姫様と魔法使い ~後編~
このお話で完結です。ありがとうございました。
「なに言ってるのっ!私は、大嫌いって言ってるじゃない。」
「うん、わかってる。僕を愛さなくていい。だけど、愛させて欲しいんだ。」
真っ直ぐ見つめて言えば、ミシェルは顔を赤らめた。少し緩んだ腕から抜け出すと、距離を保って言い切った。
「…お断りするわ!」
「断れる?王様死んじゃうよ。」
「…構いやしないわ。城に返してよ。」
ぷいと顔を背けたミシェルは、窓の外を見ながら言った。
「僕と結婚しようよ。」
外に気を取られていたら、不意に近づいたステファンが顔を覗き込みながら言った。
「っ!嫌だって言ってるでしょう。」
「…魔法使いを辞めたら?」
「辞められない癖に?だいたい、あなた何歳なのよっ!」
「十八。」
さらりと言ったステファンは、にっとミシェルに顔を近づけた。それをさっと避けながら、ミシェルは顔をしかめた。
「私より七つも下じゃない。」
「恋愛に年なんて関係ないんだよ。知らないの?」
残念、と顔に出しながら、ステファンは空を見上げた。
「魔法使いはお断りよっ!あなたなんかと、死んでも嫌よ。それなら変態の爺か、死ぬほうがまだマシね。」
言ってしまってから、言い過ぎたかもしれないとミシェルは思い、ステファンを伺ったが、彼は空を見上げたまま何も言わなかった。
「…そんなに嫌われてるなんてなぁ。まぁ、当然と言っちゃ当然か。」
ポツリと呟いて窓を開けると、ミシェルの服を取り込み手渡した。
「城まで送るよ。汽車に乗れば着くから、駅まで。」
カップを手に寂しそうに笑って、台所に消えた彼をぽかんと見送ったミシェルは、手元にある服に視線を落とした。
すっかり綺麗になり、日だまりの匂いがする服を手になんとも言えぬ気持ちが芽生えていた。
「こっち。」
居間に付く扉を開ければ、そこは木の板間が続く廊下で、あまり大きくない階段が下へと続くだけだった。彼が言うには、一つの家に複数の人達が、部屋を借りて住んでいるらしい。部屋は好きなように自由に使って良いらしく、住人達が思い思いに改造しているという。
そんな説明を聞きながら、階段を照らす日の光を浴びて、大きな窓を眺めた。
「行こう。」
既に階段を降り、下の階に降りていたステファンは、窓を眺めるミシェルに次の階段へと足を掛けながら言った。
慌ててステファンを追いかける。
三階立てのステファンが住む一戸建ての屋敷は、坂の中腹に佇み、坂を下った先には港がその姿を見せている。
「港境の街だから、船や市場が多いんだ。」
港とは反対の道を行きながら、ゆっくりとステファンは説明する。
「じゃあ、さっきの威勢の良い声はそれだったのね!」
母の仇である息子に、思わず笑顔を向けてハッと気づいた。
思わず顔を背けてしまったが、ステファンは小さく笑っただけで話を続けた。
「…街の人は大抵酒好きで、喧嘩好きだよ。元気がいい街でね、ここは。」
ミシェルの歩く速度に合わせて、なだらかな坂を上がる。坂を上がって左に曲がって歩けば、駅までの近道だという。
「おや、ステファン。なんだい、可愛いお嬢ちゃんを連れて!」
恋人かと聞く恰幅のよい主婦は、口を開けて大きく開けて笑った。
「そんなんじゃないよ。」
「じゃあ、頑張るんだね!」
バシンと力強くステファンの背中を叩くと、ミシェルに片目を瞑って見せ、買い物を抱えて屋敷へと入っていった。
「スー、おはよう!」
「おはようじゃないだろ!」
木の棒を肩に担いだ少年達が、左の門から飛び出してきて、ステファンは笑った。走り去って行く少年達を横目に、彼の心から笑った顔をミシェルは驚いたように見つめていた。
笑ったらこんな顔をするのか。
年相応のその笑顔に、思わず心が跳ねた。
そんなミシェルに気づかず、ステファンは角を曲がってその先に続く道を進む。
郵便屋が佇む、その角を曲がれば、坂に隙間なくひしめく街並みが現れた。どこからどこまでが家なのか分からないほどのひしめく家は、布団を干したりと極普通の生活が広がっていた。長細い、不規則な階段が続くその道を慣れた様子でステファンは降りていく。後を追えば、時折細い路地が姿を表し、主婦達が世間話をしていたり、子ども達が薄暗い路地で落書きをして遊んでいた。
面白いと、思わずミシェルが笑顔になった時。
「えっ!?」
急に体が宙に浮いた。
「おっと。」
体を支えてくれたのは、前を歩いていたステファンで、鮮やかな仕草でミシェルの体勢を整えてくれた。
