面会日2
「じゃあ、ユーリ殿下の新しい婚約者は決まりましたか」
お父様は黙って首を横に振った。
「皆忙しくて、そういった余裕がなさそうだ。しばらくは無理だろう」
「ロイとトーマス様は、殿下の側近だから、バタバタしているのでしょうね」
「彼らは、君と私の様子を調べてこいと言われたそうで、今わが家に滞在しているよ」
ついでにチョコレートを王都から運んでくれたそうだ。そう言って一箱を目の前で開けてくれた。五個の宝石のように綺麗なチョコレートが横に並んでいる。
まずはハリエル修道女に一つ勧めてから、私に一つ選ばせた。
口にいれると、少し苦味のある濃厚なフィリングと、周りの甘いチョコレートとラム酒漬けのチェリーが混ざる。
飲み込みたくない。いつ迄もこのままでいたい。
「気に入ったようだね。よかった。後で一人一箱配られるはずだから、楽しみにしておいで」
黙ったまま頷いて、お父様を感謝の目で見つめた。その時、ふと胸元が温かくなったように感じ、胸に手を置いた。
クロスはいつも通り。そしてチャームは、少し温かいような気がする。私が興奮したせいで温まったのかもしれない。
私はチョコレートの箱をハリエル修復女に渡し、気がそれている間にクロスをお父様の手に滑り込ませた。
お父様は素早く握り込んだクロスを胸ポケットに仕舞う。私をじっと見つめる顔は不安げだ。
私は少し身を乗り出した。
「一張羅で会いに行くよ。君も知っている紫のタイと、メノウのタイピンが目印だ」
ジョナサンからの伝言を、小声で伝えると、お父様は無言で目を瞠った。
それから口元を押さえ、相変わらずだな、と小声で答えた。
面会室から出ていくお父様を、期待と不安の思いで見送り、私は仕事部屋に戻った。
やはりその後の書写は、ミスだらけだった。
夜、厨房の後片付けを終えて、走って部屋に戻ると、既に私以外が揃って話していた。
ジョナサンが嬉しそうに喋っている。
「ラリーが年食って、オヤジになっていたんだ。腹は出ていないし、髪も大丈夫でホッとしたけど、最初お父上かと思ったよ」
「ちゃんと話ができたのね。よかった」
私が声を掛けると、ジョナサンが振り向いた。目が輝いている。そして大成功だよと、うれしそうに言った。
ケイトが様子を話してくれた。
薄暗い木陰でウロウロしていたお父様の側に、ジョナサンが唐突に現れたそうだ。一歩引いたお父様は、すぐにジョナサンに突進したので、彼はバラけてしまった。
呆然としているお父様の前に、影が集結し、再び人の形を取った。
その後は、時々クロスを触りながら話をしたそうだ。
「だけど結局、以前と同じような、バカ話しかしてないな」
そう言って、シュンとしたジョナサンをケイトが笑い飛ばした。
「二人とも会った途端に、タイの幅が流行遅れだの、瑪瑙の色がどうのって言い始めたじゃない。次に、髪が薄くなったかに移って、その後もそんな話ばっかりだったわ。バカ話じゃない話題って何だったの」
「それは……僕の存在は不思議だね、とか」
感動を期待していたわけでは……いいえ、していましたとも。
でも、こんなものなのかもね。
それで私は答えた。
「そうね、ジョナサンは不思議ね」
しばらく間があってから、皆で笑った。
「ラリーも言いそうだ。その話題は、その後が続かないよね」
誰よりもジョナサンが笑っている。
私はふと、ベラさんの返答が返ってくるのは何時だろうと考えた。
ひとしきり笑った後、配られたチョコレートの箱を取り出した。
「これ、びっくりするほど美味しいの。面会室で一粒いただいたのよ。食べましょう」
「面会、どうだった」
ケイトに聞かれて、手紙を隠して持ってきたのを思い出した。ポケットに手を入れると、カサッと乾いた音がする。
この軽い紙に書かれた内容が重いのだ。グレイの薄い紙を、私はこわごわ引っ張り出した。
「なあに。誰からの手紙なの」
トーマス様の事は何て説明したらいいのだろう。迷った末に、ユーリ殿下の側近だと言っておいた。
「何でユーリ殿下の側近が、リディアに手紙を寄越すの? 変じゃない」
ダリアが不思議そうに言う。
「修道院送りになった後、心配して追いかけて来てくれたの。私の幼なじみのロイと二人でね。だからよ」
「それで、なんて書いてきたの」
「なんてこともない話よ」
ダリアとケイトにじっと見られ、白状してしまった。
「突然に結婚を申し込まれたの。いつも全く目も合わせなかったのに、突然よ」
二人はささっと近寄ってきた。
「友人の恋の話を聞くのは初めてよ。しかもそんな特殊な展開だなんて。聞かせて」
ケイトがおねだりする。
ダリアもくっついて見上げている。
「うーんとね。一目惚れしたけど、ユーリ殿下の婚約者だから、諦めてたのですって。婚約が解消されたから、急いで申し込んだって」
ゴクリ、とツバを飲む音がした。
「じゃあ、それラブレターなのね。読んでみてよ」
無理。
黙り込んだ私に、ジョナサンが助け舟を出してくれた。
「そんな無粋なこと言わないで。リディアは一人で読みたいよね」
「読まなくちゃ駄目だろうけど、読めないの。情熱的すぎて、読み切るのに一ヶ月くらいかかりそう」
「ユーリ殿下とのやりとりで‥‥‥」
ケイトが言い出した言葉を止めた。
「そう。全く無いの。男性からの告白も、甘い言葉も、親切な態度も初めてで、どうしたらいいのか分からない」
「そういえば、王太子殿下ってどんな感じなの。いい男なのかな」
ケイトのキラキラが復活した。
「そうねえ。顔が良くて見栄えがいいわ」
「他は?」
私は考え込んだ。しばらく待っていたケイトは質問を変えた。
「じゃあ、嫌なところは?」
「そうね。ユーリ様の悪いところは、考えた事がなかったかな」
「凄いね。優れた容姿で、全てが免除される男か」
そう言われると、私が馬鹿みたいだ。うーん、訂正しよう。確かに馬鹿だったのだ。
「目が曇っていたのよ。今から考えるわね。今回の断罪劇で言えば、姑息、陰険、サディストでナルシスト、状況の読みが甘くて、つまり政治力に欠けている、だわね」
ケイトが素っ頓狂な声を上げた。
「よくそれで好きでいられたね。それに、今は全く気持ちが残っていないんだね」
恥ずかしくなって俯いてしまった私の傍に、ジョナサンが寄って来た。
「皆多かれ少なかれ失敗するものだよ。結婚する前に目が覚めて、よかったと思うよ」
ジョナサンの言葉に背中を押され、私は気持ちを落ち着けて手紙に目を落とした。真ん中くらいから読もうとしたら、いきなり結婚式という単語が飛び込んでくる。
カアッと熱くなり、無意識で胸元のペンダントを強く握り締めた。すると、クロスが突然発光した。
「リディア、それ光っているよ。熱くない?」
私の手のひらの中で、チャームが膨らんで水色に輝いている。
しばらくすると光が消えたが、チャームは水色の丸い玉に変わっていた。




