修道院に向けて猛ダッシュ
2人が血相を変えて詰め寄って来た。ロイは怒ったような顔をしている。
「おい、修道院に入ったら、最低でも1年は出られないぞ」
「いいわ」
「監獄の異名を持つ、厳しい修道院だぞ。わかっているのか?」
「耐えるわ」
「こいつ、言い出したら聞かないからな。トーマス、何か言うことがあれば、今のうちに言っとけよ」
ロイは私の事をよく知っている。私のモットーは、決めたら突き進むのみ。だから、もう修道院行きを認めてくれている。
トーマス様はどう思っているのかしら。
ドキドキして待っていたら、すごいことを言われた。
「ユーリ様とリディア嬢に、そんな噂が立ったら、私はユーリ様を殺してしまうかもしれない。でも、もしそうなったら、一緒に他国に逃げないか」
いきなり、王子殺害宣言からの駆け落ち、ですか!
私の思っていたのと、全く性格が違うわ、この方。
「トーマス。そのぶっ飛んだ発想を辞めろ。危ない奴だな。真顔で言うから冗談に聞こえないぞ」
「本気だが」
「リディア、こいつは辞めておけ。お前とコイツじゃあ、何をしでかすかわからない。先日出した許可は取り゙消しだ」
私のために大罪を犯してしまった彼と、手に手を取って逃げる。なんてロマンティックなの、とその場面を思い描いていた私の前で、二人が揉めだしていた。
「もう。落ち着いてよ。私は今から大急ぎで修道院に向かうわ。王の追手はいつ来る予定なの?」
「多分追いつくのは、七時間くらい後だろう。俺たちは王宮を出て、ハント邸に寄ってから、そのままここに向かったけど、追手は、朝出発だって言ってたから」
「他に何か言っていなかった?」
「夜会での皆の様子の他は、リディアについて聞いてくる者がいないか聞かれたな。特に俺は、ハント伯爵家の様子をしつこく聞かれたよ。問い合わせが来たが、よくわからないとだけ答えたと、言ってある。だけどハント伯爵が相手なら、それは通用しないから、手違いで修道院に送られ、慌てて止める使者を送った、と伝えることになったよ」
ロイは王家から完全に信用されているようだ。
ロイとはとても親しかったけど、ユーリ様と婚約した十三歳からは、表立っては距離を置いていた。ユーリ様に誤解されたら困るし、ロイ自身も側近として、婚約者と親しすぎるのは拙い。
だから、今のように助けに駆けつけるなんて、思ってもいないのだろう。
私たちが今でも親密な関係なのを、なんとなく隠してきたのが、ここで大きく役立った。
「じゃあ、寝ずに進めば、何とか逃げ切れるわね。隊長、よろしくね。あなた達も命がけなのを自覚して。私が追手に捕まれば、あなたたちは口封じされるわ」
隊長が首をすくめた。私の言葉で、自分たちの置かれた状況を悟ったようだ。私も気合を入れ直した。マリーを含め、5人の命が掛かっているのだ。
「皆で修道院に駆け込みましょう。そしてお父様には、思い切り暴れていただくわ。絶対になかったことになんて、させない」
ロイが修道院まで付きそうと言い張るのを断り、早く戻るよう私は説得した。
今回のことで思い知ったわ。情報は宝。彼ら二人には、ぜひユーリ様の側近のままでいて欲しい。今から始まる修道院生活のためにも。
渋る二人を見送り、そこからは、できる限りの速度で、馬車を走らせてもらった。何せ馬車は遅いのだ。修道院まで、騎馬なら急げば二日の距離が、馬車だと五日かかる。
休憩は最小限にして、走り続けた。馬が大分バテてきたので、夜に通った街で、馬を替えることになった。
その間に、色々な品を置いている小さな店に入り、マリーと二人で食料品を選んでいった。