「よそ見してたら危ないよ。」
「…ありがとう。」
微笑を称えるステファンを直視出来なくて、そっぽを向きながら小さな声で礼を言った。
愛想もないミシェルに、気を害したようでもないステファンは、ゆっくりと階段を降りていく。
うっかり階段を踏み外してしまったが、支えてくれたその手の平から伝わる温かさが、いつまでも体に残っていた。思わぬ優しさに触れて、気まずく視線を逸らした。
「おぉ、ステファン。ひとつ占ってやろうか?」
「今日はいいよ。また今度、頼むよ。」
路地の角に座る、占い師のお爺さんに声を掛けられてもさらりと交わし、手を振って前を通って行く。ステファンに相手にされなかったお爺さんは、後を追うミシェルに標的を移した。
「お嬢ちゃんはいかがかな?」
「…え、いえ。」
茶色のマントを着、フードを被るお爺さんは、そう言わずと手を振って招く。どうしょうかと困っていれば、ぐいっと左手首を引っ張られて足が誘われるように動いた。
「爺さん、こっちも今日はいいって。」
ステファンに連れられ、その場から離れると後ろの方から、お爺さんの残念そうな声が後を追ってきた。
「あの爺さんは、晴れてる日は日光浴を兼ねて毎日いるんだよ。年寄りは暇人だからさ。」
相手をしていたらきりがない。と手を引きながらそうステファンは、階段を降りきったところでミシェルの手を離し、細い住宅街の間を歩いて行った。
なぜかドキドキと胸が苦しくなるミシェルは、出来るだけステファンを見ないよう背後に回ると、黙ってついて行く。本当は優しくていい人なのかもしれないという考えを振り払って――。
ステファンが歩く先には、小さな露店が並び、見たこともない商品がミシェルの目に飛び込んでくる。
「ステファン、今日はとれたての春の野菜が安いよ!ひとつどうだい?」
「おやおや、ステファン。可愛いお嬢ちゃんを連れて。焼きたてのパンなんてどうだ?」
初めての露店の気迫にたじたじになるミシェルだが、ステファンは慣れた様子で売り手を交わしていく。笑顔に囲まれ、自然と笑顔になる。
『元気がいい街でね。ここは。』
そう言ったステファン。きっとここに住む誰しもがそうであるように、笑い声が響く元気な街が心から好きなんだと肌で感じる。
自分が住む城とは全く違う街で、何故か懐かしくなった。
「ここの市を抜けたら、広場に出る。広場に着いたらすぐに駅が見えるよ。」
ちゃんとついてこれているか、確認を兼ねて振り返ったステファンがそう説明する。
目的地が近づくのと同時に、二人の別れの時も近づいていた。
「どうして魔法で送ろうとしないの?」
潮の匂いが風に乗って鼻をついた時、広場に辿り着いたステファンに背後からミシェルは尋ねた。
その声に振り向いたステファンは、少し間をおいてから風を詠むように明後日の方向を見ながら答えた。
「…特に理由はないよ。城まで僕は行かないほうがいいかなと思って。」
その間が少し気になったが、切符売り場に向かって広場を横切るステファンの背中を黙って追った。
「はい、これ切符ね。降りる駅は終点だから大丈夫だよね。」
ひしめく人々の中、渡されたひとつの切符を手に取り頷く。
「ああ、ちょうど汽車が来たみたいだ。」
乗降所から雪崩出てくる人の中をステファンが先手立ってミシェルを誘導した。
「…この女性、汽車に乗るの初めてなんだ。気にかけてあげて。」
もうもうと黒い煙を吐く汽車の側で、ステファンがそう声をかけたのは、長年車掌を勤めているであろう初老の男性。
男性が了承したことを確認し、先程から何も言わないミシェルと向かい合った。
「…じゃあね。」
そう一言だけ。
くるりと背を向けて去って行くステファンの背に、何も言えずに佇んだ。
どれほどそうしていただろう。気づいた時には汽車が出発の汽笛を鳴らし、場内に行き先が告げられていた。
「…お嬢さん、どうかされたかね?」
なかなか乗り込まないミシェルに、先程ステファンにミシェルを託された車掌が声を掛けてきた。
「…わたし。」
魔法使いは嫌いだ。
かあさんを殺して、自分も死んだ。そんなズルイ奴。
許せるはずもないけれど。
自然と溢れる涙に、長年勤めるであろう車掌は何かを悟ったようで、天井が無い乗降所の空を見上げて言った。
「…人間の心情というのはなかなか厄介な代物ですからな。お若いといろいろと惑わされて、戸惑うことも多いでしょう。けれど迷ったなら、そのときこそ自分に正直になる時なのだと、老いた私は思うのですな。」
