婚約パーティーの夜 8
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一方そのころ、レナは壁に背中を預けて、ぼんやりとクラウスを待っていた。
(あーあ、お父様ってば伯母様に振り回されちゃって)
ダンスホールでは、あからさまに嫌そうな顔をした父と、楽しそうな伯母のベティがダンスを踊っている。あの様子だと父は当分解放されないだろう。
必死になって踊っている父の姿がおかしくなって、くすりと笑ったレナの側に、ふと誰かが近づいて来た。
誰だろうと顔をあげて、レナは目を丸くする。
それは、先ほどまで知らない女性と踊っていた元婚約者のデミアンだった。踊っていた女性も隣にいる。
「誰かと思えばレナじゃないか。パートナーなしで参加できないパーティーのはずだが、父親と一緒に来たのか? その年でまだ独り身なんだろう?」
デミアンはレナがクラウスと一緒にいる姿を見なかったようで、ニヤニヤ笑いで揶揄って来た。隣の女性も、くすくすと笑っている。
独り身なのはその通りだが、わざわざそれを確認しに来たのだろうか。そんなことをしてデミアンに何のメリットがあるのだろう。
「確かにわたしは結婚していないけど、それとあなたに何か関係があるの?」
デミアンとの関係は六年も前に終わっている。レナには彼に用はないし、憎くて仕方がないとは言わないが、あんまり気分のいいものでもないので話しかけられたくもない。
「お前パッとしないからな。まあ、今日はいつもよりめかしこんでいるみたいだが」
(いつもっていつの話よ)
不躾にじろじろとレナの全身に視線を這わすデミアンには、さすがに不快になってくる。
「確かにわたしにはそちらの女性のような派手さはないけど、だからといってあなたには関係のないことでしょう。そんなことより、あなたこそ、奥さんはどうしたの? 堂々と違う女性を連れて歩いていたら、変な噂がたっても知らないわよ」
「あの女の話をするな!」
突然デミアンが声を荒げて、レナは驚いて息を呑んだ。
「俺に捨てられたことへの腹いせか!? 顔だけではなく性格も悪い女だな! 寂しそうにしていたから声をかけてやったのに、感謝もせずに嫌味か!?」
(はあ? 何を言ってるの?)
デミアンの言っていることは意味不明だった。特に、声をかけてやったのだから感謝するのが当たり前だというその態度が意味不明だ。レナがデミアンに声をかけられて喜ぶとでも?
(だいたい、腹いせって何なのよ。別に嫌味を言ったつもりもないわよ。ただ事実を言っただけじゃない)
王家のパーティーに妻以外の女性を伴ってやってきて楽しそうにしていれば、妙な噂がたったっておかしくない。誰でもわかる問題だ。
唖然としていると、デミアンはまだ何かわめいている。
デミアンの大声で周囲の視線がこちらへ向いて、レナはいたたまれなくなった。これではまるで、六年前の再来だ。
(勘弁してよ……)
デミアンの隣にいた女性も注目されてさすがに恥ずかしくなってきたのか、そそくさとその場から逃げて行った。デミアンはそれにすら気づかず、レナの容姿や性格について同じような文句をくり返している。
レナが途方に暮れたとき、レナの視界に綺麗な銀色が映った。
(あ……)
本当に、六年前の再来かもしれない。
艶やかな銀髪を揺らしながら少し速足でこちらに歩いて来たクラウスが、デミアンの肩に手をかけて、やや乱暴に後ろに引いた。
「何、……っ!?」
後ろに引かれてたたらを踏んだデミアンが声を荒げようとして、クラウスの姿に瞠目する。
「私の連れにずいぶんな口をきいているようだな」
「く、クラウス宰相閣下⁉ つ、連れ? こいつ……レナが⁉」
クラウスはレナを背にかばうようにして立ち、じろりとデミアンを睨みつける。
「どこかで見た顔だな」
ひんやりと氷を思わせるような声。
冷ややかな視線に、表情。
久ぶりに見た、背筋が凍りそうなほどに冷淡なクラウスの表情に、レナの背筋がぞくりとする。レナが六年間視線で追い続けたクラウスはこちらの冷たい姿の彼の方なのに、ここ最近は柔らかい表情を見てきたからだろうか、まるで知らない彼を見ているような錯覚すら覚えた。
「ああ、思い出した。少し前に誰かが噂していたのを聞いたな。カーペント伯爵家の長子だろう。奥方は確か、誰とも知らぬ男と蒸発したんだったな」
(え?)
