第3話 巨大な館と死霊の絵画
何もない砂漠地帯を抜けると、進む道は草原となり、気づけば森となっていた。
人間がいなくなった今、この世界を支配しているのは植物だ。
自由自在に大地に根を張り、森は世界を浸食し続けている。
雨が降り注ぐ大森林を、リリィとバッカス中将は進んでいた。
ソリが使えないため、リリィがいるのは彼の肩の上、荷物と一緒だ。
「これだけ植物がいっぱいならさ、食料には困らなそうだよね」
「リリィ、現在視界に入っている植物に、食用可能なものはありません」
「え、これ全部?」
「はい、花や果実、全てが毒物です」
この世界はかつて人によって支配されていたのであろう。
そこかしこに遺跡が残り、そこに人がいた痕跡を残している。
だが、この世界は人を生かそうとしていない。
植物には毒があり、生き残る動物は全てが凶暴だ。
猛獣と戦う昼。
死霊と戦う夜。
もし生きている人間がいるとするならば、それはきっと人の形をしていないのであろうと、バッカス中将は一人考える。
「あれ、何かな?」
そしてまた、二人の前に痕跡が姿を現すのだ。
森林の葉を抜けて降り注ぐ雨の中、巨大な館が姿を現す。
壁一面にツタが生い茂り、窓という窓を覆いつくしてしまっている。
正門からのアプローチは大樹の根が破壊し、玄関の扉も歪んでいるように見えた。
「人が住まう館……でしょうか?」
「人が? じゃあ中に生きている人間がいるのかな?」
「生命特化探索魔法発動。リリィ、館の中に生きている人間はいません」
「そか、残念。でも、せっかくだから中に入ろうか。私もう雨でびしょびしょ」
二人の行動準拠は、リリィの健康が最優先される。
保温の魔法に乾燥の魔法、二つを掛けていても、リリィのスカートは水で濡れていた。
「すいません、気づきませんでした」
「足元が大変だったもんね、仕方ないよ」
この世界は生者を拒む。
リリィの言う通り、バッカス中将の足元は底なしの沼だったのだ。
浮遊魔法に保温魔法、乾燥魔法に毒素中和魔法。
魔法生命体のバッカス中将であっても、魔法の重ねがけには限度があった。
「はぁ、良かった、中は雨漏りしてないね」
「洋服を乾かします。リリィ、脱衣を」
「うん。ちょっと待ってね。肌に張り付いちゃって」
赤いドレスはリリィの肌に吸い付き、脱衣を邪魔しているように見える。
白いタイツも手袋も全てが水分を含んでしまい、リリィは悪戦苦闘だ。
お尻を床に付けて、両手両足を使ってようやく全てを脱ぎ終える。
「はいこれ、お願いね」
「かしこまりました」
バッカス中将はリリィから濡れた服を全て受け取ると、それらを浮かせて球体にかたどった魔法の中へと放り込んだ。しばらくすると洗浄魔法が発動し、中の洋服がグルグルと回転を始める。
「着替えを用意しますので、少々お待ちください」
「うん」
「……おや? 申し訳ございません。リュックの中身もやられておりました」
「下着とかも、全部?」
「はい、全て水に濡れております」
バッカス中将の背中にあったリュックも濡れており、それは中へと浸水している状態だった。
何枚か手にするも、全てが水浸し、これを着用することは難しい。
「そっか。私、替えの洋服がないか、館を探してみるね」
「かしこまりました、お気をつけて」
「うん、裸だし、無理しないよ」
長年人の手入れがされていない建物には、埃が溜まり、虫が湧く。
リリィが靴だけは履いている理由がそれだ。
過去、素足で歩いてしまい、大変な思いをした経験が役に立っている。
「うわぁ……大きい絵」
一階を探索していると、リリィの前に巨大な人物が描かれた絵が飾ってあった。
部屋に入って正面に飾られていたその絵は、この館の主を描いたものなのか。
黒くて短い髪は逆立ち、目力のある瞳に角ばった鼻、凛々しい髭を生やした男。
手には剣を持っているも、着ている服は白いファーが付いた赤いロングマントだ。
騎士ではなく王族、と呼ばれる人間だったのかもしれない。
「こんな服を着ていたのなら、私に似合う服がどこかにあるかも」
