報道関係の方々、そしていつも応援して下さるファンの皆さんへ
みなさんこんにちは、園田梨々香です。
今回の事件では本当に沢山の方々にご迷惑、ご心配をおかけしてしまい、とても心苦しく思っています。
今現在、私は警察の事情聴取もひと段落つき、病院の先生からもそろそろ退院の許可をいただけそうで、久しぶりの自宅でお腹の赤ちゃんと一緒にのんびり出来る日を心待ちにしています。
さて、今回私がこうしてみなさんにメッセージを伝えようと思い立ったのは、今私は元気いっぱいで過ごしているとみなさんに言いたかったというのが一番なんですが、さらにもう一つ。ここ何日かの間にネットを中心に流布されている様々な噂に対して、もうこれ以上我慢出来なくなったからです。
私が誘拐されていた11月4日から11月15日の間に起こった出来事は、すべて包み隠さず警察の方にお話ししました。
それを受けて行われた警察発表も、個人情報に関わる部分を除いて、全て正確なものでした。
ですがその内容について「そんな訳ない、とても信じられない」などとなんの根拠もなく否定して、無責任な噂話をネット上に垂れ流して面白がっている人達があまりにも多すぎます。
この事件の真相を知る当事者として、被害者として、これ以上黙っている事は出来ません。
警察発表と重複する部分が多いのですが、改めて私自身が私自身の言葉で正確な事実をみなさんにお伝えしようと思います。
11月4日、春から始まるドラマの打ち合わせを終えて事務所を出たのが午後4時30分頃でした。その後事務所の近くのペットショップとお洋服屋さんをしばらくひやかしてから電車に乗って自宅の最寄り駅で降りました。いつもの馴染みの定食屋さんで晩ごはんを食べて、自宅マンションの前に着いたのが午後7時30分くらいだったと思います。
スマホを見ながら玄関まであと10mくらいの距離まで近
付いた時、突然後頭部に強い衝撃を感じて意識を失いました。
どのくらいの時間気絶していたのかは分かりませんが、
割れるように痛む頭で目が覚めたのは、全然知らない部屋のベッドの上でした。
警察の方に止められているので具体的な間取りは言えないのですが、ログハウス風の建物のゲストルームのような部屋でした。
部屋自体はかなりの広さで窓は全部で4つあったのですが、全て外からベニヤ板のようなもので塞がれていました。かなり強く手で押してもビクともしなかったので、おそらくベニヤ板の上から角材か何かで更に補強してあったのではないかと思います。
部屋の外に通じていると思われるドアは1つだけで、もちろん開きませんでした。見たところドアノブには鍵穴はついていなかったので、私を閉じ込める為に南京錠か何かを外から取り付けたのではないかと考えました。
ドアと窓を確かめて、どうやっても出られない事がはっきりした時、やっと私は理解しました。
「私は誘拐され、監禁されている」
32年生きてきて、私は初めて知りました。
恐怖とは『個体』だと。
肌で感じ、指で握ることができる『個体』であると。
全身の神経を恐怖が締め付け、殴り、突き刺し、切り裂くのを現実の痛みとして感じる。
口から入り込んだ恐怖が呼吸を奪い、悲鳴すらあげられない。床にくずおれる事さえ出来ない。
只々、立ち尽くしていました。
そして、
そう、そして・・・・・・です。
ここからですよね?
