⓪-9 朱は白く、そして
少年は確かに、眼帯の男の背後にいたはずだった。
「嘘……、なんで……ッ!」
だからこそ、少年が男の前に出ることなど、想定していなかった。
ラーレの手に持った銃弾は、眼帯の男の瞳ではなく、アルビノの少年の瞳を貫いていた。
自分よりも幼い少年を手にかけた。その衝撃は、ラーレの威勢を失わせるのに十分だった。
少年は、銃弾を握ったままのラーレの手を優しく掴んだ。
「大丈夫。ボクはこんな事では死なないよ」
少年の顔を真正面から見たのは、この時だった。少年の片方の瞳は、溢れ出た血液によって、見るも無残だ。
無事な片眼には、ラーレが映っていた。
ラーレはただただ立ちつくし、少年を見つめることしか出来なかった。
拳銃ではなく自らの手で攻撃してしまった。手には今も、生暖かい血液が流れていく。
正気に戻ったラーレは脇腹の激痛に気付き、顔を歪ませた。
「……ッ!」
ラーレごと、少年もバランスを崩した。しかし、少年は眼帯の男に抱き留められた。ラーレは床へ崩れ落ち、足から力が抜けていく。
「ラーレ!」
レイスが駆け寄り、ラーレを抱き起した。
男に抱きかかえられた少年の肌はさらに青白く変貌し、呼吸も浅くなっていた。
少年は男に何かを耳打ちしたが、声は聞こえない。
「……時間がない。複数人が、先ほどの銃撃音を聞き、この場に向かっているそうだ」
酷く憔悴した、男の言葉だった。少年の伝言だったのであろうか。
「レイス! あなただけでも逃げて。お願い……」
「逃げるのはラーレです。私ではありません」
「なんでなの? もう無理、立ち上がるのだって……」
レイスは首を左右へ振ると、滅多に流さない涙を流した。
「彼らのことを、あなたに打ち明けなかったのは私の責任です。この二人は、確かに敵であり、協力することは出来ません」
「……ラーレ、無理にボクらを信じようとしなくていい」
少年は声を絞りだしたが、胸からは大量の出血が見える。いつ、どこでそんな負傷を受けたのかはわからない。少年の唇の色は、紫へと変色した。
「ラーレは敵を……、ボクらをアウローラの敵だと思って、警戒して。ボクらは、残酷な敵だから。君は当たり前のように、敵から逃げたらいい」
「お願いします。もう、喋らないで下さい、お願いします。俺がなんとかしますから……」
男は少年の言葉を遮り、少年の胸を抑えた。そんなことをしても、流血は止まらない。
「敵の狙い、ラーレだから」
「え……」
少年の言葉は、頭が鈍く弾け飛ぶような、撃ち抜かれた衝撃をラーレに与えた。
「ラーレ、君は捕まってはいけないんだ。彼らが来れば、ボクらは君を連れ去らなければならなくなる」
「残党は、私が、私たちで何とかします。ですから……」
「こうなった以上、変に説明はしないほうが、いいね。時が来れば、必ず話せる。だから、早く。もう行くんだよ」
「無理、だって。私、もう……」
本心だった。
全てが終わってしまったかのように、少女は項垂れた。
「おまじないをしてあげよう。大丈夫、君はもう立てる」
抱きかかえた状態で、少年はラーレが潰さなかった方の瞳でラーレを見据えた。生気がほとんど感じられないが、その瞳は強い意思を持つほどの輪郭を保っていた。
「いいかい、ラーレ。ボクらは、君にとって、敵だよ。敵だからね。そこだけは、覚えていて。ごめんね、話せなくて。……必ず逃げ切って。ううん、逃げ切れる」
少年は男に抱き起され、徐に歩み出た。
静かな動作だった。
か細い腕で、少年はラーレを抱きしめた。
少年は三度、軽くラーレを叩いた。
少年の瞳からは、涙のように血が流れ出ていた。
もう片方の金色の瞳は優しく、穏やかだ。
美しい。そう感じた。そして、とても不思議な瞳をしている。
「文字にしたり口に出せば、成らぬことも成るもの、だよ」
視線が合うと、少年は笑みを浮かべた。
「生きて」
少年は言った。
少女は無言で少年を見つめ続けた。
浮かぶ疑問の数々が言葉になることはなかった。
「さあ立って、マリア」
後のことは、ほとんどがラーレの記憶にはない。
太陽が天へ昇り、そのまま見えなくなり、また天へと昇った。
動けなくなるまで走り続けた。止まり方を忘れていた。
判明したことが一つだけある。
名前だ。
「私の名前、マリア、だった。……そうだった」
目に見える全てが雪原になるまで、彼女は走り続けた。
そして、記憶が途切れるまで、北へと走り続け、ついに雪原の大地に倒れてしまった。
もう流れ出ぬ血痕、自らの足跡ですら雪に埋もれてしまった。
あのあどけない少年は、無事であろうか。
レイスだって無事では済まないかもしれない。
眼帯の男が怪我を負ったのは、ラーレが撃ったからだ。今更大丈夫かなどと思うのは変だろうか。
それでも、逃げ切れていればまた、出逢える。
「私の名、マリア。母なる、母の中の……」
全てが白であり、雪原にて朱色の少女はまぶたを閉じた。




