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愛思草  作者: 五月雨
Ⅲ 勢力
20/20

箱庭の中



クリフくんが帰ってから、一月くらい経った。


私は変わらず、子供たちに勉強を教えたり簡単な内職をしたりと平穏に過ごしている。

少し変わったことと言えば、学年をまた一つ終えたダグリスが少し前からスラムに帰って来ていることだろうか。

どうやら去年は友人の家に転がり込んでいたらしいのだが、今年は帰って来た。

そんな訳で暇だろう彼を勉強会に引っ張って来たのは、当然な成り行きだと思う。


しかしその日は少し違っていた。

一日の授業が終わり、子供たちも殆どが帰った後、この勉強会で最年少だろうヒナという名の少女が浮かない顔で私の傍まで来たのは。

気付けば小屋に残っていたのは、このヒナとヒナを待つ姉のサラだけだった。



「どうしたの、ヒナ?」


「………あのね、イスト姉……マリーのことでお話があるの。」



ヒナの言葉にサラの顔色が変わった。慌ててドアの所からこちらへと来るサラを、ヒナの只ならぬ雰囲気を感じ取ったダグリスが止める。



「マリー?あの子がどうかしたの?確かお家の仕事の手伝いが忙しいってルークに聞いたけど…。」



マリーというのは、ヒナの少し上の少女でルークの妹だ。このルークという少年、実はあのクリフくんを誘拐したあの日、誕生日の会場にいた少年だったりする。つまり、ルークは組織の人間なのだ。

教え子の就職先に私があまりいい顔を出来なかったのは、仕方ないと思う。



「あのね、それね、違うの…」


「ヒナ!!」



おずおずと言い出したヒナの言葉に、血相を変えたサラが制止の声をダグリスの腕の中から上げる。

そんな姉を振り返り、泣きそうな顔をしたヒナは震える口を開いた。



「…お姉ちゃん、やっぱり私はマリーのお願い聞いてあげたい!」



言葉をなくす姉から私に視線を戻して、ヒナは必死な表情で私の服を掴んだ。



「マリーね、今病気なの…!もう長くないだろうって…。だからね、お願い!一回でいいからマリーに会いに行ってあげて…!」



あまりのことに言葉が出なかった。一体何を言われたのか分からない。

けれど言葉を理解するよりも早く、私はヒナの前に膝をついていた。



「…っ、今マリーはどこにいるの?」


「マリーはね、お家で寝てるの。ルークは大丈夫だって言ってるけど、全然大丈夫そうな顔してないの…。マリーもどんどん辛そうな顔するようになって…最近は私たちも会わせてくれないの……私…私…」



