36 分析結果と新たな事実
春田からも鹿子木からもなかなか連絡が入らなかった。二日目まではウキウキしていた洋介であったが、三日目ともなると受付の電話の傍から離れなくなった。
「洋介さん、ここ三日間は受付にずっとおられますね。いつになく業務に励んでおられるのですね。うふふふ」
愛にからかわれても弁解さえしないで、ただただ電話が鳴るのを待っていた。いくら羽振りがよろしくはないとはいっても、ある程度の会員たちが所属しているホビークラブである。会員からの問い合わせや業者からの連絡などで受付の電話は引っ切り無しに鳴り響く。二日目までは洋介が直ぐに受話器を取って電話に出ていたが、三日目ともなると、電話の傍にはいるものの電話に出る気力が薄れ、ほとんど愛の仕事になっていた。
そろそろ夕食だな、と思った洋介がキッチンの方に移動しかけた時、また電話が鳴った。受話器を取った愛が洋介の方を向いて呼びかけた。
「洋介さん、お待ち兼ねの人からですよ」
それまで緩慢にしか動かなかった洋介がまるで百メートルのスタートをするような速さで電話に近づき、愛から受話器を奪うように受け取ると嬉しそうに電話に出た。
「鹿子木さん、私の推論は正しかったのでしょうか?」
「まあまあ、そう慌てないでください。先ほどH署の春田さんから電話がありましてね。キノコと調理物の分析が終わったそうなんです。それで、春田さんが詳しく説明したいから神尾さんと私の二人でH署まで来てくれないかというのです」
「それは素晴らしい。是非お願いします」
「私の方は明日が非番なので、朝早めにつくばを出発したいと思いますが、神尾さんのご都合はいかがですか?」
「もちろんOKですよ。本当は今直ぐにでも行きたいくらいなんですから」
「それは良かった。それでは明日朝七時頃に私の車でお迎えに参ります」
「はい、それでは明日朝ここでお待ちしています。よろしくお願いします」
洋介の有頂天な様子を見て、愛がクスクス笑い出した。
「明日はちょうど授業もないし、朝から私がここに来ますから安心して行ってきてください。洋介さんて、こういう状況になると本当に子供みたいになってしまうのですね」
この時ばかりは何を言われても平気な洋介であった。
翌朝六時半には洋介は準備万端整えていた。鹿子木が筑波ホビークラブに到着したのは七時十分前であった。駐車場で待ち構えていた洋介は車に飛び乗った。車は東大通りから西大通りに入り、さらに右折して万博記念公園駅近くの駐車場に入った。
二人はTXで北千住まで行き、そこで地下鉄に乗り換え、H署の最寄り駅で降りた。鹿子木は以前来たことがあったようで、洋介を案内してH署まで辿り着いた。
下町の風情が漂う街並みに馴染むように配慮された造りのH署の受付で、鹿子木が春田刑事との面会を申し出ると、二階にある小さな会議室へ案内された。室内には会議用小型テーブルと普段使いの椅子が数脚置かれていた。二人が椅子に座ると直ぐに春田が入ってきた。
「いやー、遠い所お疲れ様です。わざわざこちらに来ていただいて恐縮ですが、キノコの分析結果を持ち出すわけにもいきませんし、新たな情報も入手できましたので、それについてもお話しようと思いまして、ご足労願った次第です」
「そうですか、新たな情報が入ったのですか」
洋介ははやる気持ちを抑えて対応した。
「ところで、いつもつくばで生活されている神尾さんにとって、どうですか、東京の警察署は?」
春田の質問に、本当は早く本題に入りたいと思っていた洋介ではあったが、素直に答えた。
「この街にマッチした警察署ですね。つくばではまだまだ広い土地がありますから、あまり隣との一体感に拘らなくても大丈夫のような気がしますが、ここは見事に配慮がなされていますね」
洋介の表現を春田は満足気に頷くと本題に入った。
「杉本が保管していたキノコとキノコ汁の分析結果が出たんです。結論から言いますと、神尾さんの推論を裏付けるような結果だったんです。