涙をこらえるミシェルを見下げ、にっこりと笑った。
「汽車はいつでも通ってます。あなたが自分の街に帰りたくなった時には、喜んで目的地までお連れしましょう。ですがね。人と人がすれちがってしまって、違う街に行く逃げ道にしてしまえば、もう二度とその時には戻れはせんのです。迷った時には、今自分が本当に行かなければ行けない場所へ向かった方が、後悔をせんですむと思いますな。…それが、迷いがまだあったとしてもです。」
片目を瞑ってみせた車掌に背を押され、ミシェルは意を決して前に足を踏み出した。
「…わたし、行かなくちゃ行けない場所が違ったみたい。ありがとう車掌さん!」
振り返って笑顔で手を振って走り出したミシェルに手を振って、頑張れよと小さく声援を送った。
「…なにかあったんですか!?」
なかなか出発の合図を出さない車掌に若い青年が一人、息を切らして車掌の元にやってきた。
「いんや?大したことはないよ。ただ、お客さんの行き先が変更になっただけで。」
「はぁ…、そうですか。」
久しぶりに良い事をしたわ。とふぁふぁと笑う年配の先輩に、気の無い返事を返した青年であった。
さて、駅から一気に走り出たミシェル。
来た道乗りを急いで戻る。
広場を横切り、彼の背中を見ながら通った市を抜ける。走る途中も、彼の姿を探すのを忘れない。
元気のいい市の人混みを抜けて、住宅街の路地を駆けて行く。見えてきた階段の量に、これを登るのかとため息が出そうになるが、気合いをいれてドレスの裾を捲って駆け上がる。
「…どこまであるの?この、階段。」
ぜいぜいと息を整えながら、左右の路地を見やった。どこも同じように見える路地に、不安が膨らむ。また階段を駆け上がり始めたミシェルの前に、先程占いをしてあげようかと声を掛けてきたお爺さんがおやっとミシェルを見やった。
「あ、あの!」
「占いかね?」
「違います!」
おや残念というお爺さんに、息を整えたミシェルは再び尋ねようと声を掛けた。
「お爺さん、あの、」
「ステファンかね?あの子は帰りは、ここの道を通って来ていないよ。」
ミシェルが聞く前に答えたお爺さんに目を丸くさせていると、お爺さんは「長年だてに趣味で占いをやっとるだけではない。」と笑った。
「ほれほれ、早く行かんとステファンの方が家に着いてしまうぞ。」
お爺さんに礼を言って駆け出したミシェルを見送ったお爺さんは、「若い輩は羨ましいわい。」と独り言を零した。
そんな独り言を耳にして、階段を必死に登る。
先程、彼が支えてくれた階段を。
先ほどの世間話をする主婦達がいる薄暗い路地と、子供達がいなくなった壁や道に落書きが残る路地を横目に。
くねくねと曲がる不規則な階段をようやく登り切ると、郵便屋が見えてきた。慣れない道を往復したために、ミシェルの靴は血が滲み、痛さに顔をしかめた。…それでも。
足を踏み出して歩き、郵便屋を角を曲がれば、家を出た数刻前のままの彼の家が見えた。
家の玄関まで来て、彼はもう帰っているのか、どう言えばいいのか、よい理由ともやもやとした気持ちが邪魔をしてなかなか中に入れない。
とにかく、部屋まで行こうと気合いを入れた時、足音が近くにやってきて、先ほどまで近くで聞いていた声がミシェルの耳を震わした。
「…ミシェル?なんで?帰ったんじゃ。」
港に続く坂に顔を向けると、すっかり混乱したステファンがひとつの紙袋を抱えてそこに立っていた。…どうやら買い物をしていたようだ。
「…どうしたの?忘れ物とか?」
一人、質問ばかりを口にするステファンに急に愛しさがこみ上げてきて、ミシェルは足の痛さも忘れてステファンに抱きついた。
「うわっ!」
飛びついてきたミシェルに驚き、抱えていた荷物が道に落ちだが、ミシェルをしっかりと抱きしめているのだから、彼の優しさが伺える。
「…わたし、魔法使いは。だいきらいよ?」
「…うん、知ってる。」
ぎゅっとしがみついて言うミシェルに、ステファンも彼女を腕に抱きながら言った。
「だいっきらい、殺してしまいたいぐらい。」
「殺してもいいよ。」
首に腕を回し首元に顔をうずめるミシェルの言葉に、ステファンも彼女の腰に腕を回し、反対の首元に顔色を変えずに寄せた。
「…でも、あなたのことは嫌いじゃないかもしれない。」
ぴたりと体を硬直させたステファンに、慌ててミシェルは体を離して弁解した。
「あ、だから。街の人もいい人ばかりだし、私もこの街が好きかなーって。…住んでもいいかなって。陛下を殺されても困るし!」
「…理由なんてなんでもいいよ。」
