第10話 食堂のひととき
食堂は広かった。
天井が高く、長い木製のテーブルが何列も整然と並んでいる。大きな窓からは薄白い光が差し込み、室内を均一に照らしていた。人数に対して椅子が不足している様子はなく、急ごしらえながらも何とか形にしたような印象を受けた。
料理は中央の長いカウンターに、無造作に並べられていた。
大きなカゴに山積みにされたパンは、どれも焼き色が濃く、表面が硬そうだ。大鍋には具の少ないスープがなみなみと満たされ、大皿には固そうな肉が豪快に盛られている。量は十分に用意されていた。豊かさとは程遠く、ただ栄養を満たすためだけの献立だった。
「え……これだけ?」
並んでいた一人が、不満げに声を漏らした。
「このパン、めちゃくちゃ硬いんだけど……」
「マジでこれ。本当に食べるの?」
カウンターの前で、転移者たちの足が止まった。
配膳を担当する施設の職員たちは、困り果てた顔で立ち尽くしている。彼らのたどたどしい日本語では、どう弁明していいのか言葉が見つからないようだった。
「ケーキとかデザートはないの?」
甘えたような、別の声が上がった。
「異世界に来たっていうのに、全然夢がないじゃん!」
ドッと乾いた笑い声が起きた。それは、期待外れの現実を冗談で誤魔化そうとする笑いだ。……当然、室内の重苦しい空気が良くなることはなかった。
その時、一人の人物が動いた。
転移者の列の中から、凛としたたたずまいの女性の転移者が前に出た。
背が高く、健康的でメリハリのある体型。それとは対照的に顔立ちはどこかは幼さを残していた。彼女の声は大きく明瞭だったが、不思議と刺々しさはなかった。彼女が一言を発しただけで、周囲のささくれ立った空気がわずかに和らいでいく。
「ちょっとみんな、一回落ち着こうよ」
騒がしかった周囲が、すっと静まり返る。
「職員さんたちだって困ってるじゃん。さっき王子様も、ここは想定外の人数で準備が追いついてないって言ってたでしょ。この状況で、ちゃんとご飯が用意されてるだけありがたいと思わなきゃ」
それでも、誰かが不満げに小さく呟いた。
「でもさぁ……」
「『でも』って言いたくなる気持ちは分かるよ」女性はまっすぐに相手を見据えた。「普通に考えて、こんな状況受け入れられないよ。でもね、今ここで文句を言って騒いだところで、目の前の食事が豪華になるわけじゃないでしょ」
毅然とした彼女の態度に、場の空気が少しだけ好転した。高校生たちは黙ってトレーを手に取り始める。数人はまだ不満げな顔をしていたが、それ以上文句を口にする者はいなかった。
勇雄はその女性の横顔を少しだけ見つめた。
隣のツルは、特に何の反応も示さなかった。その丸い瞳は別の方向へと向けられており、彼女の関心はそこにはないようだった。
♢
勇雄はトレーを手に取った。硬そうなパンを一つ、具の薄いスープを一杯、そして肉の塊を少量。彼の判断基準はどこまでも単純だった。確実に消費できる量だけを確保する。味や内容の未知数な部分については、生きるための栄養と割り切り、一切気に留めなかった。
席を探すため、広く見渡す。
勇雄が選んだのは、一番端にある目立たないテーブルだった。壁が背後を遮り、出入り口の動線を一目で監視できる位置。食堂の端まで足を運ぶ者は少なかった。
ミカが静かにトレーを運んできた。
ごく自然な動作で、勇雄の真向かいの席に腰を下ろす。
「武藤くん、ここ、いいですか?」
「ああ、構わないよ」
ミカは座ると、まずはスープをスプーンで一口すくって口に運んだ。その瞬間、彼女の綺麗な眉がかすかに動く。
「……すごく、味が薄いですね」
「国が戦争状態だからだろう。余計な調味料を回す余裕がないんだ」
「そっか」ミカは納得したように頷いた。「確かに、そうですね」
ミカはそのまま、広く食堂の中を見渡した。すでにいくつかのグループで固まって座っている転移者たち。恐怖を振り払うように、あえて大きな笑い声を響かせているテーブルもあった。
「他の連中のところへ行かなくていいのか?」
勇雄は淡々と問いかけた。ミカの持つどこか惹きつけられる雰囲気を考えれば、望めばすぐにでも誰かの輪に入れるだろうと思ったからだ。
「……苦手なんです」
「そうは見えないが」
「……そうですか」
ミカはそれ以上弁明せず、少しだけ視線を下に落とした。