クロハツ近縁のキノコの分類はまだほとんど詳細が分かっていないようなんです。つまり、残されていたキノコやキノコ汁の成分分析を行っても、どれがクロハツで、どれがニセクロハツかは分析結果だけでは分からないということです。ただ、最近ニセクロハツの毒の本体が同定されたという報告があって、その毒の本体の分析は何とか可能だそうです。
毒の本体が検出されたのは、篠崎が『ニセクロハツ』だとして別の包装で納入したキノコだけでした。日陰和田が自分でわざわざ京都まで行って採取してきたキノコからは毒の本体は検出されなかったのです」
春田は分析結果のチャートを二人に見せながら説明してくれた。
「日陰和田はこっそり『ニセクロハツ』を採取して深町や神保を殺害することを企んでいた。しかし、彼が自分で採取してきたのは『毒性の強いニセクロハツ』ではなく、『毒性の弱いキノコ』であったということになりますね。その結果として、日陰和田が毒性はないと思い込んでいた、篠崎が大阪で採取した『毒性の強いニセクロハツ』によって、殺人を企んでいたはずの日陰和田が死んでしまったということですね」
鹿子木が分析結果の意味するところをまとめた。
「その他に分かったことはありませんか?」
洋介が冷静さを装って訊いた。
「報告されている『ニセクロハツ』の毒本体だけの検出では心もとないので、保管されていたキノコ汁を用いてマウスの毒性試験をしました。腹腔内投与という、マウスのお腹に注射する方法だと弱い毒性があってもマウスが死んでしまうため、経口投与、つまり口から胃袋に投与する方法で調べたそうです。そうしたら、毒性が認められたのは、やはり篠崎が『ニセクロハツ』だとして別の包装で納入したキノコだけだったそうで、毒性本体を検出した方法と結果が一致しました」
「そうすると、杉本さんの保存しておいてくれたキノコ汁やキノコ本体のお蔭で、日陰和田聡一郎さんが亡くなった原因に関する証拠は入手できたということですね」
洋介は嬉しそうに言った。
「実は、まだお二人にお話することがあります」
洋介は非常に期待するような顔付きになって聞いた。
「日陰和田聡一郎のパソコンの中の文書でこれまで開くことができなかったものがもう一つあったのです」
「えっ、開けなかった文書がまだあったのですか……」
「別に隠していたわけではありませんが、特にこちらから神尾さんにお伝えするようなことではないと考えていたものですから」
「その話をされるということは、パスワードが判明して文書が読めたのですね?」
「その通りです。神尾さんから京都で日陰和田聡一郎を清水山に案内した人物の名前が夜久野だったとお聞きしたものですから、もう一度パスワードの文字列を作って文書を開こうとしたのです。そうしたら、『kiyomizuyamayakuno』というパスワードで開いたのです。つまり、『清水山夜久野』です。夜久野という名前は日本では大変珍しい姓なので、これまでトライしてこなかったのです」
「それで、その文書には何が書いてあったのですか?」
「あの文書は日陰和田聡一郎が京都に行き、清水山でキノコを採取した時のメモのような文書でした。そこには夜久野と一緒に清水山に行き、彼を帰して自分でニセクロハツを採取した経緯が記載されていました。また、篠崎が納入したニセクロハツは関東で採取したものと勝手に思い込み、自分で食べることにし、深町と神保には自分が清水山で採取したニセクロハツと決めつけたキノコを食べさせようとしたことが読み取れる内容も記載されていたのです」
「良かった。これで証拠も揃ったことになりますね」
洋介は嬉しそうに頷きながら言った。
「そうすると、今回も神尾さんが推定した通りの結末になったということですね。やはり日陰和田聡一郎は、篠崎のキノコに関する直向さを読み違ってしまったというわけですね」
鹿子木は春田の方を向いて変に誇らしげにそう言った。




