①-4 戦争
1937年2月。ティニアたちに救い出されたマリアにとって、レイスから学んだ知識では到底追いつけない状況だった。世間知らず、無知という言葉が当てはまる。
「南にあった島から大陸へ渡って、ひたすら更に北上してきたの……」
救い出された当時、マリアはそれしか説明できなかった。
国名や地名を知らない為の説明であったが、実際にイタリアから徒歩で移動してきたと言わなかったことが功を奏した。常人では不可能な距離だからだ。
ティニアは特に疑問や不審な点を責めることはなかったが、マリアには不安でしかなかった。
追手がティニアたちではないとは限らないからだ。しかし、避難民を連れていたティニアたちが、アウローラを襲撃してきたとは考え難かった。
「なるほど。僕らはここから南下するから戻ることになるけれど、構わない?」
「あなたたちは、どこへ行くの?」
「スイスへ」
ティニアは、年齢に似合わず財団を率いる立場にあるようだった。ティニアたちは、保護した避難民を連れ、先を急いでいた。それでも、数日その場に留まったのは、マリアの治療に当たるためだ。それがどれだけ危険な行為であったか。当時は考えもしなかった。
もう故郷が存在しないという人もおり、祖国に居たら殺される人達も多かった。皆、生きた心地がしなかった。
◇◇◇
どこからがスイスなのか、マリアも他の女性たちもわからなかった。誰もが無言だった。いつ撃ち抜かれてもおかしくない状況だったからだ。
道中にフェンスはあったが、何事もなく通過していたため余計に不気味だった。
いつ殺されるかわからない、張り詰めた空気。重苦しい足取り。疲労から来る絶望感。
あれが国境なのか、誰も聞かなかった。そしてその集団の前に現れたのが、アドニスたち聖職者であった。
誰もが、ここが永世中立国内であることを悟った。
その後、シュタイン・アム・ラインの上空は、毎日のように他国の軍用機が通過していた。
最初の誤爆攻撃が止んで数時間後、ティニアがマリアのいる部屋を訪れた。ティニアは髪を短くしており、より幼さを感じた。レイスと似た髪型のティニアは、いつになく厳しい表情をしていた。
その頃精神を病み、寝たきりとなっていたマリアには、疲れた様子の彼女を詮索する気力はなかった。
ティニアはすぐにマリアの足の指先に触れ、ゆっくりと関節を動かしていた。そして呟いたのだ。
『再び歩きたいと思えられたら、歩けるんだよね』
この時、マリアはティニアへの信頼が別の人間にあると知ったのだ。
『瓦礫でいっぱいなんだ。人手がいるんだよ』
(そう、あの時だ。あの時のティニアは、まるで……)
アウローラで共に過ごしていたレイスのように、頼もしい姉であり母である存在であると感じ、依存してしまった。それからずっと、マリアはティニアをレイスの代わりのように見ていたのかもしれない。
依存によって、全てが歪んでいくのを、マリアは恐ろしく感じた。
――あの、アルビノの少年へ抱く想いのように。
(あの子のことも忘れたことなんてない)
歩けず、身動きの取れないマリアが、その後すぐに歩行が出来るまでに回復するなど誰が思っただろうか。
無意識でも体を動かし、生きようと足掻いていたのだ。
(そうやって、私のトラウマには誰も気付かなかった。ティニアは私を詮索しなかったけれど、何かを察してくれていた。それはミランダ夫妻も同じだった)
その誤爆から数ヵ月で大戦は終結したというが、マリアは特に喜びを感じることはない。
美しく復興していくシュタイン・アム・ライン。それとは対照的に、マリアは成長したとは感じていなかった。




