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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第3章 嘘吐き少女

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第12夜 狼少女と些細な想い出

 それは夢のような感覚だった。


 君に触れられる場所が、全部焼けたように熱くなる。


 私の唾液と君の唾液が、どろどろと混ざっていく。


 君の指を口に含んだら、まるでそこから境界線が溶けてなくなるよう。


 甘く、しょっぱい血が、喉を伝って私の身体の内に流れ込んでいく。


 君が私の身体の中に入ってく。


 荒れた吐息と、混じる水音と、衣擦れの音だけが世界を満たしてる。


 埋まるはずのなかった衝動、触れられるはずのなかった肌触り。


 溶けて、交わって、まるで一つになるように。


 そうやって、君と私は――――――。



 




 ―――夢を見ていた。


 そう、夢を見てたんだ。


 つい先日の、記憶をもとにした、いやに鮮明で、蠱惑的で、いけない夢。


 ベッドから身体を起こして、枕元でなるアラームをしばらく眺めて、その事実をようやく思い知る。情けないことに、身体はまだ少し熱くて、微かに震えてる。


 「……………………しっかりしろ、私、今日から……学校だぞ」


 久しぶりの登校初日に見たのが、いかがわしい夢とか笑えない。もれたため息がほのかに熱いのが、情けなさを助長してくる。


 夏休みにすっかり崩れた生活習慣のせいで、まだぼーっとする頭をひきずりながら、私はタンスから制服を引っ張り出して袖を通していく。


 久しぶりに出した制服は無駄に綺麗で、窮屈で相変わらず息が少し詰まる。夏服そのままだと、どうしたって尻尾がすけて見えるから、ブラウスの上に何か羽織らないといけないし。


 しばらく悩んで、結局いつもの耳付きのパーカーに袖を通した。


 それからご飯を食べて、身支度を整えて、部屋の隅に転がっていた制鞄を引っ張り出す。始業式だし、さして持っていくものもないのが、せめてもの救いかな。


 そうして準備を適当に終えて、ふと思い立って、鏡の前で少し容姿を整える。


 別に前まではさして気にしてなかったけれど、今は学校に行ったらりこに会うし、あんまりだらしない姿は見せたくない。


 …………あれ、そっか、りこに会えるんだね、だから学校に行こうって思ったわけだし。


 そう想うと、どうしてか胸の奥が少しだけ軽くなる。前までの学校は両親に文句を言われないために行っていただけだし、別に会いたい人もいなかった。


 でも、今は、違う…………のか。


 なんとなく、普段は使わない化粧品を引き出しから取り出してみる。『先輩は元が美人過ぎるんで化粧とかしなくていいですよ』なんて、いつかのりこのセリフが木霊するけどお構いなし。


 鼻歌を唄いながら、少し表情の練習をする。にっと笑って、すんっとすまして、おかしなところがないか確認する。


 ただそうやって時間を潰していたら、遅刻しちゃいそうになって、少し慌てながら、片づけをして玄関まで小走りで駆けていく。


 ドアを開けかけた一瞬、玄関先に黒い猫の貯金箱が私のことを見つめていた。


 両親と離れて暮らし始めてから、私のことを見送る人なんて誰一人もいなかったけれど。


 「行ってきます、りーこ」


 そういいながら、物言わぬ黒猫の貯金箱に手を振った。もちろん何の返事もないけれど、少しほくそ笑みながら部屋のドアを閉めた。


 マンションから外に出ると、昼夜逆転マンには厳しい日差しが降ってきたけれど、負けじと足を動かして最寄りの駅へと足を進める。


 さあ、行こう。君に会いにその場所へ。


 少し蒸し暑い朝方の空気の中、まだ蝉の音が鳴っている街を、小走りで駆けていく。


 私達の夏休みは終わったけれど、まだ少しだけ時間は残ってる。


 だから一時だって、君と過ごせる時間を逃さぬように。


 現実のその場所へ、夢が明けたその先へ。


 さあ、いこっか。





 ※





 久しぶりに、昼間に外に出て思ったことは、やっぱり通勤電車は終わってるということ。


 熱い、臭い、人が近い、うるさい、臭い。


 汗と、皮脂と、雑多な感情の匂いに揉まれて、ほぼ引きこもりだった私の体力はごっそり持っていかれた。こんなことなら、ビルの屋上を走って登校すればよかったかなと思わなくもないけど、さすがに昼は見つかるリスクが怖い。


