第3話:新たなる日々、そして隠しきれない規格外
カティアの奇想天外なルーツの発見から数週間が過ぎ、王都の社交界はかつての落ち着きを取り戻しつつあった。
いや、むしろある種の熱を帯びていると言った方が正しいかもしれない。
マリウス王太子が引き起こしたあの波乱の夜会は、カティアがリンド公爵家の血を引く遠縁であったという劇的な幕切れによって、またたく間に貴族たちの間で語り草となった。
数代にわたる市井での駆け落ちを経て、運命に導かれるように公爵家へと帰還した令嬢。
その事実は、「血は水よりも濃い」という言葉を体現するようなロマンチックな物語として、特にご令嬢たちの間で瞬く間に広まり、大流行していたのである。
平民の血が混ざっているという事実はあるものの、国王陛下直々のお墨付きを得た以上、それを表立って非難する者はいない。
何より、カティアがこれまで完璧な公爵令嬢として築き上げてきた実績と信頼は、決して揺らぐものではなかったのである。
そんな中、初夏の陽光が降り注ぐリンド公爵邸の広大な庭園で、華やかな茶会が開かれていた。
手入れの行き届いた芝生の上では、色とりどりの薔薇が初夏の陽光を浴びて咲き誇っている。
吹き抜ける柔らかな風がその甘い香りを運び、純白のパラソルの下に並べられた美しいティーセットを優しく撫でていった。
そよ風が心地よく吹き抜ける東屋には、王都でも名だたる高位貴族の令嬢たちが集まり、優雅なティータイムを楽しんでいた。
しかし、本日の茶会の主催者はカティアではなかった。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました」
銀糸のような美しい髪を風に揺らしながら、はにかむように微笑むのは、本物のリンド公爵令嬢であり今代の聖女でもあるルナティナである。
身分が入れ替わっていたとはいえ、正式な公爵夫妻の実の娘は彼女なのだ。
貴族社会の常識に則り、公爵家を代表して社交の場を主催するのは、ルナティナの重要な役割であった。
子爵家で育ったルナティナにとって、大貴族の主催する茶会はまだ不慣れな部分も多い。
しかし、その初々しさと、本物の聖女という圧倒的な肩書きは、令嬢たちに好意的に受け入れられていた。
そしてルナティナの隣には、彼女をさりげなくサポートするカティアの姿があった。
「ルナティナ様が厳選された茶葉、とても良い香りがいたしますわね」
カティアが微笑みかけると、ルナティナはパッと顔を輝かせた。
「はい!お姉様……カティアお姉様と相談して、今日のために特別なものを用意いたしましたの」
義理の姉妹となった二人の仲睦まじい様子に、周囲の令嬢たちからは感嘆のため息が漏れる。
「まあ、ルナティナ様とカティア様、本当の姉妹のように息がぴったりですわ」
「それにしてもカティア様……先日の夜会で公爵様から明かされたご先祖様のお話、何度思い返しても胸が躍りますわ!何代もの時を超えて血が引き合うだなんて、まるで恋愛小説のようですもの!」
「ええ、本当に!カティア様が公爵家に戻られたのは、間違いなく運命のお導きですわ!」
令嬢たちの熱を帯びた視線が、一斉にカティアへと向けられる。
(まさか、我が家の奔放なご先祖様たちの駆け落ち癖が、こんなにも好意的に受け止められるなんて思いませんでしたわね……)
カティアは内心で苦笑しながらも、令嬢らしい完璧な笑みを崩さない。
「皆様、少し大げさですわ。わたくしはただ、ご先祖様たちの情熱的な想いの末端にいるに過ぎませんもの」
謙遜するカティアの言葉に、令嬢たちはさらに頬を紅潮させた。
「その奥ゆかしさも素敵ですわ!それに、ルナティナ様の神々しいまでの聖なるお力……あの日の光景を思い出すだけで、わたくし感動で震えてしまいますの」
「ええ、ルナティナ様こそ、真の聖女様にふさわしいお方ですわ!」
話題がルナティナの聖力へと移ると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。
本物の聖女であるルナティナの清らかな魅力と、運命的なロマンスを体現するカティアのミステリアスな魅力。
二人の令嬢が揃い踏みするリンド公爵家の茶会は、今や社交界で最も招待状を手に入れたい憧れの場となっていたのである。
かつての「完璧な公爵令嬢」というカティアの絶対的な立場から、形を変えて新たな魅力が花開いた瞬間であった。
「ところで……あのお方は、今どうしておいでなのでしょうか?」
