影のジョナサン
ケイトが私の寝間着を引っ張った。
「どうやら十七年ぶりに目覚めた幽霊みたいね。これからどうするの」
私はジョナサンに視線を移して待ったが、彼は黙って私を見ているだけなので、あきらめた。
「物語なら、幽霊の側が事情を知っているのに、これは困ったわ。とにかくお父様に聞いてみましょうか。それとも会いに行く? というか、あなたは外に出られるのかしら」
ジョナサンがハッと気付いたように動いた。そして壁にぶつかると、バラッと散らばりながら、外に消えて行った。
しばらくすると戻って来たが、影のままだ。クロスを握らせると、また実体化したが、先ほどより荒いタッチになっている。
「どうだった。外に行けたの」
ジョナサンは首を振った。
「外の塀から出られなかった。それにここから離れると、意識が薄れて行くみたいで、自分を保てないんだ。それで、光に向かって戻った」
ケイトがクロスをつまみ上げ、ぶら下がっているチャームを指で転がした。
「さっきリディアがこれを触ったとき、急にジョナサンが濃くなったけど、今は何も起こらないわ。もしかしてリディアにだけ反応するのかな」
そう言ってクロスを渡し、チャームを触ってみて、と言う。私はチャームを指で摘んで、目の高さに掲げた。するとジョナサンの外見が、くっきりとし始めた。
「やっぱりそのチャームとジョナサンには関連がありそうね。それとリディアもね。また明日、色々と試しましょう。じゃあ、ジョナサンは帰ってね」
ケイトがそう言い渡すと、ジョナサンはしばらく何かを考えている様子で黙っていた。それから姿勢を改め、胸に手をおいて挨拶をした。
「少しずつ、元の自分の意識が戻り始めているようです。淑女達の部屋に勝手に入りこんだ失礼をお許しください。ではまた明日」
そう言ってから、フワっと消えた。
ケイトとダリアが、私を囲んで、興奮して寝間着を引っ張り始めた。
「私たち、幽霊と話をしたのよ」
「しかも幽霊が自分を取り戻すさまを見たわ。初めは混乱した子供みたいだったけど、最後はちゃんとした紳士だった。こんな体験ができるなんて」
三人で輪になって跳ね回ってしまった。一階だからいいけど、二階や三階なら、怒られるところだ。
その後ベッドに入ったけれど、私は興奮していて眠れなかった。
ジョナサンはどこに帰っていったのだろう。死んだのなら、その死体に戻るのだろうか。幽霊だと思うと怖いけれど、最初の頃の様子も、人間らしくなった今も、害意は全く感じられない。それに両親の知り合いだと思うと、親しみすら覚える。
今日は眠るのを諦めよう。そう思って、枕の位置を整え直した。
ところが、いつの間にか私は寝ていたようだ。いつもは目覚めてそう気がつくのだけれど、今回は夢の中にいるらしい。
私が立っているのは、湖のほとりのようだ。綺麗な水色の湖が、目の前に広がっている。
こんな色の水は見たことがないのに、なぜ夢に出てくるのだろう。白濁した水色の湖は、きれいだけど、生き物が住めそうに思えない。私は一歩前に進み、水の中をのぞき込んだ。
湖には魚も、虫も、水草もない。タライに水色の絵の具を溶かした水を、張ったような感じだ。
もう一歩前に進んだら、ザブンと音がして、湖面が揺れた。白いたてがみがゆらゆらと浮かび上がり、白馬が湖から上がってきた。白というより、銀色のように見える。水滴のせいかもしれないけれど、キラキラしている。
「綺麗ね」
そう言って手を伸ばしたら、その手に鼻面をこすりつけてきた。まあ、人懐こい馬だわ。もしかしたら、乗せてくれるかしら。
もう一歩近付き、馬の首をゆっくり撫でた。たてがみに光が当たり、キラキラとまぶしくて、私は目を細めた。
「起きて。もうギリギリの時間よ」
ダリアに体を揺すぶられ、ベッドに身を起こして、私はしばらくぼんやりしていた。銀色の馬と水色の湖の残像を、消したくなかった。
「着替えて、リディア。遅刻しちゃうわよ」
しぶしぶと私は現実を受け入れた。目に映るのはいつもの質素な部屋と、窓の外の緑。そして大好きな2人の親友。
いけない。遅刻すると部屋の連帯責任で罰を受けるのだった。
はっとして慌てて飛び起き、修道女の制服をズボッと被り、髪の毛を手でくしけずってベールを被った。
「できたわ」
「うわあ早いね。色々とすっ飛ばしたんでしょ」
そう。顔を洗うのも、髪を梳かすのも、服にブラシを当てるのも、ベールのアイロン掛けも全部省いた。もっとも、ベールはダリアが、アイロンを当ててくれてあったのだけど。
「ねえ、私すごく綺麗な夢を見ていたの。銀の馬と水色の湖を見たわ」
素敵ね、と言いながらダリアが私の背中を押した。ケイトは先頭に立って、渡り廊下を小走りで行く。そしてギリギリで礼拝の時間に間に合った。
「やったね」
ケイトが私とダリアに向かってウインクした。
いつもの礼拝の最後に、キンバリー修道女が私達のことに触れた。
「不服従の罪を犯した三人が、修行用の個室で4日間、反省の日々を送りました。無意味な反抗的態度や、労働の拒否は、神の教えに背くことです。他の皆さんも、心に留めておくように」
何故か私たち三人は、壇上に呼ばれ、反省の言葉を述べるよう言われた。ここで思ったままを話したら、また独房送りだろう。私は指名される前に、壇上に上がった。
「私は4日間神に祈り、神の教えを再確認いたしました。有意義な経験でした」
そう言って、軽くお辞儀をして段上から降りた。次にダリアが言い回しを変えて、同じようにぼかした事を言い、ケイトもそれに習った。
修道女達は満足気にしている。
その日の夕方、ダリアはキンバリー修道女から呼び出された。戻って来たダリアはしょげかえっている。
「コンパニオンの仕事を明日から再開することになったの。私の意見など全く無視されたわ。またお友達に迷惑をかける気かと言われて、断われなかった」
それを聞いて、怒りで息を詰まらせながら、私は急いで紙とペンを手に取った。
独房に入って、神の教えを思い出す必要があるのは、あなた達の方よ! 罰当たり修道女ども。
「お父様に助けを求めるわ。きっと何とかしてくれる」
ジョナサンのことは後回しだ。先にダリアを救ってもらわないと。
クックは部屋の近くの木に止まっていたようで、私が窓を開けると、すぐに飛び込んできた。今日はチョコレートボンボンを運んで来ている。
私は事情を書いた手紙をクックに結び、すぐに放してやった。




