ガラスの靴
よろしくお願いします。
「うそ、いいね…三千?」
同僚の結婚式の二次会。
トイレの個室でひとり、スマホの通知をスクロールする。
五千。
六千。
七千。
画面が追いつかない。
スクロールするそばから次々といいねが溢れて、
画面が飽和していく。
「....ふふ」
声に出た。
自分の声だとわかるまで、少し時間がかかった。
同僚の結婚式で、同期と撮って、なんとなく載せた写真が――
...いや、なんとなくじゃない。
本当はわかっている。
あれは、本当の私じゃない。
計算し尽くされたメイク。
光の角度。
抜かりないスキンケア。
美容整形と、少しの加工。
そこに写っている私は、綺麗な女のふりをした、別の何かだ。
外からは誰かの笑い声が聞こえる。
グラスがぶつかる音。
幸せそうな音だ。
私は鍵のかかった狭い箱の中で、
世界から一時的に隔離されている。
それが、ちょっとだけ、都合がよかった。
個室から外に出る。ハイヒールが痛い。
でも、その痛みが少しだけ安心させる。
だって、こんな痛みがなければ、
これが本当に私の美しさだと思ってしまうから。
鏡を見る勇気はなかった。
スマホをもう一度みて、画面を落とす。
黒い画面に、ぼんやりと輪郭だけ映っていた。
席に戻ると、ちょうど乾杯が始まるところだった。
「おかえり、遅かったじゃん」
隣の同期が笑いかけてくる。
「ちょっとね」と返しながら、グラスを持ち上げた。
乾杯。
グラスの向こうに、新郎新婦が見えた。
二人とも、泣きそうな顔で笑っている。
スマホが震えた。
太ももの上で、静かに何度も震えた。
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ」
聞いていなかった。
グラスを持つ指がじんじんと熱い。
指先の熱が氷を溶かし、結露した水滴が指先を濡らす。
こんなにも多くの人が私のことを見ている。
認めている。
この快感に比べれば、
足の痛みなんて、安すぎる。
三次会は行かずに早めに抜け、ひとり帰路につく。
その時点で、1万2千のいいねがついていた。
笑みが漏れた。
6月のぬるい空気の中で、私の周りだけ火照った空気が流れていた。
家に帰って、ヒールを脱ぐ。
赤くなった足首を見下ろす。
スマホの通知は、未だ鳴りやまなかった。
痛みは、ちゃんとここにある。
その晩から、DMが雪崩のように押し寄せた。
DMの制限をかけていなかったので、様々な人から届く。
「お化粧は何を使ってますか?」
「どこのドレス?」
「綺麗すぎてびっくりしました」
「調子に乗るなブス」
「会いたいです」
褒め言葉も罵詈も、混ぜられた砂みたいに降ってくる。
男たちのDMのほとんどは、開いた瞬間に閉じたくなる類のものだった。
――気持ち悪い。
でも。
でも、心のどこかで理解していた。
これだけ多くの人の意識が、自分に向けられているという事実は、
少しだけ、甘い。
私なんてどうでもよかった昔の誰かが、
突然全員こちらを見るようになったみたいで、胸の奥が熱くなる。
DMをくれた女の子の何人かには、丁寧に返信をした。
きっと、昔の私だから。
優越感もあった。
「貴女みたいに綺麗になりたいです。どうしたら」
そんな声だけは、無視できなかった。
いつの間にか、窓の外はうっすらと白み始めていた。
ヒールは、玄関に片方だけ倒れていた。