デミアンの奥方と言えばコートニーしか浮かばない。と言うことは、コートニーが蒸発したということで間違いないはずだ。
デミアンが顔を真っ赤に染めて、けれどもクラウス相手に言い返せるはずもなく、肩を震わせながら視線を落とす。
「それで、私の連れに言いがかりをつけていたようだが、どういうことか説明してもらおうか? その内容によってはただでは置かないが、当然理解して彼女に失礼を働いたのだろう?」
「そ、それは……」
「クラウス様……」
この場で騒ぎを大きくするのはよろしくない。騒ぎに気付いた父とベティもダンスをやめて、少し離れたところで青い顔をしてこちらを見ている。レナもこれ以上注目されるのは嫌だった。
クラウスは肩越しにレナを振り返って、肩をすくめた。
「彼女に謝罪をし、早々にこの場から立ち去れ。今日のところはそれで見逃してやる」
「も、申し訳ございませんでした……」
デミアンはガクガクと震えながら頭を下げて、逃げるように踵を返して駆けだした。
クラウスはこちらに視線を向けている野次馬たちをぐるりと見渡して、この場を騒がせたことを詫びると、レナの背に手を回して歩き出す。
「バルコニーに出よう。君も落ち着かないだろう?」
それは願ったりな申し出だった。
クラウスに連れられてバルコニーに出ると、晩春の夜の暖かい風が頬をくすぐる。
まだ空の端っこが少しだけ紫色をしていて、反対側の空には星がキラキラと輝いていた。
レナの胸の位置ほどまでの高さの手すりに両手をついて庭を見下ろせば、等間隔に灯りがともされていて、そのオレンジ色の灯りを反射し一部が同じ色に染まった噴水が見える。
(きれい……)
この瞬間を絵に描けたら素敵だろう。スケッチブックがないのが残念で仕方がない。
「クラウス様、さっきはありがとうございました」
庭からクラウスに視線を移し、レナがお礼を言うと、クラウスがまだ少し硬い表情で首を横に振った。
「いや、私が君のそばを離れたせいだ。悪かった」
「そんなことは……。あ、陛下は大丈夫でしたか?」
「ああ。いつものことだから、問題ない」
「陛下も大変なんですね。ジョルジュ殿下も、まだお小さいのに……」
「そうかもしれないが、それは仕方のないことだ」
クラウスはどこか突き放したように言って、レナの隣に立って空を見上げる。
「権力というものは煌びやかなだけのものではない。それを手にするためには、相応の努力や我慢も必要で、例えばほかの子供が手にすることができる自由や甘えも、すべて飲み込んで耐えなければならないものだ。それを理解させるのは親や教育官の役目であって、それを怠った兄上たちが責められるのは当然のことだ。私を呼んでその追及から逃げようとする方が間違っている」
「じゃあ……もし、クラウス様が国王陛下だったとしたら、泣いた子供に厳しく接するんでしょうか」
「そうせざるを得ないだろう。子供にものすごく嫌われる父親になりそうだ」
(そうかしら?)
