第54話 ビアンカの気持ち⑦
「この鬼族がアアア! わしの邪魔をしおって!」
両腕を何度も振るい、鋭く伸びた爪でラルヴァさんを傷付けようとするデイル。
でもラルヴァさんは、そんな浅い攻撃をいとも簡単に避けきり、バク転をしながら私の目の前で綺麗に着地。
「ラルヴァさん……!」
一度は叫んだ彼の名を、私は消え入りそうな声で口から漏らす。
正直、もう駄目だと思っていた。
シュヴァリエさんが気絶させられたくらいだ。
彼女とは合同訓練で戦っていないから実際の力の差は分からないけど、シュヴァリエさんが勝てなかった相手に私が勝てるなんて、そんなことがあり得るはずがない。
あのままラルヴァさんが後ろからデイルを斬りつけてくれなかったら、確実に私は喰い殺されていた。
「大丈夫か、ビアンカ。助けるのが遅れたな、すまん」
ラルヴァさんは私を振り返り、そう謝罪してくれる。私は首をブンブンと振って頭を下げ、
「い、いえ! むしろ助けに来てくださってありがとうございました。ラルヴァさんのお手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした」
「____全くだ。何のための雷魔法だ。ちゃんと活用しろ」
ラルヴァさんの呆れたような吐息。
私がもう一度顔を上げた時には、ラルヴァさんは私ではなく目の前を見ていたから、ラルヴァさんの表情を窺い知ることはできない。
「は、はい……」
また迷惑をかけ、ラルヴァさんを怒らせてしまったのだと思うと、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
そんな私を奮い立たせたのは、ラルヴァさんの尖った叫び声だった。
「下がってろ!」
叫びとともに、ラルヴァさんは踏み込んでデイルへと剣を振るっていく。
デイルは意外にも器用に長く伸びた爪でラルヴァさんの剣をガードしながら、
「退け! こやつの匂い、嗅いだことがある! じゃが、どこでいつ嗅いだものなのかまでは思い出せん……! 思い出すまで嗅がせろォォ!」
「誰が貴様などの都合に合わせてやるか。さっさと失せろ、人喰い鬼め」
ラルヴァさんは冷たく言い放つと、デイルのみぞおちを剣の柄で殴り、剣の刃で背中を斬りつける。
デイルは痛みに声をあげて体をのけ反らせたけど、すぐに体勢を整えて両足で小屋の床を踏みしめ、ラルヴァさんに向かって吠えた。
「黙れ‼︎ ……なぁ、貴様、ニンゲンなんじゃろ? 最後に喰ったニンゲンと同じ匂いがするんじゃ!」
私の方を振り返り、懸命な顔つきで訴えてくるデイル。
そんなことを言われても、自分の匂いに関してそれ以外の認識しかない私は困惑するだけだ。
私の匂いがニンゲンと同じなんて、あり得るはずがない。
私はニンゲンじゃない。鬼族に生まれて鬼族として育った__はずなのだ。
「ビアンカ! お前はニンゲンだ!」
でも、そんな私の推測はいとも簡単に否定された。
「えっ……」
ラルヴァさんは細剣でデイルを斬り続け、ついには小屋の外へと追い出した後で背筋を伸ばした。
私の方を振り返りはせずに、まっすぐ前を見つめたまま。
「ずっと隠していて、黙っていてすまなかった。だが、お前は紛れもなくニンゲンだ! お前がまだ赤ん坊だった頃、デイルが喰ったのがお前の両親だ。俺もドラコス王も、駆け付けた時には遅かった……! 本当にすまなかった……!」
「ラルヴァさん……」
その瞬間、まるで最期に見る走馬灯のように、私の脳内にたくさんの映像が流れ込んできた。
映像__否、幼かった私が確かにこの目で見てきた光景であろうものが。
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『ごめんね……ごめんね……』
声を震わせて涙を流しながら、私の頭を撫でてくれる女性。その傍らには決して豪華とは言えないボロキレのような格好をした、女性と同じくらい若い男性もいた。
前に夢で見た光景にはいなかった男性だ。
彼らは私を抱いたまま、木々が生い茂る森の中にいた。
私の名前らしきものを口にする様子もなく、若い男女はそのまま私を地面に置いた。
『こ、この子で許してください……! どうか……! どうか……!』
地面の私から数歩ほど離れて、その男女は恐怖を表情に宿したまま互いを守るように抱き合う。
その直後、私の顔を上から覗き込んできたのは、明らかに人喰い鬼・デイルだった。
今現在よりももう少しふくよかな顔をしたデイルは、私を吟味するかのように見つめてから、
『フン、良いだろう。さっさと失せろ』
『は、はい……! おい、行くぞ!』
『ええ……。ごめんね……あなたのこと、愛してるか__』
男性に肩を抱かれた女性が私を見つめながら愛の言葉を口にし終わるよりも早く、今までおとなしかったデイルが勢いよく男女へ迫っていった。
飛び散る血潮。肉が裂ける音。
そこにいたはずの男女の姿は、もうなかった。
口の周りを赤黒くしたデイルは、踵を返して私の方へ歩いてくる。
その瞬間、地響きとともにデイルと私の間に立ち塞がる二つの影があった。
『また悪行を重ねる気か、デイル。愚かだなぁ。……ラルヴァ、その赤ん坊を連れて屋敷へ戻れ』
『承知致しました、ドラコス王』
その声を最後に、私の意識はそこで途絶えた。
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次に流れ込んできた映像は、木々が繁った森の中ではなかった。どこかの屋内__昔のお屋敷だったのだ。
私の視界に映っているのは、若かりし日のラルヴァさんだった。今よりも少しだけ目付きが優しく、銀髪の長さも肩甲骨辺りで、腰の辺りまで伸びている今よりは短い。
『ラルヴァ、その赤ん坊の村がデイル達に襲われた』
『まさか……!』
ドラコス王の声に、ラルヴァさんは目を見開いた。
『ああ、全滅だ』
『このニンゲンは、どうなさるおつもりで……?』
抱いた私へと視線を下ろし、不安そうな表情を覗かせるラルヴァさん。
すると、お屋敷が壊れてしまいそうなほどの地響きがして、ラルヴァさんに抱かれて動かない私の視界にドラコス王が映り込んだ。
ドラコス王は爪の先端で、傷付けないように細心の注意を払っているような優しい力で私の髪を撫でながら、
『今更妾達の手を離したところで、こやつがデイル達の餌食になるのは目に見えている。妾達が責任を持って育ててやろう』
『はっ、承知致しました』
ラルヴァさんは唇を固く引き結んだまま、深く頭を下げていた。




