第3話 借金取りの噂と、ちょっとした奇跡
王都アルティシアの冒険者ギルドは、朝からすでに騒がしかった。
依頼の掲示板の前で冒険者たちが群がり、受付カウンターでは昨夜の酔っ払いがまだ寝転がっている。ミリアは昨日の報酬でようやく宿代を払い終え、ようやく人心地ついた顔で木製の椅子に腰を下ろしていた。
水色の神衣は昨日の湖で濡れたまま乾かしたため、少しシワが寄っている。それでも彼女の金髪と青い瞳は、ギルド内の薄暗い光の中で妙に目立っていた。
「ふう……やっと一息つけたわ」
レックスが隣に座り、温いハーブティーを二つ買ってきて渡した。
「昨日の湖の件、村人から追加で十ゴールド入ったらしい。合計五十ゴールドだ。少し余裕ができたな」
「本当!? やった!」
ミリアの顔がぱっと明るくなった。が、すぐに眉を寄せる。
「……でも、まだ宿代と食事代でほとんど消えるのよね。女神なのに、なんでこんなに貧乏なのよ」
シエルが向かいの席でノートに何かを書きながら笑った。
「神力の代わりに金が欲しいなら、教会に就職したら? 『水の女神ミリア様』として祭られれば、寄付が集まるかもよ」
「冗談じゃないわ。あの堅苦しい教会なんて、行っただけで息が詰まるもの」
ガンツが大ジョッキを片手に近づいてきて、どっかりと腰を下ろした。朝からすでにビールである。
「姉ちゃん、今日も依頼やるぜ。金がないと酒が飲めねえ」
「あなたはただ酒が飲みたいだけでしょう!」
四人がいつものように軽口を叩いていると、ギルドの奥から少し年配の男が近づいてきた。禿げ上がった頭に、派手な金のネックレス。どう見ても借金取りの用心棒風の男だ。
「おう、そこの金髪ちゃん。昨日の湖の浄化、てめえらか?」
ミリアが警戒しながら頷くと、男はにやりと笑った。
「実はな、うちのボスがちょっと困ってんだ。『黒鉄の坑道』って廃鉱山があるんだが、そこから出る汚れた水が街の地下水脈に流れ込んでてよ。飲むと腹壊す奴が続出してんだ。浄化してくれりゃ、報酬は百ゴールド出すぜ」
レックスが即座に反応した。
「黒鉄の坑道……? あそこはゴブリンと毒スライムが湧いてる危険区域だぞ。報酬が百ゴールドなら妥当だが……」
シエルが地図を広げて確認する。
「坑道の最深部に大きな地下湖があるらしいわ。そこで一気に浄化できれば効果的ね。でも、魔物が多い……」
ミリアは少し迷ったが、百ゴールドという数字に目がくらんだ。
「やるわ。女神の力を見せてあげる」
ガンツが斧を肩に担いだ。
「よっしゃ! 久々の本格ダンジョンだぜ!」
こうして、四人は再びパーティーとして動き出した。
────
黒鉄の坑道は、王都から西へ馬車で一時間ほどの丘陵地帯にあった。
入口は崩れかけた木の支柱が残り、湿った冷たい空気が漂っている。松明を灯し、慎重に進む。
最初の遭遇はすぐだった。
「ぎゃっ! ゴブリンだ!」
五匹のゴブリンが武器を振り回して襲いかかってきた。レックスが剣を抜き、素早い動きで二匹を斬り倒す。ガンツの斧が残りを粉砕。シエルが炎の魔法で後続を焼き払った。
ミリアは後ろで手を翳し、小さな水の盾を作って矢を防いだ。
「ほら、私も戦ってるのよ!」
実際にはほとんど攻撃に参加できず、防御に回っていたが、本人はかなり満足げだった。
坑道を三十分ほど進むと、壁から毒々しい緑色のスライムが大量に湧き出てきた。触れると皮膚が溶けるタイプだ。
「うわっ、気持ち悪い!」
ミリアが後ずさりした瞬間、足を滑らせて尻餅をついた。スライムが一匹、彼女に向かって飛びかかる。
「きゃあっ!」
その瞬間、彼女の体から淡い水色の光が爆発的に広がった。
スライムが触れた途端、ジュウッという音を立てて蒸発していく。周辺の毒スライムも次々と溶け、消えていった。