 そんな感じで、学校の最寄り駅に到着する頃には、もう疲労困憊だったわけだけど。


 校門がぼんやり見える頃合いで、嗅ぎ慣れた甘い匂いに嗅覚がぴくんと反応した。


 りこの―――匂いだ。


 しばらくその匂いを辿って、人にぶつからないようそっと小走りする。


 程なくして、昇降口前で、私より少し小さな背中が歩いているのを見つけた。


 思わず頬が綻んだ、当たり前だけど、こっちには気づいてない。


 そっと足音を消して忍び寄って、そのままふっと抱き着いた。


 「おはよ、りこ」


 「ふひゃぅっ??!!」


 後ろからぎゅっと抱き着くと、君の身体は面白いくらいにビクンと跳ねた。


 うーん、100点満点の反応、思わず顔がほくそ笑んでしまう。


 「すー…………」


 「え?! つ、つき先輩? なんで、てか、汗臭いんで、匂い吸わないでください!?」


 あら、バレてしまった。驚きついでに、しばらく嗅いでいたかったのに。


 慌ててりこが身体を引き剥がしてくるから、しぶしぶ抱きつくのを諦めて少し距離を取る。肌が汗でぺたっとして、りこ特有の香りがより色濃く感じられたから、気持ちよかったのに残念。


 それにしても、りこはなんか最近より、いい香りになっている気がする。こうなんというか、かぐわしいというか、より芳醇な感じというか。


 つい先日、衝動を抑えたばかりなのに、またくらっときてしまいそう。


 「ふふ、改めて、おはよ、りこ」


 「…………おはようございます。…………人前で、こういうことは止めてくださいね」


 りこはどこか頬を赤らめたまま、怪訝そうな表情でこちらを見てくる。うーん、そこまで露骨に警戒されると、さすがに少し傷ついてしまう。


 「えー、この前の夜はあんなに、情熱的だったのに……」


 そう言うとりこの顔は見ていて面白くなるくらいに真っ赤になって、慌てて周りを見渡している。あらあら、慌てちゃって大変だね。


 「せ、先輩、誤解をされるんで、そういうこと言うのやめてください……!」


 「ふーん、誤解なんだ?」


 少し意地悪なことは自覚しながら、りこの左手にまだ結ばれている黒いリボンをあえてそっとなぞる。あの日、私に結ばれた契約の証。それと絆創膏が巻かれた、私の付けた疵の跡。


 それだけで君が余計に反応するのが面白くて、くすくす笑ってしまう。


 畳みかけるように、いつも通りその首元に顔を寄せて、あえてりこにしか聞こえない声でそっと囁く。


 「つ、つきせんぱ…………」


 「ねえ、私の『ご主人様』?」


 あの夜の君の言葉を、繰り返すように言葉を紡ぐ。


 そうするだけで、君の首元が面白いくらいに熱くなってくるのを感じる。ふふ、前は散々好きにしてもらったし、これくらいの仕返しは許容範囲だよね?


 と、まあ、このまま揶揄い続けてもいいけれど、さすがにそろそろHR(ホームルーム)も始まっちゃうかと、そっと君の首元から顔を離した。


 改めて見た君の顔は真っ赤で涙目で、普段のすました顔がすっかり台無しだ。まあ、なかなかそんな顔も悪くないけどね。


 「つ、つきせんぱい…………」


 「ふふ」


 なんて、つい楽しくて、ちょっと調子に乗ってしまっただろうか。


 「…………ちょっと周り見てください」


 そんな風に、真っ赤な顔のりこに、藪にらみ気味に言われてしまった。はて、と首を傾げて、周りを見てみると―――。


 「あら…………」


 なんか知らないうちに、周囲に人だかりが出来ている。ざわざわとがやがやと、私たちのことを遠巻きに見て、ぽかんとした顔の人がちらほら。手にスマホを握っている人も、何人かいるし。


 「…………先輩はいい加減、自分が美人で目立つってことを自覚してください」


 「ごめん……とりあえず逃げよっか」


 そう言って、君の手を取って小走りで駆けだした。


 人並みを抜けて、君に困った笑みを向けながら。


 そんな始業式の朝のことだった。


 ……それにしても、さっき嗅いだりこの匂い、やっぱりなんか、よりいい香りになっている気がするけれど……気のせいじゃ、ないのかなあ。




 ※




 そんなこんなで、りこを一年生の教室まで送って、久しぶりの自分のクラスにやってきた。


 一瞬、緊張で胸が軽く傷んだけれど、まあ仕方ないかと割り切ってドアをガラッと開ける。


 クラスの中は、いつも通り沢山の人でざわついてて、感情の匂いがごちゃ混ぜになって思わず少し顔をしかめる。


 私を見止めた何人かが、少し驚いた顔をして、こそこそ隣と話してる。まあ、一学期後半ほとんどいなかった奴が、久しぶりに登校していたらこうもなるかな。


 軽くため息をついて、窓際の一番前の席までつかつかと歩を進める。どうせ私に話しかけてくる人もいないし、構いやしない。


 あまり慣れない自分の席に腰掛けて、特にすることもないので窓の外を見つめる。相変わらず学校は、何というか、息が詰まる。何でだろう、がやがやと周りがうるさいからか、その中にどうでもいい嘘が山のように含まれているからか。


