33話 アルテイシアとマリア・リアの違い
◇◇◇◇
侯爵の前で倒れてから5日後。
アルテイシアは、レオハルトの東館で衣装合わせをしていた。
(そういえば、神殿でもひとりになることってなかったわね……)
そんなことをぼんやりと考える。
目の前では、マーリンがアルテイシアの裾を直しているところだ。
今日の彼(あるいは彼女なのか)も、アルテイシアから見れば風変わりな衣装を身に着けていた。
上着は男物なのに、下はというとふわふわしたスカートとズボンを履いている。ぴったりと脚に沿ったズボンなので、なんだか踊り子風にさえ見える。
そんなマーリンは、床に膝をついて裾上げをしてくれており、手伝っているのはアルテイシアの侍女であり、元マーリンの助手であるララだ。
屈みこみ、待ち針をうっているふたりを視ながら、アルテイシアは小さな吐息を漏らした。
母国ミリオシア王国の誰かが、まだ自分を追っている。
そのことを知ってから、アルテイシアはこの屋敷から逃げることを考えていた。
というのも。
自分の存在が知れ渡りつつあるからだ。
あの演奏会。
ラミア・セッテリーノ伯爵令嬢が主催した私的なもので、アルテイシアが披露した歌声。
あれが評判となってしまったのだ。
次の日から男爵家には「恋人を連れて我が家にどうぞお越しください」とサロンや夜会のお誘いがひっきりなしに届いている。
レオハルトが連れてきた娼婦。
そんな噂はあの夜に一掃された。
『素晴らしい歌姫』『こっそりご覧になっていた閣下も魅了した』『立ち居振る舞いも素晴らしいレディ』
社交界ではいつの間にかそんな風に噂され、同時にメイドが辞めた理由についても、『アリにいじわるした結果、レオハルトに辞めさせられた』という実態が明るみに出た。
ララは、それみたことか、と胸を張っているが、正体を隠したいアルテイシアとしては絶望しかない。
アリこそが逃亡した聖女。
そう言われて捕縛され、母国に送還される前に、また身を隠す必要がある。
そうしないと……。
(レオハルトさまに迷惑がかかるし……)
次第に視線は床に落ちた。
出会いは最低最悪だったが、いまでは一緒に暮らし、食事もともにする仲となったレオハルト。
仏頂面に見えるのに、実は優しい目と細やかな気遣いのできる男。
一族の悲願をかなえるために奮闘し、清浄となった地で領民が豊かに暮らすことを夢見る穏やかな領主。
(そんな彼に迷惑はかけられない)
だからこそ、こっそり屋敷を抜け出そうと思うのに、いつも誰かが側にいる。
ララや執事。なんなら一番そばにいるのはレオハルトだったりもする。
娼館ドレスティアで働いていた時は、アルテイシアがどこでなにをしようが誰も気にもとめていなかったが、ここでは違う。
『なにかご用が?』『どうなさいました?』
使用人たちがいつも気を配ってくれる。
そういえば、神殿で聖女として暮らしていた時も同じだったとアルテイシアは思い出した。
(それにしても……)
どうして、まだ自分を探しているのだろう。
その答えは、漠然としたものだ。
魔境が広がり、魔獣が増えているからではないのか。
その原因を。
アルテイシアに求めているのではないか。
(そんなこと、あるはずがないのに)
聖女など、ただの形骸化した存在だ。
選ばれた貴族の女子が神殿で躾され、学習を受け、それにのっとって行動しているに過ぎない。
事実、アルテイシア自身、特別なことなどなにひとつなかった。
過去の聖女たちと同じように過ごし、過去の聖女たちと同じように引退をするはずだったのだ。
(……同じように?)
ふと、違和感を覚えた。
というのも。
自分は、引退していないからだ。
通常、聖女となると、さまざまな手続きや儀式を踏む。
まずは身を清め、潔斎を行う。そして、大神イライネーゼに「○○聖女に代わり、自分が新しく聖女としてお仕えさせていただくことになった」とお伝えする儀式がある。
その後、民衆にお披露目となり、各種儀式をおこなったり、聖騎士に同行したり。
そして聖女を引退するときは、やはり大神イライネーゼに「このたび引退することになりました。新しい聖女は○○といいます。よろしくお願いします」とお伝えし、引退となる。
(……その儀式を……していない、から?)