ふと、一人の令嬢が声を潜めて尋ねた。
その言葉に、楽しげだった茶会の空気が一瞬だけピリリと引き締まる。
名前こそ出なかったものの、誰もがその人物が誰であるかを悟っていた。
「……マリウス王太子殿下、ですわね」
カティアが静かに言葉を継ぐと、令嬢たちは小さく頷き合った。
「あのプライドの高い殿下が、このまま大人しく引き下がるとは到底思えませんわ……」
令嬢の一人が不安げに呟くのも無理はない。
あの波乱の夜会以降、マリウスと偽の聖女リリスの処遇については、様々な噂が飛び交っていたのである。
王都の中心にそびえ立つ壮麗な大聖堂は、いつも清められた空気に包まれている。
巨大なステンドグラスから差し込む色鮮やかな光が、大理石の床に神秘的な模様を描き出していた。
荘厳な静けさが支配する神聖な空間で、本日は今代の聖女であるルナティナが、正式に公務として祈りを捧げる日であった。
「カティアお姉様……わたくし、やはり緊張して足が震えてしまいます」
「大丈夫ですわ、ルナティナ様」
控室で不安そうにカティアの手を握るルナティナに、カティアは優しく微笑みかけた。
「貴女の聖力は本物です。どうか自信を持って、いつも通りに祈りを捧げてきてくださいませ」
不安だからと頼まれて付き添いとして大聖堂まで来たカティアであったが、儀式が始まってしまえば完全に手持ち無沙汰である。
ルナティナを見送った後、カティアは暇つぶしにと大聖堂の内部を一人で見学して回ることにした。
(いくら歴史ある大聖堂とはいえ、見学できる場所も限られていますわね)
静まり返った回廊を宛てもなく歩いていると、やがて人けのない最奥の区画へと足を踏み入れていた。
そこには、周囲のきらびやかな装飾とは不釣り合いな、とある古びた部屋があった。
その部屋にはドアが無く、開け放たれた入り口からは微かな光が漏れている。
何かに導かれるように中へ入ると、壁一面に一枚の巨大で古い絵画が飾られていた。
「大聖女と六人の聖女たち」と記されたかすれた銘板が、それが途方もなく古い時代の品であることを物語っている。
カティアが何気なくその絵を見上げた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
(……嘘でしょう、ナターシャ様?)
中央に描かれている大聖女の顔には、カティアにとって見間違うはずのない見覚えがあったのだ。
それは、カティアが前々世において六聖女の一人として仕えていた、大聖女ナターシャその人である。
そして、ナターシャを囲む六人の聖女たちの中に、前々世のカティアであるソルティーユの姿も確かに描かれていた。
マーリン、リンデ、ソーカ、アイカ、マリアベル。
共に祈りを捧げた、懐かしいかつての仲間たちの顔が色褪せた絵の具の中に息づいている。
(この構図……大聖大祭の祈りの儀式で一番盛り上がる場面ですわね、本当に懐かしいわ)
カティアは当時の鮮やかな記憶に思いを馳せ、無意識のうちに絵画へと歩み寄っていた。
「……信じられない。まさか、あなたが……?」
不意に背後から震える声が響き、カティアはハッとして振り返った。
そこには、教皇が信じられないものを見るような、驚愕に見開かれた目をカティアに向けて立ち尽くしていた。
(なぜ教皇様がここに?それに、そんなに驚かれたお顔をして……)
カティアは首を傾げた。
高い窓から降り注ぐ太陽の光が、部屋の清浄な空気をキラキラと照らし出している。
その光に紛れるように、カティアの体からは神聖な聖力の揺らぎが微かに溢れ出していた。
(私の聖力が漏れているの?いえ、普段から完璧に抑え込んでいるのだから、見えるはずがありませんわ)
カティアは内心で冷静に分析し、どう言い逃れようかと思考を巡らせる。
しかし、カティアの予想は根本的な部分で間違っていた。
教皇は手にした錫杖を取り落としそうになりながら、その部屋の真実を告げた。
「カティア嬢、その部屋は……強い聖力を持つ者にしか入ることのできない、不可視の結界で守られた特別な部屋なのですぞ」
「……はい?」
カティアの思考が完全に停止した。
つまり、カティアが扉もない部屋に何気なく足を踏み入れた時点で、彼女が強力な聖力を持っていることは誰の目にも明らかだったのである。
一世代に一聖女という現代の常識から外れた力を持つ以上、平穏な生活のためには絶対に隠し通さねばならない秘密であった。
(……やってしまいましたわ)
