苦い思い出
私はそう言ってから街道を走り始めた。だいぶ体の疲れが取れたようだ。
今回引き連れてきた伯爵家の騎士団は精鋭で揃えている。人数は十名と少なめだが、リディアを取り返して逃げるには、十分なはずだ。
リディアを連れ帰るために派遣した騎士団に、負けるとは思えない。
話を聞いていたメンバーは、すでにやる気満々だった。私と同じように、リディアのことを心配しているのだ。それに疲れていて、だいぶ気分がハイになってもいる。
騎士団がリディアを連れていたら、引き渡させれば済むが、たぶんそれだけでは気が収まらないだろう。
私たちが快調に馬を駆けさせていると、まさにその騎士団に出くわした。
「ハント伯爵だ。停まってくれ」
騎士は三人で、息がかなり荒くなっている。すごく急いでいるようだ。
幸い、リディアが一緒ではない。
「ロイから聞き出して追って来たのだが、リディアは今どこに居るんだ」
「私どもは急いで馬車を止めに向かったのですが、修道院に向かう道中で、追い越してしまったようなのです。修道院にはまだついておられません。それで戻りながら探しております。伯爵様も、お会いになっていないのですね?」
「見かけてはいない」
「それなら街道での小休憩ではなく、どこかの街で休んでいるのかもしれません。街に入って探しながら戻ります」
「修道院には誰か置いているのか?」
「二名を門前で待たせております。修道院に入る前に、確実に御留め出来ると思います」
騎士は張り切った感じで言う。細かい事は何も聞かされていないのだろう。
もし、護送車がどこかで休んでいて、修道院に入っていないなら、助ける事が出来る。私は一縷の望みを与えられ、気分が明るくなった。
シリカ修道院は、かなり危ないところなのだ。出来れば入って欲しくはない。
あそこには嫌な思い出がある。
17年前、友人のジョナサンの恋人だった女性が、彼との交際を咎められて入所させられたのだ。その理由は彼が子爵家の次男だったからだ。グレイ侯爵家の長女だったベラには、ふさわしくないとされたのだ。
当時シリカ修道院には、監獄の他に、淑女の矯正施設、という別名が付いていた。王族や高位貴族の女性が代々修道院長を務める、由緒正しい修道院で、受け入れるのは貴族の若い女性のみ。そこで修行すると、大人しく従順な女性に変わると噂されていた。
外部との交流を全く持たない、閉鎖的な修道院だったせいか、謎めいた噂がいくつもあった。脱走も侵入もできない、というのもその一つだった。
親族以外の男性は面会もできないため、彼女の様子がわからないまま時が経った。
一年後に修道院から出て来た彼女は、以前の奔放さや勝気さがすっかり無くなり、まるで生気が無くなっていた。それは、社交界でも噂になるほどだった。
修道院に入れた親や、親戚たちは大喜びしていたが、私の目から見たら、魂を抜き取られた人形だ。あれのどこが良いと言うのだ。
貴族は出席義務がある夜会で、ようやく会うことが出来たが、全く別人のようだった。
楽し気な笑い声は失われ、いつも陽気にふるまっていた彼女が、会場の隅で俯いていた。華やかで美しい容姿はそのままだが、立ち枯れた木のように生気がない。彼女をダンスに誘う男を、ほとんど断わっているようだ。
それを、親達や夫になる予定の男は、満足げに見ている。
彼女は有力貴族に嫁ぐことが決まり、婚約者の家族からの評判も良いと聞いていた。貞淑従順で言いつけによく従い、出掛ける先も修道院ばかりの大人しい嫁だと。
頭がおかしいのじゃないだろうか。多分修道院で、よっぽどきつい仕打ちをされたのだろうに、ただ大人しくて都合の良い人間になれば、それでいいのか。
私は彼女にダンスを申し込み、一曲だけ一緒に踊った。その時大丈夫かと聞いてみたら、一瞬にして目に光が戻った。
「ラリー。ジョナサンは元気だと思う?」
