすぐに人混みの中に消えていった。
カイトがふぅと息を吐いた。
「お前、勇者派ににらまれたな」
「……そうですか」
「俺だったら、心臓が止まる」
「……すみません、止まらなくて」
カイトが、ぷっと吹き出した。
「お前、最高だな」
リオンもほんの僅かに口元を緩めた。
「リオン!」
リズが駆け寄ってきた。
「ねえ、さっきの、本当にすごかった」
「……ありがとうございます」
「ふふ、また敬語」
「長年の癖です」
「ねえ、明日は座学の初日でしょ。一緒に行かない?」
「……ええ、それは構いませんが」
「やった!」
リズが、ぱっと顔を輝かせた。
「明日、寮舎の前で待ち合わせね」
「分かりました」
リズが嬉しそうに手を振って、自分の友人たちの方へ駆けていった。
リオンはその背中をしばらく見送った。
──変わったお嬢さんだ。
しかし、その「変わった」が、いつの間にか心地よくなっている。
寮舎への帰り道。
カイトがふと立ち止まった。
「リオン」
「はい」
「お前、ヴェスタリアの兄のこと、本当に知らないのか」
「……ええ」
「勇者だ。ヴァルディア王国の勇者、アルフレッド・ヴェスタリア」
「……」
「あの弟──マルキスは自分の兄を絶対視している」
「……」
「お前、注意しろよ」
「……忠告、感謝します」
「だから、敬語はやめろって」
カイトがふっと笑った。
リオンもほんの僅かに頷いた。
夕暮れの王都に薄い雲が流れていく。
明日からは座学が始まる。
学院での日々がようやく、動き出そうとしていた。
リオンの胸の奥には、まだ、ナイアの残像が宿っていた。
そして今──新たな対立軸が確かに芽生えている。
しかし、リオンはまだ気にしていなかった。
ただ、家門の剣の柄をそっと撫でた。




