第二話:アイラとアルジェント公爵家の真実
王宮の夜会会場は、眩いばかりの光と、着飾った貴族たちの欲望が渦巻く香水の匂いで満ちていた。
私とリリアは、お養父様とお義兄様に連れられて、まだデビュタント前ではあるが顔見せのために出席していた。
「アイラお姉様、とっても綺麗ですわ!」
リリアが私の腕に抱きつき、幸せそうに微笑む。
「リリアこそ、まるでお人形さんみたいよ」
私は彼女の銀髪を優しく撫でながら、視線は会場の隅にあるビュッフェテーブルへと向かっていた。
(……よし。あそこにあるカナッペは、ジャンの弟子が監修したはずだわ)
私の意識の八割は、社交ではなく「今日の献立の仕上がり」に割かれている。
お養父様とお義兄様は、有力貴族たちとの挨拶に追われているが、その視線は数秒おきにこちらを確認していた。
まるで、少しでも目を離せば私たちが消えてしまうとでも思っているかのような執念だ。
「アイラ、リリア。私たちが戻るまで、子供たちの輪から離れないようにね」
お義兄様が、心配を煮詰めたような表情で私たちの頭を撫でて去っていく。
私たちは促されるまま、同年代の令息令嬢が集まる談話スペースへと移動した。
そこでは、子供ながらに階級意識を剥き出しにした「お遊戯」が繰り広げられていた。
「あら、あなたが噂の『身代わり』さん? スラムから拾われたっていう」
扇子を口元に当ててくすくすと笑うのは、どこかの伯爵令嬢だ。
「……ええ、そうよ。それが何か?」
私はカナッペを一つ口に運びながら、適当に相槌を打つ。
スラムの路地裏で命を狙い合った経験に比べれば、こんな言葉の礫なんてそよ風のようなものだ。
だが、隣のリリアはそうはいかなかったらしい。
「お姉様をそんな風に言うなんて、失礼ですわ! お姉様はアルジェント公爵家の誇り高い娘です!」
リリアが頬を膨らませて抗議すると、令嬢の後ろに控えていた恰幅の良い令息が鼻で笑った。
「公爵家も落ちたものだな。こんな汚らわしい平民の血を混ぜるなんて、エレオノーラ様も草葉の陰で泣いているぞ」
その瞬間、私の周囲の空気がわずかに冷え込んだ。
母上の名前を出したのは、完全に地雷だ。
「撤回しなさい、今すぐに!」
リリアが激昂して令息に詰め寄る。
「うるさい! 偽物のおまけが偉そうにするな!」
令息が逆上し、リリアを突き飛ばそうと太い腕を振り上げた。
私はリリアを自分の背後に引き寄せると同時に、令息の手首を無造作に掴み取った。
そのまま関節を軽く極め、彼の巨体を床へと押さえつける。
「……暴力は感心しないわね。淑女に手を上げようとするなんて、騎士の教育も受けていないのかしら?」
私は冷ややかな声で、令息の耳元に囁いた。
「痛っ、痛い! 放せ、このスラムのネズミが!」
令息が喚き散らすと、その声を聞きつけた大人たちが慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「何事だ! アイラ、リリア、無事か!?」
人混みを割って現れたのは、氷のような殺気を纏ったお養父様とお義兄様だった。
「……お義兄様、私は大丈夫ですから。少し行儀を教えてあげただけです」
私がなだめようと声をかけると、お義兄様の動きが劇的に止まった。
「……お、おぎ、お義兄様……!? 今、アイラが、僕を……!!」
お義兄様は、床に転がる令息のことなど一瞬で忘れたかのように、顔を真っ赤にして鼻血を出しそうな勢いで天を仰いだ。
「ああ、女神様……。アイラに初めてお義兄様と呼ばれた今日という日を、アルジェント公爵家の祝日に指定しなければ……!」
(いや、それどころじゃないでしょ)
私が呆れている間に、令息の父親である子爵が真っ青な顔で駆け寄ってきた。
彼は床で泣き喚く自分の息子を一瞥すると、迷うことなくその頬を強く殴り飛ばした。
「……貴様! アルジェント公爵家の令嬢に対し、なんたる不敬を!」