ぶわりと目に一杯の涙をためて、ヒナは唇を噛みしめる。

こみあげる嗚咽を必死に堪える彼女の肩をサラが抱き締めた。



「黙っててごめんなさい、イスト姉さん…。でも、言えなかったの…。」


「言っちゃダメって言われてたから…、ごめんなさい…」



そう言って二人で泣き出した少女二人にそっと手を伸ばし、優しく抱き締める。

二人に落ち着いて欲しくて、背中に回した手でゆっくりと叩く。

どうにか落ち着いた二人を離し、暗くなってしまうから早く家に帰るように促せば、二人は不安そうな顔で渋々と帰って行った。

そして残ったダグリスを振り返る。



「ルークの家がどこにあるか知ってる?」


「…行くのか?」


「当たり前でしょ!?どこの誰が口止めしてたか知らないけど、行くからね私!」


「……俺は反対だけど。」



暗い顔でそう言ったダグリスを睨みつけるように見上げる。

私の眼光の鋭さに視線を逸らしたダグリスは、困ったように頭を掻く。



「確かにマリーって子は可哀想だけどよ、面会謝絶されてるんだろ?だったら会いに行くのは止めた方が…」


「ダグリス、あなた何か知ってるんじゃないの?」



ぴくっ、と一瞬ダグリスの動きが止まった。

あまりに露骨な反応に、目が半眼になってしまうのが分かる。



「知ってること一切合財洗いざらい吐きなさい今すぐ。」



自然と声が低く冷たいものになる私を見て、ダグリスの顔色がサッと青くなる。

じっと睨みつければ観念したのか居心地悪そうに視線を泳がせつつ口を開いた。



「あー…なんつーか、タブー的な…うん…」


「ハッキリ言って。」


「………だから、そのさ」


「簡潔に。」


「………………、勉強会の掟みたいなのがいくつかあるんだよ。決めてるのはお前の兄貴や組織の連中とかでさ…。その掟を守る限り、勉強会に参加するのを許されるっていうか…」



酷く言い辛そうなダグリスに視線で続きを促せば、覚悟を決めたのか真っ直ぐに私を見た。

彼から語られた内容は私からしたら酷く馬鹿馬鹿しいもので。一体誰がそんなことを頼んだんだ、と唇を噛む。



「つまり、私は誰でも無条件に参加できるよう勉強会を開いていたつもりが、組織の、兄さんたちの都合のいい…、囲いのような勉強会にされてたってこと!?」



ダグリスの話した内容はこうだ。

私が主催している勉強会には参加にあたって兄さんたちが提示したいくつかの掟、条件があったそうだ。

一つは勉強以外のことで私を頼らない。二つ目は決して私生活を多くは語らない。三つ目は私に余計な心配をかけないように余計なことは話さない。四つ目は以上のことを私に悟らせないよう自然に過ごすこと。以上のことを守れば勉強会への参加を認めるというものだ。

私は、何も知らなかった。

また、何も気付けなかった。



「…はは…私の我儘だったわけか…」



少しでもスラムの為に何か自分ができることはないか、と私はこの勉強会を考えた。

少しも無謀だとは思わなかった。見返りを求めることなく、ただどこか静かな場所で勉強を教えるだけだと。誰からも文句を言われる筋合いだってないとさえ思っていた。

この素敵な考えを兄さんたちは素敵な事だと賛成してくれていたし、この小屋のことだって教えてくれた。生徒となる子供たちも兄さんたちが連れて来てくれた。

なのに。いや、だからか。

最初からここは兄さんたちが私に用意した箱庭だったのだ。


ふらり、と脱力するように近くにあった椅子に座る。



「ダグリスもそう言われて参加したの?」



所在なさげに立っていたダグリスを見れば、気まずそうに頷く。

彼は視線を斜め下に落とし、何事か思案するような様子を見せつつ近場の椅子に座った。



「…子供は宝だ、って言われたんだ。」



やがて、呟く様にぽつりとそう溢した。

懐かしい過去を思い起こすように遠い目をした彼の表情は、どこか柔らかい。



「スラムに生きる俺たちみたいなガキは、どう足掻いても今の生活より上を目指すなんてことできないのが普通でさ。人生諦めつつも、必死に目先のことだけ考えて毎日生きてた頃だった。いつもすれ違うだけの、スラムでも勝ち組って呼ばれるような大人たちに声かけられたのは。」



ある日そんな大人たちにその界隈にいた子供たちやその親は集められ、言われた。



「『子供は宝だ』『未来ある若者を育てたい』『こちらの条件さえ呑んでくれれば、今の生活から抜け出す力を与えよう』、…上手過ぎる話だったけど、魅力的だったのは事実だった。未来が拓けたような気さえした。甘い話には裏があるって言うけど藁にもすがる思いってやつだったんだ。」



何も持ってない子供が未来を掴み取る為に。

誰の為の箱庭かなど、子供たちには関係なかったのだ。



「最初の頃は、正直恨めしかった。飢えなんて知らなそうな顔して俺たちに無い物を持ってて、大人たちに守られて呑気に笑うお前が。でも、お前は本当に何でも知ってて、惜しみなく俺たちに知識を与えてくれた。それがどれだけ救いだったか…」