こういった買い物も、しばらくはお預けね。修道院での生活が、全く想像できないけれど、楽しいことは無さそう。全く、何でこんな事になったのかしら。
ブツブツ一人事を言いながら、食料品を選び、マリーに支払いに行ってもらった。
出ようかと思った時、ふと店の隅に、アクセサリーが置いてあるのを見かけた。
こういう物も、しばらくは手に取れないのだと思うと、胸がチクッとする。すぐに頭を振って気分を変えた。
安くて手頃なアクセサリーの中に、古びたクロスのペンダントがあった。銀の細いクロスで、地味で渋い雰囲気が、ちょっと素敵。
クロスの下に、真珠ほどの大きさの黒い玉が下がっている。何かの種の干からびた物のように見えるけど、それも味があるわね。
私の今の気分にバチッとハマる。今から修道院に行くのだもの。ぴったりだわ。お値段は少し高めの百ミル。いいわ。買いましょう。
それを持ってカウンターの店主の前に立ち、購入したいと伝えると、マリーがすぐにやってきた。
「お嬢様、こういうものは値段交渉から入らないといけませんね」
そう言って交渉を始めた。
百ミルは結局五十ミルまで下がった。マリー強い。
「アンティークみたいだけど、来歴は?」
「どこかの屋敷の整理品が、市場で箱単位で出ていたんです。色々入っていて、その中の一つなので、詳しいことは、全く分かりません」
まあ、どうでもいいのよ、気に入ったもの。私は買い取るとすぐに首にそれを掛けた。今着ている簡素なドレスに付けてさえ、ささやかさな感じに見える。
その時、ふと気付いて、片耳にはめているピアスを取った。
マリーが戻る時に必要になるかもしれない。残ったお金も半分をマリーに渡しておいた。
「お嬢様が持っていたほうがいいのではありませんか。地獄の沙汰も、と言いますし、少しは便宜を図ってもらえるかもしれませんよ」
そういう場合もあるけど、監獄の異名を持つシリカ修道院なのだ。そんなに甘くはない、と思う。監獄なら収監される時に、持っているもの全てを没収されると聞いている。
「私はこれを持って入れるかわからないわ。逆にあなたは、帰るためにお金が必要でしょ。だから、こうするのが正しい気がするの」
マリーはピアスとお金を受け取り、下を向いたまま、本当にお嬢様は修道院に入るのですね、と呟いた。
しんみりしてしまったので、殊更に明るく声をあげた。
「それも、王の追手に捕まったら出来なくなってしまうわ。決めたのだから、とにかく進みましょう」
外に出るとちょうど新しい馬を連れて、兵士たちがこちらに来るのが見えた。私が手を振ると、早足でこちらにやってくる。
私は声をかけた。
「出発しましょう」
そのまま、ずっと走り続けた。
時々1時間くらいの休みを取り、寝ずに走った。
街を出てから3度目の休憩の時に、隊長に後どのくらいで着くのか尋ねてみた。
「後一時間と少し走れば到着です」
ニコニコして言うので、私もホッとした。もう大丈夫ね。すでに辺りは明るい。小鳥のさえずりも聞こえてきている。
体を伸ばして、少しひんやりした朝の空気を吸った。
その時、馬の蹄の音が聞こえてきた。すごい勢いで近付いて来る。
驚いて身動きもできずに硬くなっている横を、騎馬集団は足を緩めることなく走り抜けて行った。
私たちは、街道からは樹木で隠れている、横道の空き地で休んでいたので、彼らに気付かれずに済んだ。でも追い越されてしまったのだ。
これは、ますいのでは? どうしましょう。
全員が驚きと困惑で固まっている中、一番早く動いたのはマリーだった。
「お嬢様。戻りましょうよ。彼らが向こうに行ったのなら、反対の方向に戻りましょう」
隊長がすぐに反対した。
「あの勢いを見たでしょう。すぐに追いつかれます。逃げ切れませんよ」