Time drop
静寂に包まれた小さな部屋が、天窓から射し込む月明かりで満たされる。
棚に延々と並ぶ重たい書物の中から一つを選ぶと、くすんだページを足早にめくっていった。
部屋の中心には名も無き少女が一人、卓上に横たわっている。
薄暗さにも映える白い肌が、暗闇のような髪が、未知の瞳の色が、少女に命を与えている。
その傍らに立ち、ページをめくる手を止めた。
窓から差し込んでいた一筋の光が、雲に包まれて消えると同刻、白く淡い光が窓の外へと線を引いた。
少女は目を覚ます。
喉は途切れ途切れに呼吸を繰り返す。
開いた瞼から覗く瞳は暗く、闇そのものであった。
冷たく白い胸元で、ほんの一瞬小さな輝きを見せる。
無色透明の石が、淡々とそこに存在していた。
幾度も屈折した、細い路地を抜ける。
時計の鐘が鳴り響き、人々は目を覚まし始める。
街の何処にいても観望できる時計の塔が、明朝の時を知らせていた。
北方に聳える鉱山が、白雲と混じり合い空にパノラマを描く。
その山を道しるべにし、男達はマントに身を包み馬車を出す。光る石を求めて大凡百年。採掘を盛んとしたティックタックは大都市へと発展した。
石造りの建物は古く、朝日が昇ると共に窓を開けば隣人と挨拶を交わす。
そんな人々の密集した街の外れ、小さな工房では機械音が轟いていた。
ボロ板の扉を強引に引き寄せ工房に入ると、青年リノンは大きく伸びをした。
銀色に輝く髪の合間から覗く耳に蒼い宝石が揺れ動き、同色の瞳が左右に揺れる。
「ただいま」
気怠げな声に相手は応えず、リノンは地下へ続く階段を進むことにする。
地下に続く道は鉄の扉で塞がれている。
リノンは扉を持ち上げると身を落として着地し、肩を鳴らした。腰に下げられた二本の鞘から威勢良く剣を引き抜く。
赤い光がゆらりと周っている。リノンは光に焦点を合わせずにも点呼を始めた。ひとつ、ふたつ、みっつ。
不気味な暗闇に包まれながら、右方より飛びつく悪しき羽根の鼠を貫き、後方から立てられた爪を方向転換
により避ける。
指で器用に剣を回すと、十字を描くように空を裂いた。
軽い身のこなしで落ちた死骸を飛び越える。リノンは高々と口笛の喝采を自身に送った。
魔獣の住処となって人を寄せ付けなくなった道を、慣れた足取りで進んでいく。
それというのもこの道は工房を鉱山へと繋げており、リノンは幾度も足を運んでいた。
鉱山に眠る宝石を掘り起こし、加工し、世に送り出すことを繰り返す。それがまだ幼さを残した青年に残された選択の一つであった。
けれども昨日までは存在しなかった道に、リノンは首を傾げた。
先を覗き込み呼びかけるも返事はない。
間違えるはずのない道に振り返るが、やはりといった風にリノンは目線を戻した。
未知の通路には音も無く、暗闇が果てし無く続いているようだ。
「ったく、いつも勝手に決めやがって」
迷い無く歩みを進める。
鉱山に続く道は魔獣の住処となっている他に、鉱物を盗もうとする族の対策として蟻の巣のように入り組んだ作りとされていた。
とはいえ何か人並み外れた不思議な力を使わない限りには、一晩かけたとしても道を完成させることなど不可能であるのだ。リノンの眉間が歪む。
剣を鞘におさめると、リノンは闇の中へと踏み込んだ。
通ってきた一本道とは打って変わり、広間へと繋がった。
壁も、上も、延々と闇が吹き抜けている。
森の静けさに似た空気に、童心に還ったような不思議な感覚がリノンを埋め尽くした。
空気は驚くほどに澄んでいた。
カチリ。
時計が針を進める、微かな音が聞こえる。
カチリ。
闇の先に、小さな光が淡く点滅する。
リノンは近付き、白く淡い小さな光に指先を伸ばした。
「倫理の法則・・・」
かつて、身体に石を埋め込まれ、戦争での兵器とされた少女達がいた。
各地から奴隷を寄せ集め、実験として石を結合させる。
石を結合された者は、魔術、幻術、晶術と、様々な恩恵を授かった。
しかし適性では無かった者は副作用で死を招き、生き残ったのはまだ成人を迎えていない若き少女達だけであった。
成功率は非常に低く、実験は戦争が終焉を迎えるまで、何億もの命が絶えず費やされた。
時が過ぎた今では書物でしか取り入れられぬ知識が、形となって此処に存在している。
薄暗い中で目視する少女は、言い伝え通り若く、まだ成人に満たない容姿であった。
深い漆黒の髪と、透き通るような白い肌、少女は闇の中で目を瞑り佇んでいる。
胸元に硝子のような石が埋め込まれ、身体が宙に浮いていることを除いては、別段普通の女の子であった。
少女は瞼を開き、闇のような瞳をリノンに向けた。
「私を呼んだのは貴方なの」
呟くような問いかけに、リノンは首を横に振る。
少女は薄く瞬きを繰り返すと、石の光は鈍く鎮まっていった。
「お、おい!」
少女の身体が地に落ちた。地面に向かって崩れ落ちるより早く、リノンは少女の身体を受け止める。