まるで世界が変わったかのようだった、と彼は言う。

ものの考え方、人としての生き方、まるで魔法の言葉のようだったと。



「自分たちの知らないことを当たり前のように語る様や、分け隔てなく知識を与える姿は、まるで知識の神ヴェッレや慈愛の神アドラーレのようだって、そんなこと言い出す奴まで出て来てさ、今じゃみんなこの勉強会を大切にしてる。俺だってお前のお陰で学院にも入学できたしな。」



頭だけならダアトでも、もしかしたらケテルでも通用するかもしれない。

イストワールが教わったことをそのまま教えて来たのだから。



「…だから、その…うまく言えねえけど…、お前にとっては箱庭で、裏切られたって思ってるかもしれねえけど、ここのお陰で今の俺たちがいるっていうか…あーくそ!うまく言えねえ……とにかく、お前は何も気にせず、いつものように…穏やかに過ごしてくれ。」



徐に顔を上げこちらを見る眼差しが思いの外力強くて、私は何かを言おうとして口を噤んでしまった。

先ほどの少女たちの言葉を聞かなかったことにして、何も気にせず、いつものように穏やかな日常を送ることが、ダグリスたちの、そして兄さんたちの願い。本当にそうなのだろうか?本当にそれでいいのだろうか?

このまま何もなかった日常に戻っていいのだろうか?


ああ、

そんな訳がない。

あっていい筈がない。


そんな、何も知らないフリをするなんて、無知であることよりも余程性質が悪いのではないだろうか。

知らずに何もできなかった昔の私と、知ることが出来たのに何も知らないフリをしようとしている今の私。一体どちらが胸を張って生きられる?

ああ、なんと甘く優しく、









愚かなのだろうか。







「ねえ、ダグリス。なんで私がこの勉強会を始めたと思う?」



知識を与えてくれた、とダグリスは言う。

そしてこの穏やかな日常がその恩返しだと、報いであると。



「もちろん、ろくに働きもしないタダ飯食らいになりたくないとか、自分の存在意義みたいなものを求めたりとか、自分本位な理由が無かったわけじゃない。」



それでも私は、同じ後悔を二度もしたくなかったのだ。

前世の何も知らずに幸せを当然だとばかりに享受し、周りに流されていた自分には二度となりたくない。

その思いが強いからこそ、私は無知であることを恥じた。知らないというのは、知ろうとしないということはこんなにも手遅れなものであると痛感したからこそ、知るということ自体許されないでいるスラムの人たちを、私は憐れんだのだ。そして同時にこの環境を変え、スラムの人たちの意識を変える切欠となることが私の前世での行いの罪滅ぼしになる。そう、思ったのに。



「私が持つ知識を少しでも皆の役に立てたい、何より皆を豊かにしたい、そう思ったから少しでも切欠になればと私は勉強会を始めたの。何も金銭や食物や知識だけの話じゃない。意思を心を人として、人間的に豊かでいて欲しい。そう思ったから私は行動したの。」



ダグリスの瞳が揺れ、表情が強張る。

このまま、「なんてね」なんて笑って見せることだって出来なくはない。そうしたらきっと、ダグリスは困ったように、けれど心底安心したとでもいうように笑うのだろう。

そうしてまた私たちはいつも通りの日常へと戻るだけ。それでいいのだと言わんばかりに。


ああ、もうそんなのはいやだ。



「知識は知識でしかない。頭の中に引出に入れるだけのモノでしかない。あるだけじゃ何の役にも立たない、そんなモノなの。それをどう活かすのか、それから良し悪しの何を考えるのか、そういったことを培って欲しいって思って私は勉強会を始めたの。だから、悲しいけど…」



その先の言葉に気付いた彼の瞳が絶望に染まる。

立ち上がった私は、それを一瞥し背を向けた。



「とても、残念だわ。」



そう淡々と吐き捨て、扉に手をかけた。








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