【幕間】観測記録A-0α
観測対象、群集区域-05にて消失。
祝式登録、未照合。仮記録値、不定。
──それらの断片は、すべて灰のように散った。記録不能。保留。空白。
灰色の画面が、彼の目の前に、ただそこにあった。
幾度、再起動を試みても、浮かぶのは「記録不可」の言葉のみ。
それはまるで、世界がその存在を拒絶し、沈黙の帳を引いたかのようだった。
「……またか」
その声さえ、風にまぎれて消えていく。
カインは、ひとつの静けさの中にいた。
街の裏手、市場の喧噪が霞のように遠ざかる高み。
彼はそこに座り、封刻剣の柄に、そっと指先を触れた。
それは金属ではなかった。
光の薄膜に包まれ、透明な記憶がわずかに揺れていた。
触れるたび、夢のように反響するはずの残響も、今は応えない。
レルティアは沈黙していた。
観測不能の対象には、共鳴すら届かない。
けれど──
そこには、確かに「気配」があった。
目には映らず、音もなく、ただ、その存在が空気の中に滲んでいた。
通りを駆け抜ける子供たちの列、そのひとつの影に混じって、
“なにも記録を残さない”ものが、確かに歩いていた。
祝式はなく、式紋も反応せず、空間に揺らぎをすら与えない。
それでも、カインのまなざしは、わずかに振り返るその背中を、確かに捉えていた。
それは、「記録されなかった」というだけで、「いなかった」のではない。
むしろその空白こそが、存在の証のように思えた。
彼は無意識に、剣の柄を強く握る。
その熱が、封じられたものの鼓動のように、掌に微かに返された。
「……おかしいな」
呟きは誰に届くこともなく、虚空に溶けていった。
観測者に感情は不要だ。対象は対象、ただ記録の一部。
だが、なぜだろう。
さっき見えたあの背中が──
まるで、記憶の底で忘れられた夢の残像のように、心の奥で揺れていた。
過去の記録には、そんなものはない。
封刻剣にも痕跡はない。
ならば、あれは記憶ではない。
夢でもない。
――予感か。あるいは、時間の外縁に滲んだ何か。
カインは立ち上がる。
各所にともる灯りが、まるで夜の大河のように、地上に流れ込むかのようだった。
その光と光の隙間を縫うようにして、
“静かな闇”が、ゆっくりと街を歩いているように見えた。
名もなき影。
記録されぬ歩幅。
空白をまとうようなその姿が、なぜか、彼の胸のどこかを撫でていく。
「……気のせい、か」
けれど、その言葉が口を離れる頃には、
彼の足はすでに、その闇のあとを追い始めていた。




