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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第2章 吸血鬼

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第11夜 噓吐き少女と夏の終わり

 とあるビルの屋上、街を彩る夜祭の光景を眼下に収めながら、吸血鬼、千寿井 知由は独り、ため息をついてた。


 視線の先には、数百メートルほど離れているが、件の狼少女と噓吐き少女がベンチで寄り添う姿があった。お互いどこか縋るように身を寄せ合っている姿に、知由の胸は微かな痛みを訴える。


 「……なんかあれ、お伽噺の北風になった気分」


 自分のしていることが、彼女たちの関係を遠回しに壊してるのだろう。もちろん現実的に考えれば、伝えるべきことを伝えているだけで、間違ったことは何も言ってない。知らないうちに、取り返しのつかない一線を越えるよりははるかにいい。


 でも、そんな正しいだけの言葉を、別に彼女たちは望んでいるわけじゃないこともわかっていた。


 軽く閉じた瞼の裏に映るのは、そんな知由を揶揄うように笑う、いつかの人狼の子どもの姿。


 『お姉ちゃんはいつも考えすぎだよ、もっと気楽にやったらいいのに』


 「……うるさいっての、そんな簡単に割り切れないよ」


 記憶の中で喋る小さな人影に、知由はぼやくように言葉を漏らした。


 別にあの子達の関係を邪魔したいわけじゃない。折角外れ者同士なんだから、手助けはしたい、力にはなりたい。自分がこの身体と付き合うために苦労した分だけ、大人としてちゃんと見守ってあげたい気持ちに、嘘はない。


 でも、あの子たちは……特にあの嘘吐きな彼女は、きっとそれを望んでいない。


 きっといつかの知由が、そんな現実を望んでなどいなかったように。


 別に、正しくなくてよかった。


 別に、間違えていてもよかった。


 こんな大きすぎる世界に、独りぼっちで生まれてしまったことに比べれば。


 きっと、間違えているかどうかなんて、どうでもよかったのに。


 ただ、一緒に居られれば。


 『大丈夫だよ。言ったでしょ、きっとこの世界のどこかには、必ずお姉ちゃんのことを待ってる人がいるんだから』


 「言ってたね、でも、ほんとかよ」


 知由は小さく独りでぼやいた。


 それなら、私はあんたがその待ってる誰かでもよかったのにと。


 結局、年下の子供へ、口にできなかったそんな言葉に、軽く自嘲する。


 その一言を言えていたら、何か変わっていただろうか。それとも結局、あの子は出て行ったのだろうか。


 視界の向こう、藍色滲んだ夜空に、紅い火の花が開く光景が、ぼんやり映る。


 それを見上げる、小さな二人の少女の姿も一緒に。


 これから、あの二人はどうなるのだろう。どんな結末を辿っても、端から見れば荊の道を行くように見えてしまうけれど。


 それでも、あの二人なりの納得した終わりを、迎えることができるのだろうか。


 わからない、あの時、想いを口に出来なかった自分にはなにもわからない。


 滲むのは、ただ淡く切ない後悔ばかり。


 そうやってしばらく夜空を見上げてから、知由はどこかおかしくなって、軽く微笑んだ。


 「あーあ、こんな後悔まみれの大人に説教されたら、嫌だよねそりゃ」


 『まあまあ、そんなに落ち込まないで。たまにはそういう時もあるよ』


 「…………誰のせいだと想ってんだか」


 まあ、伝えるべきことは伝えた、伸ばすべき手は伸ばした。この後、どうするかは、あの子たちが決めることだ。


 自分の役割はここまでだろうと、知由は小さく独り言ちる。それから、懐からスマホを取り出して、馴染の相手に通話を開いた。


 「もしもーし、はい、ちゆでーす。例のあの子たちのこと、やっぱりお願いしていいですか? そう、私だけじゃちょっと荷が重かったや」


 そんな知由の言葉に、スマホの向こうから、どこか穏やかな笑い声が響いてくる。


 そんな声を聞きながら、ふと思う。


 もしのあの人狼の子どもが言っていたように、この世界のどこかに、自分のことを待ってくれている人がいるというのなら。あの二人は、どうなのだろう。


 お互いがちゃんと、お互いの待ち人だったりするんだろうか。


 そんなことを少し想って、想ってから、肩を軽くすくめた。


 わからないね、そんなこと、場末の占い師が語る運命の人とさして変わらない。


 そう、わからないのだ、結局、先のことなんて、誰にも、何にも。


 だから、せめてあの二人が、後悔のない選択をするように。


 たとえそれが、どれほどの苦難に満ちた旅路だとしても。


 それでも、あの二人なりの幸せが、どうか見つかるようにと。


 知由は、少し目を閉じて祈っていた。


 通話の声を遮るように、一際、大きくどおんという音が鳴った。


 瞼越しにでも、その光景が微かに浮かぶ。


 暗い夜空に遠吠えする小さな狼と、空に開く花火の情景。


 そんないつかの夏の終わりを、想い出すような音がした。






 ※






 