レナはクラウスの横顔を見ながら、それは違うような気がすると思った。
クラウスは無尽蔵に子供を甘やかしたりはしないかもしれないが、リシャールに対する彼の態度を見ていればなんとなくわかる。きっと彼は子供に慕われる父親になるだろう。
何事にもバランス感覚というものが必要で、その点クラウスはうまくやりそうだ。そんな気がする。
「先王陛下は、その、厳しい方だったんですよね?」
「そうだな。甘やかされた記憶は一つもない。ただ、それでも私も兄も弟も、大人になるまでは父と母とともにいられた。可哀そうなのはリシャールだ。父上も母上も、退位すると同時に離れた場所にある離宮に移り住んで、てっきりリシャールも連れていくのかと思っていたのに、あっさり置いて行ってしまったからな」
「何かお考えがあったのかもしれませんよ」
「かもしれない。だが、無責任だ。リシャールがしっかりした子供だったとはいえ、当時あの子は九歳だった。ここにいるより、父と母についていった方が、あの子は幸せだったに違いない」
「でもそうなっていたら……クラウス様がリシャール様と今のように過ごす時間は取れませんでしたね」
「……そう、だな」
「兄弟間に溝ができたまま、ずっと会えなくなっていたかもしれませんよ?」
「確かに……」
「先王陛下は、クラウス様たちのためにリシャール様を置いて行ったのかもしれませんね」
「どうだろう。あの人の考えることが理解できたためしはないからな。……リシャールになら、父上の考えに推測が立てられるかもしれないが」
クラウスはそこでいったん言葉を切って、迷うように口を開いた。
「だからと言うわけではないが……、私はリシャールには幸せになってほしいと思っている。リシャールが心を許せる人と、幸せに暮らしてほしいんだ」
「リシャール殿下が、心を許せる人?」
「ああ。……不躾な質問になるが、君はさきほどのデミアン・カーペントのことが、その、まだ好きなのか?」
「え?」
「あの男は君という婚約者がありながら、ほかの女性を妊娠させて君を捨てた男だろう?」
(どうして……)
まさか、クラウスは六年前のことを覚えていたのだろうか。そんなそぶりは一度もなかったのに、本当はレナのことを覚えていてくれたのだろうか。
淡い期待が胸に広がったとき、クラウスがバツの悪い顔をして視線を逸らす。
「すまない。実は、君のことをもう少し調べさせてもらったんだ……」
(なんだ、覚えていたわけではなかったのね……)
レナの胸に広がった期待が急速にしぼんでいく。同時に、何故レナのことを調べたのかと疑問を持った。レナを雇用する前にも調べていたようだが、追加で調べた理由はなんだろう。
「わたし……何かクラウス様に不審がられるような行動をとってしまいましたか?」
クラウスがレナの身辺調査をするということは、何らかの疑惑を持たれたに違いないと不安になっていると、クラウスが慌てて首を横に振った。
「違う、そうじゃなくて……。はあ……この際だから白状するが、実は、君がリシャールの相手にちょうどいいのではないかと思ったんだ」
「はい……?」
「だから……確かに少し年は離れているが、リシャールは君にとても心を許しているようだし、私としても、君のような女性がリシャールと生涯を共にしてくれると安心できる。だから、気が早いかもしれないが、リシャールと婚約してくれないだろうか……?」
レナはこれでもかと目を見開いた。
驚愕と、それから例えようもないほどの苦しさが同時に襲ってくる。
(……ひどい)
クラウスは純粋にリシャールのためを思っているのだろうが、レナはひどいと思った。
無理なのはわかっているが、レナの感情も少しは考えてほしいと思ってしまった。
レナが好きなのは、リシャールではなくクラウスだ。その好きな人から、弟と婚約してくれと言われて――冷静でいられる女性がいるならば見てみたい。
「ひどい……」
ぽつりとつぶやいた拍子に、ぽろりと涙がこぼれた。
クラウスがレナの涙に狼狽えて「もちろん今すぐに返事がほしいとは言わない」などと頓珍漢なことを言い出す。
(こんなの、八つ当たりだってわかっているけど……)
すっかり冷静な判断ができなくなったレナは、拳を握りしめて叫んだ。
「ひどいです! クラウス様の、ばか‼」
そして、あとさき考えずに走り出すと、パーティー会場を飛び出した。