「父上……!? なんで僕を打つんだよ、この女が僕の手を……!」
「黙れ! このような愚物を育てた私の不徳です。閣下、この息子は直ちに廃嫡し、北の修道院へ送ります。二度と王都の地を踏ませることはございません。どうか、どうか我が家への沙汰だけはご容赦を!」
子爵は息子の言い分など一切聞かず、まるで汚物でも捨てるかのような手際で息子を切り捨てた。
ほとぼりが冷めたら連れ戻すつもりなのだろうが、その場での判断の速さと冷酷さは、まさに貴族のそれだった。
お養父様は、床に額を擦りつける子爵を冷徹な瞳で見下ろした。
「……家を守るための判断としては妥当だな。子爵、お前のその決断に免じて、今回は不問に処そう」
お養父様の声には、一切の慈悲が含まれていなかった。
「だが、次はない。我が娘の尊厳を汚す者が再び現れた時、それがたとえ子供であろうと、私はその根を絶つことに躊躇いはしない」
「は、ははっ! 肝に銘じます!」
子爵は震えながら、気絶した息子を引きずるようにして会場から去っていった。
「アイラ、怖かったね。あのような汚らわしいものを見て、心が汚れていないかい? さあ、お義兄様が消毒してあげようね」
お義兄様が、ハンカチを手に恍惚とした表情で寄ってくる。
「……お義兄様、近いです。お養父様も、そんなに怖い顔しないでください」
私は、先ほどまで「領地がどうこう」と冷たく言い放っていたお養父様と、一瞬でデレデレに戻ったお義兄様の温度差に、深い溜息を吐いた。
スラムの暴力は単純だったけれど、貴族社会の「微笑みながら家族を切り捨てる冷酷さ」は、それ以上に気味が悪い。
私はリリアの肩を抱き寄せながら、この過保護すぎる家族の愛が、いつか自分にも牙を剥くのではないかという、微かな寒気を感じていた。
深夜の執務室で、レオンハルトは山積みになった書類を前に、深く重い溜息を吐き出した。
ランプの明かりに照らされているのは、九年前のあの日、惨劇の場となった産屋に関する再調査の報告書だ。
「……証拠がない。どこまで調べても、あの日、もう一人の赤子がいたという公的な記録が残っていないのだ」
レオンハルトは苦渋に満ちた表情で、額を指先で押さえた。
あの夜、最愛の妻エレオノーラが命を懸けて産み落とした命は、確かにリリアだけではなかったはずだ。
だが、その場にいた医者も侍女も、黒ずくめの女の手によって口を封じられた。
唯一生き残った侍女も、混乱の中で「もう一人の子」の行方を見てはいない。
今、目の前の屋敷でリリアと笑い合っているアイラ。
その銀糸の髪、青玉の瞳、そして何よりエレオノーラの面影を色濃く残す横顔。
レオンハルトの中で、彼女が実の娘であるという確信は、岩のように揺るぎないものとなっていた。
しかし、法と伝統が支配する貴族社会において、父親の「確信」は何の効力も持たない。
もし無理に実子として認めさせようとすれば、王家や他家からアイラの出自に疑義を呈され、彼女をさらなる政争の具にすることになりかねない。
だからこそ、彼はアイラを「リリアの命の恩人」という名目で養女に迎えるという、遠回りな道を選ばざるを得なかったのだ。
「……アイラ。お前を、あのような冷酷な言葉が飛び交う場へ連れて行ってしまったことを、許してくれ」
今日の夜会で、アイラが見せた一瞬の怯えを、レオンハルトは見逃していなかった。
スラムの暴力には屈しない彼女が、貴族たちの「身内さえ切り捨てる合理性」に、かすかな拒絶反応を示していた。
彼女を安心させたい。
お前はこの家の「偽物」などではなく、誰よりも正当な、私の愛しき娘なのだと抱きしめて伝えたい。
だが、その言葉が彼女を縛り、新たな危険に晒す可能性を考えると、声に出すことはできなかった。
執務室のドアが、控えめにノックされる。
「お養父様。まだ、お仕事が終わらないのですか?」
ドアの隙間から顔を出したのは、アイラだった。
その手には、湯気の立つカップと、小さな皿に乗せられた焼き菓子がある。