 花火の残響がまだ耳に残る中、少し騒めいた街から離れた場所で。


 帰り道を、先輩と二人で歩く。


 人ごみを避けた川沿いの道を、今日は跳んだり跳ねたりせず、ゆっくりと歩いて帰っていく。


 浴衣が汚れたらまずいから、なんて言ってたけれど、ただゆっくり帰りたかっただけかもしれない。


 いつも通り手を繋いで、背の高い先輩の方が少しだけ早い足取りで。


 「ねえ、りこ」


 周りには誰もいない。人の声は聞こえるけど、どことなく遠い気がする。


 「……なんですか、つき先輩」


 私の返事に、あなたは何気なく、それとなく口を開く。その表情は見せないままに。


 「夏休み、そろそろ終わりだね」


 まるで、漏れた息から感情が零れないように、そっと抑えているような声だった。


 「そうですね、もう登校日もすぐですし」


 口にしてから、そうか、と思う。多分、夏休み中に会えるのは、今日が最後だったんだ。


 「りこは、夏休みが明けたら、バイトどうするの?」


 どっちのですか、とは咄嗟に聞けなかった。


 「………………別に、いつも通りです。部活あるから、たまにいけなくなるけど、それ以外は大体一緒です」


 不安で声が震えそうになるのを、そっと抑える。あなたに想いを悟られぬよう。


 「ふうん、そっか。そうだよね、学校始まったら、ちょっと忙しくなるもんね」


 隣を流れる川から、ざあざあと音がする。暗闇で何も見えないから、少しだけその音が怖かった。


 「………………あんまり変わりませんよ」


 そう言った自分の声から、あまり抑揚が感じられない。


 「そうかな、そうだといいな。…………りこは何の部活はいってるの?」


 つき先輩は振り返らないまま、そんな風に言葉を続ける。


 「…………一応、美術部です。ほとんど幽霊部員ですけど」


 一瞬、隠すか逡巡したけど、絵を描いていることをもう言ってしまっているから、諦めて事実を口にする。


 「そっか、いいな、部活。私やったことないから」


 先輩はそう言って、少し笑った。


 「…………そこまでいいものでもありませんよ、人間関係とか、面倒くさいし」


 我ながら漏れた言葉に夢がない。そんな私に、先輩はえー、って少し残念そうに言う。


 「そうなの? 青春って感じでいいなって思ってたのに」


 ぽつぽつと会話は続く、言葉は続く。沈黙がこの時間を埋めないように。お互いの手に繋いだか細い糸が途切れぬよう、確かめるみたいに。


 「全然ですよ、派閥争いとかあるし、絵と関係ないことでよく言い争ってるし」


 「へー、りこはそういうのイヤなんだ?」


 「…………逆に好きな人います?」


 「あはは、確かにいないかも。でも、そっか。当たり前だけど、学校に行ったらりこに会えるんだよね、うーん……私も久しぶりにいこっかな」


 「そういえば、途中から来なくなりましたよね、先輩」


 「そーなんだよね。……ていうか、詳しいね? あんまり一年生とは交流なかったと思うけど」


 「…………だって先輩、目立つから」


 「……そっか、まあそうかも。この髪色だしね」


 「だから、学校では他人のフリしてくださいね」


 「えー、なんで? お昼休みとかに、一緒にご飯食べたりしたいのに」


 「だって、先輩。絶対、隙を見て抱き着きにくるじゃないですか」


 「あら、バレてた」


 「バレます。ていうか、簡単に想像できます……」


 なんて。


 なんて、他愛もない話を繰り返す。


 本当はしないといけない、大事な話を先延ばしにするように。


 でも。


 「ねえ、りこ」


 そんなこと、いつまでも出来ないのはわかってた。


 「なんですか、つき先輩」


 何気ない切り出し、何気ない声。



 でも、それが『境い目』なのは、どうしてかわかってしまった。



 「私ね、あと2回しか、りこを噛めないの」


 心臓がきゅっと締め付けられるような感覚がする。つないだ手と絡めた指に、思わず少し力が入る。


 「………………」


 「あの人から、聞いたでしょ? 人狼はね、3回までしか、噛んじゃいけないんだって。それ以上は、取り返しのつかないことになるから…………」


