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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第4章:ロートレック伯爵家
39/45

38:見抜かれた赤



「偽物……?」

「どういうことだ?」


周りにいた貴族たちが戸惑いの声をあげる。

そのどよめきで、さらに多くの人の注目がフィオナとエミールに集まった。


「な、何なんだきみは!?」


エミールは眉間に皺を寄せ、突然現れた男性を睨みつけた。


「失礼しました。職業柄、宝石にはつい目がいってしまいまして」


フィオナの横を、一人の男性が通り過ぎる。

爽やかな青草のような、すっきりとした香りが鼻を掠めた。


(誰だろう……)


焦茶色の短髪に見覚えはなく、フィオナはその後ろ姿を何も言わずに見つめた。


「マクニール男爵よ」

「素敵ね」


一方で、彼に向ける貴婦人たちの視線は熱い。

前髪を整髪料できっちりと立ち上げ、細い眉と一重の瞳。

派手さはないが、きっちり整えられた身だしなみと丁寧な所作が、品の良さを感じさせた。


「腕の良い宝石鑑定士らしいな」

「皇后陛下も御用達だとか……」


男性たちも、マクニール男爵の動向を注視していた。


「確かにその宝石は、最上級のルビーのように鮮やかな発色です」


コツ、コツ、と、靴底が大理石に触れる音が鳴る。

マクニール男爵はゆっくりとエミールの目の前まで歩み寄ると、内ポケットから小さなライトを取り出した。


「こ、このルビーは確かな筋から仕入れた物で……」

「しかし……」


カチ――

マクニール男爵がライトの光をルビーに当てる。


「一定の角度で光を入れると……中が黒ずんでいるのが見えるでしょう」

「……!」


エミールは手の上のルビーを覗き込み、目を見開いた。

さっきまで鮮やかな赤色を放っていたルビーは、光を受けた途端、芯をなくしたように赤黒く沈んでしまっていた。


「ウィルドロン産の暗紅晶(あんこうしょう)……最近、これをルビーだと偽って売りつける詐欺が多いんですよ」


そう言いながら、マクニール男爵はライトを内ポケットにしまった。


「表面の反射がいいので、素人にはまず見分けられません。騙されても仕方のないことです」

「コホン……」


エミールは軽く咳払いをして、いそいそと指輪をポケットの中へと仕舞い込む。


「どうやら私は、悪質な商人に騙されてしまったようだ」

「ルビーでしたら、セルベーニュ産をお勧めします」

「あ、ああ。鑑定感謝する」


マクニール男爵は決してエミールへの礼儀を欠かさなかった。

そのおかげで、彼の体裁はギリギリのところで保たれていた。


「フィオナ嬢、次こそは最上級のものをお贈りします」


最後にそう残して、エミールは足早に去っていった。

フィオナは無言で見送り、マクニール男爵は軽く頭を下げた。


「ありがとうございました」


振り返ったマクニール男爵に、フィオナはお辞儀をする。

耳元でドロップ型のムーンストーンが揺れ、青白い光が走った。


「……いえ、大したことはしていません」


マクニール男爵は一拍置いてから、首を横に振った。


「そのイヤリング、とてもお似合いです」

「あ……ありがとうございます」


ふ、と柔らかく微笑んだマクニール男爵を、フィオナはじいっと見つめた。


「なんだかいい雰囲気に見えますね」

「マクニール男爵は確かロートレック伯爵領にお住まいだとか……交流がおありなのかしら」


二人を遠巻きに眺める貴婦人たちが、扇子の裏でひそひそと話した。


(どこかで……見たことあるような……)


