花と風と陽だまりと
十歳、彼を知った。
風が教えてくれた彼の名前が、好きだと思った。
十五歳、彼を初めて見た。
どこか肩肘張ったその姿に、胸が苦しくなったのに、花びらが溢れた。
十七歳、彼の国を、落とした。
第一話 花と風と陽だまりと
ツタに息を吹きかける。息のかかった部分から光が広がり、急速に横に縦に伸び、枝葉が幾重にもかさなった。その一枚に腰を下ろし、海の向こうを見つめる。
海の向こう、クローズガイア王国。
「いいのか、ローズ」
「ええ。ユーシュ兄さまも、作戦通りにお願いします。ユーシュ兄さまが先陣きって軍艦を沈ませることで、大いに時間短縮になりますから」
ユーシュに声を掛けられても、ローズは丘の上に建てられている青く光る城から目を逸らさない。対岸へ向かって風を飛ばす。風はうなりをあげて海の上を走る。
ふわりとクローズガイアから戻った風がローズの髪を巻き上げる。見てきたこと聞いたこと、風にのることはすべて教えてくれる。
「戦争になるのを止めたいと、言い出すかと思っていた」
ユーシュが隣の葉に腰かける。はちみつ色の瞳は、暁でも発光しているかのように、煌めく。
父や兄弟の心配をしないわけではない。いくら人並み外れて強いとはいえ、父は人間だし、兄弟たちも半分神というだけ。怪我もすれば死の危険もある。家族に出征を望んだローズを誰も非難しなかった。
「……できれば、戦争などないほうが良いです」
「回避できないと、判断したのか」
ローズは見つめ続ける。海の向こうの、綺麗な青色に光る城を。
城の主は、ローズの夫になる人。
これからローズの策で、敗戦国の王にしてしまう人。
* 彼の国を落とす、ひと月前 *
「ローズさま、申し訳ない! 辞めてください!」
出勤して顔を合わせた店主が悲痛な叫びをあげる。
ローズは挨拶するつもりの笑顔のまま固まった。
「うちは女性用の仕立屋です。ローズさまが問題なのではありませんが、ローズさま見たさに客にもならない男ばかりが店にわらわらと集まるのは問題です! 男がわんさかたむろする仕立屋を女性のお客さまが使いたいか? 否! 客足はめっっっっっっきり! 減っております! ローズさまが悪いわけではないのです! 決して! 男が集まらないようでしたらうちでぜひ働いていただけたら幸いなのですが……申し訳ありません!」
これ以上は無理ですというほどに腰を折って頭を下げる店主に、かける言葉が見つからない。
舜の大陸一の大国、グランツェ皇国の皇弟の娘。それがローズの立場。
立場ゆえに注目を集めることはわかっていた。ローズの思いを汲んで働かせてくれた店主をこれ以上困らせるわけにはいかない。
「いいえ、ご迷惑をかけてしまって、わたしこそ申し訳ないことをしたわ」
「とんでもない! ローズさまにご贔屓にしていただいているだけでも光栄なのです! それをうちで働きたいとまで仰っていただいたのに……」
「ルノーさん、頭をあげて。ね? お願いだから! いいの、ルノーさんに迷惑をかけながら働けたとしても嬉しくないもの。……これからはひとりの客としてお店に来られたら嬉しいのだけれど、だめかしら?」
「だめだなんて滅相もない! ぜひ、ぜひいらしてください!」
ローズは店主に挨拶して店を後にした。
皇都に爽やかな五月の風が吹きぬける。空は良く晴れ、気持ちの良い一日が始まりそうだったのに。
表通りには人が集まっているからこっそりと裏口から裏の通りに出る。フードをかぶって髪を隠してから歩き出す。
ローズは身分だけでなく、その容姿も目立ってしまう。
瞳も髪も桜貝色。神の血筋の証の色。
フードをかぶるのは言いつけられているからだけれど、今は言いつけがなくても全身隠れたい気分だった。
働ける年齢に達している兄弟の中で、社会に関われていないのはローズくらいだ。
兄も姉も弟たちも、軍人や医師として人のために、働いている。
母から与えられた力を大いに役立てている。