 先輩の声は、静かで穏やかで、まるでわかりきった話を改めて確認するように、一つずつ丁寧に言葉にしていく。


 「…………聞いてません」


 漏れた言葉は、低くて、しわがれてて自分でも聞けたものじゃない。


 「…………嘘吐きだね、りこは」


 先輩はそう言って、いつも通り微かに微笑んだ。


 「………………」


 何か言いたいけれど、何を言ってもただの戯言になるのがわかってしまう。


 私は人で、あなたは人狼。境界があるんんだ、海の底の断崖のような境界が。手はずっと繋いでいるはずなのに。


 「だから、こうやってお仕事をお願いするのも、あと2回、噛むまでだね」


 まるで当たり前のことを口にするように。ただの先輩と後輩が、明日の予定のことを話すような調子で、あなたは言葉を続ける。


 「…………」


 繋いだ手を少しだけぎゅっと握った。今の私にはそれくらいしか、伝えられるものがないような気がしたから。


 そんな瞬間に、あの吸血鬼の言葉が一瞬、頭をよぎる。


 『最悪、君も人狼に……喰人衝動を抱えた生き物になる』


 「だからね、りこ」


 そう言って、つき先輩は立ち止まる。


 それからふっと振り返ったあなたは、溢れるほどの笑みを浮かべて私を見てた。



 「()()()()()()()?」



 響いた言葉は、どことなく震えてて。


 零れるほどに浮かべた笑みはどうしてか、泣きそうな顔にも見えて。


 繋いだ指先は、ぎゅっと縋るように握られていた。


 「…………あと2回なら、もう少し、取っといたほうがいいんじゃないですか?」


 そんな言葉を口にする私の声は、どこか乾いたような響きをしてる。


 だって、あと2回で、私は―――。


 「……うん、本当はそうなんだけどね。でも、今日で夏休み会えるの最後だし、お祭りも楽しかったし、凄く素敵な夜だったから」


 「………………」


 「大事な想い出にしたいの、だから、忘れないようにできたらいいなって、思ってさ」


 「………………」


 「…………ダメ、かな?」


 そう言って、あなたは少し自信なさげに、首を傾げた。


 私が断れないことなど、きっと解ったうえで。


 はあ、と小さくため息を吐く。


 それから、左に巻いていたリボンをそっと解いた。


 もし、私があなたと同じになれたなら、あなたはどんな顔をするのだろうか。


 怒るかな、悲しむかな、わからないや。でも、それでも。


 「いいですよ、でも『ルール』覚えてますか?」


 漏れた息に、不安とも緊張ともとれない何かが滲むけど、それをおくびにもださないようしながら、慎重に言葉を選ぶ。


 「うん、もちろん。よろしくね、『ご主人様』」


 そう言ってあなたはふっと笑うと、私の首元にゆっくりと頭を預けてくる。


 つき先輩の吐息が、私の耳元を軽くくすぐる。熱くて、湿った、それが私の胸の奥を確かにざわつかせる。


 我ながら、どういう感情なのだろう。不安なような、寂しいような、どこか何かに期待しているような。


 冷たく震える息の奥に、熱がある。


 傷むはずの胸の奥で、鼓動が高まる。


 微かに触れるあなたの肌の柔らかい感触が、私の感情の何かを壊していく。


 ゆっくりと。


 ゆっくりと、その首元に手を伸ばす。


 溶けるように温かくて、少し触れた指を飲みこむように柔らかくて、透明で傷一つないその場所に。


 黒くて、ちっぽけな契約の証を巻きつけていく。


 そこはあなたの命の場所。きっと人狼といえど、この場所に私が悪意を持って、ペンの一つでも突き刺させば、ただでは済まないその場所に。


 ゆっくりと触れて、縛っていく。


 息と、血と、声と、意思を流す、その場所を。


 きゅっと閉める。


 最初はゆっくり、首元にそっとリボンが沿う程度に。


 それから、少しだけきつく肌に喰い込むほどに、リボンを―――首輪を締めた。


 きゅっと音がすると同時に、耳元からあなたの吐息が微かに漏れる。


 あぅ、って短く、熱く、私の脳を壊す音がする。


 周りには誰もいない。暗い夜の向こうで、車や人が行きかう音はするけれど、この川沿いは誰の声も聞こえない。まるで、ここだけが、街の光が当たらない影のよう。


