①-3 余波
ティニアの話が正しければ、1937年2月頃になる。アウローラの拠点からひたすらに北へ逃げ、マリアが雪原で力尽きた時だった。
「…………て……!!」
何かが聞こえた気がした。
「起きて……、こんな所で寝ていたらダメだ!」
「ティニア、この子はもう……」
別の女の声が、絶望を表した。
「諦めちゃダメ。この子は助かるよ」
淡々と、それでいてはっきりとした意思表示の言葉が聞こえた。男の声が、やや遠くから畳みかける。
「吹雪が深くなってきた! 俺たちだって、このままじゃ」
「いいから、足元の雪を掘って! 絶対に助かるから!」
ぼんやりと、眠りに着こうとした瞬間、その声は真上から聞こえた。
「君も! いいから起きなさい! 起きれるでしょう!」
雪原に響く、ティニアの必死な呼び掛けだった。助け出されたマリアは、そのままティニアたちの厄介になっている。
◇◇◇
「あの時も、必死で私を起こしてくれたっけ」
慌ただしい午前が過ぎ、午後の業務も落ち着いてきた。いつものように、売れ残った花をミランダがまとめてくれている。
花は生き生きと育つ。その素直な成長はマリアにとって日常であることを感じさせた。
アウローラでの戦いから今日まで、レイス達の事を忘れたことはない。
「この町も戦争から復興してきているよね」
「どうしたの? 急に」
ミランダは心配そうに尋ねた。1945年2月22日の誤爆攻撃によって、シュタイン・アム・ラインの町は破壊されていた。五年の歳月は、決して平坦な道のりではなかった。
「そうねえ。爆撃機の通過なんて日常で、皆を防空壕へ運ばせることを忘れさせたわね。私もぼーっと空を眺めていたっけ……。誤爆ですって言われて、腹が立ったわね」
ミランダは、花をまとめながら吐き捨てるように言った。
「屋根に白十字まで描いたのに。間違えました、で済む話じゃないでしょう?」
「うんうん。私は体調を崩して寝たきりだったし、ミランダさんやティニアに頼りきりで、何も出来なかった。歯がゆかったわ」
「あれからもう五年も経つのねえ」
シュタイン・アム・ラインへ到着してすぐ、マリアはすぐに体調を崩し、寝たきりとなった。元々負傷したまま歩き続けてきたのだ、体にガタが来たに違いなかった。
マリアは精神を病み、寝たきりとなった。
生活のほとんどをティニアやミランダ夫妻に頼り、ただ生きる音だけを聞いて過ごす日々だった。いつかまた、あの時のように寝たきりの足手まといになるのでないか。そんな恐怖が付きまとっていた。
『大丈夫だよ。皆で生き延びようよ』
ティニアのその言葉に、どれだけ救われたことか。
(皆でって言葉が、とても力強くて、とても励みになったのよね……)
「マリアも、ティニアが言えば本当そうなるような、おまじないが込められているのではないかと話していたわよね」
ティニアはレイスとは違う。一番の違いは性格だ。冗談交じりで、人を笑わせようとしてくれるところがある。
「ティニアは決して驕らないし威張ることがない。それに親しみやすい。私よりずっと年下だろうに、やっぱり凄いのね」
「そうそう。それで」
「僕は物理法則を越えるからね」
二人でティニアの口癖を真似た。笑い合って楽しく仕事ができるのも、ティニアのおかげだ。
「マリアはずっと不安そうだったものね。自分なんかが、って」
ミランダは予約の花束を作りながら、カスミソウを手にマリアを見つめた。
「そりゃ、私みたいな外部の異質な存在が、繊細な花を取り扱うことに対し拒絶していたんだもの、仕方ないじゃない」
本音であった。ミランダから見れば、マリアなど異質な存在に決まっている。
「自分を異質だなんていうものじゃないわよ。それに怪我から回復しても、部屋にこもっていれば病にかかるわ」
「だからって、ティニアの孤児院で子供たちの相手をするか、ミランダさんと共に植物の世話をするか、ミランダさんの旦那と共に不動産管理として人々と接するか。なんて三つに一つだわ。不動産の管理だなんて、私にはイメージできないもの」
それがマリアに存在した選択肢だった。住居も仕事もあるだけで恵まれているのだ。断る理由もなかったが、マリアにとっての選択肢は一つだった。
ミランダは笑いながら、花束を完成させた。白とピンク、紫のアイリスが美しい花束は見事だ。
「其れでも助かってるし楽しいわよ。ありがとう、マリア」
「照れることを言わないで。水がこぼれちゃう」
マリアは水を花瓶へ足しながら、頬を赤らめた。




