出会ってからしばらく微妙な距離感を保ちつつ、ようやく接近できそうと思ったら師匠に邪魔されて離されそうになるものの、男の子の勇気によって一歩前進する話
店のショーケースをじっと見つめている一人の男の子の存在に店番をしているエマが気づいた。
エマは今年十三を迎えたばかりであったが同年代の子よりもちょっとばかり大人っぽい雰囲気と性格をしているような子であった。
「あ」
すると外にいる男の子とショーケースのガラス越しに目が合った。男の子は目が合うと同時に驚いたように体をびくっとさせて脱兎のごとく駆け出してしまう。
一体なにがあったのか、エマは不思議に思いつつも席を立って追おうとした。
「おーい! エマ! 素材を地下に運ぶの手伝ってくれ!」
しかし店の奥から聞こえてくる兄弟子のトムの声を聞いてエマは足を止めるしかなかった。そしてもう追いつけないことを悟り、エマはあきらめたように店の奥へと向かって行った。
ところが次の日、昨日と同じく閑古鳥が鳴くなかで店番をしているとまたしても男の子がやってきてショーケースの中をじっと見つめ始めた。
その姿を同じく目の端で捕らえたエマは今度はそっと視線の端だけで男の子の様子を見始める。
男の子はショーケースに顔を押し付けんばかりの勢いでじっと見つめ続けている。その視線の先にあるのは――武器と防具の類だ。
(冒険者になりたいっていう子かな)
エマはそっとそんなことを思った。
子供であれば男の子も女の子も一度は冒険者に憧れるものである。そんな子はたいてい武器屋のショーケースを眺めてはその中にある武器を振り回してモンスターを倒す自分の姿を空想する物だ。きっとあの男の子もそんなところなのだろう。
(でもめずらしいな……表にあるもっと大きな鍛冶屋に行けばいいのに)
このクラージュの町には鍛冶屋がそれなりにたくさんある。
中でも一番大きいのはギルド直々に武器の発注を受けている『オールポート工房』あそこのショーケースにはもはや宝石と比較してもそん色ないぐらいの武器や防具がたくさん飾られていて冒険者に憧れる子供どころか大の大人であってもへばりつきたくなるほどだ。
それなのに路地裏の奥まったところにあるこの店にわざわざ来てくれるのはありがたいと同時にちょっと不思議な気分になってしまう。
「「あ」」
するとまたしても目があった。男の子のぱっちりと見開かれた黒い瞳とエマの透き通るような碧眼が交差する。
「ッ!」
「あっちょっと!」
すると男の子はまたしても逃げてしまった。エマは店の外に飛び出し、男の子が行った方を見てみたがすでに姿は見えなかった。
(……なんで逃げるのかな)
エマはぽつりと思う。
それでも男の子はそれから毎日のように店の前には現れた。次第に目があっても逃げなくなり、店の前にいる時間が少しづつ増えていった。それでもエマが席を立とうとすると逃げてしまうというのは変わらなかったので話す機会は生まれることはなかった。
しだいに時間が流れるにつれて、少しずつ男の子が店の前に来ることは少なくなっていってしまった。そしてとうとう来ない日の方が長くなり、エマは男の子が店にこないことの方が当たり前になっていくのであった。
ところがある日のことである。
相変わらずの閑古鳥を決めている店内でエマがぼんやりと天井を見つめていると店の扉がひらいたことを知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
エマはそれを聞いてすっかり板についた営業スマイルを顔にたたえながら扉の方へと顔を向けた。
「…………」
そこにいたのは短く切りそろえられた髪をもった精悍な顔立ちとなった男の子だった。まだ男性というには少し顔立ちは幼い。
「どうぞ、ごゆっくりごらんください」
エマは笑顔を変えないままそう声をかける。男の子はちょっと緊張しているような様子のまま壁に掛けられている武器を眺め始めた。それをみてエマはこっそりと裏に戻って師匠の元へと向かって行きこう告げた。
「師匠、あの子がきましたっ!」
「おや、ようやく入って来たのかい?」
どこか高ぶっているようなエマの知らせに奥で武器の手入れを行っていたこの店の主人であり、エマとその兄弟子のトムの師匠でもある鍛冶師のアンが顔を向けた。
すすけたような赤茶色の髪は長年の鍛冶によって受けた熱で痛み、パサパサになってしまっていて、顔も似たような色合いになっている。