 そんな場所で、あなたと二人。


 結んだちょうちょ結びを、その首元にそっと添える。それが正しく結ばれているか、指で何度か触って確かめる。


 「…………結べた?」


 「はい」


 そんな小さな確認を終えてから。


 「………………どうしたらいい? 『ご主人様』」


 そうやって尋ねるあなたの頭を、そっと撫でてから。


 「『おすわり』」


 冷たく、短く、そんな命令をあなたに告げる。


 あなたは私の手の中で、一瞬びくって震えたけれど。


 やがて、浴衣の裾を少し整えると、ぺたんと地面にしゃがみ込んだ。


 足は崩して、手は地面について、まるで本当に犬か何かのように。


 顔が少し紅くなっているよう見えるのは、夜の街の明かりのせいだろうか。


 「…………なんか、これえっちだね」


 「黙って」


 少し恥ずかしそうにはにかむあなたに、感情を出来るだけ抑えた声で、そう命令する。


 そんな私の言葉に、言われるがまま、あなたは口を噤んだ。


 それから命ずるまでもなく、眼を閉じて、そっと顎をあげて私に向かって口元を差し出すようにする。


 普段、私のことをお姫様抱っこで抱える先輩が、私より背が高くて、私のことを振り回してばかりの先輩が。


 請うように、縋るように、私の足元でへたりこんで、口元をそっと私の指に添えていた。


 誰かに見られるかもしれない、そうでなくても、こんなことして、嫌われるかも。


 そんな不安と動悸で満ちているはずなのに、胸の奥は熱く脈打つばかり。漏れる息は浅くて、ただ湧き上がる背徳感とも昂揚感ともつかない感覚が、私の思考を埋め尽くしていた。


 それにしても、と改めて思う。


 綺麗だ、この人は。ずっと前から分かってたけど。


 透き通るような白い肌、月明かりに溶けだすような灰色の髪、淡く赤く染まったその唇。


 どれも彼もが、そのまま一枚の絵になってしまいそうなほどに綺麗だけれど。


 その綺麗な何かを、自分の手で汚しているような感覚が、不安で、怖くて、辛くて、……気持ちよくて、どうしようもない。


 少し待っていると、あなたは催促するようにそっと、その柔らかい唇を私の手に、触れさせてくる。


 まるで指先に口づけをするように、小さくついばむように、私の指をその唇で撫でいてく。


 「口、開けて」


 命令すると、あなたはゆっくりと、その口を開いた。


 請うように、縋るように、紅く濡れた舌と、滑らかに光を映す牙を、私に向かってあられもなく曝す。


 胸が逸る、息が浅くなる、耳の奥で脈打つ血の音がする。


 私の命令にただ従順に従うあなたの姿に、少しだけ見惚れてから、私はそっとその垂らされた舌先に私の指をそっと乗せた。


 左の、人差し指。


 ぷちゅっという音共に、濡れた感覚と、その肉の中に沈み込むような感覚が指先を犯してく。


 ああ、まずい。本当に脳がやられそう。


 熱く濡れたその場所を、あなたの吐息を肌で直接感じながら、最初はそっと優しく撫でていく。あなたの無防備な身体の内側を、舐るように、撫でるように、なぞっていく。


 それからやがて、少し乱暴に、舌の奥、頬の裏側、口の天井をぴちゃぴちゃと水音を響かせながらなぞり続ける。


 あなたは最初は少し息を荒げたけど、その反応さえ、直接指に懸かる吐息に変わる。


 その吐息に呼応するように、私の呼吸も熱く震えて、乱れてく。


 舌を摘まんで舐る、口の裏を優しく撫でる、その牙を軽くなぞって、そこに指を軽く押し付ける。


 段々とあなたの息は上がって、頬はすっかり上気して、身体が微かに震える感覚が口内を弄ぶ指越しに感じられる。


 さすがに苦しくなったのか、少し顔が下げられたから、私は反射的に首元に巻いたリボンを引っ張った。


 飼い犬の首輪を引っ張って、無理矢理上を向かせるように、口を下げるのを許さないかのように。


 「顔、上げて、つき」


 無意識にそう呼んだ。


 そして、それに呼応するようにあなたの身体がびくんと跳ねた。まるで身体が波打つように、高く一度揺れた後、弱い震えがあなたの身体をゆっくりと満たしていくのが触れてわかった。