「ジャンに、夜食を作らせたんです。あまり根を詰めると、明日の朝食が美味しく食べられませんよ」
アイラはトコトコと歩み寄り、机の端にカップを置いた。
レオンハルトは、娘の差し出したその「温かさ」に、胸が締め付けられるような思いがした。
「……ああ、すまない。今、終わらせるところだ」
レオンハルトは、無理に柔らかな笑みを作って、アイラの小さな頭を撫でた。
アイラは不思議そうな顔をしながらも、その大きな掌の感触を嫌がる風もなく受け入れている。
(いつか、必ず。お前がこの家の娘として、何に怯えることもなく胸を張れる証を見つけ出してみせる)
たとえ今は「養女」という仮面を被せていなければならないとしても、彼女を守る盾となる覚悟に揺らぎはない。
「お養父様、お菓子、冷めちゃいますよ?」
「ああ、頂こう。……アイラ、お前がいてくれて、私は本当に救われている」
レオンハルトは、アイラが夢で得たという不思議な知識で作られた菓子を、一つ口に含んだ。
それは、彼が今まで味わってきたどんな高級品よりも、優しく、深い愛の味がした。
「そういえば、アイラにまだ屋敷の中を詳しく案内していなかったね」
昼食後の穏やかな時間、お義兄様がふと思い出したようにそう切り出した。
「お義兄様たちが過ごしてきた場所、もっと知りたいです」
私がそう答えると、お義兄様は「またお義兄様と呼んでくれた!」と感激のあまり胸を押さえて悶絶していた。
「アイラお姉様、私も一緒に行きますわ! 片時も離れたくありませんもの!」
リリアが私の腕をぎゅっと抱きしめ、私たちは三人で公爵邸の広大な廊下を歩き始めた。
豪華な絵画が並ぶ回廊や、歴史ある図書室を巡り、最後にお義兄様が足を止めたのは、重厚な装飾が施された扉の前だった。
「……ここは、九年前にリリアが産まれた部屋だ。母上が最後に過ごした場所でもある」
お義兄様の声が、少しだけ寂しげに響く。
部屋の中は清潔に保たれていたが、どこか時間が止まったような静謐な空気が漂っていた。
(……ここで、リリアが産まれたんだわ)
私は部屋を見渡しながら、ふと前世の知識……あるいは魔女としての記憶の中にあった、ある術式を思い出した。
「過去の情景を投影する魔法……。これを使えば、あの日何が起きたか見られるかもしれないわね」
そんな好奇心が頭をよぎった瞬間、私の肌をチリリとした奇妙な感覚が撫でた。
スラムで死線を潜り抜けてきた、私の「魔女の勘」が警鐘を鳴らしている。
「……おかしいわ。この部屋、なにか違和感がある」
「アイラ? どうしたんだい、急に真剣な顔をして」
お義兄様が心配そうに顔を覗き込んでくるが、私はそれに応える余裕もなかった。
壁の隅、一見すると何の変哲もない空間に、不自然な魔力の淀みを感じる。
(これ……隠ぺい魔法だわ。しかも、かなり高度な……)
九年もの間、誰にも気づかれずに維持されてきた魔法の痕跡。
私はお義兄様に向き直り、強い口調で告げた。
「お義兄様、許可をください。この部屋にかけられている、他者の魔法を無効化します」
「魔法を無効化……? ここに何かが隠されているというのか?」
お義兄様が表情を硬くして頷くのを確認し、私は指先を虚空に向けた。
「――理を解き、偽りを剥げ。アンチ・スペル」
パリン、とガラスが割れるような音が部屋に響き渡った。
すると、今まで綺麗に整えられていた部屋の景色が、一瞬にして変貌した。
床には鋭い爪で引っ掻いたような争った跡が露出し、壁の一部が音を立ててスライドする。
そこから現れたのは、埃を被った小さな、しかし精巧な細工が施された木箱だった。
「なっ……なんだ、これは!?」
お義兄様が驚愕の声を上げ、箱を手に取る。
震える手で蓋を開けると、そこには絹の布に包まれた、二つの「へそのお」が入っていた。
この世界では、双子が産まれた際、その絆を証明するために一つの箱に二つのへそのおを収める習慣がある。