皇弟の娘として不自由のない暮らしを享受しているのだから、ローズも人の役に立つ一人になりたい。
「ローズさま」
仕立屋『プリマ』の裏通りの影に同化していたユズが静かにローズを呼んだ。声音こそいつも通りだけれど、ローズの気晴らしに付き合うために気を遣ってきてくれたのだとわかる。
「ユズ、どこ行きたい?」
「どこへでもお供しましょう、今日だけは」
「いつもありがと、ユズ」
ローズはユズと自分の周りをかき混ぜるように風を呼ぶとその風に二人を乗せた。
どこへ行くともなしに風に流されるままになって、眼下の街を眺める。
丘の上に聳える重厚な存在感を持つ皇城、人が行き交う中心街に、花まつりの会場となる大広場。
ローズはどこにも行くことができる。でも、どこにも必要とされていない。
「志は素晴らしいですが、姫が市井で働くと余計な混乱を招くことが実際にわかりましたね。先週の茶屋『カズサ』に続き、仕立屋『プリマ』も二日でクビ。働くことは諦めましたか?」
ユズに反論できずに頷く。
ユズはグランツェの中でも指折りの軍人家系に生まれながら軍人ではなく商人となり忙しくしている。一見すると軍人のような装いの中で、異国で織られた長いスカーフだけが頑張って商人らしさを補っている。
「ローズさま、働く必要はないのでは? 読書がお好きですし、お父上の応援をしたりユーシュさまの話し相手になったり海にでかけたりもするじゃないですか」
「それはわたしが楽しいだけで、なんの役にも立てていないわ。海神の孫娘で、皇に連なる者なのに」
クリスタッリーノ海に住まう海神の孫娘。だからローズは力を司る。
それは神のように意思のすべてを叶えるほど万能ではないが、人の持たざる力。
『ローズ、あなたは花と風そして陽だまりを司る子ね。とても人のために役に立つ力だわ』
そう母が教えてくれた。
花が咲いて、命をつなげることを。
風が空を、舞い流れることを。
陽だまりが、人を温め癒すことを。
ローズが司るのは穏やかなこと。
「ユーシュ兄さまやイオみたいにはなれないのに、母さまは人のために役に立つとわたしの力をほめたわ。だから、手立てはあると思ったのだけれど」
ローズが左手に風を集めて投げるのをユズが見て息をつく。
「ローズさま、殊勝な顔をしながら、その手はまさか……」
「え?」
右手は乗る風の操縦を。
左手は風に情報を運ばせる。
風を送った先は皇城。
ユズはローズが風から情報をとることをあまりよく思っていない。風を操る様子を眉をしかめて見ている。
風が皇城の議会の様子をローズに伝える。
「そう……北部では不作が……え、友好のためクローズガイア王と?」
クリスタッリーノ海の対岸に位置するクローズガイア。そのクローズガイアには、二年前に二十一歳で即位した若き王がいる。
グランツェ皇に、娘はいない。
グランツェ皇弟には、娘が三人。
三人の中で、政略結婚に向くのは誰が見てもローズだ。
「ユズ、議会でいまね」
「議会の様子を盗み聞くなんて仕事なら、ローズさまにうってつけですね」
「ユズ」
「はいはい、議会でなんですか」
「クローズガイア王と皇弟の娘、わたしとの結婚が決まったって!」
「皇弟の娘といってもローズさまとは限らないのでは?」
「ラナは年下すぎだし、イオは男嫌いで軍籍だから無理でしょう? それにわたしは……」
「ローズさまも政略結婚は向いてないのでは?」
「見たことあるの。彼を」
十五の時、葬儀で隠れて覗いた彼の肩肘張った姿が思い起こされる。
両親を亡くし、内乱の陣頭指揮を執ったと聞いた彼は、想像よりも華奢で繊細そうな青年だった。剣を手に戦ったばかりの疲れも両親を亡くした辛さも見せずに毅然と背を伸ばす彼を見て、心が苦しくなったのに花びらが溢れた。
その時のローズは、戸惑うばかりで駆け寄って寄り添うことはできなかった。それを悔やんでいた。
「それだけで? よろしいんですか」
「いいの。ただ、クローズガイア王のことは調べましょう」
「……いま、私の協力を含めましたね」
