表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/15

第15話 墓所

 天皇は未だ決まらず、空位のままだ。神祇官から見ると、この状態はかなり国として危うい。

 天皇は国に満つる力の束ねだ。その束ねがない今、神祇官は各所の神の力を注視しなければいけない。本来ならまだ見習いでしかない鎌足も、数々の神祇に駆り出されている。

 主の居なくなった小墾田宮(おはりだのみや)を守るのは、かなり骨が折れる。

 それでも、やらないという選択肢はないのだ。

「境部 摩理勢さまが叱責を受けたのですか?」

「ああ。何でも馬子さまの墓所の庵を壊したという話だ」

 御家子(みけこ)の顔は苦い。

 榊の枝を整えながら、鎌足に愚痴る。

 父の手元を見詰めつつ頷いた。

 このところ父の愚痴が多いのはある意味仕方ないことだ。中臣の家は政治に口を出す力はほぼない。だが、政治は神祇に大いに関係する。いわば、政治のしわ寄せを一手に引き受けているようなものだ。

「墓所をですか?」

 鎌足は首をかしげた。摩理勢はそのような狼藉を働くような人物には思えなかった。摩理勢は蝦夷を嫌ってはいたが、兄の馬子について悪意を持ってはいなかったと思う。

 それは本当に摩理勢がしたことなのだろうか。

「摩理勢さまは、そのことを謝罪をせず、斑鳩の泊瀬王(はつせのみこ)の宮に逃れた」

「斑鳩に……」

 泊瀬王は山背大兄王の弟にあたる。

 つまり。山背大兄王に庇護を求めたということだ。

「山背大兄王さまは、立ちましょうか?」

 もし、次期天皇の座を確実にしたいのであれば、戦になる可能性もある。仏法を尊ぶ山背大兄王は戦を望まないとは思うが、そのような選択肢がないわけではない。

「いや、そうはならぬと思う。山背大兄王は、大臣(おおおみ)の使者に対して、摩理勢さまに翻意はない。じきに帰るであろうとおっしゃられたそうな」

 御家子は息をついた。

「おそらく、山背大兄王さまは田村皇子の即位を認めるよう蝦夷に説得されてしまったのだろう」

「それでは、摩理勢さまは行く当てがなくなりそうですね」

 厩戸皇子の息子たちに説得されたとしても、蝦夷にひざを折ることは無理だろう。

 それができるのであれば、そのような状況に陥ってはいないと思われる。摩理勢の性格から見て、袋小路に追い込まれてしまったように思う。

「どうにか無事でいてほしいのです」

 鎌足としては、まっすぐな摩理勢は嫌いではなかった。

 馬子とは違う魅力を持った人物だったと思う。

「無事ですむと良いがな」

 御家子が呟く。

 開け放たれた入り口から見える空は、しだいに曇り始めていた。



 その日。

 どうしてそこへ行こうと思ったのか。

 理由はよくわからない。

 夕闇の中、鎌足が向かったのは、巨大な墓所だった。

「鎌足さま、それ以上は行かれない方が良いかと」

「大丈夫。すぐ戻るから。辰は馬を見ていて」

 鎌足は馬を下り、ひとり墓所に続く道を歩いた。

 墓所に祀られているのは、蘇我馬子。ここから先は、蘇我氏のものしか入れない場所になる。

 それでも、鎌足はいかなければならないと思った。

 ここは墓所であるから、常に人がいるわけではない。それに、鎌足は神祇見習いであるから、見つかっても言い訳をしようと思えばできる。もちろん、そんなことをすれば、父に叱られるだろうが。

 馬子の墓所は、天皇の(みささぎ)に似た、丘のように盛り上がった場所にある。巨大な岩を組んで、その中に葬られたと聞く。

 岩のほとんどは土に埋められたらしいが、丘の上には、その巨石の一部が顔を出しているとのことだ。

「馬子さま?」

 黄昏の丘の上に、人の姿がある。黒い影が、丘の上からじっとこちらを見下ろしていた。かつての強い力を感じるのは、墓所だからだろうか。

 思わず、鎌足はいるはずのない人物の名を呼んだ。

 影は答えず、じっと鎌足を見ている。まるで何かを訴えるかのようだ。

「中臣の子供ではないか」

 不意に声を掛けられ、鎌足は我に返った。

 墓所の入り口に摩理勢が馬を連れて立っていた。

「摩理勢さま?」

 鎌足はもう一度丘の上を見上げたが、影の姿はなくなっていた。ひょっとすると、摩理勢を馬子と見間違えたのかもしれない。

「このようなところで何をしている?」

 かなり強い口調だ。ここは蘇我家のものしか立ち入らぬ場所であり、咎められても不思議はない。

「馬子さまに呼ばれたような気がしまして、つい足を向けました」

 鎌足は頭を下げた。

「なぜ兄上が、お前を呼ぶのだ」

 摩理勢が鎌足を睨みつける。

 摩理勢の指摘は当然だ。鎌足が玉の継承者であることも、その昔馬子と会ったことも知らないのだから。

 とはいえ、摩理勢は鎌足を切って捨てたりするつもりはないようだ。

「わかりません。ですが、今、わかったような気がいたします」

 鎌足は丘の上を見上げる。懐かしい力が、鎌足に流れこんできた。

 この地の力となった馬子の力だ。

 鎌足は衣服の中に隠している玉が熱を持っているのを感じる。

「何を言っているのだ?」

「今、お見せいたします」

 鎌足は一礼をして、柏手を打つ。


ひふみよいむなや こともちろらね


しきるゆゐつ わぬそをたはくめか


うおゑにさりへて のますあせえほれけ

 