「……二つ……? リリアの分だけではなく、もう一つあるというのか……!」
お義兄様の顔から血の気が引き、その瞳に激しい動揺が走った。
それは、アイラという存在が「拾われた恩人」ではなく、この家から奪われた「もう一人の娘」であることの、何よりの物的な証拠だった。
「アイラ、リリア、ここで待っていてくれ! 私は、父上のところへ行く!」
お義兄様は箱を抱え、今まで見たこともないような必死な形相で部屋を飛び出していった。
嵐の予感を孕んだ静寂の中、私はリリアと顔を見合わせた。
事態は、私の予想を遥かに超えるスピードで動き始めようとしていた。
執務室の重厚な扉が、これまでにない勢いで跳ね飛ばされるように開いた。
「父上! これを、これを見てください!」
息を切らせ、肩を大きく上下させたセオドア様が、一つの木箱を机の上に叩きつけるように置いた。
レオンハルト公爵は驚きに目を見開いたが、箱の中身を見た瞬間、その顔から一切の表情が消え失せた。
「……へそのおが、二つ。なぜ、これが今になって出てきたのだ」
「アイラが、産室に隠されていた隠ぺい魔法を解いたのです。父上、急ぎましょう。彼女たちが待っています」
二人は一言も交わさず、嵐のような足取りで私とリリアが待つ産室へと向かった。
扉が開くと、そこには不安げに身を寄せ合うリリアと、静かに一点を見つめる私の姿があった。
「アイラ、リリア……。よく聞いてくれ」
お養父様は、私の前に跪き、その大きな手で私の小さな手を包み込んだ。
「私は、九年前に失われたはずの命が、どこかで生きていると信じていた。お前の姿を初めて見た時、その確信は揺るぎないものとなった。だが、公的な証拠が、何よりもお前を守るための後ろ盾がなかったのだ」
お養父様の瞳には、深い後悔と、それを上回るほどの慈しみが宿っていた。
「私は、お前が私の実の娘だと確信している。だが、確信だけでは足りないのだ。お前をこの家の『偽物』などと呼ばせないために」
私はお養父様の言葉を静かに受け止め、それからゆっくりと首を振った。
「お養父様。いえ……お父様。確証が欲しいのなら、私の魔法を信じてください」
「魔法? 一体何をするつもりだ」
セオドア様が傍らで問いかける。
「過去視の魔術を使います。この部屋に残された魔力の残滓を、情景として再生するのです。それから、全員の血を繋ぐ鑑定魔法を使えば、言い逃れのできない真実が得られます」
私の提案に、お父様は一度だけ強く頷いた。
「……頼む。私たちの目を、耳を、真実に向けてくれ」
私は精神を集中させ、産室の中央で右手を掲げた。
「――理を遡り、刻の砂を戻せ。レトロ・スペクト」
部屋の空気が一変し、九年前のあの日、この場所で起きた光景がホログラムのように浮かび上がる。
そこには、出産を終えて幸せそうに二人の赤子を抱く母上……エレオノーラ様の姿があった。
直後、部屋の窓を突き破って、黒づくめの女が音もなく侵入してくる。
彼女の動きは神速だった。
侍女や医者たちが反応するよりも早く、女は致死性を避けた正確な一撃で全員を昏倒させていく。
誰も殺さず、しかし確実に無力化する。
女は泣き声を上げる赤子の一人……私を抱き上げると、部屋に高度な隠ぺい魔法を施し、夜の闇へと消えていった。
「……ああ、エレオノーラ……! アイラ……!」
浮かび上がった真実に、お父様は声を殺して震えていた。
だが、まだ終わりではない。
私は自分の指先を少しだけ切り、空中に血の雫を浮かべた。
「お父様、お義兄様、リリア。指を出してください」
三人が差し出した指先から、それぞれ一滴の血が吸い寄せられるように私の血と混ざり合う。
「――血は嘘を吐かず、脈動は響き合う。ブラッド・リンク」
空中で混ざり合った四人の血が、眩いばかりの銀色の光を放ち、一本の太い光の線となって全員の心臓を繋いだ。
リリアと私が最も強く輝き、お父様とお義兄様を包み込むように円を描く。
