リディアの回想1
第三章:この章はリディア視点です。
「リディア見習い修道女、今から部屋に戻ってもらいます」
今朝、突然ハリエル修道女が、独房で一人で過ごしている私の元にやって来て言った。
私は、クロスを強く握って瞑想している最中だった。
こんな朝早くからなんだろう、と不思議に思いながらドアの小窓に近付くと、ハリエル修道女が私をギロッと睨み付けた。
そしてドアを開けた。5日間の予定が1日早いので、なぜかと聞いたら、今日父が面会に来るからだと言う。
今日はこの修道院に入所して14日目。
二カ月目まで、絶対に面会禁止なのに、いったいどうやって許可を取ったのだろう。多分、父はかなり無理をしたはずだ。
クックの手紙を、一度も受け取れていないのだから、かなり心配させてしまったことだろう。
私は修道院に着いてから今までの事を思い返してみた。
◇◇◇
「何をぼんやりしているの。付いていらっしゃい」
マリーが出て行った後、物思いに耽っていた私に、修道女が命令口調で言った。
ああ、先が思いやられる。
私は憂鬱な気分で修道女の後に従った。
外部棟の廊下の先のドアをくぐると、その向こうはガランとした部屋だった。向かい側の壁はレンガ積みで、木のゴツくて大きいドアがある。どう見ても外壁という感じだ。通路を増設して、本棟と外部棟を繋げたのだろう。本棟は随分と古そうに見えた。そのドアに鍵を差し込むと、ガチャリという重い音がした。ドアの向こうは、漆喰塗りの壁がずっと続く、長い廊下だった。
「さあ、ここがこれから最低でも1年間、あなたが暮らす場所です。部屋に案内します」
修道女について歩いて行くと、前方に古い三階建の建物が見えてきた。それが見習い修道女達の宿泊棟だった。私は凝った屋根がある木造の長い渡り廊下や、中庭を見回し、昔はさぞ華やかだったのだろうと想像した。
中庭の苔むした噴水や、荒れた花壇が、ちゃんと手入れされていれば、ここはとても美しくて、心癒される場所になるはず。なのに、なぜ手入れされていないのか、不思議だった。
修道女が毎日何をしているのか知らないが、庭の手入れくらいしそうなものだ。
「この庭はとても素敵なのに、なぜ手入れをしていないのですか?」
そう聞いた私を、修道女が睨んだ。この修道女は大きなカエルのような目をしている。
「花壇の手入れをして、お金になりますか? あなたは頭の中がお花畑なのね」
お金になる?
運営資金は国や教会から入って来るはず。それで必要な経費は賄えるけど、足りない分を献金などで補う。そう王子妃教育で習った。
しかもここは王族の血筋の女性が院長を務める、若い貴族女性専用の修道院だから、特別予算も付いている。お金に困るような施設ではない。
慈善活動で、いくらあっても足りない? それは考えにくく、どうにもお金の遣い道が、想像できない。
宿泊棟は外から見ると古めかしかったが、中はもっと古そうで、庭と同じように荒れていた。
「あなたの部屋は105号室ね。三人で一部屋だから、細かいことは同室の子に聞いてちょうだい。ベットと机があるから、整理しておいて」
そう言って、さっさと戻っていってしまった。
105号室ってどこなの? それすら教えてくれないなんて。
キョロキョロしていると、廊下の壁に部屋割りと名前が書いてあるのに気付いた。105号室は廊下の一番奥の部屋らしい。部屋番号の下に、名前を書いたカードがぶら下がっている。
一つは、ケイト・サマーズ、もう一つはダリア・カーストンだった。仲良くなれたらいいな、と思いつつ、他の部屋の名札も見ていった。大抵一部屋に二人から三人が充てられていて、数えてみたら全部で三十七名のカードがあった。それに私が加わって、三十八名になったのだ。
明日からどんな生活が待っているか、見当もつかない今、神に祈るならこれだ。私は首に掛けたクロスを握って祈った。
「同室の子達がいい人でありますように」
案内図の通りに進んで105号室にたどり着き、ドアノブを回すと、部屋には鍵がかかっていなかった。