勇雄もまた、それ以上の追及はしなかった。自分自身、一人で食事を摂ることには昔から慣れている。「無理に気にかけなくていい」と言いかけたが、余計なお節介だと判断して言葉を飲み込んだ。
ふと見ると、白いアヒルの姿をしたツルが、食堂の中をゆっくりと移動していた。転移者たちの一挙手一投足、その顔立ちを一人ずつ品定めするように確認していく、不気味な動き方だった。
♢
「ここ、座っても大丈夫?」
不意に、上から声をかけられた。
古賀理人だった。
彼は料理の乗ったトレーを持ったまま、ひょっこりと立っていた。声音は相変わらず軽薄だ。偶然を装ってこの席を選んだような気配があったが、ここは食堂の端だ。偶然とは思えなかった。何かを聞きにきたのか……勇雄は理人を警戒した。ただ断る理由はない。警戒を崩さぬまま会話に応じた。
「ああ、空いている」
理人は「サンキュ」と短く言って向かいに座った。ミカは理人を少しみたが、食事を再開したようだ。
理人は硬いパンを器用にちぎりながら、食堂全体を見渡していた。
「みんな、意外と元気そうだな。もっとお通夜みたいになるかと思ってたよ」
「表面だけ取り繕っているだけだな。内面はボロボロだ」
「だよな」理人は自嘲気味に笑った。「まぁ、冗談でも笑えてる間は、まだマシな方か」
理人がスープを一口飲んだ。しかし、彼の表情には一切のへこみも変化も現れない。
「味がかなり薄いと思うが、こういう食事には慣れているのか?」
「まさか。普通に薄いよ。俺、昔から感情が顔に出にくいタイプなんだよね」肩をすくめた。「でも、ここで文句を言ってもスープが美味しくなるわけじゃないしな」
それからしばらくの間、二人は無言で食事を口に運んだ。沈黙が流れる。
「……ここにいるやつら、みんな同じ高校の『2組』の生徒らしいな」理人が何気ない風を装って切り出した。「武藤はもう聞いたか?」
「いや、初めて聞いた」
「やっぱりか。俺もさっき空いた時間で聞いてきたんだけど、みんな『休憩時間に急に魔法陣に巻き込まれた』って言ってる。チャイムが鳴って、全員が教室に揃っていたタイミングだったらしい。」
パンを一口かじり「……硬いな、このパン」と呟き、先ほど場を収めたあの女性を見つめながら言葉を続けた。
「あの人は前川さん。俺たちのひとつ上の先輩。入学式の手伝いをしてる最中だったんだって。廊下を歩いていたら、たまたま教室から溢れ出た魔法陣の端っこに巻き込まれたらしいよ」
「なるほど」
「……ちなみに武藤は、どこで転移に巻き込まれたんだ?」
勇雄は、咀嚼する動きをほんの一瞬だけ止め、間を置いた。
「俺は、廊下だ」
「教室にいなかったのか?」
「ああ」
「じゃあ、前川先輩と同じように、外に漏れ出た光に巻き込まれたってことか?」
「いや、違う。俺の場合は、気づいた時にはもう城のベッドの上にいた」
「……そっか。なんか不思議な話だな。もし何か思い出したら、参考までに教えてくれよ」
理人は言った。トーンこそ相変わらず軽かったが、彼の両目がわずかに動いたのを勇雄は見逃さなかった。
「古賀は転移の直前、何か見たか?」
「魔法陣から、ものすごい光が出た。それだけだよ」
「そっか……それ以外に、体に異常は感じなかったか?」
「……まぁ、普通じゃないよな、どう考えても。頭が割れそうに痛かった気はする」
手元のスープを見つめていた。
「武藤は?」
「俺も廊下で強烈な光を見た」
「それだけ?」
「ああ。ほぼ、それだけだ」
勇雄は、パンをかじりながら静かに理人の顔を観察した。
聞き方に違和感がない。こちらの警戒心を解きながら、会話を流す技術が異常に上手い。
「そういえば古賀、転移する前は何してたんだ?」
「教室にいたよ。みんなと同じさ」
「教室で、何を」
「自分の椅子に座ってた」理人は淀みなく答えた。「新入生用の名簿に、自分の名前を書いていたところかな。……武藤は?」
「俺は写真撮影の後に集団からはぐれた。教室の場所が分からなくて、迷っていたんだ」
「あー、入学式の初日だもんな。校舎の構造なんて分からないし、迷っても仕方ないよ」
理人はそれ以上転移のことは聞いてこなかった。彼は話題を変えた。
「そういえばさ、武藤はあの神様についてはどう思う?」
「情報が少なすぎる。判断材料がない」
「あの男風の神……シグナルドだっけ。あいつのこと、信用できると思うか?」
「それも同じだ。信用に足るものが少ない……」
