第17話 さようなら空島、こんにちは雪山。
「……あれ、生きてる?」
リリィは強烈な衝撃を覚悟していた。
あれだけの高さから落ちたのだから、無傷では済まない。
だが、全身を襲う浮遊感というものは、完全に消えていた。
地面に着いたのだろうか? リリィは恐る恐る、顔を覗かせた、すると。
「え、何これ、バッカス中将がやったの?」
空島の底辺にあった幾何学模様の浮遊石、それが幾つも魔王兵器の身体に張り巡らされていた。浮遊石は緑色に輝き、浮遊魔法を発動させているように窺える。その証拠に、魔王兵器の肉体は地面スレスレを、ふよふよと浮かんでいたのだから。
バッカス中将はというと、彼はマテリアル・コアの上に立ち、両手を高く掲げていた。
掲げている手から緑色のエネルギー状の管のようなものが見え、それらは全て浮遊石へと繋がっている。
「咄嗟にエネルギーを通す媒体の役割を果たしたのですが、成功して良かったです。僕の魔力とは相性が悪かったのですが、浮遊石はこのマテリアル・コアからのエネルギーを利用して空島を浮遊させていたのですから、浮かぶのは当然と言えば当然なのですけどね」
バッカス中将が手を下げると、緑色の管は消え、蛇型魔王兵器の肉体も地面へと落ちる。落下の際にマテリアル・コアから飛び降りた後、バッカス中将はそれを手に持ち、本体と触れ合わないようにした。
復活の可能性を考慮したのであろう。
少し離れた場所へと移動すると、彼はズンっとマテリアル・コアを地面へと置いた。
「では、このマテリアル・コアを砕きましょうか」
「壊しちゃうんだ? このまま浮遊石に使えたりしないかな?」
「使えるかもしれませんが、それよりも先に、蛇型が復活する可能性の方が遥かに高いです」
「それもそっか、コイツ結構強かったもんね。私の右手、完全に折れてるもん」
まだ蛇型に身体を預けていたリリィは、言いながら、自身の右手を見やる。
触手に絡まれた右腕は、巻締によってひしゃげていたのだが。
「あれ? 治ってる?」
拳を握り、開いてみるも、痛みや苦痛といったものはどうやらないらしい。
クルクル回してみても全然平気な様子を見て、バッカス中将は「ふむ」と顎に手をやり、考える仕草をとった。
「念のため、後で検査をしておきましょう。それよりもリリィ、早くこのマテリアル・コアを」
「ああ、うん、分かった。……あれ? バッカス中将、それ、なんか小さくなってない?」
リリィの指摘を受けて、バッカス中将は改めて地面に置いたマテリアル・コアを見る。
確かに小さい。
いや、現在進行形でどんどんと小さくなっていく。
マテリアル・コアとは、星が生み出した対人間殲滅兵器である魔王兵器の核だ。
つまり、これは星から生まれたもの。
地面に接した以上、星が吸収を開始してしまう。
「しまった」
それに気づいたバッカス中将が慌てて持ち上げるも。
既に小さく、拳程度の大きさへと小さくなってしまった後であった。
「……どうするの、それ」
「一応、壊しておきましょうか」
どんなに小さくても、マテリアル・コアはマテリアル・コアだ。
いずれ魔王兵器を形成し、二人に牙を向く。
バッカス中将はそう思っていたのだが、リリィは違った。
「そのサイズなら、浮遊石を浮かべるのに丁度いいんじゃないかな? ほら、見た感じ、クウちゃんを置いてきた場所じゃなさそうだし、移動手段は必要だと思わない?」
防衛兵器ク号こと、クウちゃんを置いてきたのは、緑ある温かな大地だった。
しかし、今二人がいる場所は雪山、見渡す限りの雪景色だ。
どこをどう見ても同じ場所ではなく、どれほど離れた場所にいるのか見当もつかない。
「リリィの言う通りですね、移動手段は必要だと思います」
「ソリも無いしね。オムレツだって寒そうにしているよ」
バッカス中将の肩の上では、丸まった黄色いもふもふが「ピト」とだけ一言返事をした。
さっそく、浮遊石のひとつを浮かせようとするも。
「……む?」
浮遊石は浮遊せず、緑色に発光するのみであった。
「マテリアル・コアのエネルギーが少ないのでしょう。恐ろしい程の吸収速度です。次回入手した際は、地面に触れさせないように注意しないとですね」
「それはそうだけど……もしかして私たちって、この雪山を歩いていかないとダメな感じ?」
吐く息は白く濁り、無風の今であっても刺すように寒い。
恐らく気温は氷点下、一張羅のドレス姿のリリィには非常に厳しいものがある。
「僕の魔力が戻れば少しは飛べますが……ダメですね。空島への転移で吸われ、先ほど媒体として利用してしまったからか、魔力増幅機能が上手く働いておりません。修復までしばらくのお時間が掛かると予想されます」
「マジか……あ、じゃあ私、ジャンプしてみようかな」
「やめておいた方が良いです。リリィの跳躍によって振動が発生し、雪崩を引き起こす可能性があります。それに今は真っ白な平坦な雪景色に見えますが、ここのどこにクラック……竪穴があるか予想も出来ません。魔力探知もロクに機能していない以上、徒歩での進行をおススメします」
「うぬぬ……あ、空島の家は? もうちょっと温かくなってから移動しても」
「落下の衝撃を防げたのは、僕たちだけですよ」
リリィの背後には、それまで空島だったであろう陸地が、どんどんと空から降ってくる状態であった。
幸いなことに、空高くからの落下により軌道がそれ、同じ雪山に落下する空島は無さそうである。
だが、ある種の爆撃のようなものを、リリィは黙って眺めていたのであった。
「では行きましょう。今は快晴ですが、山の天気は変わりやすいと言います。吹雪いてきたら視界も悪くなり、気温も下がり、今よりも辛く厳しいものになってしまいますよ」
「行くって、どこに?」
「せめて暖が取れるところ、山ですから、洞窟や洞穴がある場所を探しましょう。しばらくすれば魔力が回復し、僕の魔法地図が開けるようになるはずですから、それまでの辛抱ですよ、リリィ」
バッカス中将は荷物を抱えなおすと、リリィへと手を差し伸べる。
「オムレツと一緒に保温箱の中に居れば、若干寒さは凌げるはずです」
「……あ、そっか、私歩かなくてもいいんだった」
「僕がリリィに、そんな酷い事をするよう提言すると思いますか?」
「うへへ……思わない。バッカス中将、大好き」
「ありがとうございます、では、先を急ぎましょう」
ニッコニコの笑顔になると、リリィは保温箱の中へと、オムレツと一緒に入っていった。
「オムレツ~、一緒に温まろうねぇ~」
「ピトピト」
「はぁ……羽毛布団みたい、オムレツは温かいね」
「ピー」
和やかな会話を耳にしつつ、バッカス中将は雪原を歩き始める。
手にしたマテリアル・コアの破壊を忘れた事に気づくも、リリィは箱の中だ。
既に小さくなり、これ単体で蛇型魔王兵器の復活が出来るとは思えない。
所持していた皮の袋にしまい込むと、バッカス中将は首から小さくなったコアを下げる。
結果的に、二人はマテリアル・コアに助けられたようなものだ。
また何かの時に役に立つかもしれない。
バッカス中将は雪山を一人歩きながら、またしても様々な可能性を試案するのであった。