「……鑑定完了。結果は、一親等。間違いなく、私たちは同じ血を分けた家族です」
私が魔法を解くと、辺りは深い静寂に包まれた。
しかし、その静寂はすぐに、お父様の力強い抱擁によって破られた。
「アイラ……! おかえり、私の愛しい娘よ。今度こそ、二度とお前を離しはしない」
「お姉様! 本物のお姉様だったのですね……!」
リリアとお父様に挟まれるように抱きしめられ、私は戸惑いながらもお義兄様を見た。
お義兄様は、鼻を赤くして大粒の涙を流しながら、私たちをまとめて包み込むように腕を回してきた。
「アイラ……! 僕たちの妹、僕たちの誇りだ……!」
スラムの路地裏で死にかけていた私。
食への執着だけで生き延びてきた私。
そんな私を「偽物」ではなく「本物」として受け入れてくれた、この温かさ。
私は、お父様の胸の中で、初めて「自分の居場所」を見つけたような気がして、そっと瞳を閉じた。
アイラ様が、この家の正当なる血を引く公爵令嬢であった。
その報せは、落雷のような衝撃と共に、瞬く間にアルジェント公爵邸の隅々にまで駆け巡った。
廊下ですれ違う侍女たちは目を潤ませ、実直な騎士たちは拳を握りしめて天を仰いでいた。
「お祝いだ! 今日は公爵邸始まって以来の無礼講とする! 全ての使用人に最高の酒と料理を振る舞え!」
お父様の雷鳴のような号令が響き渡り、屋敷全体がお祭りのような喧騒に包まれた。
一番に動いたのは、料理長のジャンをはじめとする厨房の面々だった。
「野郎ども、アイラ様……いや、アイラお嬢様のご帰還だ! 我が人生最高の腕を見せる時が来たぞ!」
ジャンの気合に押されるように、料理人たちはアイラから教わった「美食の技術」を総動員して、次々と豪奢な皿を仕上げていく。
その日の夕刻、大広間には身分を越えた賑やかな宴の席が設けられた。
「お姉様、あーんしてくださいっ!」
リリアが蕩けるような笑顔で、果実のコンポートを私の口元に運んでくる。
「リリア、自分で食べられるわよ。……ん、美味しい」
私が一口食べると、リリアはそれだけで世界を手に入れたかのような幸せそうな声を上げた。
「アイラ、もっと食べなさい。スラムでの苦労を、今日この日の馳走で全て上書きするのだ」
お父様が上等なワインを傾けながら、慈愛に満ちた眼差しを向けてくる。
「……お父様、そんなに食べられません。でも、このお肉の焼き加減は完璧ですね」
私がそう褒めると、給仕をしていた若い料理人が感極まったように顔を覆って泣き出した。
「お、お嬢様に褒めていただけた……! これでいつ死んでも悔いはありません!」
「ちょっと、死なないでちょうだい。明日からの朝食も期待しているんだから」
私の呆れたような言葉に、周囲からどっと笑い声が上がった。
「アイラ、僕にも……僕にも何か言ってくれないかい? 例えば、『お兄様、お疲れ様でした』とか!」
お兄様が、期待で目を血走らせながら身を乗り出してくる。
「……お兄様、飲み過ぎですよ。少し落ち着いてください」
「ああぁぁ……! 呼ばれた! 本物の『お兄様』だ! 血の繋がった妹に呼ばれたぞ!」
お兄様は、もはや喜びが飽和状態になったのか、椅子に座りながら小刻みに震えていた。
宴が進むにつれ、会場はさらに賑やかさを増していった。
普段は鉄の規律を守る騎士たちが、料理人たちと肩を組んで「アイラ様万歳!」と唱和している。
公爵家の宴としてはあまりに型破りだが、そこに流れる空気はどこまでも温かく、満ち足りていた。
(……これが、本当の家族。そして、私の居場所)
私は、賑やかな喧騒を肴に、自分好みに味を整えさせた極上のスープをゆっくりと味わった。
これまでの孤独も、空腹も、この温かなスープの熱が全て溶かしていくような気がした。
夜は更けても、アルジェント公爵邸の明かりが消えることはなかった。
失われた九年を取り戻すための、そして新たな歴史を刻むための、至高の宴は明け方まで続いたのだった。