ベッドが三つあって、そのうちの一つは使われていないようだ。多分、これが私のベッドになるのだろう。ベッドの横にはライティングビューローと椅子が、置かれている。
私はビューローのテーブル部分を倒してみた。奥には、小物を入れる引き出しと棚があって、聖書が一冊置いてあった。紙の束とペンも置かれている。
テーブル下に引き出しが三段付いている。開けてみたが、中は空っぽだった。
私は、昼食の時間に修道女が呼びに来るまで、椅子に座ってぼんやりと、聖書をめくっていた。
昼食は大広間で取るようだ。三十七名の見習い修道女と、修道女十四名が、集まっていた。そこで私は新入りとして皆に紹介され、テーブルの末席に座った。
「言い忘れていました。部屋は105号室です」
院長が追加した言葉に、ザワッと声が上がった。
何だろう。105号室に何か問題があるのだろうか。誰か説明してくれないかと、周囲の子たちに目をやったが、誰も目を合わせてくれない。
私は諦めて、トレイのスプーンを手に取った。昼食はジャガイモとタマネギの入った野菜スープだった。味が薄くて少ない。それとライ麦のパン。こちらは硬くて少ない。それと薄い紅茶がカップに一杯。
少なすぎる量に驚いて、周囲の様子を見回してみたが、誰も不満そうにしていない。よく見ると、他の人のトレイには、もっと柔らかそうなパンが二切れと、マヨネーズソース掛けの小さなコールドチキンと付け合わせの野菜のグリルが載っている。なぜメニューが違うのか、理由がわからない。
それも不思議だけれど、あまりに静かだった。殆ど話し声が上がらない。全員が貴族令嬢で、マナーが身に付いているから、スプーンが皿に当たる音さえしない。異様に静かなのだ。
ここは様子見しようと、静かに食事を終えて、皆と同じように食器を片付けた。
広間を出るときに、見習い修道女達は、ドアの前に立つ修道女に挨拶している。素晴らしい昼食をありがとうございました、と礼を述べているようだ。私も真似て礼を述べた。
「新入りなのに、すごく溶け込んでいるわね。大抵は食事に文句を言うのに、あなたは素直でよろしい」
私は控えめな会釈をして通り過ぎた。
褒められたわ。やっぱり皆、この食事に文句を言うのね。言うわよね、これじゃあ。
新入りの食事が粗末な理由は、同室の子たちに聞こうと思っているけど、話してくれるのかしら?
午後も部屋でぼんやり待ち、また広間で殆ど同じメニューの夕食を終えると、やっと同室の二人が部屋に戻ってきた。
「はじめまして。私はリディア・ハントです。今日からよろしく」
豊かな赤毛で、細身の子が、ケイト・ウィルソンと名乗った。ウィルソン伯爵家の長女で、弟が一人いるそうだ。そばかすがたくさんあって、なんだか少年ぽい。
もう一人の銀色の髪の子はダリア・ヒルと名乗った。ヒル伯爵家の次女で、後妻の連れ子だそうだ。この子は宝石のスフェーンのような、不思議な色の目をしている。長くてみっしりと生えている睫毛が、重たそうでけだるげに見える。
「リディア・ハント嬢なら、第二王子の婚約者でしょ。それがなぜこんな所に送られるの? 105号室は、特別に問題のある人が入る部屋なのよ。失礼だけど、あなたがなぜここに送られたか聞いてもいい?」
「不敬罪に問われたの」
ケイトは片手で髪をかき上げた。
「わあ、すごいね。実際にその刑を受けた人って、初めて見た」
ダリアは気だるげに微笑んで、何をしたのか尋ねてきた。
「婚約者だった第二王子が、夜会に別の女性を連れて来たから諌めたのよ」
二人共、あまり驚きもせずに、そうなんだと納得している。普通はもう少し驚くと思うのだけど。
「この話を聞くと、大抵の人は理不尽だとか、酷いとか言うのだけど、あなたたちは、嫌にあっさりしているわね」
ダリアが小さく笑う。
「ここにいる者は、皆似たようなものよ。修道院送りになって当たり前の子の方が少ないわ」
「そう。大きく括ると、厄介払い」
ケイトの簡潔過ぎる言葉に、私は感動すら覚えた。
その通りだわ!