しかし、その目つきははっきりとしていて、その奥に何か大きなものを持っている者としての雰囲気を確かに兼ね備えていた。
「ま、こっから先どうするか見ものだねぇ」
「なんか楽しそうですね……」
アンは店の奥から男の子の様子をのぞきながらさぞ面白そうな感じで言う。アンは一級の腕を持った鍛冶師だがどこかつかみどころかないというか子供らしさを未だに残しているような人でもあった。
「そりゃ、そうだ、もしあの子が『武器を買いたい』なんて言い出したらすぐに言うんだよ」
「はい、分かってます」
アンにそう言われたエマはそっと店内へと戻っていく。その間、男の子はエマが途中で抜け出したことには気が付いていない様子でじっと壁に掛けられた剣を見つめていた。
「……よし」
しばらくじっとしたいた男の子はくるりと振り向くとエマの方に向かって言った。
「すみません」
「はいっ! なんでしょうか!」
エマは顔は知っていたが一度も話したことがなかった男の子と初めて話したという感動と師匠に言われたことそのままの展開になりそうな期待感から勢いよく返事をする。
「あ……えっと、武器を買いたいんですけれど……」
「はいっ分かりました、少々お待ちください」
威勢のいいエマに若干腰が引けたような男の子であったがとにかくアンに言われた通りのこととなったエマはそう告げたのちにアンを呼びに裏へと向かって行った。
「師匠! 来ましたよ! 武器を買いたいそうです!」
エマは嬉しい感情を隠し切れていない様子で言った。昔からずっと見てきた男の子がついに自分の店で武器を買ってくれる。そんな場面に出会うことが出来たという感激と興奮でエマはいっぱいになっているのだ。
「……ああ、分かったよ」
しかしそんなエマとは裏腹にアンは急に態度を改めたような様子になった。先ほどの面白そうなものを見る目から一転、鋭い視線をその瞳にたたえ始めている。
「し、師匠……?」
目つきが変わったアンを見てエマは一瞬体を固くした。この目をしている時のアンはいわゆる本気の時の目であったからだ。
「トム」
アンはパタパタと服の汚れを払いながら工房の奥へと声をかけた。すると短い返事とともに兄弟子のトムが現れた。
歳はエマよりも五つかほど上であったがすでにアンの手ほどきを受けて鍛冶師を名乗るに相応しい腕前を持っており、その才能は師匠であるアンからも太鼓判をおされるほどであった。
がっしりとした体つきをしているがどこか優し気な雰囲気があり、エマはトムに対しても本物の兄のような親近感を抱いている。
「今から私が話してくる、その間エマと一緒にいてやりな、余計なことをしないようにね」
「はい、わかりました」
そう言い合ったのちにアンは表へと出ていった。エマは残されたトムの手招きに従って表の様子を観察することができる、商品棚の影へと身を寄せ合いなりゆきを見守りはじめた。
「どうも、待たせたね」
エマが引っ込んだのちに現れた武骨な女性の姿を見た男の子は店に入って来たとき以上に緊張した様子で見つめていたがはっと思い出したかのように頭を下げた。
「は、はじめましてっ! エリックと言います」
「ああ、私はアンだ」
「えっと、以前からこの店には……あ、はいったのは今日がはじめてなんですけれど……」
「余計な前置きはいいよ」
アンがぴしゃりというとエリックは口を閉ざす。そしてアンは短く尋ねた。
「あんたは、私に何をして欲しいんだ?」
「……武器、をお願いします」
アンの問いにエリックが答える。
「……ゼロ点だね、帰りな、あんたにはまだ早い」
するとアンはくるりとエリックに背を向けてそう言い、裏へと引っ込んでしまった。
「え、な、なん……?」
エリックは驚いたようにその場に取り残される。
「ちょ、ちょっとまってください……!」
しかし諦めることなくアンの後を追って店の裏手へと入ろうとする。その時、商品棚の影に隠れていたトムがすっと現れてエリックの行く手をふさいだ。
「おっと、ここから先は関係者以外立ち入り禁止ですよ」
「あ……でも……」
エリックが何か言おうとしたが優し気ながらも見下ろしてくるトムの目を見て口が動かなくなってしまう。しかし立ちはだかるトムの背後に見えるアンの後姿を見てトーマスは声を張り上げた。