まさかまだ、正統な聖女はアルテイシアということになっているのでは?
アルテイシアは、2年前のある日、突然捕縛され、連行され、幽閉された。
手続きや儀式を踏まず、聖女という称号だけはく奪されている形になる。
(だけど……)
マリア・リアが聖女として立ったのなら、そのときに儀式を行っているはずだ。
「○○に代わり、自分が新しい聖女になりました」と。
(それでもかまわないようにおもうけど……)
何かが違うのだろうか。
そう考え、我に返る。
違う、違う。
頭を振った。
聖女など、ただの役割だ。
特別な力などないはずなのに、どうしてそんなことを考えてしまうのだろう。
「お疲れになった?」
「え⁉」
ふとマーリンに尋ねられ、アルテイシアは素っ頓狂な声を上げた。
背筋を伸ばしてみると、いつの間にかマーリンとララは立ち上がってアルテイシアを見つめているところだった。
「都合、1時間以上たちっぱなしにさせてるものねぇ。ララ、休憩にしましょうか」
ベルトをつけて腕に巻いた針山に待ち針を刺し、マーリンが言う。隣のララがこっくりとうなずくから、アルテイシアは慌てた。
「そんなことありません! すみません、ぼうっとしてしまって」
「あの演奏会以来、お嬢様はずっと気が休まらないご様子。すみません、私がいたらずに」
ララが、しょぼんと肩を落とすからアルテイシアはさらに狼狽えた。
「そんなことないのよ⁉」
「そういえば、歌がすごくお上手なんですって? 社交界中でそりゃあもう、すごい騒ぎになってるわよ。歌姫現る、って感じで」
「ええええええ⁉」
盛大に戸惑うアルテイシアを見て、マーリンは軽やかな笑い声をあげる。そしてアルテイシアの後ろに回った。そっと仮縫い状態の衣装を脱がせてくれる。
「そうなのです、マーリンさん。本当に私も感激いたしまして。お屋敷にも噂を聞きつけた貴族たちから、わんさか手紙が集まるご様子」
どちらかといえばいつも冷静なララが、喜びを隠せない様子だ。マーリンは「そう」と興味深そうにうなずいているから慌てた。
「そんなことないんですよ……! あれはレオハルトさまのヴァイオリンがあってこそで……!」
「あら、レオも披露したの? どうせ目くらましみたいな早弾きでしょ?」
マーリンが愉快そうに笑う。彼から衣装を受け取りながら、ララはきょとんとまばたきをした。
「マーリン様は旦那様のヴァイオリンをご存じで?」
「あいつ、筋はいいのに真面目に練習しないから。あんなのばっか」
肩を竦めるマーリンを見て、そういえば宮中伯も同じようなことを言っていたなとアルテイシアは思い出した。
「わたしと師匠が一緒なの。ミレニアム宮中伯」
マーリンが片目をつむって見せる。なるほど、とアルテイシアは合点がいった。
たぶんだが、マーリンの実家の地位は高いのだろう。でなければ、レオハルトとあそこまで心安く付き合えないだろうし、ヴァイオリンの師匠が同じということもない。
「あなたは?」
道具を片付けながら、マーリンが言う。
「え?」
「あなた。歌を披露したって聞いたし、どこかで声楽をならったの?」
「そういえばお嬢様、最初はリュートを披露する予定でした。母国でどなたかに師事なさっていたのですか?」
ララも興味深々だ。
「いえ……あの。お世話になった先で、ちょっと教えていただいた程度で……」
まさか聖女の時に神女官たちに教わりました、とは言えない。
(まさかこんなところで騒ぎのもとになるなんて……)
アルテイシアは頭を抱えたい気分で吐息を落とす。
神殿で暮らしていた時、祭事や重要行事がない時間を使い、徹底的に指導されるもの。
それは、聖典の詠唱。それから音楽だった。