レックスが驚いた顔で振り返った。
「……今のは?」
「わ、私の浄化神力よ! 毒も汚れも分解するの!」
実際は、恐怖で神力が暴走しただけだったが、結果オーライである。
シエルが目を細めてミリアの周囲の魔力を観測した。
「興味深い……。感情の高ぶりで出力が跳ね上がるタイプね。データ取らせて」
「取らないでよ!」
ガンツが大笑いしながら進む。
「姉ちゃん、怖がってる方が強いんじゃねえか!」
さらに奥へ進むにつれ、坑道の空気が重くなっていった。最深部の地下湖に着いた頃には、四人とも汗だくだった。
湖は真っ黒に濁り、表面に泡が浮き、異臭が漂っている。明らかに魔物の死骸や鉱毒が溜まっていた。
ミリアは湖のほとりに立ち、深呼吸した。
「今度こそ……失敗しないわ」
両手を大きく広げ、神力を集中させる。神衣が光り、金髪がふわりと浮かび上がる。青い瞳が真剣な輝きを帯びた。
「浄化……!」
光の波が湖に広がっていく。
最初はゆっくりだった。黒い水が少しずつ透明になり、底の岩がぼんやり見え始めた。しかし、神力の消費が激しく、ミリアの額に汗が浮かぶ。
「う……ちょっと、きつい……」
その時、湖の奥から巨大な影が浮上した。毒を浴びて変異した大スライム──キングスライムだ。体長三メートルを超える巨体が、毒液を撒き散らしながら迫ってくる。
「来たな!」
レックスとガンツが前衛に出る。シエルが援護魔法を唱える。
ミリアは後ろから必死に浄化を続けながら、時折小さな水の矢を飛ばして援護した。
戦闘は激しかった。ガンツの斧がスライムの体を切り裂くが、毒液が彼の腕を焼く。レックスが盾で守りながら斬りつける。シエルが氷の魔法で動きを鈍らせる。
ミリアは歯を食いしばった。
(この人たちを守らないと……!)
その想いが、神力をさらに押し上げた。
湖全体が水色の光に包まれ、キングスライムが悲鳴を上げながら溶けていく。毒の水がみるみる透明になり、底に沈んでいた古い鉱石がきらきらと輝き始めた。
最後に、湖の中心から小さな光の粒子が舞い上がり、ミリアの体に吸い込まれた。
彼女は膝をつきながらも、微笑んだ。
「……終わった」
坑道全体の空気が、わずかに清浄になった気がした。
────
依頼を終え、ギルドに戻ったのは夕方だった。
借金取りの男が待っていて、百ゴールドを支払いながら頭を下げた。
「すげえ……本当に湖が綺麗になった。街の水も改善するはずだ。ありがとよ、女神ちゃん」
その言葉に、ミリアは少し照れた。
ギルドの酒場で祝杯を挙げていると、昨日湖を浄化した村の少年が、こっそり近づいてきた。十歳くらいの、服の汚れた貧しい子だ。
「あの……お姉ちゃん、女神様なんですか?」
ミリアが頷くと、少年は小さな石のペンダントを差し出した。
「お母さんが、湖の水が飲めるようになって、病気治ったって。……これ、僕のお守りだけど、女神様にあげる」
粗末な石だったが、少年の目は本気だった。
ミリアは受け取りながら、胸の奥が熱くなった。
「……ありがとう。ちゃんと守るわ」
少年が去った後、レックスが静かに言った。
「信じてくれる人が、一人増えたな」
シエルが微笑む。
「まだ一人だけど、面白い方向に広がりそうね」
ガンツがジョッキを掲げた。
「まあ、ダメ人間の味方って感じでいいんじゃねえか!」
ミリアはペンダントを握りしめ、小さく頷いた。
天界の一万人はまだ遠い。
でも、こんな風に「ダメな人」が少しずつ集まってくれるなら……悪くないかもしれない。
その夜、ギルドの片隅で、また小さな噂が囁かれ始めた。
『黒鉄の坑道を浄化した金髪の女神パーティー』
波紋は、まだゆっくりと、しかし確かに広がり始めていた。
(第3話 終わり)