 苦く、酸っぱく、腐ったようなそんな今更な匂いが、この部屋に充満してる。


 思わず誰にも見えないようにため息をついて、ふっと気になって自分の頬を触ってみる。


 見事なまでのしかめっ面だ。ずっとこんな顔してる人間に、そりゃ、誰も話しかけてなんて来ない。私も話しかけて欲しくはないけれど。


 さっきまで、あれだけりこと会話している時は楽しかったのに、あまりの落差に風邪すらひきそう。


 しばらくしたら先生が来て、HR(ホームルーム)が始まった、出席の時に私の名前を呼んで、返事があったことに少し驚いていたけれど。それだけだ、それ以上のことは何もない。


 この場所に、私がいてもいなくても変わらない。誰も私を見ていない、私も誰も見ていない。


 まるで私だけが、この場所に相応しくないかのような、そんなざらざらと胸の奥から何かが零れていくような感覚がする。


 こういうのが嫌だったから学校来なくなったんだよね、独りでいると嫌なことばかり考えるし、想いだされる記憶もろくでもないものばかり。


 両親との記憶、小学校の頃の記憶、誰かの罵倒、誰かの怒り、誰かの心無い言葉。


 どれも彼も、私がここにいることを拒んでいるような気にさせる。


 …………はあ、と軽く息を吐いて、窓の外を見た。


 言ってる間に、連絡が終わって始業式が始まろうとしてる。


 それが終われば、もう今日の用事はないけれど、りこはどうするんだろう。部活とかあるのかな。


 なんて考えていたから、ふと今日の朝、君を送った時のことを思い出す。


 確か、1年2組だったかな。階段から順に1組のはずだから、真向いの校舎の一階、その真ん中あたりの教室が、りこのクラスだ。


 熱い日差しが外を照らす中、じっと目を凝らして、記憶をたどりながら君の姿を探す。うちの学校は基本、名前で席順が決まってて、いつわ りこ……だから多分、最初の方、つまり窓際のはず。


 そうしてしばらく目を凝らした先で、やがてその小さな横顔を見つけた。


 いた、りこだ。


 予想通り、窓際の席。そう遠くはないから、少し退屈そうな表情で同じようにHRを受けているのがよくわかる。


 気づくかな、気づかないかな。まあ、普通は気づかないよね。


 でも、もしかしたら、なんて思ってしばらく見つめてしまう。


 気づいて欲しいな、君が気づいてくれたら、それだけでこの退屈な時間が紛れる気がする。


 なんて、願いが通じたわけじゃないだろうけど。


 ふっとした、その一瞬。


 君の視線が、わずかにこっちに向けられて。


 

 あ。



 目が合ったと、特に根拠もなく直感する。


 だから、こっそりと手を振ってみたら、きょとんと首を傾げられた。


 ふふ、おかしいね。


 別に大したことは起こってない。


 でも、たったこれだけで、少しだけが胸が軽くなる。


 そんなことをしていたら、先生の号令がかかって、これから始業式始まるみたいだ。熱中症対策で、校内放送で全部済ませてしまうらしい。


 どうにも、もう少しだけ、退屈な時間が続くみたい。


 でも今はそんな時間ですら、少しだけ苛むような痛みを忘れていられた。


 ふっと一年生の教室をもう一度見ると、君は退屈そうに欠伸を浮かべてた。


 そんな姿に少しほくそ笑んだら、どうやら気づかれたみたいで、りこはちょっと口を尖らせてる。


 校長先生の間延びした声が、教室のクーラーの音と混じりながら響いてく。こんな時は退屈で、孤独で、過ぎていく時間を、ただ耐えていただけだった、少し前までは。


 窓の向こうで蝉の鳴く声がする。


 ふと空を見上げれば真っ青な空に、入道雲がもくもくと棚引いている。


 そんな夏の終わりは、どうしてか寂しいものだけど。


 でも今は。


 私がこっそり君に向かって、手をひらひらと振ると、君はびっとピースサインを向けてきた。おや、りこにしてはなんだか元気すぎる反応のような…………違う、チョキ出してるな。すまし顔でドヤってるし、いつのまにじゃんけんしてたの、りこちゃん。


 グーを出してみた、りこはすぐにパーに変えてきた。


 チョキを出す振りをして、パーを出した。


 りこは一瞬グーを出してから、あわててチョキに変えてきた。


 ふふ、なーにやってんだろね、私達。校長先生のありがたい話も聞かないで。


 でも、こんななんでもない日々が。


 暖かくて、優しくて、いつまでも続けばいいと、そう想ってしまう。もちろん、そんな夢みたいなことはないけれど。


 すこしだけ微笑んで、君の反応一つ一つをつぶさに眺める。


 きっと、こんな何でもない時間が、いつか想い出になるんだろう。


 君もいつか、こんな些細なことを想い出してくれる日がくるのかな。


 そうだといいな、なんて、願いながら。


 校長先生の話はまだ続く。


 クラスの中では時々、欠伸の音が響いてる。


 私はまた、ひらひらと君に手を振った。


 君はそっと、そろそろと静かに手を振り返してた。


 本当に、ただそれだけ。


 そんな、何でもない時間だった。


 そんな時間を、ただ想い続けてた。


 今日の放課後、りこと一緒に帰ろうなんて、そんなことを考えながら。

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