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16話「狂気の魔術師」

 シェルバスターが咆哮し、地を割るような第一歩を踏み出した瞬間、俺は叫んだ。

 「全員構えろ! ここからだッ!!」

 

 鳥たちが一斉に飛び立ち、森の枝葉がざわめき、湿った土が震えた。鼓膜が震える。胸の奥まで響く、巨大モンスターだけが持つ支配者の鳴き声。

 

 咆哮に呼応するように、シェルバスターの尾が地面を叩く。鈍い衝撃。土が跳ね上がり、地面が陥没し、粉々になった小石が四散する。これだけで人間が死ぬと即座に直観できた。魔物と人間の差を、脳の奥底に焼き付けるような一撃だった。

 

 「ひ、引きつけるぞ! 俺が囮になって正面を引き受ける! アテナ、加速を頼む!!」

 

 叫びながら、俺は恐怖でうまく伸びない喉を無理やり動かした。声を出し続けなければ、心が折れそうだった。

 

 「《加速の祝福》!」

 

 アテナの祈りとともに黄金の光が舞い、俺の体を包み込む。視界が鮮やかになり、周囲の時間が一瞬だけ遅く見えた。手足が軽い。全身に走れるという確信が満ちた。

 

 俺は駆けた。息を吸うより速く。思考より先に体が動いていく。足裏が土を叩く音と、背後の怪物の足音がリズムの違うノイズとして重なる。


 背中に感じる殺気は熱に変換されていく。逃げもせず、近づくわけでもなく、ただひたすら蠅のように飛び回る俺に対してシェルバスターは苛立ちを感じているようだった。

 

 大木を縫うように走り抜け、巨岩を飛び越え、崖の縁で方向を変える。後を追ってきたシェルバスターの尾撃が遅れて着弾し、岩を粉砕して粉が爆風のように巻き上がった。石が頬をかすめ、血の味が口の中に広がる。それでも止まらない。

 

 「シンジ!予定地点までもう少しよ、頑張りなさい!!」

 

 アテナの声が後方から飛ぶ。あいつも全力でついてきていた。その後ろで、ジャンヌの盾が何度も火花を散らしていた。飛び散る岩と木片を身を挺して受け止めている。

 

 「ご主人様! 敵の視線は完全にご主人様へ集中しています! あと少しで平地です!」

 

 盾がきしみ悲鳴をあげるたび、ジャンヌの腕も足も震えていた。それでも一歩も引かない。

 

 ヴィヴィアナは最後尾でシェルバスターの動きを観察していた。まるで舞台の幕が上がる瞬間を静かに待つ役者のように、余裕を崩さない。

 

 ついに森の出口が見えた。木々が切れ、太陽が射し込む。見晴らしの良い小さな平地。


 草が波打ち、背後には崖。巨体のシェルバスターにとっては逃げ場のない袋小路だ。魔法の照準には都合がいい。

 

 「よし、ここまで引きつけた! アテナ、ジャンヌ、位置取りを変えるぞ! 作戦通りだ!」

 

 俺は急停止し、シェルバスターの真正面に向き直った。土煙を上げながら怪物が迫ってくる。口を開け、血まみれの牙が空気を噛み砕く。

 

 「《守護の聖印》ッ!!」

 

 アテナの詠唱。ジャンヌの体が光を帯びる。震えていた盾が、今度は巨大な壁のように見える。

 

 「ご主人様! お嬢様は私が守ります! どうぞ、背を!」

 

 ジャンヌが前へ出て盾を掲げた。その位置は、ヴィヴィアナが詠唱をするためだけに用意された最前線の守りの柱。

 

 俺は深く息を吸った。作戦は完璧だ。森の中では回避できなかった尾撃を、平地なら視認できる。ジャンヌの防御とアテナの支援がある。そして何より、あの女の火力がある。

 

 ヴィヴィアナが静かに歩み出た。銀髪が天光を照り返し、魔法師の黒衣の裾が風を裂く。


 シェルバスターの巨影が目前に迫るその瞬間、彼女は微笑んだ。

 

 「さて。ゲームを始めましょうか」

 

 勝負師特有の覚悟を決めた笑み。恐怖も躊躇もなく、ただこの瞬間だけを待っていた者の顔。

 

 「全員、構えろ!!」

 

 心臓が焼けるように熱くなる。ヴィヴィアナの足元に魔法陣が広がった。赤色の魔力の光が空間をねじ曲げるように揺らめく。そして、詠唱準備が始まる。すべての音を押し流すほどの魔力の震動。空気の密度が変化し、地面がひび割れ、髪が逆立つ。

 