 一二三祓言葉をとなえると、鎌足の全身が光を帯びた。

「な?」

 驚きの声をあげる摩理勢を目で制止て、鎌足は流れてくる馬子の力が見せようとしているものを見た。



 それは、かなり立派な屋敷のようだった。小墾田宮よりも立派かもしれない。最新の技術を取り入れて作られた建物だ。

 たくさんのひとが広い板敷きの部屋に座っている。

 その部屋の中央に座っている人間は、かなり贅を尽くした着衣を着ていた。帯には宝玉がちりばめられている。顔はよくみえない。

「摩理勢をうつ」

 男の唇が、そう動いた。

 異を唱える者はいない。男の意志に逆らうものなどいないのだ。

 男の意志は一族の総意となるーー



 鎌足はゆっくり目を開けた。

 今見たものは現在なのか、それとも近い未来なのかはわからない。

 はっきりと確信があるわけではないが、おそらくあの男は蝦夷であろう。

「いまのは?」

 おそらく鎌足の見たものと同じものを見たのであろう。摩理勢の顔が青い。

「馬子さまが、あなたに見せよと」

「兄上が……」

 摩理勢は丘の上を見上げる。薄暗くなり始めた黄昏の中に丘の上には、何も見えない。

「摩理勢さま。お逃げ下さい」

 鎌足は訴えた。

 今見たものが事実なら、蝦夷は摩理勢を討つつもりだ。厩戸皇子の息子たちの庇護を離れた摩理勢に勝てるすべはあるのだろうか。

「すでにその時は過ぎた。生きながらえても、仕えるべき相手はおらぬよ」

 摩理勢は諦めた目で笑った。

「生きてさえいれば、潮目が変わることもあります」

 少なくとも、自分を通じて馬子は摩理勢に生きてほしいと伝えているように思う。

 生きてほしいからこそ、蝦夷の意志を伝えたのではないだろうか。

「西でも東でも。大和から離れさえすれば、さすがに追われることはないのではないですか?」

「大和から離れる……か」

 摩理勢は呟く。

「兄上は、それを望んでおられるというのか。蘇我を追われ、大和を追われても、生きよと」

「おそらくは」

 鎌足は玉を握る。もう、馬子の力は感じない。墓所には力を感じるけれど、意志を持って働きかけている印象はなくなった。

「摩理勢さまもここに呼ばれたのではないですか?」

 鎌足は摩理勢に尋ねる。

「わしは、ただ、わしが壊したというものを見に来ただけだ」

「それは……」

 ふっと摩理勢が笑った。

「そう。壊してもいないものを壊したと言いがかりをつけられ、謝罪を要求された。既にあの時から蝦夷はわしを邪魔だと思うておったのだ。すぐに討てなかったのは、山背大兄王さまたちのお力ゆえ」

「摩理勢さま」

「山背大兄王さまは、争いごとを好まぬゆえ、即位することを諦められた。わしの力が蝦夷に及ばぬゆえ、致し方のない事」

 摩理勢はゆっくりと頭を振った。

「わしは厩戸皇子の恩に報いることができなかった。わしが生きていては、山背大兄王さまにも迷惑がかかろう」

「そんなことはないと思います。山背大兄王さまは聡いかた。何とか切り抜けられましょう。田村皇子も聡明な方です。いたずらに害を加えるようなことはないはずです」

 鎌足は、摩理勢を説得しようと試みる。山背大兄王は、ある意味では摩理勢を見捨てたのだ。摩理勢は、もっと勝手になっていい。鎌足は思う。

「まったく。中臣の子が、わしを逃がしたとなれば、大問題になろう」

 突然、摩理勢は豪快に笑った。

 その顔は、鎌足の記憶の中の馬子に似ていて、一瞬背筋がぞくりとした。

「私はなにもできません。馬子さまの意志にお応えしただけ。馬どころか、(ほしいい)ひとつあなたにお渡しできません」

 もともと鎌足は蘇我家に仕える気はない。その気持ちは馬子の生霊に語った時から、少しも変わっていない。

 だから、摩理勢を救おうと必死になる自分が、少々不思議に思えるくらいだ。

 それでも。

 救える命があれば、救いたいと思う。そして、おそらく馬子も弟を救いたいのだ。

「そなたの気持ち、兄からの伝言ともどもありがたく受け取っておく」

 摩理勢は微笑み、馬にまたがった。

 山に消える日に向かい、走り去る。

 鎌足が摩理勢を見たのは、それが最後であった。



 その後。

 摩理勢は、軍勢が迫ったことを知り、門に出て胡床(こしょう)(いす)に座ってじっと待ったと伝え聞く。覚悟の上であったのであろう。

 そして、二男の阿椰(あや)とともに首を絞められ死亡したとのことだ。

 一人残った長男毛津(けつ)畝傍山(うねびやま)で自害した。

 毛津の死にちなみ、詠み人のわからぬ歌が残っている。


畝傍山 木立薄けど 頼みかも 毛津の若子の 籠らせりけむ


※畝傍山は木立が少ないにもかかわらず、それを頼りに、毛津の若さまは籠っていたのだろうか


 その歌には、追い詰められた摩理勢親子への同情がにじんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