「ぼ、僕は! 冒険者になりたいんですっ! おっお願い、します!」
(おお……)
先ほどの縮こまるような態度とは一変して声を震わせながら発した訴えにトムが内心で少し感心する。すると背後にいるアンも同じことを思ったのか再びエリックの元へと戻って来た。
そしてエリックを見下ろしながら言った。
「坊や、まぁ気持ちは分かった、ここで尻尾巻いて逃げなかっただけまだ上等だ、だけどね、肝心なところがまだ見えてないんだよ」
まるで諭すような聞き方をされたエリックであったがまだ完全には理解しきれていない様子であった。そこでアンはこれ以上ない直球の質問を投げかけた。
「坊やはさ、何になりたいのさ?」
「な、何って……?」
「いろいろあるだろ? 武器といっても別に剣だけじゃない、槍も鎚も斧もみんな立派な武器だ、仮に剣といったところで種類はたくさんある。片手剣、両手剣、大剣、長剣、刺突剣に闘剣、そこからさらに細かな形状や素材が組み合わされば武器というもの数は無数に存在することになる、一つとして同じものは存在しない、その無数の可能性の中から一つ一つ見極めていって初めて、『自分の武器』というものは決まってくるんだ、違うかい?」
アンが言うことエリックは呼吸を忘れたような状態になって聞き入っている。そこにさらにとどめを刺すようにアンがもう一度聞いた。
「そんでその根っこの部分が分かるのは坊やだけだ、つまり『何になりたい?』ってことだ、坊やは『一体どうなりたい?』」
(どう、なりたい……)
問いかけに対してエリックは考える。一体自分はどうして、何が合って冒険者になりたかったのか。
最初のきっかけは間違いなく小さなころからあこがれてた物語に出てくる英雄を見たことだ、伝説の剣を振りかざして悪を打ち払い、世界に平和をもたらしたあの英雄を始めてみた時からずっと憧れていた。いつか自分も鎧を身に着け、剣を手に持って悪を倒して――何がしたいのだろうか。
悪を倒すってなんだ? モンスターを倒すことなのか? でもそれって冒険者としての当たり前の仕事、そもそも冒険者は別に英雄なんかじゃない、ギルドからの依頼を受けてモンスターを狩ってその素材を売ったり報酬をもらったりして生活している。そういう職業だ。
そう考えると英雄になりたくて冒険者になるのがそもそも間違っている……?
エリックの中で自分自身に対する疑問がわき始める。自分自身のことのはずなのに全く理解できない、説明することができない。
「え、えっと……その……」
考えても出てこない、両親を説得してギルドで冒険者になるための登録を済ませてきたはずなのに全く言葉にすることができない。
「それが、ないんじゃあ……無理なんだよねぇ」
説明が続かないエリックを一瞥するとアンは再び奥へと行ってしまった。
「あ……待って……」
行ってしまう、ダメだ、こんなに冒険者になりたいと思ったのは自分自身の人生で初めてなのは心から誓える。それをどうにか伝えなければ、なんでもいい思ったこと、今思ってること、なんだ、なんだ、なんだっ! 武器、ぶき、ブキッ! なんでもいいっ! 武器といったらなんだぁっ!
「か、かっこいいのが、いいですっ!」
エリックは思わず叫んだ。アンが止まるのを確認することもなく、間髪入れずにさらに続けていく。
「か、っこいいって言っても……変に凝ったようなのじゃなくて普通の、特別な感じじゃなくて、普通に使えて、手入れもしやすくて、使いやすいのが……」
たどたどしく精一杯の説明を始めたエリックをアンは後ろを向いたまま黙って聞いていく。そして残っている部分を催促するように聞く。
「あとは?」
「あと、値段は……値段は……そんなに高くない方が嬉しい、です。お金がないので……」
エリックの言い分は常識的に考えればよろしいものではない、かっこいいなどという曖昧過ぎる理由に加えてそれを安く欲しいというのは受ける側としても難しい注文だ。
しかしエリックが精いっぱいつげた心からの注文を、アンは確かに受け取った。
「少し、話そうか、中においで」
アンはそう言うと手を振って中に来るように促す仕草をみせた。エリックが固まっていると間でなりゆきを見守っていたトムも道を開けながら告げる。
「師匠に認められたみたいだね、入っていいよ」
「し、失礼、しますっ」
それでもトムはまだ緊張した様子のままギクシャクとした動きで工房の中へと入っていった。