8話「イノシシ狩り」
初心者クエストを終えた次の日の午後、俺とアテナはパーティーとして初依頼を受けることになった。内容は「畑を荒らすワイルドボアーの群れを討伐せよ」。
初心者向けではあるが、舐めてかかったら普通に死ぬらしい。受付嬢は「頑張ってくださいね」と笑っていたが、半分は「まあ大丈夫でしょ」程度の軽い期待だろう。
討伐地であるエルフェンウッド郊外の畑は、穏やかな日差しが降り注ぐ丘の中腹に広がっていた。だがその一角は無残に掘り返され、土塊が飛び散っている。獣臭さが鼻を突き、緊張が背筋を走る。
「ほら見ろ、アテナ。こっちが踏み荒らされた畑だ。被害は相当だな」
俺が視線を走らせると、アテナは金髪を揺らしながらため息をつく。今日の彼女はやけに念入りに化粧してきていた。
まず、肌には中世風の日焼け止めクリームが薄く伸ばされている。陽光を反射し、頬がほのかに雪のような白みを帯びている。瞼には、ラピスラズリを砕いた青い粉のアイシャドウ がさらりと乗せられ、蠱惑的な魅力を醸し出していた。
本人曰く、「最低限の戦闘用メイク」らしいが、村の男たちが全員振り返っていた時点で、どう考えても戦闘向きではない。
「ねえシンジ。あなた、さっき私に後ろで支援してくれとか言ったわよね?」
アテナは腰に手を当て、俺を見下ろすように言う。その腕には、あの武器屋で購入したバトルアクス。柄の長い武骨な斧を軽々と肩に担いでいる。お前、ほんとに女神かよ。
「だってお前アークビショップなんだろ。後衛職なんだから後ろで控えてるのが自然だ」
「嫌よ!」俺の当然の指摘はピシャリと切り捨てられた。
「私はね、光の下で輝くために生まれきたの。いつだって、ステージライトはわたしのもの。陰で魔法を撃ってサポートなんて、そんなの性に合わないわ」
堂々と言い切った。いや堂々というより、傲慢というべきか。まあ、ここまで開き直られるといっそ清々しい。
俺がため息をついたその瞬間、藪が揺れた。風の音じゃない。足音。しかも、複数だ。
「来るぞ!」
気づいた瞬間、アテナは俺より早く前へ跳び出した。
「行っくわよおおお!!」
絶叫と共に、彼女は丘を転がり落ちるように前へ突撃した。その姿は正直言って、蛮族そのものである。優雅さのかけらもない。金髪は暴風に吹かれたように荒れ狂い、乱れたアイラインは戦化粧のようだ。だが、本人は至って本気だった。
「おい、アテナ待てって!!」
俺の叫び声が反響し、返事のように地響きが近づいてくる。畑の奥、折れた作物の陰から、泥まみれのワイルドボアーが次々と姿を現した。目は赤く濁り、牙が陽を反射して鈍く光っている。鼻息ひとつで、大地が震えそうだ。
アテナの振り下ろした斧が土煙を巻き上げ、突進してきた獣の肩に深く食い込んだ。
「どうよ!? やっぱり私は前に立つ者でしょ!」
誇らしげに言うが、次の瞬間、背後の藪がさらに揺れた。新たに三匹の巨大ワイルドボアー。
「アテナ! 後ろだ!」
「へっ……? 多っ!? ちょっと多くない!?」
アテナのサファイヤブルーの瞳が見開かれ、慌てて斧を構え直すが、追いつかない。ワイルドボアーたちは怒りで目を真っ赤にしており、突進の勢いはまるで暴走する馬車のようだ。
「クソッ。もうこうなったら、俺も行くしかねぇ!」
俺はショートソードを握り、木盾を構えた。胸は恐怖で震えている。でも、それ以上に、イラついていた。なんで俺がこんな無茶に巻き込まれてんだよ!
怒りなのか、やけくそなのか、自分でも分からない大声を上げて俺はアテナの隣へ飛び込んだ。
「アテナぁぁぁ! そっち下がれ!!」
「言われなくても分かってるわよ!!」
突撃してきたワイルドボアーの体当たりを盾で受け止めた瞬間、腕が折れそうになり、視界が揺れる。体重もスピードも完全に負けている。だが、生きるためにはやるしかない。両足で踏ん張って、横腹へ剣を叩き込んだ。
「シンジ、右のやつ、いくわよ!」
アテナの斧が一匹を仕留め、俺はもう一匹の喉元へ剣を差し込んだ。しかし、俺たちも全身傷だらけだった。アテナの日焼け止めの白いクリーム層は汗と血ですっかりと薄れ、青いアイシャドウは汗で濡れて、まぶたの下に青黒い筋を作っている。それでも彼女は、戦場の中心に立ち続けていた
「はあッ!!」
二人で息を合わせる暇など本来なかった。しかし、乱戦の中で不思議と呼吸が合っていく。アテナが斧を振り下ろすタイミングと、俺が盾でワイルドボアーの頭を押し返す動作が一致する。気づけば俺たちは自然とパーティーになっていた。
「シンジ! あと一匹!」
「分かってる!」
喉はカラカラ。足が重い。剣で受け止めるたびに腕が痺れ、転げれば土の味が口に広がり、息を吸う暇もなかった。だが、アテナも俺も後退する気はなかった。
一瞬だけ目を合わせると、古代の戦士達のように雄たけびをあげながら、二人で同時に突撃。アテナが斧刃で敵の攻撃を受け流し、俺の剣が首を貫いた。最後のワイルドボアーが倒れ、静寂が戻る。風が畑を抜け、麦の若芽がさわりと揺れた。
「はぁ、死ぬかと思ったぜ」
「ふ、ふん……当然よ。私が死ぬわけ、ちょっと待って、私のアイシャドウ……!」
「気にしてる場合かよ!」
俺がつっこむと同時にお互いに顔を見合わせ、思わず吹き出してしまった。全身の痛みはひどい、疲れているはずなのに、何故か笑いが込み上げてくる。
「アテナ、やればできんじゃねぇか」
「あんたもね。まあ、今日は特別に褒めてあげてもいいわ」
乱れた金髪、崩れた日焼け止め、涙で滲んだ青い瞼。それでもアテナは満ち足りた笑みを浮かべていた。俺たちの初クエストは、こうして血と泥まみれの勝利で幕を閉じた。
(冒険者って……悪くないかもな)
夕陽に染まる畑を背に、俺たちは報酬を受け取るためにギルドへと帰った。