裸に靴だけを履いたリリィは、期待に満ちた瞳で館の中を探索する。
一階部分には何も見当たらなかった、ならばと、リリィは二階へと向かう。
途中、玄関エントランスにいたバッカス中将に声をかけるも、まだ服は乾燥中であった。
よって、リリィは裸のまま、二階へと向かう。
そして見つけるのだ、とある部屋にあった大量のドレスたちを。
「うわ、虫食いだらけ」
一着、二着と手に取るも、まともな状態の服は無かった。
「裸よりはマシかな」
リリィが見つけたのは、股間部分と胸の部分だけを守る、肌面積の広い何か。
他の布製品は全滅だったが、この鎧だけはベルト部分も一切が無傷だったのだ。
「どう、バッカス中将、似合う?」
「これは……素晴らしいです、リリィ」
「えへっへっへ、そう? そんなに可愛い?」
「この鎧は魔法が施されています。腐敗無効、更には致死魔法無効、良い防具を見つけましたねリリィ、これをどこで?」
バッカス中将は魔法生命体なのだ、リリィの裸を見ても何の感情も湧かない。
分かってはいたけど、理解してほしかった乙女心は、彼女を若干苛立たせる。
「……知らない」
「そうですか。リリィ、まもなく日が暮れます。今晩はここに泊まりましょうか」
「そだね。二階にベッドがあったよ」
「いえ、リリィ、長年未使用だったベッドには虫が湧いています。テントを用意しますので、そちらで寝るようにしましょう。夜ご飯にドラゴニアエッグのお吸い物を作ります、それと残しておいたチキンの卵和えにします。美味しいですよ」
せこせこと調理を始めたバッカス中将を見ながら、リリィはテントの中へと消えた。
バッカス中将はリリィの為に全力なのである。
たかが誉め言葉ひとつ言わなかった程度で、怒るのは間違っている。
そんなことを考えながらリリィが横になると――――突然、屋敷全体が揺れた。
「なに、地震?」
「いえ、死霊反応あり。奥の部屋からです」
奥の部屋? 奥の部屋というと、あの大きい絵があった部屋のことか。
リリィは思い出しながらテントから出ると、バッカス中将の横に立つ。
途端、奥の部屋の扉がひとりでに開放されると、爆風が二人を襲った。
「おおおオオおおおおおぉォォおおぉおおぉぉおおおオオオおおおぉおぉぉ」
怨嗟のこもった声、人間が耳にするだけで精神が恐怖に支配される呪いの音。
見れば、奥の部屋、先の男性の絵が口を開き、その音を出しているように見えた。
「絵が動いてるよ」
「物にとりついた死霊、といった所でしょうか」
「どうする?」
「破壊しましょう、このままでは夜にもっと厄介になります」
雨のせいで太陽は出ていないが、バッカス中将には分かる。
まだ、夜の時間ではない。
夜は死霊の時間だ、夕でこれでは、夜には強敵になる可能性が高い。
「炎を発生させます。リリィ、煙を吸わないように気を付けて」
バッカス中将が床に拳を打ち込み、板を一枚を剥がすと、突如として板が燃えた。
可燃物を利用した炎魔法は、無から発生させた炎魔法よりも威力が強い。
『ヴェヴィオ・フレア』
燃え盛る板からほとばしる火の粉を、増幅させて相手へとぶつける。
線香花火の最後、百裂拳のような火の粉が巨大化し、奥の間の絵を襲った。
「おおおおおおおおおおおおおおオオオオおおおおおおおおオオ!!」
「何が目的か分かりませんが、燃えて灰燼になって下さい」
バッカス中将の魔法によって、奥の部屋が燃え上がり、絵にも火が付いた。
だが、絵が発する音波によって火が消える。
これは厄介かもしれない、そうバッカス中将が思ったとき。
「せいっやぁ!」
いつの間にか絵の前に移動したリリィが、絵めがけて拳を放った。
一撃で砕け散る絵は、怨嗟の声を止める。
バッカス中将は見逃さなかった。
絵の中の男がリリィの半裸を見て、頬を赤く染めていた事を。
「あ、一撃で壊れちゃった。バッカス中将、死霊反応はどう?」
「……死霊反応なし。倒したみたいです」
「そっか、弱かったね」
倒したのか、満足して自ら消えたのか。
死霊になっても男は変わらない生き物である。
そう思いながら、二人は夜を迎えるのであった。