くしゃりと顔を歪ませたステファンは、ぎゅっと再びミシェルを引き寄せて抱きしめた。
「もう離さないから。…ミシェル、好きだよ。」
顔を真っ赤にさせるミシェルも、顔をうずめて小さな声で答えた。
「わ、私も。ステファンのこと嫌いじゃない…。」
「なにそれ。」
ふっと笑うステファンは、ミシェルの顔を覗き込んで破顔した。
「…だって、魔法使いは嫌いだもの。」
「いいよ、その内この口から言わせるから。」
話は終わりだとばかりに、口付けしてきたステファンに戸惑ったが、諦めたように笑って、ミシェルは深緑の瞳を伏せた。
しばし甘やかな余韻に浸っていた二人だったが、辺りから冷やかすような口笛が聞こえて身を離した。
「なんだい、結局恋人だったんじゃないか!」
先ほどの主婦が、にまにまと敷地内から顔を出していい、ステファンは照れたように頭を掻いた。
「スーとお姉ちゃん、ちゅーしてる!」
坂を転がっていった果物を届けてくれたのか、郵便屋の角を曲がっていた少年達がはやした。真っ赤になるミシェルとは反対に、どうもどうもと笑顔で会釈している。
「ちょっと!」
「いったぁ。」
バシンと背中を叩くと、背中を仰け反らせてステファンが悲鳴をあげた。
「なんで叩くの!?」
家の扉を開けながら引っ張ると、そんな不満がステファンから聞こえた。仕舞いにお祭り気分になった街への扉を閉めると途端に静かになった玄関先で、ミシェルはぷいと顔を背けていった。
「人前で、あんなことするなんて!」
「いいじゃない、どうせ夫婦になるんだから。」
ミシェルの腰を引き寄せながら顔を寄せるステファンは、さらりと言った。
「私、結婚するなんて言ってないわ!」
「えっ?魔法使いじゃなかったら結婚してくれるんでしょ?」
「そうだけど…。あなた、魔法使いは辞められないでしょ?だから、結婚とかの話は白紙よ。」
目を丸くさせるステファンだが、ミシェルの言い分に気を良くしたのか、腕に囲んで頬を寄せた。
「辞めれは出来ないけど、なんとかなるよ?だから、ね。結婚しよう?」
そばに居いたい、ただそれだけでステファンの元に戻って来たが、なんだかへんな方向に向かっているような気がする。
「魔法使いとは結婚しないんだから。」
そう言っても、ステファンは笑みを称えたまま。
「魔法使いは大嫌い。」
「じゃあ、僕のことも大嫌い?」
そう聞くステファンに、ぺちりと額を軽くたたいて頬を膨らませた。
「…それだけでいいよ。今はね。だからさ、僕のお嫁さんになってくれれば。それでいいんだ。」
そう言ってステファンは、ふたたび口づけた。
まだ言い足りない気もするが。
あとで言えばいいかとミシェルは諦めた。
夕暮れが色濃くした港町で、一組の夫婦の誕生を祝う準備があちこちで成され、夜に転身した空の下、それはお祭り騒ぎと化した。
後日、城に一通の手紙が届いた。
差出人は、宮廷魔法使いの位を授かったステファン・クィンシー。その内容は、しばし宮廷魔法使いの業を休むと言うことだった。代わりの代役として、同じ街からやって来たというお爺さんが立てられた。
魔法が使えるのか。
という陛下の質問に、その老人は茶色マントを片手にこう言った。
わたくしが長年占ってきた占いは、どんな魔法よりも正しく未来を予言しますぞ。必要ならば助言も致しましょうぞ。
試しに占わせてみれば、その老人の占いは驚くほど当たり、それに気を良くした国王陛下は、宮廷魔法使いに暇をだした。しかし、うっかり期限を付け忘れたといい、返って来た無期限の休暇の許可の内容に、ステファンは勝ち誇ったように笑った。
城に届いたその手紙、実は差出人は一人ではなかった。手紙の最後には、ステファンの名の下にミシェルの名が直筆で書かれていた。その手紙で、国王が悟ったのかは知らないが、返って来た内容からして親心であろうか。うっかりしたとぼやいて手紙を返した。
その気遣いにステファンは感謝し、こまめにミシェルの様子を手紙にしたためた。
やがて、ミシェルの名がミシェル・クィンシーと変わる頃にそう時間は掛からず。
異母弟がこっそり会いに行って聞けば、彼女は幸せそうに笑ってこう言ったと言う。
「魔法使い?大嫌いよ。」
「ステファンも魔法使いでしょ?」
「あら、ステファンはステファンよ。」
「じゃあ、ステファンのことは?」
「嫌いじゃないわ。むしろ…。」
幸せそうに微笑んでそう言った一言を一番、聞きたかった人物が聞けなかったのは、なんとも間の悪いことであった。