「ユズがいたら千人力だもの」
ローズは笑顔で頷く。ユズは額に手をやり、呆れたような顔をして見せる。
翌日ユズは本を差し入れてくれた。どんな顔を見せてもユズはローズに甘い。ローズはサンルームでお気に入りの長椅子に腰かけてさっそくページをめくる。
本は、クローズガイア王についてまとめられた報告書。家族に知られないように、ローズの愛読書『夜の月』に似せて本の体裁までとられている。作者の名前には『ユズ・ハーグウィル』とあり、もらったときにおもわず笑みが零れた。
「サリヴァトーレ・クローズガイア」
風が教えてくれた、彼の名前がそこに記されていた。
「サリヴァトーレ……トーレ」
そう呼べる日が、待ち遠しい。
「即位後、内乱を二度終息……二十三歳……藍色の髪・同色の瞳……装いは藍色が多く、イメージ重視か……」
おもわず音読してしまい、口を手で覆う。周囲に聞かれていないかきょろきょろ確認して、本に目を戻す。
『グランツェ皇国の姫との婚姻が決定した』
最後の文章を指でなぞる。白色の花びらがローズから舞い始める。
肌から溢れていく花びらが長椅子を埋め尽くすようだ。
誰にも聞こえないように、唇だけで読んでみる。
『グランツェ皇国の姫との婚姻が決定した』
花びらは白色から桜色に移り行く。
手のひらにとってみて、髪と比べてみる。わずかに髪よりも濃い桜色の花びら。
自分でも見たことがないほどに、綺麗に染まった花びらを見て、自覚しないなんて無理だった。
足音が聞こえて、はっと顔をあげる。父がこちらへ来るのが見えた。声には出していないけれど、桜色の花びらが溢れた理由は言いにくい。
理由を考え付くまえに、父がサンルームにやってきてしまう。
「ローズ、嬉しそうだな」
「父さま、おかえりなさい」
騎士コートを脱ぎながら父が対面のソファに腰かける。父に笑顔を向ける一方でユズの調査報告書は閉じた。
父が本を手にしているローズに敢えて話しかけるときは、重要な話のときだと知っている。
五歳のとき、
『陽だまりの力を使わないように、人に言わないように』
十歳のとき、
『風から自分の情報をとるのは極力しないように』
十七歳、これから、三度目。
父が前のめりになり、話をする雰囲気をだすのに、口火を切らない。
ローズから花びらが降り止んでも、父は話を始めない。
父は皇弟だけれど、皇族としての生き方が性に合わないという人だから、皇族としての話は気分がよくないのかもしれない。
それならば、水を向けるしかない。ローズは正式にその話を聞きたいのだから。
「父さま、わたしはいつ、クローズガイア王陛下に嫁ぐことになりますか?」
「なっ! ……俺の言いつけを忘れたわけではないだろうな」
両手の指をぎゅっと組み合わせてから、ぱっと開いて手のひらに白薔薇を咲かせる。
「薔薇の香りで落ち着いてくださいな。わたしは、自分のことについて風を飛ばしてはいません。風を飛ばして政治の行先を聞いたらついでに聞こえただけですもの」
「また薔薇を咲かせて。……そういう屁理屈が得意なところは誰に似たんだ。俺やリィは理屈が得意ではないんだが……強いていえば、陛下か。陛下よりも優れた屁理屈師になりそうだ」
「そんなものになるつもりはありません。父さまがお話をされないから水を向けただけです。父さま、お答えはいただけますか」
長く息を吐いた父が背をただす。
すっとローズを見据える顔つきはすこしだけ伯父に似て見える。皇に連なる者として話をする表情だけは、伯父に似ている。
「……七月の、最後の日に」
十七歳、三度目。
「クローズガイアへ嫁ぐように」
再び花びらが舞いだした。桜色の花びらが。
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毎日19時20分投稿予定です。34話完結。
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