 パーティー全員が確信していた。この一撃で勝てる。その確信と同時に、シェルバスターの咆哮が響き渡った。大気を震わせる魔力の風が、平地全体にうねりを広げていた。

 

 ヴィヴィアナの詠唱は、歌のようでも祈りのようでもない。ただ勝利の未来を断片的に引き寄せる、冷徹で研ぎ澄まされた数式の羅列。それでも聞く者の背筋を総毛立たせるほどの妖しい響きがあった。

 

 シェルバスターが突進する。大地が砕け、破片が弾丸のように飛び散り、草原が撫で切られる。巨体が迫るほど景色が歪み、空気の色さえ変わって見えた。

 

 「来るぞッ!! ジャンヌ、正面──! 俺は右側へ回る!!」

 「御意!! 《ホスピタリティ・シールド》! お客様、わたくしがお相手いたしますわ!」

 

 ジャンヌが叫んだ。澄んだ声が大気を震わせ、スキル効果でシェルバスターの注意がジャンヌへ向けられる。シェルバスターがターゲットを変え、尾を振り上げた。

 

 「私に任せなさい! 《守護の聖印》ッ!!」

 

 アテナの祈りが重なる。ジャンヌが立っている一帯が白金の聖なる光に包まれた。

 

 次の瞬間、尾撃が直撃する。轟音、衝撃、砂煙――だが、ジャンヌは倒れない。盾を持ったまま、確かに受け止めていた。

 

 「倒れません……!! お嬢様の詠唱を……必ず護りますッ!!」

 

 腕が弾かれ血が滲んでいる。だが彼女は下がらない。震えながらも決して折れない、その背中は聖騎士パラディンそのものだった。

 

 俺は側面に回り込みながら隙を作り続ける。腰を低くステップし、攻撃を入れる振りをして、敵の視界に無意味なノイズを撒き続ける。パーティーメンバー全員が自分の強味を生かして動いている。歯車が噛み合った瞬間だった。

 

 「シンジ! この戦い、勝てるわよ!!」

 

 アテナが嬉々とした声で叫ぶ。いつもの余裕からの言葉ではない。緊張の最中、それでも成功を確信した者の声だ。普段は高飛車なアテナですら、初めての本物のチームワークに歓喜していた。

 

 そうだ。勝てる。俺たちは初めて、冒険者パーティとして成立してる。俺の胸に熱が灯る。体力は限界に近いのに、恐怖より先に充足感があった。

 

 視界の隅で、ヴィヴィアナの詠唱が最終段階に入る。魔法陣が拡大していき、さらに複雑な紋様が膨張し、爛々と輝く。熱。光。空気の振動。

 

 空間そのものがビリビリと軋む。ヴィヴィアナの声が低く艶やかに響いた。

 

 「偏差魔法フレイムバースト」

 

 詠唱が終了した瞬間、魔法陣が破裂するように光り、巨量の魔力が放たれる。火炎の奔流が解き放たれ、空気が赤く染まった。

 

 狙いは完璧だ。角度もタイミングも距離も、すべて理想的。ジャンヌは砕けた盾を握りしめたまま、それでもヴィヴィアナを守りきった。アテナは魔力の底が見えるほどサポートを続けてきた。俺は走り回って誘導してきた。だからわかった。この一撃が当たれば終わる。

 

 確信が胸を満たす。肩の力が抜けていくほどの安心感。恐怖が晴れ、勝利が見える。その瞬間、ヴィヴィアナの口元がゆっくりと吊り上がる。誘惑のような、陶酔のような、どこか危険な笑み。俺の背中に、汗が氷のように冷たく流れた。

 

 その表情を、俺は見たことがある気がする。どこでだ?

 

 考えるより早く、炎の奔流が解き放たれた。轟音。閃光。視界を焼く赤。

 

 行け。叫ぼうとした言葉が、声帯を震わせる直前に火炎はシェルバスターの方向とはまったく別の方角へ飛び去った。

 

 矢のように、真っ直ぐに。何の迷いもぶれもなく、完璧な軌道で。敵とは真逆の遠く遠く、森の奥へ。そして大爆発。山頂に向かうような轟音と光柱。爆風が押し寄せ、灰と土が吹きつけ、視界が真っ白になった。

 

 世界の色が戻っていく。風が収まる。爆心地の方角から黒煙が空へ伸びていた。背後で木々が崩落する音が延々と連鎖的に響いていく。誰も言葉を発しない。土と灰の匂いだけが残る。その静寂の中で、ヴィヴィアナが小さく、恍惚と囁いた。

 

 「ふふ……外したわ。外してしまったわ。ああ、最高に気持ちいい」

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