第53話 ビアンカの気持ち⑥
「しゅ、シュヴァリエさん!大丈夫ですか⁉︎」
私は慌ててベッドから立ち上がり、小屋の外に出てうつ伏せに倒れたシュヴァリエさんの元に駆け寄った。
「び、ビアンカ……っ! 待っているようにと……言ったではありませんか……っ!」
シュヴァリエさんは小刻みに震えながら、小屋の外壁の土で汚れた顔を上げて、また口から血を吐く。
既にシュヴァリエさんの口元の地面には赤黒い色をした丸いシミが広がっていて、彼女がいかに大量の血を吐いたかは一目瞭然だった。
「シュヴァリエさんがこんなに傷付いてるのに、黙って見過ごすなんて出来ません! それに私は大丈夫です!」
シュヴァリエさんの両肩に手を置き、私が彼女にそう主張した時だった。
「____逃げなさい!」
ハッと息を呑んだシュヴァリエさんが、私の体を強く突き飛ばした。突然シュヴァリエさんの掌で押されて、しかもそれを予測できなかった私は呆気なくシュヴァリエさんに突き飛ばされる。
気付いた時には小屋の床にお尻をついていて、鈍い痛みが後からじわじわとやってきた。
「しゅ、シュヴァリエさん‼︎」
シュヴァリエさんの切羽詰った声とともに彼女に突き飛ばされたこと。その両方を瞬時に思い出して正面を向いた私は、目の前の惨状に息を詰まらせた。
シュヴァリエさんはデイルに口元を押さえられ、そのまま小屋の外壁に身体を押し付けられていた。必死にデイルの手首を両手で掴み、自分の口元から離そうとしているけど、デイルの手首はびくともしない。
そのうちに、血管が浮き出たデイルのもう片方の掌が握られ、その拳がシュヴァリエさんのみぞおちに強く叩き込まれる。
「お前は大人しく伸びておれ。わしが可愛がってやりたいのは別の女だからな」
何度も、何度も、何度も____。
「ぅっ……!」
はっきりとした声にならない呻き声をあげたかと思うと、シュヴァリエさんは首をガクンと下げて両手をブランとさせた。
まさか、さっきみぞおちを何発も殴られたせいで……?
「シュヴァリエさん!」
私が何回叫んでも、シュヴァリエさんはうなだれたまま顔を上げない。悪い予感は当たった。シュヴァリエさんは気を失ってしまったのだ。
「さて、そこの女。さっきから旨そうな匂いを漂わせておる女、お前じゃ。お前をわしに喰わせてくれないか」
デイルはシュヴァリエさんの口元から手を離した。その反動で地面に落ちる彼女の体を一瞥した後で、小屋の中で尻もちをついたままの私へ向き直ってきた。
掴んだだけで折れてしまいそうなほど細い、何とも不健康な両腕を広げて、ボロボロの歯の隙間からよだれを垂らし、ニマニマと私を見つめてくる。
その姿を見ていると背筋が凍って悪寒がし、私は反射的に掌を彼の方へ突き出していた。私の掌から金色の電撃が放たれる。
「……お? 何の真似じゃ?」
顔を傾け、そのヨボヨボでみすぼらしい外見からは想像もつかないほどの素早い反射神経で私の雷魔法を避けたデイル。
素早く避けられた、といってもデイルはわずかに遅かった。その証拠に、彼の頬には私の電撃が作った細いかすり傷が出来ていて、そこから少し出血もしている。
普段、お屋敷では訓練でごくまれに怪我をされるラルヴァさん、すっ転んで膝をすりむくオグルさんの手当てをしつつ、彼らが受けた傷に心を痛ませている私だけど、シュヴァリエさんを傷付けたこの人喰い鬼を前にした今だと、話は別だ。
彼の傷付いている姿を、まして私が傷つけた姿を見ても、心が痛まない。痛むわけがない。
「許しません……! 絶対に許しません! 私を食べたいだけなら、どうしてシュヴァリエさんを傷付けたんですか!」
「あやつがわしの邪魔をしてきたからじゃろうが。わしの餌は最初からお前だ」
そう言いつつ、悠々と私の方に近づいてきたデイルは、何かに気づいて眉を寄せ、はたと立ち止まった。
「ん? お前、鬼……いや、じゃが奴等と同じ角がないのう」
もっと間近で私を見ようと思ったのか、デイルはさらに歩みを進めてくる。
「こ、来ないでください!」
恐怖心を抱くままに、雷魔法を撃った。
今度は彼の胸板にちゃんと当たったようで、デイルは呻きながら数歩ほど後ずさった。
胸を押さえ、顔を上げて私を再度見つめるその顔は____、
「貴様ああぁぁぁっ‼︎」
目を赤く血走らせ、唾が飛びそうなほど口を開いて怒りを露わにし、まさに『鬼』と呼ぶにふさわしいほどに歪んでいた。
デイルは大股で私の方へ歩いてくると、私の頭髪を片手で掴んで引き上げて、
「このわしに向かって牙を向くとは何事じゃ! 許さんぞ! 今すぐに喰い殺してやる!」
私の顔に自分の顔を近づけ、怒りのままに叫ぶデイル。そうして口を大きく開き、私の首元をかぶりつこうとして、彼は体の動きを止めた。
「この匂い……貴様、やはりニンゲンか。嗅いだことがある……! 懐かしい匂いじゃ!」
何故か興奮したように声色を明るくし、デイルは目を輝かせる。
一方の私は、デイルの言葉の意味を理解出来ずに戸惑っていた。
「ど、どういう……?」
私が、ニンゲン……?
自分でも薄々気付いていた。こんなにも『鬼族』であることに違和感を覚えたことはなかった。違和感を覚え始めたのもごく最近のこと。
お屋敷では自分を変だと思わなかった。ラルヴァさんの言うとおり、本当に私の角の成長が遅いだけなのだ、と思っていた。
でも実際にニンゲンと出会い、フロラやレノンさんと交流を深めていく中で____。
徐々に違和感を覚えるようになった。
ラルヴァさん達には生えていて、私には一向に生えてこない角。
そんなわけがないのに。
「ビアンカ!」
「ウガァッ!」
私を呼ぶ声と同時に、後ろからデイルが斬られた。
デイルは身をよじると背後を振り返り、怒りの声をあげて自分を斬った相手に飛びかかっていく。
「貴様ああ!」
「くっ……!」
飛びかかってくる人喰い鬼を剣で受け止めたのは、立派な角を生やして長い銀髪に眼鏡をかけた男性だった。
「ラルヴァさん!」
反射的に、私はその男性____ラルヴァさんの名前を叫ぶ。
他の人喰い鬼達と戦っていたはずの、長身の鬼騎士が私を助けに来てくれたことに驚きながら。