「そうだよな」理人は少しだけ笑った。「まぁ、信用するもしないも、俺たちには最初から『従う以外の選択肢』が与えられていないわけだけどな」
理人の答えには、微塵の詰まる素振りも、嘘をつくとき特有の視線の揺らぎもなかった。
お互いに、核心の部分は巧妙に隠し持ったままの会話。
その時、食堂を徘徊していたツルが、ゆっくりと理人の背後へと近づいてきた。
そして、彼のすぐ真後ろ、手の届くような至近距離でぴたりと動きを止める。
勇雄は視界の端でその光景を捉えていた。ツルは理人の背中を、穴が開くほどにじっと凝視している。
理人がスープのスプーンを口元へと運んだ、まさにその動作の途中だった。
ほんの一瞬、本当にわずか一瞬だけ、理人の視線が不自然に動いた。
人がいないはずの、ツルがいる空間の方向を━━彼は見つめたのだ。
本当に一瞬の交錯。理人はすぐに視線を元のスープへと戻した。
しかし、その刹那、彼らの周囲の空気がピリリと張り詰めた。
ツルの大きな黒い瞳が、獲物を捉えたように細められる。
理人は何事もなかったかのようにパンをかじった。その横顔は、完全に平穏を装っていた。
理人は次に、何気ない動作でミカへと視線を移した。
ミカは黙々とスープを飲んでいる。理人は彼女の様子を確認すると、すぐに視線を正面へと戻した。彼はミカに対しては何も言わず、表情一つ変えなかった。
♢
食堂の最前方へと、施設の職員が進み出た。その手には、日本語で詳細に書かれた校内の案内図が握られている。
「食事が終わられた方から、次の場所へと移動をお願いします。案内図に『講義室』と書かれた場所になります」
彼女はそう告げると、手持の紙を食堂の壁へと大きく貼り付けた。
食事を終えつつあった転移者たちが、一斉に顔を上げる。
理人が真っ先に立ち上がった。空になったトレーを両手で持つ。
「……じゃあ、また後で話そうな」
勇雄に向かって、彼はそう言い残した。軽い、いつもの口調。ただの日常的な挨拶に過ぎない言い方。
勇雄は一拍の時間を置いてから応じた。
「ああ、分かった」
理人は踵を返し、立ち去っていった。
移動を始めた他の生徒たちの大きな流れの中に、彼の背中がゆっくりと溶けて見えなくなる。
勇雄はその去りゆく後ろ姿を、じっと見つめ続けた。
やはり、何かが強烈に引っかかる。
理屈では説明できない。だからこそ、その違和感は余計に不気味だった。
ツルは、理人が去っていった出入り口の方向を、未だにじっと見つめ続けていた。
その丸い瞳は、微動だにしない。
勇雄は視線をミカへと戻した。彼女の手元のトレーを見ると、料理がほとんど減っていないことに気づく。トレーを見つめたまま、小さく息を吐いていた。
「どうした。やはり食欲がないのか?」
「……あ、すみません。ちょっと考え事をしていました。急いで食べますね」
ミカは慌てたようにスプーンを握り直した。勇雄はそれを手で制する。
「待つから、無理に急がなくていい。ゆっくり食べろ」
「……ありがとう、武藤くん」
数分後、ミカは静かに食事を終えた。その頃には、食堂にいた大半の転移者たちはすでに講義室へと移動を完了していて、室内は閑散としていた。
「……ごちそうさまでした。待たせちゃってごめんね」
「もし、何かに悩んでいるのなら話を聞くが」
「ううん、心配かけてごめんなさい。もう大丈夫だから」
ミカは小さく微笑んだものの、その笑みはどこか上の空だった。手際よくトレーを片付けに立った。勇雄も席を立ち、壁に張り出された日本語の案内図を確認しながら、講義室へと向かった。
その道すがら、ツルが羽を羽ばたかせて勇雄の片肩へと飛び乗ってきた。やはり、このまま同行するつもりのようだ。
勇雄は周囲に人がいないことを確認し、小声で話しかけた。
「……さっきの古賀について、何か分かったのか」
「……」
ツルは何も答えなかった。羽毛をわずかに逆立てたまま、険しい眼差しを崩そうとしなかった。
第10話を読んで頂きありがとうございます。
食堂の場面、雰囲気は伝わりましたか。ひととき(?)を感じられるように描きました。
魔王との戦時中の食事、細かいところに世界の状況を込めたつもりです。
一言:前川さんは物語の重要なキャラではないですが、いろいろな役割を持ったキャラです。
次はこれからの予定や魔法についてです。お楽しみ下さい。