完璧な公爵令嬢の仮面の下で、カティアは盛大に天を仰ぎたい衝動に駆られていた。
こうして、絶対に隠し通すつもりだったカティアの規格外の聖力は、あっさりと教皇に露見してしまったのである。
神話の時代から続く強固な結界を、まるで春風のようにあっさりと通り抜けたカティアの姿に完全に固まっていた教皇であったが、彼はただ驚愕に目を見開いているだけの老人ではなかった。
教会における最高権力者である彼は、かつて大聖女と六人の聖女が存在していた輝かしい時代を知り、その真実を受け継ぐ数少ない伝承の継承者なのである。
「カティア嬢、ここでの立ち話も何ですから。誰も来ない私の私室へ参りましょう」
教皇は周囲に誰もいないことを素早く確認すると、手にした錫杖を鳴らしてカティアを安全な場所へと導いた。
厳重な結界と防音の魔術が幾重にも施された教皇の私室で向かい合うと、二人はまずカティアの規格外の聖力について、絶対に口外しないことを固く誓い合った。
「本当に助かりましたわ。わたくしはただ、平穏な生活を送りたいだけなのです」
カティアが心底からの安堵の息を吐くと、教皇は静かに温かい紅茶のカップをテーブルに置き、これまで誰にも語ることのなかった重々しい口調で口を開いた。
「あなたがなぜこれほど強大な力を持っているのかは深く追及しませんが、現代において、なぜ一世代に一人の聖女しか現れないのか、その理由をご存じですか」
首を横に振るカティアに対し、教皇は教会の最深部にのみ密かに伝わる、恐るべき歴史の真実を語り始めた。
「それは、女神の怒りと最後の慈悲によるものなのですぞ」
教皇が語ったのは、途方もない昔の権力者たちによる、神と大聖女に対する身の毛もよだつような冒涜の歴史であった。
己の果てしない欲望と権力闘争のために、清らかなる大聖女の力までも利用し、意のままに操ろうとした愚かな人間たちに、女神はついに激しい怒りとともに愛想を尽かしたのである。
その結果、大聖女という尊い存在は世界から永遠に失われ、神に見放された地には、わずかな慈悲の証としてたった一人だけの聖女が残されることとなった。
しかし、その力はかつての聖女たちの足元にも及ばず、今や形だけの象徴的な存在に成り下がってしまっていたのだ。
(あんなにも女神様を敬い、大聖女様をお支えして皆で祈りを捧げていたというのに、後世の愚かな権力者たちのせいで全てが台無しになったというのですね)と、カティアは内心で激しく憤った。
カティアの胸の奥深くで、前々世において六聖女の一人ソルティーユとして生きた激しい怒りが、業火のように燃え上がった。
女神と大聖女は絶対であり、自らの人生の全てを捧げて支えてきた記憶が鮮明に残っているからこそ、その冒涜の果ての悲惨な現実に腸が煮えくり返る思いだった。
完璧な公爵令嬢としての穏やかな仮面が剥がれ落ち、カティアは冷たく尖った怒りの視線を床へと落とす。
「……なんて愚かなことでしょう」
「ええ、全くその通りです。そして恐ろしいことに、先ほどの結界の件から推測するに、あなたの聖力は今代の聖女であるルナティナ嬢とは比較にならないほど強大です」
教皇の深刻な顔での指摘を受け、カティアは密かにルナティナの聖力と己の力を比較し、その圧倒的な差の事実に思い至った。
(確かに、前々世の力をそのまま引き継いでいる今のわたくしとルナティナ様の力を比べると、かつての聖女と大聖女様の差よりもはるかに大きく広がっていますわね)と、カティアは己の置かれた状況の危うさを再認識した。
聖力が極端に劣化した現代の基準からすれば、本来の聖女の力を保持しているカティアはとんでもない規格外の化け物ということになるのだ。
もし今のカティアの本当の力が一般の教会関係者に知られれば、間違いなく神の再来として祭り上げられ、再び愚かな権力争いの中心に引きずり込まれることは火を見るより明らかである。
「教皇様、この件は海の底にでも封じ込めて、永遠になかったことにしてくださいませ」
「無論ですとも。もし他の者に見つかってしまえば、最早我々の手には負えない恐ろしい事態になりますからな」
これ以上の波乱を避け、平穏な生活を死守するため、カティアと教皇は固い握手を交わし、絶対に暴かれてはならない秘密を共有する共犯者となったのである。
しかし、平穏を望むカティアの心の中に灯った『究極の推し』の尊厳を取り戻したいという反逆の炎に、彼女自身はまだ気づいていなかった……。