 それから最後にその唇を指先で軽くなぞって、震えるあなたの口元からようやく指を引き抜いた。


 そうして初めて、あなたは開放されたように、息を荒らしながら身体を揺らす。


 肩を上下させて、微かに全身を震わせ続けるあなたを、私はただ熱に浮かされたような思考のまま、呆然と見つめてた。


 指が濡れてる。もちろん、全部、あなたの唾液。ずっと口を開けさせていたから、あなたの足元に、微かに涎が飛び散っていて、口元も少し汚れてる。


 みっともない姿だ、あられもなくて、乱れてて。


 なのに、どうしてか、綺麗だと想ってしまった。そんな姿なのに、そんな姿だからこそ。


 ……やっぱり、私はどこか、致命的な部分が壊れているのかもしれない。そう思いながら指についたあなたの唾液を舐めとる。


 この気持ちは何なんだろう。


 愛でも、恋でも、あるはずないのに。


 「綺麗だよ」


 どうかしている。


 「可愛い、綺麗、私だけのつき」


 そう言うとあなたは、顔を赤らめたまま、どこか泣きそうな顔をしていて。


 そんな表情さえ、今は私の身体の奥の熱を、高めることしか出来ないけど。


 「ほら、もう一度、口開けて」


 眼元に滲むあなたの雫をそっと拭って、そのまま舐めとる。しょっぱくて、甘くて、少し苦い。


 それから空いた手で、もう一度、口を開かせて、濡れた指をそっと乗せる。私とあなたの唾液が混ざって濡れた指を。


 「頑張ったね、今、ご褒美あげるから」


 舌の上で指を転がしながら、あなたの頬まで顔を寄せて、その尖った耳元に口づけるように言葉を囁く。


 ふっと息を吹きかけると、あなたの身体がまたびくんと揺れる。首元に顔を寄せて改めて感じるけれど、あなたの身体は信じられないくらい熱くなっている。


 「でも、まだだよ、まてだよ」


 そう耳元で囁き続ける。感覚の全部が触覚だけになったみたいに、触れる熱と、濡れた感覚と、なぞる肉の質感だけが鮮明に感じられる。


 「まて―――」


 ゆっくり、ゆっくり、あなたの鼓動が感じられるほどに、耳を澄ましてその身体の震えまでも感じ続ける。


 声はあえて耳元で吐息を感じられる場所で囁く。私と一緒に、あなたの理性(こころ)まで、壊れてしまえばいいのになんて想いながら。



 心臓の音が、重なる。



 指の震えが、牙の震えが。



 身体の震えが、その熱が、溶けて全部の境目がなくなっていくような。



 そんな感覚に身を委ねる。



 そうして、あなたの鼓動が一際、強く震えた瞬間に。




 「いいよ」




 そう告げると同時に。



 牙が私の指に振り下ろされた。



 熱い。



 熱い。



 指先の全てが、飲み込まれていくように、熱い。



 だけど、それがどうしようもなく、抗いがたいほどに―――気持ちがいい。



 あなたの身体の震えを感じる。



 強く、弱くを、繰り返して。



 何度も、何度も、浅い痙攣を繰り返す。



 それすら今は愛おしい。



 そうして私たちは、抱きしめながら、抱き合いながら。



 その許されない行いに、ただ二人で耽ってた。



 先のことなんてわからない、どうなるかなんてわからない。



 そんな不安も迷いも。



 まるで快楽で塗りつぶしてしまうかのように。



 気づいたらお互いに涙をこぼしながら。



 そうやって、私たちは抱き合っていた。



 このまま、私たちの境界ごと全部、全部溶けてしまえばいいのにと願いながら。



 明日のことも、学校のことも、人狼のことも、現実のことも。



 何もかもを忘れたまま。



 誰も知らない、夜の街の陰の中、水の音しかしない川沿いで。



 ただ、二人っきり抱き合っていた。






 私達に残された猶予は――――あと1回。



















 だから、そんな夏休みの終わりの夜に、私は決めた。



 嘘を吐こう。



 あなたに一つ、取り返しのつかない嘘を。

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