たくさんの人達が「信じられない」って言ってるのは。
だけど、実際にあの事件を体験した当事者として、本当の事を知る者として、誰がなんと言おうとただ事実をありのままに話す以外ありません。
私は、なにもされていません。
本当に、10日間ただ閉じ込められていただけです。
自分が置かれている状況が理解できてから、多分30分以上立ち尽くしていたと思います。
やっと膝から力が抜けて床にへたり込み、そのまま次に起こる事を待ちました。
何も起こりませんでした。
最初に目が覚めて部屋の中を見回した時、壁に掛かっている実用本位の平凡な時計の針は3時20分頃を指していました。
4時になり、5時になり、6時になり、7時になっても何も起こりませんでした。
8時になった時、初めて動きがありました。
外に通じていると思われるドアの下の方には、明らかに無理矢理ノコギリで切って作った様な不自然な5cm程の隙間があったのですが、そこから何かが部屋の中に入って来たのです。
安物のプラスチック製のプレートの上に、同じくプラスチック製のお皿にサンドイッチが二切れ、私がほぼ毎朝の様に食べているお気に入りのメーカーのヨーグルト、そして紙パックのミルクがのっていました。
私は手をつけませんでした。
そのまま何事も無くまた時間が過ぎて12時になりました。
朝食のプレートは音もなくドアの下から下げられて、別のプレートが入って来ました。
肉じゃがと、豆腐のお味噌汁と、ご飯がのっていました。
私は手をつけませんでした。
また時間が過ぎて6時になりました。
昼食のプレートは音もなくドアの下から下げられて、別のプレートが入って来ました。
豚の生姜焼きと、あさりのお味噌汁と、ご飯がのっていました。
ありったけの勇気を振り絞って、ドアの外にいる誰かに私は話しかけてみました。
「あなたは誰ですか?どうしてこんなことをするのですか?」と。
返事はありませんでした。
基本的に、後はこの繰り返しです。
食事が運んで来られるたびに私は話しかけてみました。
何度も何度も。
返事はありませんでした。一度も。
つまり私は犯人の顔を見ていないし、会話も一言も交わしていません。
本当に、10日間ただ閉じ込められていただけです。
3度目の朝食が運ばれて来た時、初めて私はそれを食べました。
丸2日が過ぎて空腹に耐えられなくなったというのもありますが、その頃には私は少しだけ楽観的になっていたからです。
皆さんは今回の事件で私が行方不明になっていた間、身代金の要求が無かった事を知っていた訳ですが、その時の私は当然そんな事は知りませんでした。
だから私がその頃考えていた事は、丸々2日間も監禁しているのに犯人は私に対して一切接触して来ない、それはつまりこの誘拐の目的は私個人への感情的なものでは無く、単純にお金目当ての犯行のはずだ、というようなものでした。
映画やドラマで良くあるように、もし犯人が私を解放する意思がないのなら姿を見せているはずだ、これほど頑なに顔を見せず言葉すら交そうとしないのは、お金さえ手に入れば私を生きたまま帰そうと思っているからだと。
いま思えばあまりに無邪気で楽観的に過ぎる希望的観測ですが、あの時の私はそう強く信じ込み、それ以外の可能性を考えない事でなんとか心の平静を保っていました。
今日にも身代金が支払われて解放される、今にも警察の人が助けに来てくれる、必ず生きて帰って婚約者の方と結婚して、元気な赤ちゃんを産んで幸せな家庭を築くんだ、そう自分に言い聞かせながら1日1日を過ごしていました。
ただ、これは言っておく必要があると思うのですが、監禁されていたと言ってもその環境は決してひどいものではありませんでした。
トイレやバスルームはもちろんありましたし、タンスには清潔な着替えが入っていました。
冷蔵庫の中には食べ物はありませんでしたが、烏龍茶とミネラルウオーターの2ℓのペットボトルが2本づつありました。
50インチ程のサイズのTVは写りませんでしたが、そのかわりDVD プレーヤーとPS3が繋がっていました。
DVD はディズニーとジブリの作品ばかり30本程置いてあって、前から見たいと思っていた『ノートルダムの鐘』を見ましたがやっぱりあまり集中出来ず、頭に入って来ませんでした。
つくづく、何も考えずに時間を潰す最強のアイテムはゲームだと実感しました。
ゲームソフトは10本用意してあって、その中からいろんな人から「傑作だ」という噂を聞いてずっと気になっていた『ラスト オブ アス』をプレイしました。
傑作でした。
それ以外には『ワンダと巨像』と『レッド・デッド・リデンプション』をクリアしました。
皆さんから「何を呑気な・・・」と呆れられてしまいそうですが、つまり私は10日間ほとんどゲームばかりしていた訳です。
初めて手を付けて以降は、食事も3食しっかりと食べました。
生きて帰るためには体力が必要だと思いましたし、なによりもお腹の赤ちゃんのためでした。
それに正直に言って、毎日出てくる食事はとても美味しかったのです。
しかしもちろん、ただ呑気に過ごしていた訳ではありません。
一度膨らんだ楽観的な気持ちも、一週間が過ぎる頃には再びしぼみ始めていました。