彼の笑い方が、記憶のどこかに引っかかったような気がした。

しかし、マクニールという名前には聞き覚えがない。

思い出そうとすればするほど、胸の奥が沈むように重たくなっていった。


「……」


乱れてもいない襟元を正したマクニール男爵は、ふと、フィオナの額に目を向けた。


「前髪に糸くずが付いています。触れてもいいですか?」

「はい」


フィオナが頷くと、マクニール男爵は真剣な表情で手を伸ばす。

そして、指先でそっとフィオナの前髪をかき分けた。

一瞬だけ彼の瞳が切なそうに揺れた、その時――


「女性の髪に触れるのは失礼では?」


第三者の手がマクニール男爵の腕を掴んだ。


「レナルド……」


現れたのは、レナルドだった。

柔和な彼にしては珍しく、眉を寄せ、警戒心を露わにしていた。


「他意はありませんのでご容赦ください」


マクニール男爵はすぐに手を引き、フィオナから距離をとった。

社交的な笑みからは、少しの敵意も感じられなかった。


「では、失礼します」


上半身を少しだけ傾けたあと、マクニール男爵はあっさりと去っていった。


「大丈夫?」


レナルドはすぐにフィオナに向き直る。


「うん。先に断ってくれたし、嫌じゃないよ」

「……」


平然としているフィオナに、レナルドは腑に落ちない様子で、少しだけ唇を尖らせた。


「あまり……簡単に、触らせない方がいいと思う」


そして、小さな声で呟いた。


「マナーよくなかった……?」

「マナーというか……」


言い淀むレナルド。

思わず泳がせた視線の先に、白いリボンを捉えた。


「リボン、着けてくれたんだね」

「うん」


フィオナが小さく頷くと、滑らかなシルクがうなじで揺れる。

その動きを追ったレナルドは、嬉しそうにはにかんだ。


「……可愛い。ドレスもすごく似合ってるよ」

「ありがとう。レナルドも素敵だよ」


親密そうな二人の様子に、周囲の熱が一瞬にして上昇する。


「まあ……見て、ベアトリクス卿のお顔……」

「ロートレック伯爵令嬢のこと、ずいぶん特別に想ってらっしゃるようね」


特に噂好きの貴婦人たちにとって、これ以上に興味がそそられるネタはない。


「まさかフィオナが来てるとは思わなかったよ。まだ向こうにいると思ってたから」

「うん。急に帰ることになって……」


突然、音楽が鳴り止み、フィオナも言葉を止めた。

貴族たちの視線は自然と玉座へと向く。


「この場に集ったすべての者に、良き夜となることを」


静まり返った会場に、重厚感のある声が響いた。


「さあ、音楽を」


皇帝が右手を挙げると、再び楽団員たちが弓を引く。

先ほどまでの溶け込むような音楽ではなく、優雅で、存在感のある調べが空気を震わせた。

流れてきたのは三拍子のワルツ。

手を取り合った男女が、流れるように会場の中央へと集まっていった。


(こんなに早く、チャンスに恵まれるなんて……)


レナルドは思わず拳に力を込めた。

年度末パーティーでは叶わなかった願い――フィオナにダンスを申し込むのに、これ以上ない機会だった。


「フィオナ……」


振り返ると、フィオナは二階の窓の方を凝視していた。

そこにはマクニール男爵が一人で佇んでいた。

誰かと踊るつもりはないようで、静かに広間を見下ろしている。

その顔には疲労感が垣間見えた。

眉間に寄った皺をほぐすように、男爵は人差し指の第二関節を押し当てる。


「……!」


その仕草を見た瞬間、フィオナは大きく目を見開いた。


"嘘つき!"


脳裏に少年の刺々しい言葉が蘇る。


「大丈夫? 何か視えた……?」

「ううん……」


レナルドが心配そうに顔を覗き込んできたが、フィオナの返事は心ここに在らずだった。

レナルドに向いた視線は、すぐにマクニール男爵へと戻る。


「私……さっきの人と、話さなきゃ……!」

「え……」


レナルドが引き止めるよりも先に、フィオナは駆け出していた。




五年前――




「息子のルーファスです」


侍女長のアナが連れてきたのは、フィオナより三つ年上の少年だった。


(ルーファス……)


フィオナはもじもじと指先を擦り合わせ、目の前の少年を見上げる。

ルーファスはその視線から逃げるように、ふいと顔を逸らした。


「これから親子共々、よろしくお願いします」


そう言ってアナは笑ったが、どことなく元気がないように見えた。


(アナが、ずっといてくれる……)


フィオナは頬が緩むのを抑えられなかった。

母が亡くなってまだ一ヶ月。

フィオナにとってアナは、唯一の理解者であり、精神的な支えだった。



しかし――



ゴッ、と鈍い音とともに、頭に衝撃が走った。


「う……」


思わず呻き声が漏れる。

すぐそばには、顔を真っ青にしたルーファスが立ち尽くしていた。

額に触れると、指先が真っ赤に染まった。


「ひっ……」

「い、医者……医者を!」


侍女たちが短い悲鳴を上げ、慌ただしく動き始めた。


(くらくら、する……)


フィオナは状況を把握できないまま、意識を手放した。




二日後――

フィオナは自室のベッドで目を覚ました。


「お願い、一目でいいからフィオナお嬢様に会わせて……!」

(アナ……?)


扉の向こうで、アナの声が聞こえる。

初めて聞く、切実で、泣きそうな声だった。


「駄目です」


続いて聞こえたメリンダの声は、ひどく冷たかった。


「早く荷物をまとめて、この屋敷から出ていってちょうだい」

「ッ!」


心臓がきゅっと締め付けられる。

フィオナは起き上がろうとしたが、思うように力が入らなかった。


「アナ……アナ……ッ」


必死に呼んでも、掠れた声は届かない。

フィオナは弱々しくシーツを掴み、浅い呼吸を繰り返した。


――どうすることも、できなかった。



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