肌は冷え切り、唇は淡く青みを帯びていた。
「何故私を呼んだの」
消えそうな声が、静かな洞窟にポツリと響く。
少女の瞼は下り、気を失っている様である。
「どうなってんだよ・・・」
不穏な空気がリノンを指す。招かれざる客に彼らは気を立てていた。少女の体を静かに地に横たわらせ、リノンは蒼い瞳を彼らへと移した。
暗闇の中で赤い瞳が鈍く瞬き、拡散されていく。
周囲を囲まれるより先に、リノンは剣を抜いた。
耳に揺れる蒼玉が揺らめき、光が闇を突き抜けていく。
物体には比例しない眩しさが、握られた両刀に転移していく。
「よお、丸見えだぜ」
照らされることにより、一つ目の魔獣が姿を現わした。
小さな体に似付かわない大きな牙を剥き出しにし、蝙蝠の羽根で空を切っている。
リノンの身体を食い荒らさんと次々と飛び付いていく。
銀色の髪が揺れる。剣は蒼い軌跡を描きながら羽根を落としていく。
両刀の刃を合わせ、地面に押し込む。剣をつたって淀んだ土に光が浸透していく。
「氷円陣」
光を通して幾千の氷柱が空を押し上げる。苦痛に軋む音に、氷の結晶は数を増していく。
光の乱反射する柱に、少女が映る。
「綺麗・・・」
呟いて、少女は瞼を閉じた。
工房二階の物置部屋を乱雑に片付けると、埃の被った寝台を引っ張り出した。出来るだけ綺麗な布を見繕い、窓から放り投げて埃を飛ばす。
ティックタックの時計塔は間も無く十二時の鐘を鳴らそうとしていた。
布を寝台に覆い被せると、少女を横たわらせて呼吸を確認する。
薄いワンピースに裸足で地下にいたのだから、健康を害していても無理はない。
リノンは落ち着きなく部屋中をうろうろと歩き回り、やがて椅子に腰を下ろした。
「・・・さて」
現代では絶滅危惧種よりも希少な倫理の法則が目の前にいる。
リノンは幾つかの理論を脳で並べてみたが、どれもそぐわなかった。
仕事をほっぽり出してしまったのもあり、頭を掻く。
今頃鉱山に居るに違いない仲間達が、顔を真っ赤にして腸を煮え繰り返らせている様が容易に想像できた。
別件の仕事が入ってしまったのだから仕方がない、という考えで隅へと追いやると、立ち上がってまじまじと少女を観察した。
まだ幼さの残る顔立ちで、薄桃色の唇から寝息が聞こえる。
コツン、と、石に触れてみる。
「硝子玉みたいだな」
石に触れた手が引き離される。
少女が目を開き、様子を伺っていた。
「悪い、起こしちゃったか」
「・・・ここは」
少女は起き上がり、周りを見回す。
物置部屋とだけあって、部屋の木材や工具は埃を被り、天井には蜘蛛の巣が張り巡らされている。
お世辞にも綺麗とは言い難い有り様に、リノンは頭を掻く。
「あのさ、君は倫理の法則なんだよな」
眉をひそめて俯く少女に、リノンは構わずベッドに身を乗り出す。
蒼色の瞳に光を帯びさせながら、少女を真っ直ぐ見つめた。
「だったらさ、使えるんだろ、魔法」
好奇心の声色に、少女もつられて目を見開いた。
漆黒色の瞳が光で色付いていく。
少女は小さく笑い声を上げた。
そして一度だけ、こくりと頷く。
昼を告げる鐘が鳴り響く。
少女は窓から見える時計塔を見やると、両手で胸元の石を包み込む。
両手の中から白く淡い光が漏れ出し、空気に溶け込むように消えていった。
変化の無い空間をリノンは見回す。
古びた窓の外へ少女は指を向ける。
窓の外では白い鳩が飛び交っているまま動かない。
そびえ立つ時計の塔の鐘もまた、揺れ動いたままで状態を維持していた。
「・・・なんてこった」
「止めているのはこの街一帯・・・それも、短い時間だけ。
この時空石は時間操作ができるの」
リノンの中で、合わなかったピースが繋がっていく。
希少である倫理の法則が何故現代に存在したのか。
「私はここから過去の世界・・・そこから、私と同じ倫理の法則を捜しにやって来たの」
「もう一人いるっていうのか?」
「何らかのシグナルが光となって、時空石を通じて送られてきた。
もしかすると、倫理の法則では無く、その子孫か誰かが・・・」
そう言うと、少女は思い詰めるように黙り込んでしまう。
「なあ、良ければ少し街を周ってみないか?」
「でも、私は・・・」
「時間はいつでも止められるんだろ。急ぐことなんてないさ」
少女は急かされ、手を引っ張り上げられる。
「強引なんだね」
少女はにこりと笑みを見せた。
柔らかくなった少女の顔に、リノンは安堵する。
「俺はリノンだ。君は?」
「・・・イルディア」
「決まりだな!イルディア!
ティックタックの街をお楽しみあれ!」
リノンは張り切って、意気揚々と外へと駆け出して行く。
イルディアは用意されていた誰のものかわからない大きめのサンダルを履くと、追いかけるように外に繋がる扉を開いていく。
鐘の音が再び鳴り響き街が賑わい始めると、二つの影は並んで城下街へと消えていった。