いくらなんでも長過ぎる、お金を集めるのに苦労しているのだろうか、警察の人はいったい何をやっているのか、もしもお金が支払われなければ私はどうなるのか。
様々な考えが浮かんでは消えて、不安な気持ちがどんどん大きくなる一方でした。
そうして迎えた11月15日の朝、変化がありました。
いつもなら時計の様に正確に8時に持って来られていた
朝食が来なかったのです。
それまで10日間寸分の狂いもなく繰り返されていたルー
ティンが乱れた事で、徐々に積み重なっていた不安と恐怖心が一気に爆発して、私は完全にパニックになりました。
始めてドアを何度も何度も思い切り叩き、声を限りに叫
びました。
もうやめて、助けて、家に帰して、と。
そして力任せにドアノブを回すと、ドアが開きました。
いとも簡単に。
何が起きたのか理解出来ませんでした。
たっぷり30秒は呆然と立ち尽くしていたと思います。
何かの罠だ、そうに決まってる、ぼんやりとそんな事を
考えながらゆっくりと廊下に足を踏み出しました。
廊下には角材が3本落ちていました。その時はわかりま
せんでしたが、後から警察の人に聞いた話では、ドアには鍵がかかっていたのではなく、角材を使って廊下の向かいの壁につっかえ棒をして開かないようにしてあったそうです。どうしてあの朝つっかえ棒が外してあったのかは、今でも私にはわかりません。
廊下に出て、初めて私は自分がいたのが2階の部屋だった
と知りました。
なんだか現実感のない、ふわふわとした不思議な感覚で
階段を下りていくとすぐ目の前が玄関で、私が誘拐された時に履いていたリーボックが揃えてありました。
そんな訳ない、有り得ない、これは罠だ、すぐに連れ戻
されるに決まってる、そう思いながら靴を履き、玄関のドアを開けて外に出ました。
おそらくそうじゃないかと思っていた通り周りに民家は
一軒もなく、木々に囲まれた緑深い山の中に建つ別荘風のログハウスでした。
このまま止まってしまうんじゃないかと心配になるくら
いにドキドキする心臓を抱えて、細い山道を歩いて行きました。
建物から離れるに連れ、ゆっくりとした歩みは少しずつ
少しずつ早足になり、気づいたら全力で走っていました。
500mくらい走ったところでやっと隣の民家が見えて来
てその時初めて本気で、助かるかもしれない、と思いました。
何年振りかの全力疾走で息も絶え絶えに駆け込んだお宅
の庭では、大きな黒い犬にご飯をあげていた優しそうな顔をしたおじさんが、目をまん丸にして私を見ていました。
これが私が監禁されていた10日間にあった事です。
私は完全にお金目当ての誘拐だとばかり思っていたので、警察の方から身代金の要求は無かったと聞いて、心底驚きました。
お金も求めず、私にも指一本触れていない。
一体犯人は何がしたかったのか?
遺体で発見された男性に共犯者はいたのか?
私にはさっぱりわかりません。
というか、今の段階では誰にもわかっていないみたい
です。
いずれは必ず警察の方が全ての謎を解いてくださると思
うので、私達素人はただその時を静かに待っていれば良いのではないでしょうか?
なんにも本当の事を知りもしないくせに、勝手に考えた
適当な憶測をネット上に垂れ流して、人の心を傷付ける事の何がそんなに面白いのですか?
「10日も監禁されてて何もされていない筈が無い」とか
「片脚の男を殺したのは園田じゃないのか」とか
「全て売名の為の狂言じゃないのか?」などという訳のわからないものまで・・・
もういい加減にして下さい。
私はもうこれ以上我慢をするつもりはありません。
SNS上に書き込まれた余りにひどい誹謗中傷に対しては個人を特定し、法的手段に出る事を警察の方と相談しています。
はっきりと言っておきます。
私は今回の事件それ自体にも、その副産物である悪意に
満ちた風評被害にも負けません。
不幸中の幸いと言うべきなのか、私は誘拐犯の顔を見て
いませんし、会話もしてません。
そのせいもあって、正直あまり“誘拐されていた”という
実感がないのです。
警察のカウンセラーの方とも話したのですが、特にトラ
ウマのようなものも自分では感じていません。
つまり、
私は大丈夫です!
常につきまとっている不安感や、理由のない恐怖心が完
全に消えるまでにはまだしばらく時間がかかるかもしれません。
だけど私はこんな事でへこたれません!
残念ながら春のドラマは降板が決まってしまいましたが、それ以外、私は何一つ諦めるつもりはありません。
予定通りに婚約者の彼と結婚して、かわいい赤ちゃんを
産んで、幸せな家庭を築き、そして育児が落ち着いたら、
またお芝居の世界に戻って来たいと思っています。
しばらくの間は各メディアへの露出は少なくなると思い
ますが、SNS等で個人的な情報発信は続けるつもりなので
1人でも多くの人に見てもらえたら嬉しいです。
思ってた以上に長文なってしまいまして、読みづらくて
ごめんなさい。
とにかく!
どんな形でかは今はわかりませんが、私は必ず女優とし
て皆さんの前に帰ってきます!
どうかその日まで、静かに見守っていて下さい。
よろしくお願いします。
では、再びお会いするその日まで、
少しの間、さようなら。
11月20日
園田梨々香