「解らない。探したが、手掛かりが見つからない」
友人のジョナサン・アンソンは、彼女が修道院に入れられた後、彼女を攫って逃げる計画を立てた。そしてある日のこと、手伝う約束をしていた私に黙って、一人きりで出かけて行ったらしい。
その後、彼の消息が途絶えた。私は彼を探したが、どうなったのかは、まるで分らなかった。
「ラリー、私は隣国で修道女になるつもりなの。この半年、近くの修道院に通って、隣国の修道院側と相談を重ねてきているの。受け入れ準備も済んでいるわ。後は修道院に向かうだけよ。これでお別れかもね」
「本気か? 婚約はどうするんだ?」
「馬鹿らしい。私は承諾していないわよ。問題が起こったって、知るもんですか。私をあんな収容所に放り込んだ親なんか、どうとでもなればいいわ」
彼女は昔通りの彼女だった。それより更に強くなっていたかもしれない。
「元の君だな。今までの態度はなに?」
ふふん、と彼女は鼻で笑った。
「ああでないと、出してもらえないのよ、あの収容所。幸い周囲にお手本がたくさんいたから真似したの。反抗したら、まともな食事ももらえないし、まともな寝床も与えられない。おかしくなって亡くなった子もいたわ」
そこまでとは思っていなかったので、私は絶句した。
「信じられないでしょ。最初の二か月で、徹底的に心をへし折るのよ。それで、大人しくなれば、面会が許されるの。私は四ケ月頑張った。そのころあなたが、他の見習い修道女経由で、彼が行方不明だと伝えてくれたのよ。それで態度を変えたの。早く出たかったから」
彼女の手を少し強く握って、君はがんばったんだね、とささやいた。
「彼を一人で行かせてしまって悪かった」
「謝らないで。多分あなたを巻き込みたくなかったのよ。彼はそういう人よ。それが、私の大好きなジョナサンだわ。落ち着いたら手紙を出すわね」
ダンスが終わって壁際に立った彼女は、また静かに俯いた。とても自然で、あんな思いを抱えているなどとは想像もつかない。
そして気付いた。その姿が自然に見えるほど長く、彼女はああいった態度を続けていたのだ。シリカ修道院を出るためだけに。
やはり、あそこに娘を入れようとする親は狂っている。
その半月ほど後に、彼女はシリカ修道院に行ってくると言って、侍女や護衛を伴って出かけた。そして隣国の修道院にも寄りたいと言って、そのままシリカに寄らずに足を延ばした。
隣国の修道院は、彼女を新しいシスターとして歓迎し、迎え入れてくれた。そして彼女は侍女と護衛達に言ったそうだ。
「ここまで送ってくれてありがとう。皆様に神のご加護がありますように」
もちろんグレイ侯爵家から、戻るように言ってきたが、手続き上は何の問題もない。
すでに見習い修道女として一年間お勤めをしていて、その後半年間の修道院通いをしている18歳の成人女性だ。その間に手紙での意思確認のやり取りを何回もして、隣国の修道院と合意に至っている。
彼女は別に隠すでもなく、着々と修道女になる準備をしていたのだ。そう言われてみれば、なぜ気が付かなかったのかと首をかしげるくらい、わかりやすい行動をとっていた。
「シリカ修道院での経験が、私を神に向かわせてくださいました。その私が今更俗世の生活に、どうして戻れましょうか。婚約を親から打診されましたが、私は既に神と婚姻を結んだ者ですと、お断りしております。現にあなた様と二人で出かけたりなどの、俗な振る舞いはしておりません」
修道院を出るよう説得しにきた婚約者も、不思議そうに言う彼女に言い返せなかった。彼女とは夜会にも観劇にも行っていない。彼女自身、お茶会にすら一度も参加していない。毎日修道院に行っていたのだ。
これはもちろんグレイ侯爵家有責で破談になった。慰謝料を思いっきりむしり取られたらしいが、いい気味だった。




