④-5 後悔
マリアとティニアも、アルベルトの寝床作りに手を貸そうとした。しかしアルベルトは丁重にその申し出を断った。すると、ティニアは二人に突然「それじゃあ寝る」と言って自室へ入っていった。
随分とあっさりとしているが、いつものティニアの行動であった。
夜九時近くなると、ティニアは部屋に閉じこもってしまう。
「ティニアは随分寝るのが早いんだな。……俺、何かまずいことでもしたか?」
アルベルトは、それ以上の言葉を発しなかった。視線をティニアの部屋に向けたままだが、手は震えていない。本当に疑問に感じただけのようだ。
「いつも寝るのが早いのよ。朝まで起きないわ」
「良かった。俺が何かしたのかと思ったよ」
「気にし過ぎじゃない? 月命日かもしれないし、考えたいこともあるんじゃないかな。いつもそうよ」
「つきめいにち?」
アルベルトは聞き覚えが無い様子で、家具を運びながらマリアに問いかけてきた。
「寝る前だけど、珈琲淹れながら話すわ。私、珈琲飲んでも寝れるタイプだから。あんたも飲む?」
「そうだな。一杯頂こうか」
「わかったわ。……それで、月命日なんだけど、仏教っていう宗教ではあるそうなの。毎月の同じ日に、故人へ祈りを捧げるそうよ」
「あいつ、カトリックかプロテスタントじゃないのか……?」
「うーん、ティニアは神を信じていないのよね」
何気なく発した言葉だが、アルベルトには衝撃だったようで、家具を運ぶ手を止めてしまった。だがすぐに納得した様子で、何度か黙って頷いた。
アルベルトはティニアのことを知ろうとしている。
それは好意によるものなのか、興味なのかはわからない。
勝手にあれこれ喋ることは良くないだろう。とはいえ、ティニアのプライベートな話はあまり知らない。
マリアは長椅子を動かそうと苦戦しているアルベルトへ近づいた。
「長椅子、向き変えるんでしょう。そっち持つわよ」
「悪いな」
「まあ、お湯も沸かないしね」
「なあ……」
「なに?」
「いや、なんでもない」
アルベルトはそれ以上何も言わなかった。
マリアは構わずに台所へ移動すると、珈琲豆をミルで挽き始めた。
ミルを挽く音と、香ばしい香りが部屋に立ち込める。アルベルトをチラ見したところ、家具を出し終えたのか、テーブルに置いたままだった本を手に取った。
「それもヘッセなの?」
沈黙が歯がゆくなり、マリアは一声かけた。そもそも知り合ったばかりのアルベルトに対し、話せる話題は少なかった。
アルベルトは本からマリアへ視線を送ったが、マリアはミルへ視線を向けた。
「ヘッセだな。実を言うと、あの時届けてくれって言われたのは三冊だったんだ」
「え。二冊しかなかったけど」
「あーうん。うっかりな」
「へえ」
外は薄暗く、時折警戒の光が町を照らすだけだ。室内は、マリアが豆を挽く音と、香ばしい香りだけが響く。
アルベルトはティニアの部屋へ視線を向けた。部屋から何の音もしないのは、寝ているからなのだろう。
「ティニアは飲まないのか?」
「んー、ティニアは飲まないかな。もう寝ちゃってるし。こういう時は声もかけないわ」
「そうか」
引いた豆をセットし、お湯を少しずつ注ぎ、ゆっくりとお湯が挽くのを見つめていると、アルベルトが本を閉じ音を響かせた。
マリアは、アルベルトがティニアを恋しがっているような気がして、自分では役不足感を感じた。
そもそも、自分が代わりになるとも思わないし、代わりになりたいとも思わないが。
「なあ」
「だから、なに?」
マリアは追加のお湯を少量ずつ加えていった。
「悪かった。……演技していて」
「え?」
マリアはお湯を注ぐのを忘れ、アルベルトを見つめてしまった。二人の目が合い、慌てて目を逸らすとポットをもう一度コンロに掛け直した。
自然と男に背を向けるが、突然のことにマリアも言葉が上手く出てこない。
「演技って、最初の紳士的な振る舞いのこと? ティニアが気持ち悪がってたけれど、私は違和感なんてわからなかったわ」
「そうか……。ティニアは達観してそうだしな。ヘッセが好きなら、神は死んだといったニーチェの概念に共鳴したんじゃないか」
「ニーチェが何か、分からないのだけど?」
「哲学者だよ」
マリアは厚手のティニアお手製、くまちゃんの刺繍の入ったミトンを手にはめると、再びお湯を加えた。香ばしい香りが、部屋に更に充満していく。




