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名もなき灯火  作者: 富賀見 みあ
記録の深き淵

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21. 追跡される光

空は、澄みわたっていた。


けれど、風だけが重たかった。


春の終わりを知らせる乾いた光に包まれながらも、背を撫でる風は冷たく、鋭く、何かを伝えようとするようだった。


──確かにそれは、あなたの背中を追っていた。


静かに山道に刻まれていく、ふたりの足音。


一歩ごとに土がわずかに軋み、空気がわずかに濁り、古びた枝が静かに揺れる。

木々のざわめきはやがて重たく沈み、音そのものが“気配”へと変わっていった。


「……来てる」


カインが立ち止まり、音のない空気に耳を澄ませた。

肩越しに振り返ることもせず、ただ、感覚だけで何かを捉えている。


山道を抜け、谷を越えた先。

かつて人が通った旧道は、今では地図にも記録にも載らぬ“外れ”の領域。


それでも、追跡の気配はじわじわと距離を縮めていた。


「記録に照らせない存在は、追われる。……けれど、お前の在り方は、もうその枠を超えている。

だからこそ、制度にとっては──おそろしくてたまらないんだ」


声は静かだったが、深いところに緊張が潜んでいた。


あなたは静かに息を整え、目を細める。


「知ってる。でも……もう逃げない。

ここにいるって、きちんと証明したい」


その声はまっすぐで、迷いがなかった。


「追われているなら──たしかに“ここにある”ってことだから」


カインは、ふっと息を吐いた。

そして、あなたの顔を見た。


それは、はじめて見るまなざしだった。

誰かの背を追うのではなく、自らの足で歩こうとする意志──その微かな灯が、確かに瞳の奥に宿っていた。


空を見上げる。

白く光る輪が、遠い空のなかに浮かんでいる。


「補正観測機、“グリッドハーモニカ”。

通常の式では触れられないものを、仮定と仮定を重ねて──輪郭だけを、なぞっている」


「……それって、わたしのこと、ちゃんと見えてるってこと?」


「“見えてるつもり”になってるだけだ。……でも、それが一番厄介なんだ」


カインのまなざしに、鋭さが宿る。


「彼らは、曖昧な存在を認められない。

だから、決して確かめられないものを確かめようとして……無理に観測を続ける。“世界のため”なんて、名目を掲げてな」


あなたは黙ったまま、空の輪を見上げた。

──それは、どこか夢のように思えた。


“見えているつもり”の光。

けれどそれは、形のない影の輪郭にすぎなかった。


「この先に遺構がある。……村では廃坑って呼ばれていたが、俺の記憶では遺構だ」


カインは衣嚢の中に手を入れ、端末をひとつ取り出した。

だが、座標は現れず、ただ中央にかすかな歪みが広がるばかりだった。

まるで、“観測できないもの”に触れてしまったかのように。


続けて取り出した別の端末も、かすかに光を灯したあと──何も示さず、沈黙した。


「……もう、こんなものは要らない」

カインは、手の中の端末を見下ろして呟いた。

誰かに定められるのではなく、自分を──やっと信じてみたいと思ったんだ。

評価でも、指示でも、与えられた力でもなく……ただ、自分の輪郭を、自分で描いていたい」


その言葉は、空気を真っ直ぐに貫いた。

谷間に、ひとつ、鳥の声が返ってくる。


ふたりの足音が再び、山道に刻まれた。

カインの歩みは、どこかためらいを含んでいた。


「……どうしたの?」


あなたがそう尋ねると、カインはわずかに目を伏せ、空を仰ぐ。


「まだ、わからない。

でも、選びたいと思ってる。

怖いけど、それでも……“自分で選んだ”って言いたいんだ。いつか、ちゃんと」


その独白は、風のなかで微かに揺れた。


あなたは、小さくうなずいた。


もうそれは、“導かれる旅”ではなかった。


自分の足で歩き出す、その始まりだった。


やがて、切り立った岩肌にぽっかりと口を開ける、坑道の入口が現れる。


風の流れが変わった。

空気に漂っていた観測の気配が、ろうそくの焔のように、すっと消えていく。


「ここが……?」


カインがつぶやいたとき、背後の空に再び、淡い光の輪が走った。

けれどそれは、もはやふたりを捉えるものではなかった。


宙にさまようように、所在なげに漂っているだけだった。


あなたは、もう振り返らなかった。


それは、“誰かの灯”ではなかった。


あなたがこれから歩む道──その歩みが、ゆっくりと灯していくものだった。


──決して消えない、確かな証だった。

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